だいじゅうにわ
「ふぅ……」
次の日。
僕は朝から屋上で授業をエスケープしていた。これで煙草なんて咥えていれば、きっと不良認定間違いなしだろう。……サボっている時点で、模範生とは言えないしなぁ……聖騎士だけは絶対に見習わないって思っていたけど……なるほど、確かに偶にならぐうたらするのも悪くないかもしれない。
「……授業に出てもなぁ……」
一時間目でギブアップだった。まさか一番得意だった国語ですらまったくわからなくなっているとは思わなかったよ……。これは、しばらく猛勉強の必要があるなぁ……ああ、頭が痛い。
「はぁ……さて」
ため息を一つ吐いて、空を見上げる。秋空らしく、よく晴れていた。これで『浸食』の気配さえなければ、このまま寝てしまいたいぐらい心地いい陽気だった。
「『浸食』……か」
図書室の種を破壊しても未だ学校全体に広まり、残り続けるその気配。
まだ内部の人に影響の出るレベルではないし、今日朝早く学校に出てきて歩きまわってみても、気配が濃密になる場所はなかった。何処を回ってみても、感じる気配は均一で……まるで、霧の中に迷い込んだ印象を受けてしまったぐらいだ。
一番濃く感じたのが昨日の跡……つまりは図書室なのだけど、その周囲にはコーンやらテープやらが張り巡らされていて、一般生徒は立ち入りができない状態だった。
まあ、あれだけ暴れたのだから、無理もないかな。朝のホームルームでも噂になっていたし、山形先生も近付かないようにと念押ししていた。
図書室と同じ棟にあるこの屋上も、実は立ち入りが禁止されていたのだけど……まあ、今の僕には絶好のサボり場所だ。
こんな姿が向こうのみんなに見られれば、どう思われるのだろう、なんて考えて、こみ上げてくるおかしさに逆らわずに、ただし音量を絞って声を上げる。
きっと王女は怒って僕を連れ戻すだろう。僧侶もあまりいい顔はしないに違いない。戦士は……きっと王女の怒り具合におろおろしているのだろうし、逆に盗賊や聖騎士は喜んで僕に便乗して酒盛りでもし始めるかもしれない。賢者は……そうだな、いつの間にかどこかの木陰で、研究書でも開いているかもなぁ……。
「よーやくこっちに戻ってきたと思ったら、今度は向こうを懐かしく感じちゃうなんてなぁ……」
また少しおかしくなって、くすくすと忍び笑いを漏らす。本当なら笑い転げてみたいけれど、今は授業中だしここは立ち入り禁止の場所だ。見つかれば反省文どころの話じゃない。
「……何処から探したものかなぁ」
やがてこみ上げてくるものも小さくなって、僕はコンクリの床にごろんと転がる。
太陽の熱で、ほんのりと温かくて妙に気持ちがいいそこに身体を預けながら、まだ探していない場所を思い浮かべていく。
「朝のうちに大体は回った……後は……」
明宝高校はそこまで広いわけでもないし、校舎が分かれているわけでもない。大体でいいのなら、一周するのにかかる時間は二、三十分程度だと思う。
それも大体回っているから、後はこの屋上の様なあまり人気もなく知られていない穴場のスポットぐらいだろうか。
……問題は。
「……何が、代用品か」
種がいくらあっても、その栄養分がなければ『浸食』は進まない……はずだ。で、あれば、その栄養分の代わりとなっているモノを見つけて、それをなくすことができれば……でも。
「……そう簡単に代用品が見つかるはずもないしなぁ……」
魔力。向こうでは大気中に漂っていた、それ。一年近くの修行でどうにかそれを感じ取るところまではいき、あとは『希望の剣』の助けを借りて魔法を使っていたけど……こちらでは、それを感じ取ることはできなかった。
『剣』を発動させれば何か変わるかも、とも思っていたけど、そううまくはいかないらしい。
「魔力、魔力……向こうでは、魔力は世界の生命エネルギーの残滓って事になっていたけど……」
魔法の講義で、賢者が僕に最初に教え込んだのが、そのことだった。
何でも、大地の下には世界の生命エネルギーなるものがめぐっていて、大地から漏れ出ているその残滓こそが魔力なのだという。
