だいきゅうわ
気がつけば、夕日が差し込む廊下を歩いていた。腕時計を見る。もう放課後だった。
「……えっ?」
素っ頓狂な声が口から飛び出す。気がつけば、放課後になっていたのだ。一瞬何かの精神攻撃かと身体を緊張させるけど、どうもその気配もない。本当に朝から――あの保健室での絆さんの一言から今までの記憶が無くなっていた。
「どした、総司。いきなり変な声出して」
隣を見ると、要が木刀袋を二本、肩に担いで歩いていた。思わずありのままを答えると、何とも言えない表情になる。
「普通に授業を受けて、普通にメシ喰って、普通にぼーっとしてたぜ、お前」
「……マジ?」
「おう」
真顔で頷く要。……どうやら本当に本当っぽい。
「……うわぁ」
「いや、俺がうわぁ、だからな、それ」
「うん……えぇー……」
無い。本当に無い。
あり得ないんじゃない。あってはいけないんだ。仮にもあの三年間を過ごしてきた僕が、一瞬どころか十時間近くもの時間、意識を飛ばしてしまうなんて。
特に今は、学校自体が『浸食』されかけているのだ。そんな大事な時に無意識状態になるなんて、不覚どころの話じゃない。
「ごめん、要。何も無かった?」
「何もねぇよ。むしろ何かあったら俺たちは今ここにいねぇよ」
「……ここって、渡り廊下、だよね」
「おう」
見まわしながら、地形を記憶とを照合する。すぐにどこかとわかったのは、そこが今朝通ったばかりの場所だったからだった。
「俺らの教室から図書室に向かうには、この渡り廊下通るしかないからな」
疲れをにじませて要が呟く。まあきっと、肉体的にではなく精神的に何だろうけど。……ちょっとだけ申し訳ない。
「……ま、どうりでずっと無言だったわけだ。話しかけても何の反応も無いから少し心配してたんだぜ?」
「いやその時点で変だと思おうよ。心配したんならどうして何もしないのさ」
「きっと考え込んでいるのかと思ってなぁ。前から考え込むとき自分の世界に閉じこもるだろ。三年間経っても変わってなかったのか、それ」
「うっ」
事実だけに言い返せなかった。確かに向こうでも何度も自分の世界に閉じこもったことはあったし、その度仲間たちからは呆れられたり怒られたりしたもので――
「……コレも未練なのかな」
「どうした……?」
「……いや、ちょっと向こうの事を思い出していて、さ」
「そか」
苦笑を作ってそう言うと、要はそれ以上何も言わずに、そのまま歩を進める。その背中に小さくありがとうと呟いて、僕も要を追った。
……未練はないつもりだった。無くしたつもりだった。
でもそれも、たった一日で崩れさる砂上の楼閣だった。
……悔しいなぁ。彼女に……絆さんに会いたくて戻ってきたはずなのに、いざ戻ってみればまた向こうにしがみつこうとしている。
捨てたはずのものに、またしがみつこうとしている。
……まあ、向こうからやってきているのだ、それも無理はないのかもしれないけど……でも、それでも、未練は視界を曇らせる。ソレは、向こうで山ほど味わってきた辛い経験で得た――間違いなく、かけがえのないものだった。
「……結局、未練に行きつくのか」
「仕方ねぇだろ」
見かねたのか、要が振り向いて声をかけてきた。
「三年間……お前からすりゃぁ人生の二割強の時間の……それも昨日までの事なんだろ? 考えんなっつー方が無理だよ。俺としちゃあ、良くこっちに戻ってこれたなって思うよ」
「……そう、かな」
「そうだよ」
肩をすくめて、要が言う。
「普通、そういうのって向こうでロマンスとかあるんだろ? というかむしろお前あったんだろ? 何せ三年で、戦場だろ? 吊り橋効果びんびんじゃねーか。あったんだろ? むしろあったな、その顔は」
「……出てた?」
「おう、出てた」
一瞬王女の事を思い浮かべてしまったのが悪かったらしい。むしろ戦士や盗賊や賢者も思い浮かべてしまった。……本当に絆さんがいなければ、向こうに残っていたに違いないんだろうなぁ、なんていう、もしも、を思い浮かべて、しかし首を振る。
どうしてもその光景が思い浮かばなかったからだ。やっぱり僕には、絆さんがいないなんて考えられない。
「……ほんと、難儀だな……お前も」
これも表情に出ていたのか、要が苦笑を浮かべていた。
「そう、かな」
「ああ、そうだね。本当に難儀だ。だってお前さん、自分の中に閉じこもっていた理由は、姉ちゃんのあの一言だろ?」
「……」
「沈黙は肯定として受け取るぜぇ? ……なんてなー」
くつくつと喉を鳴らしながら、要が言う。
「向こうの事を含めて、詳しく聞きたい気もするがな……。ま、一応一つだけ言っとく」
「何……?」
「俺は、お前に姉ちゃんはダメだと思う。今からでも戻れるんなら、向こうに戻った方がいいとも思うな」
「……え?」
思わず、聞き返す。なんだ、何だそれ。お前はずっと僕を応援してきてくれたじゃないか、なのに――!
