だいじゅういちわ
「で、あれはなんだったんだ?」
僕の部屋に着くなりの要の第一声がこれだったから、僕はまたこみ上げてきた笑いをこらえるのに必死にならなくてはならなかった。
「ええっと……くっくく……」
「……そんなに笑える質問なのか、これ?」
どこか不安そうに聞いてくる要に、僕は首を横に振って答える。
「ううん、ごめん。そんなことはないんだ……ただ、ちょっと……」
目元ににじんできた涙を拭って、僕は道中のコンビニで買ってきたペットボトル入りの炭酸飲料を開ける。
直後、口の中に広がった突き刺すような刺激に、思わずむせかえりそうになる。どうにかソレを呑みこんで、口の端を拭う。
「うわ、炭酸ってこんなんだっけ」
「……なんか色んな意味であれだな、お前」
「仕方ないだろ? 向こうじゃ炭酸ジュースなんてなかったんだから。お酒はあったけど……呑めなかったし」
炭酸っぽいお酒はあった。けど『希望の剣』の身体能力強化ではお酒まで呑めるようになるわけではなかったらしく、一口飲んだだけで気絶。それ以降仲間たちは一切僕にお酒を飲まそうとはしなかった。
……おかげで、僕が向こうで呑んでいたのは、水か、紅茶っぽいお茶か、果実水ぐらいで……何度こっちの飲み物に想いを馳せたかわからないぐらいだ。
「勿体ねぇなぁ。日本酒は美味いぞ?」
「一度呑まされたけど、ビールみたいな感じだったよ。ワインっぽいものもあったけど……どれも合わなかったなぁ……」
「……一度向こうの事をゆっくり聞いてみてぇが……それよりも、だ」
僕と同じくコンビニで買ってきたペットボトルに入ったお茶をどん、と乱暴に床に置いて、要が僕を見据える。
「改めて聞くけどよ、あれは一体何なんだ? お前の――」
つい、と、要の視線が僕の胸に移る。その奥のモノを見据えていた。
「――その、胸の中から出てきたように見えたけどよ……」
「間違いないよ」
僕は胸の上に掌を置く。そして、そこにあるもの――また、柄だけになったソレを引き抜いた。
「……『希望の剣』。僕に埋め込まれた……『勇者』だよ」
その言葉に、要の表情が訝しげなものに変わる。
「……勇者? いや、まて、お前が、勇者なんじゃないのか? その言い様なら、まるでお前じゃなくて、その柄が……」
「ああ、間違いないよ。コレが、『勇者の大元』なんだ」
僕は自嘲の笑みを浮かべて、言う。
「……僕は召喚されたよ。向こうに。……この、『勇者』を扱うための『装置』として、ね」
「……どういうことだ? それは……」
それは何度も慟哭した言葉。でももう、諦めて、受け入れて、二度と吐くことのなくなった言葉。
ソレが要の口から出てきたのが妙に嬉しく思った。
「『闇の軍勢』は……生きているモノ全てのマイナスの感情――悲しみとか、怒りとか、絶望とか……そういった感情を元に産まれてくるモノなんだ。そしてそれらを纏めて、指向性をもたせるのが、『魔王』の役割。……そして、その『闇の軍勢』に対抗するために産まれたのが、『希望の剣』。『闇の軍勢』が糧とする負の感情の対極……正義感とか、その……愛、とか、人が生きたいって思う、正の感情を刃と変える『勇者』だった」
「……つまり、『闇の軍勢』も、『勇者』も、結局人から産まれたってことか?」
「人だけじゃなくて……」
僕は首を横に振りながら続ける。
「……そう、生きとし生けるモノ全て、らしいよ。動物や、虫や……向こうでは精霊もいたから、彼らも、かな。それから……世界も」
「世界に意思がある、ねぇ……なんつーか、宗教的な話になったな」
「これを話してくれたのが、僧侶だったからね、そのあたりは仕方ないよ」
「……その、僧侶ってのは、勇者御一行のお仲間さんか?」
「うん……」
純情で、真面目で、ついぞ聖騎士とそりが合わなかった僧侶の事を思い出す。何度助けられたかもわからない……かけがえのない仲間だ。
「とにかく、彼の話じゃ、世界にも意思があって……滅びたい、って想いと、生きたい、って想いがせめぎ合っているんだって。その想いと、その世界の中で生きているあらゆるモノの意思の象徴が、『魔王』と『勇者』。……でも、『勇者』はこの剣だから……武器だけじゃ、戦えないよね?」
「……ああ、扱えるヤツがいねぇと、それは武器じゃねぇ。道具ですらねぇな」
「うん、だから、別の……『希望の剣』の力をどう扱うか、って判断する『装置』が必要だったんだ。……向こうでは結局、この『剣』を扱う人が『勇者』って呼ばれていたけど……結局のところ、この『勇者』の力の制御装置でしかないんだよ」
この『剣』に選ばれてしまった者が許される行為はただ一つだけ。世界の『希望』の尖兵となることだ。
『勇者』の力を使って、ただ戦うことしか許されない。どれだけ逃げようとも、『剣』はそれを許さない。いつの間にか宿主の意識を、戦う方向へと向けさせる。
無愛想な賢者は、これほど性質の悪いシステムは他に見たことがないと吐き捨てていたほどだった。