世界そのものの生命エネルギーなのだからその根本的な力は膨大であり、極めれば自然現象ですら操ることも可能、らしい。
残念ながら僕にはそこまで強力な魔法を扱うことはできなかったけど、それでも『希望の剣』のおかげでその力の底知れなさを感じることはできた。
そして種はそれを吸収して成長していく。……で、あるのならば――
「うぅ……頭痛い……」
――何も思い浮かばなかった。
「……はぁ。こんなときにあいつがいてくれればなぁ」
上半身を起こして、額に手を当てながら呟く。思い出したのは、最初から最後まで知恵を貸し続けていてくれたあの無愛想な賢者だった。もし、あいつが今ここにいれば、「こんなこともわからないのか、君は」なんて皮肉を交えながら、それでも的確な助言をくれたことだと思う。
というかそもそも、向こうではこういった頭脳労働は僧侶や賢者が担当してくれていたのだ。僕には偶に意見が求められるぐらいだったから、こういうのはまったく慣れていない。
「大元の事もあるしなぁ……」
さらなる頭痛の種に、また頭を抱え込みたい気分になってしまう。
そう、大元だ。一体何が何の目的で『浸食』を行おうとしているのか。
『闇の軍勢』の親玉、魔王はあちらの世界で間違いなくこの手で倒したはずだ。魔王もまた、生きるモノ全てから産まれ出てくるものだから、完全に滅することは不可能だけど……それでも、また復活してその本懐を遂げるために動く事ができるようになるまでに、気の遠くなるような時間がかかる。少なくとも僕が生きている間に動き出すようなことはないと、賢者は言っていた。
そして親玉である魔王がそうである以上、その配下である『闇の軍勢』やら残っている魔将軍やらも封印されているはずだった。
となると……魔王の他に『浸食』を行おうとするヤツがいる……?
「……考えたくないなぁ」
思い浮かんでくる心当たりが一つだけあった。
向こうの世界に存在した、終末思想に捉われた危ない宗教団体である。
僧侶が所属する教会から派生したというその団体は、『闇の軍勢』こそ世界の滅びたいという意思そのものであり、世界に準じなくてはならない生物もまた、それに習わなくてはならない……だっけか。とにかくそんな感じの事を言いながら、『闇の軍勢』に自分から協力する人間の集団である。明確な名称はなかったけど……僕らは、『地下教会』と呼んでいた。
あいつ等には、向こうでも何度も危ない目にあわされたし、『浸食』されていたわけではないから『剣』もその力を十全に発揮できなかった。というか、彼らはその『闇』こそが『希望』なのだから、その『希望』そのものである『勇者』の力が逆に力を貸そうともしてしまう。そういった意味では、魔王以上の『勇者』の天敵、それが彼らだった。
……とはいえども。
それも、魔王を倒した事によってもう彼らと関わることはないと思っていたんだけど……。
「……こっちの世界にもあんな奴らがいるのか……?」
結局、僕は最後の最後まで彼らに勝てた記憶がない。負けた記憶もないけど……ただ、心情的には負けっぱなしだったと、魔王との戦いに勝った今でも思っている。
何せ、彼らは言ってしまえばただ『闇の軍勢』を応援しているだけの人間だ。勿論危ないこともやっていたけど……でも、『勇者』として彼らに勝つということは、それは彼らの心情を『闇』寄りから『勇者』寄りに変えなくてはならない。……そんなの、僕にできるはずもないわけで――それがまた、要が『勇者』だったら、と思ってしまう原因の一つだった。
そして……そんな奴が、こっちにいるかもしれない。
「……そうか。別世界の存在……僕っていう存在がある以上、向こうのモノがこっちにあってもおかしくはないのか……」
世界間の移動は、向こうでの最高峰の術者であった賢者ですら長い準備と貴重なアイテムが必要ではあるけど、不可能というわけではない。向こうに行って、そして帰ってきた僕という存在が、それを証明している。