「ああ、勘違いするな。『お前が』じゃない。姉ちゃんが、だ。……身体的ハンデを抜きにしてもな、そう思うよ」
「……どういうこと、だよ」
自分でも、剣呑な気配が出ている事がわかる。決して、友人に向けるソレではない。なのに要は無理して脂汗の浮かんだ笑みまで作って、僕へと笑いかける。
「とにかく、ここで話す事でもねぇだろ。……すまんな。だがこれだけははっきりさせときたくってよ。……どうせ今図書室に行っても、利用している生徒がいるだろ。少し人気のないところで時間潰そうぜ」
そう言って、歩きだす要。僕は気を静めるために何度か深呼吸をしてから、要について行った。
要が向かったのは、屋上だった。鉄製の扉が重苦しい音を立てて開き、少し冷たくも感じる風が頬を通り過ぎていく。
「さて……どこから話したものかなぁ」
人気のないことを確認して、要がフェンスにもたれかかる。
「……どうして、絆さんがダメなんだ?」
「うん、まず……そうさな。初めから話すか」
「……初めから?」
「おう」
苦笑を浮かべて、要が頷く。
「初めからだ。……どうして俺がお前とダチしてるか、からだよ、親友」
「っ……!」
思わず、息を呑む。ソレは――ソレは、ずっと考えていて……そして、ずっと考えないようにしていたものだったからだ。
だって要は人気者だ。小学校のころからずっと要の周りには人がいた。なのに僕はと言えば、ずっと一人で……正直に言えば、決して友達付きあいしたいとは思えない根暗な子どもだった。
それでもずっと、要が……絆さんと要が僕と一緒にいてくれたのは、それはきっと――
「家族付きあいがあったから……?」
……そうとしか、考えられなかった。
僕の母さんの父親……つまり僕の祖父が、要の祖父の古い友人だったらしく、その縁で祖父の死後、母さんの面倒を要の祖父が見ていたそうだ。それは結婚後も、僕が産まれた後も続いて……そうして、僕は絆さんと要に出会った。
絆さんと要とは、それからの付き合いだ。保育園の頃からずっと要は僕を護ってくれていて、そして僕を外へと連れ出してくれていたのだ。
「確かに、最初はソレもあった。お師さんからの……じいちゃんからの言いつけもあったからな。お前と仲良くしてやれ、ってありきたりな」
「……」
「でも、それは切っ掛けで……俺がお前とダチ付き合いしているのは、別の理由だよ」
「……その、理由って?」
聞きたくなかった。それを聞いてしまえば、きっと僕が拠り所にしていた記憶が、崩れ去ってしまうかもしれなかった。
……でも、それは聞いておかなければならない事なのだろう。要の目が、そう言っていた。
「罪悪感、だよ」
泣き笑いの様な表情を浮かべて、要は言った。
「……罪悪、感?」
「ああ」
空を見上げて、息をつく。そうして、要はぽつりぽつりと語り始めた。
「姉ちゃん……さ。目が見えなくて……別のモン色々見えるようになって……色々あってな。人の本質っつーか、あの人の言葉を借りれば、その人が持つ本来の輝き……そういうモンに、あの人は惹かれるようになったよ。そうして、その輝きが日の目を浴びる事を、期待するようにもなっちまった」
「それは……」
「……でも、それは決して幸せってわけじゃない。その期待で、苦しんじまうヤツもいる。……な、総司」
要の目が、僕を見据える。まるで千の軍勢に囲まれたかのような圧迫感が、僕を襲う。
「ッ、違う、僕はッ!!」
知らず、僕は大声を出していた。そのつもりはなかった。だけど、そうすることでしか、僕は虚勢を張れなかった。
「違うって……何が違う?」
「僕は、苦しんでなんか――」
「苦しんでるだろ」
「――ッ!」
要の断定した物言いに、僕は口ごもる。そしてそれ以上、否定の言葉を口にできなかった。
「……何も悪いわけじゃない。むしろ、それが普通なんだよ。人間、その本質を早々さらけ出せるはずもねぇからな。……みんな難しいんだよ。俺や、道場のお弟子さんたちみたいなヤツってのは、そうそういねぇよ。姉ちゃんの周りが異常だっただけさな」