「それで、お前がそうだった、と」
「……うん。どういう判断基準で選ばれて、それから召喚されたのかわからないんだけどね……。向こうに召喚されて、いきなりこれを埋め込まれて……それから、『勇者』の制御装置として生きていくしかなかった。……ま、今となってはいい思い出だけどね」
「……」
次第に険しくなっていく要に、慌ててフォローを入れる。どの道もう三年も前の話だし、結局こっちに帰ってこられたし……それに、戦うことを強制されていても、結局僕はそれを受け入れていたのだ。
うらみつらみは確かにあるけど、でも今さらにそれを言っても仕方がない。
それに、何も悪いことばかりではない。大切な仲間たちとも出会えたし、何より――
「――それに何より、それがあったから、今日だって僕は戦えたんだ」
「……」
要は押し黙って、複雑な表情で僕の手の中の『剣』を見ていた。
「……じゃあ、あの時、刀身が殆ど無かったのは……」
「『勇者』なんてこっちの世界では認知されていないから、そんな存在に希望を託そう、なんて思わないだろ、普通。……それに、こっちでもあっちとおんなじように使えるかわからなかったから、最後の最後まで使いたくはなかったんだ」
結果は案の定、『希望』が足りず、刃が殆ど無くなっていた。と言っても、『希望の剣』自体は発動しているので、多少の身体能力強化はされていた。この様子なら、まだ『番人』程度ならどうにかなると思うけど……でも、それ以上、将軍級や、その親玉が来ればそれもわからなくなる。
……特に将軍級なんて、仲間たちの力を借りてやっと倒せたようなものだ。まだ『剣』に慣れていなかったってのもあったけど、それを差し引いても正直分が悪いどころの話じゃない。
と言っても、結局こっちでは戦力なんて揃えようもないし、『希望』なんてものも集まるはずもない。どうにか要一人のもので戦っていくしかない、ってことだけど……。
「……」
「総司」
「……ん?」
考え込む僕に要が声をかけてきた。
「その、何だ。あの……司書の事だけどよ」
「……大丈夫。『希望の剣』は『浸食』を打ち払う力があって、その上普通の人には害を与えられないんだ。だから、斬ったのは珠だけ」
「あ、ああ、勿論それもあったんだが……」
「……まだ何かあるのか?」
思わず首をかしげると、要は真剣なまなざしで頷いた。
「ああ。……あの話の続きだ。あの司書は……俺たちを待ち構えていた。そうじゃないのか?」
「……」
要の言葉に、僕は息を吐いて後ろの壁にもたれかかった。やっぱり忘れていたわけじゃないらしい。
「……たぶん、ね」
「てことは……」
「……大元がいる。まだ、学校の『浸食』も終わっていなかった。だから、『浸食』の種はあそこだけに植え付けられたものなんじゃないと思う。こっちに、『闇の軍勢』の先兵がいる。そしてそいつは――」
そこで言葉をきって、一口、ジュースを口に含む。こみ上げてくるモノごと呑みこんで、そしてゆっくりと天井を見上げた。
「――『浸食』の糧となりえる代用品を既に見つけているんだと思う」
「……」
要は腕を組んで黙り込んだ。
「……どうするよ?」
そうして、出てきた言葉はそれだった。
僕は天井を見上げたまま、答える。
「……『勇者』は逃げる事を許されない。何故なら、彼は『希望』そのものなのだから……そんな耳障りの良い言葉で締めくくれれば良いんだけどね」
目の前に、『希望の剣』を掲げる。柄だけのそいつが、久しぶりに恨めしく見えた。
「こいつは、逃げる事を許さない。ほんの少しだけとはいえ……刃を形作ったのなら、こいつはまた戦おうとするさ。……僕もまた、それに引きずられる」
「……」
――それでも。
どれだけ憎くても。逃げる事は、できない。
逃げる事は、それはすなわち、向こうでの三年間を否定することだ。
辛いこともあった。悲しいこともあった。何度も逃げたくなった。逃げ出した。
だけどその度に僕は戦うしかなかった。戦わされた。戦わざるを得なかった。
――でも、支えてくれた人たちがいた。
共に戦ってくれた仲間たちがいた。
……そしてそれは、こっちでも変わらない。
「ま、何とかなるさ。それに、最悪ってわけじゃない。『希望の剣』が発動することも確かめられた」
「……」
目線を下ろす。まるで泣きそうな顔で、要が僕を見ていた。
「要」
「……」
「僕を、信じてくれる?」
「……」
きっと、僕は笑えている。
親友を巻き込みたくはない。でも、事情は話してしまったし……突っぱねても、こいつは絶対に突っ込んでくる。
それに……思う。
こいつがいれば……きっとまた、僕は戦える。
「……ったく」
長い沈黙の後、要は困ったような笑みを浮かべる。苦笑とも違う……嬉しいけれど、呆れたような、そんな顔。
「言ったろ、総司。……今さらだ、ってな」
「頼りにしてる、要」
――そしてその日もまた、僕は夢を見た。