なら、何らかの偶然で向こうモノがこっちにきているのなら……。
そしてその存在こそが、代用品となっているのならば――。
「……見つけようがないぞ、それ」
見慣れない……人とは限らないモノを探せばいいのだろうか。向こうの人なら目立つからすぐに見つける事も出来るだろうけど、見た目は人に近い種族が本気で隠れていればそれも難しい。さらに人型ではなく、というか生物ですらなく、何かの物質であるなら……探知魔法なんか使えないこっちでは、そんなもの見つけられるはずもない。
「どうしろってんだ……」
相変わらず『剣』は『浸食』の気配に敏感で、とにかく何とかしろと騒ぎ立てている。胸のざわめきが昨日よりは強くなっているから、きっとこのまま放っておけば日に日に強くなっていくのだろう。本当にいい気なものである。
「お前がもっとうまくやれればいいんだっつーのに」
座ったままずりずりと移動して、フェンスに背中を預ける。そしてそのまま空を見上げた。
……向こうのものと殆ど同じ、澄んだ青空。夜は星は見えないけど、夕日はこっちのほうが綺麗だった。……何せ向こうは太陽が二つあるから、綺麗というより先に違和感が来て、純粋に楽しめなかったからなぁ。
「どうしたものかなぁ……」
朝から何度呟いたかもわからないそれをまた口にして、そしてまた堂々巡りにおちていく。
……だから、気付かなかった。
「何がどうしたものなのかな」
「……え?」
ふわり、と、僕の視界に影が差した。太陽を背にして――ほんの数歩先に、人が立っているのだった。
「……絆、さん?」
「うん、絆さんだ」
にっこりと笑って、絆さんがゆっくりと僕の方へと歩いてくる。
「今日もサボり……のようだね?」
「あ、あはは……」
胸のざわめきは強くなって、でもそれよりも強く、胸がぎゅぅっと締め付けられる。
逃げ出したい。でも、絆さんといたい。そんなせめぎ合い。
「隣、いいかな?」
「え? あ、ああ、うん」
慌てて横にずれて――そして、はとポケットからハンカチを取り出そうとする。けどそれよりも早く絆さんはコンクリの床に直接座っていた。
「あ……」
思わずもれた呟きに絆さんがこっちを見て、僕が取り出しかけていたハンカチに目をやって小さく笑った。
「ふふ、これでも武術家の孫娘だよ。少しぐらいはやんちゃさ」
「……まどかさんの真似だけはしないでね」
「したくてもできないな」
乱暴な影響を与えそうな人の名前を上げると、絆さんはまたおかしそうに笑った。その顔には羨望や諦観なんて、あって当たり前の感情は一切混じっていない。思わず見惚れるほど――純粋で、そして儚い笑顔。
……でも、僕は知っていた。その奥にあるものを。だから、僕は――
「……。……あれ?」
その横顔に見惚れる事少し。僕はようやくその違和感に気付いた。
僕の体内時計……というより、先ほどチャイムを聞いたこの耳がおかしくなければ、今は休み時間などではなく――授業中のはずだった。
……だというのに、どうして絆さんはここにいるんだろう。
「……絆さん、もしかして」
その僕の言葉に、絆さんは悪戯っぽく笑った。
「サボっちゃったな、私も。ふふっ、もう君の事を強く言えないぞ」
「……そこまでやんちゃにならないでよ」
「はは……もしばれて、お爺さんに怒られるときは、一緒にな」
その光景を思い浮かべて、僕はぶるりと肩を震わせた。最後に落ちた雷は、僕にとってみればもう五年近く前の事になるけど、それでも強く記憶に残っているほどにお爺さんの怒声はとても怖い。幼少のころは、お弟子さんが叱られているのを横で聞いているだけでおもらししてしまったほどだ。出来得るなら――というか、絶対にまた聞きたくはない。
「……内緒にしておこう」
「うん、そうだね」
僕の言葉に、絆さんは鈴を転がすような声でくすくすと笑う。無邪気に、ただ嬉しそうに、笑う。
僕はそれを、ただ隣で聞いていた。
それだけで、僕は幸せだった。純粋な、本当に無邪気な声。悲観も、諦観も、何も無い。ただおかしいから笑っているだけの、そんな声。