自嘲の笑みすら浮かべて、要は言う。
「でも姉ちゃんはそうは思わなくて……それで、俺も、お師さんのお弟子さん達もみんなそれに応えていっちまって……そして結局最後に、お前が残っちまった。お前が、姉ちゃんの期待を全て背負いこんじまった。背負わせちまった……」
「……罪悪感っていうのは、それなのか?」
要は力なく頷いた。
「……最初はさ、俺はお前を憎んですらいたんだぜ? だってさ、ずっと姉ちゃんはお前を構ってたんだ。お前にばかり期待して、俺を見てくれない。だから、ずっとお前が嫌いだった」
「っ……」
「でもさ、見ちまったんだ。姉ちゃんと話している時の、お前の泣きそうな顔。その後で、道場の裏でお前がうずくまって泣いているところを。……お前が、姉ちゃんの……好きな人の期待に応えられなくて、苦しんでいるところを見ちまった」
……心当たりは、あった。ありすぎた。
僕と絆さんはずっと、道場の片隅で修行風景を眺めていて……そしてその光景に僕も混じることをずっと、絆さんは期待していた。望んでいた。
でも僕はそれに応えられなかった。何度もまじろうと頑張った。だけど、僕には根本的に才能がなくて……街道場ならいざ知らず、国内でも最高峰とも名高い津嶋流に入門するなんて到底できるはずもなかった。
要のおじいさんは許しはしてくれた。だけど他のお弟子さん達が許しはしなかった。僕という異物が混じることを、許容しなかった。
そして僕は結局……絆さんの隣で、修行風景を眺めていることしか、できなかった。
……それが、始まりだった。
「だから総司。俺は決めたんだ。俺はお前に何も期待しない。ただお前を許容する存在になろうって、な」
「要、それは……」
「わかってる。これは俺のただの自己満足で、だから、お前がどう思おうと関係ない。俺がそうしたいからそうするだけなんだ」
要が、僕の前に立つ。
おそらく、まともに戦えば今の僕なら要に勝てるだろう。向こうでの三年の月日は、僕と要の戦闘能力の差を逆転させているはずだった。
……でも、それを確信していても、僕は要に気圧されていた。どう闘っても、要に勝てる光景を想像することができなかった。
要の静かな目が、僕を見据えていた。
「だから総司。俺はお前が姉ちゃんが好きっつーなら応援する。だけど、俺は、俺自身は、お前に姉ちゃんは駄目だと思う。お前がじゃない。姉ちゃんが駄目なんだ。今の姉ちゃんのままじゃ……きっと、ずっとお前を苦しめるばかりだ。だから……」
「でっ、でも、それは、ただ僕が絆さんの期待にこたえられないからでっ……!」
「姉ちゃんは人の本質を見る。……でも、人ってそれだけじゃねえよな。裏表あって人間だろ。本質の外側……今までの人生で培ってきてできたモノ含めて人間だろ? 姉ちゃんはソレを見ねぇんだよ。だからお前が悪いんじゃない。それを見ようともしない……自分の見えるモノだけしか見ようともしない姉ちゃんが悪いんだ」
「それでも……」
それでも、僕は何かを言おうとする。言おうとするけど……僕が何を言いたいのか、僕自身がわからない。……僕は。
「……ったく、難儀だな、本当に」
がりがりと頭をかきむしって、要は、
「とにかくだ。せっかく三年も姉ちゃんと離れていたんだ。……この機会に、ちょっくら考えてみろよ」
そう言って、屋上から出て行った。……僕を残して。
気配は、扉のすぐ向こうにあった。そこで僕を待つ気なんだろう。
……本当に、馬鹿だ。あいつは。
「……考えろって……」
そんなの、最初から決まってる。
どれだけ苦しんでいても、結局それは――
「――全部、僕の自業自得なんだから……」
要は知らない。
知らないんだ。
絆さんが、僕に期待を寄せる事になった切っ掛けを。
あの、約束を――
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