……聞いていて、心が安らぐような、そんな声。
「……絆さん」
「何かな?」
話しかければ、すぐに応えは帰ってくる。まるでそうであるのが当然の様に、彼女は僕の言葉を待っていた。
「覚えている? 僕が貴女と初めて出会った時の事……」
「……忘れるはずもないよ」
思い出したかのように、また彼女が頬笑みを浮かべる。それは僕からすればとても恥ずかしい記憶ではあるけど――同時に、とてもとても大切な、向こうでの原動力の一つともなった記憶。
「君はあの時……泣いていたね。道場の裏で……一人、うずくまって泣いていた」
「怖かったんだ。だって皆が、長い棒で互いを叩きあってる。声も大きくて、凄く……物凄く熱かった。……凄く、怖かった」
「そうだったね……」
僕と絆さんの最初の出会いは、僕が保育所の頃にまでさかのぼる。
当時から両親は忙しくて、僕は保育所から帰るとそのまま津嶋家へと預けられる事になった。そうして、初めて津嶋家へと預けられたその日に、僕は津嶋家の裏手の道場へと入ってしまったのだ。
目撃したのは現代剣道最高峰とも言われる道場の修行風景。それはまだ幼い僕にとって恐怖の対象として映り……僕はその場から逃げだしてしまった。
そこで、出会ったのだ、彼女と。絆さんと。
「ふふ……結局君はご両親が迎えに来るまでずっと泣きやまずに、私から離れなかったな……」
「……うん」
当時の僕は絆さんの持つハンデなど当然知るはずもなく、心細かった僕は絆さんの傍から離れようとしなかった。
そして絆さんはといえば、見ず知らずの僕をずっと慰めていてくれていて……あの時の温かさは、今でも覚えている。
「ねえ、絆さん」
「何かな?」
それが、僕と絆さんの出会いだった。
でも、僕はその時に絆さんを好きになったわけではなかった。絆さんに惚れてしまったのは、その、もっと後――
「絆さんに映る世界は……」
――絆さんの持つハンデを、知った後だった。
「……綺麗、ですか?」
絆さんには僕らには見える色がない。そして僕らには、絆さんが見える色がない。でもそれを、幼かった僕は知らなくて、だから安易に、貴女に約束してしまった。
そしてそのすぐ後に、僕は知る。彼女が見ている世界を。彼女が内に持っていた『闇』を。
……要は知らない。絆さんが期待を持つようになったのは、僕が原因だということを。
僕が何も知らず、彼女に安易に約束してしまったから。彼女に希望を見せてしまったから。その後の事を何も考えずに――ただ、子供らしい残酷さで、彼女に希望を植え付けてしまった。
でも、その頃の僕はそれを果たせるって思ってしまって……そしてずっと、貴女の期待を裏切ってきた。それでも貴女は僕をずっと見てくれていて、そして僕を見守ってくれていて……。そして僕は、それを勝手に苦痛に感じていたのだ。
……だから、僕は。
「……」
絆さんが、僕を見ている。昔からずっと変わらない――変わっていない、穏やかなまなざしで、僕を見ていた。
でも、やがてその目は僕から外れて、空を見上げる。残念に思う反面……どこかほっとしているのは、やっぱりまだ僕に覚悟がないからなのだろう。……でも、それでも、僕はきっと変わらなくちゃいけない。
「うん……」
絆さんはそのまましばらく空を見ていて、そしてまた僕を見る。
その目は、僕の目よりも写す色が少ないその目はだけど、とても綺麗で、僕が絆さんを好きになった時と同じように、とても澄んでいるように見えた。
「……とても、綺麗だよ」
そう言って笑顔を浮かべる絆さんに、僕は改めて決意する。
「絆さん……」
「ん?」
何処までできるかわからない。どうやってできるのかもわからない。
……でも、今の僕なら。
ほんの少しでも、前に進めるのなら――
「貴女は……絶対に僕が、護るから」
――だから。
「絶対、護るから……」
また僕に、貴女に見えるの世界を変える努力を、あの時の約束を果たせるよう頑張らせて、くれますか?
――それが僕の罪だと、わかっていても。




