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いつかの君とどこかの僕  作者: 密室天使
第一章  引き金を引く世界
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第三話

「紅花君って意外にもてるんだよ」

 二人で正門を潜り抜けた後、出し抜けに不知火サンが言う。

 時刻はもう夕暮れ。鮮烈な薄暮が海沿いの町にゼピア色の影を落としている。

 僕たちは影を踏むように、歩いていく。

「銀髪で人目を引くって言うのもあるけど、顔は結構整ってるし、性格も優しいから、ファン急増中」

 不知火サンはちょっと怒ったように言う。

 僕は広がる田園風景を眺めている。草薙市は田舎と都会、その二つが見事に混在している町。中心地に行けばそのすごい都会だけど、場末のところに行けば、今みたいな田と畑がどこまでも伸びている。

「けど、相原君とよくいるから、同時進行でホモ疑惑も噂されてる」

「…………」

 なるほど。以後、あいつとつるむのは控えよう。

「何より、妹さんとも一緒にいるから、シスコン疑惑もまことしやかに囁かれてる」

「…………」

 まぁ、しょうがないか。大事な妹、一人だけの家族なんだし。一緒にいて何が悪いんだ。

 そんな風に自己弁護していると、不知火サンがじっとこっちを見ていることに気づいた。無感動な目が何かを訴えている。

「お腹、空いたの?」

「何か反応して。寂しい」

「ごめん。あまりにも衝撃的だったから。特に相原のくだりは、あいつとの親交について考えさせられた」

「妹さんは?」

「葵は……これまで通りだよ。普通に二人で暮らして、普通に二人で生きる。それだけさ」

 今まで通りの生活を貫くだけだ。

「……いいな、妹さんは。ずっと紅花君と一緒にいれて。私もお風呂で流しっこしたり、同じお蒲団で添い寝したい」

「……そんなことしないよ。僕たちは健全な兄妹だぜ」口を尖らせるが、小学校低学年のころまでは、そんなことをしていたような気がする。

「じゃぁ、ワタシとしよ。ワタシ、そういう覚悟、できてるから」と無表情だった顔に、赤いものが混じる。「てか、むしろ、したい」

 不知火サンは怜悧な見た目とは違って、頭の螺子が何本か落っこちているようだった。

 一牛鳴地の田舎道。時折農家の方やお年寄りとすれ違い、なぜかその人たちから笑いを買う。多分、初々しいからだろう……僕たちが。

 自宅はこのまままっすぐに行けば、じきにつく。一方で、不知火サンの居住地を知らない僕は、やっぱり彼女を家まで送り届けた方がいいとも思っていた。

 足を止める。

 不知火サンは不思議そうに首を傾げた。「どうしたの。もうすぐじゃないっけ」

「いや、そういえば僕、不知火サンの家知らないな、と思った」

「ん……ああ、ワタシの家はさっき通った道を左折したところにあるよ」

 どうやら不知火サンに遠回りをさせていたらしい。

 と。

 もう一つ、気づいたこと。

「……ていうか、不知火サン。僕の家、知ってるんだ。不可解な現象……」

 自分の家へと続く道を通り過ぎたと言うことは、やはりそういうことだ。

 不知火サンは難しい顔をした。どこか照れたように笑う。「ワタシね、うん、紅花君の家、知ってるよ」

「なぜ?」

 不知火サンは口をパクパクさせて、言おうかどうか迷っているようだった。しかし、決心したのか吹っ切れたようにすっきりとした表情を作る。「前にワタシ、紅花君が下校するあとをつけたことがあって、それで知った」

「……それ、本当?」

「うん。もっと紅花君のことが知りたくて、何度もつけた」

「何度も?」

「何度も」

「どこまで?」

「……庭の辺りまで」

「……妹が気づかなかったことが奇跡だよ」

「ワタシ、忍者だから。忍びのものだから」

「……理由になってないよ」

 呆れたようにそう言うと、不知火サンは少し怯えたような顔つきになる。僕の顔色を窺うように、そっと僕を盗み見た。「その……怒らないの? このストーカー女とか言って、怒らないの?」

 不知火サンは体を硬直させていた。

 その様子を見た僕は、頭をかいた。乾いた口唇を舌で潤す。「別に怒らないよ。キミのそれよりもっとすごいの、僕知ってるから」

 納得がいったのか、いかなかったのか。

 不知火サンはどこか不服そうだった。一転唇を尖らせて、「むぅー」とか言っている。

「どうかしたの?」

「……ひょっとしてあなた、ストーカー女に悩まされてるの?」

 僕にそんな人はいない。男に女のストーカーがつくとも思えない。と言うか、ストーカーは不知火サンのような気もする。

 僕は静かに首を振って、「違うよ。幼いころ、僕の憧れだった人が、ちょっと困ったことになったんだ」と言った。

「困ったって?」

「その人はある人を愛するあまり、ある人を殺しちゃったんだ」

 さすがに面食らったのか、不知火サンは押し黙った。

 奇妙な空気が流れる。

「ははは」と薄ら笑って、一笑に付す。「ごめんね、不知火サン。嘘だよ、嘘。さすがにいくら好きだからって、そんなことしないよ。愛情じゃなくて妄執」

 何も答えず、不知火サンは立ち止まったままだった。

 僕は僕で、あんまり思い出したくもない出来事を思い出していた。赤くさびた血の色や、綺麗に笑うあの人の顔。人の形をしたもの。純粋に研ぎ澄まされた狂気。荒れ狂う感情の波。

「……紅花君」

「……送ってくね」

 それらを一切打ち消して、眼前の畦道に目を向けた。




   ○○○




 不知火サンの家は巨大な鉄扉に閉ざされた武家屋敷のような家だった。家の周りは土塀で囲まれている。遠くには峨々(がが)たる山脈が連なっていた。

 不知火サンはバックの中に手を突っ込んでいた。どうやら鍵を探しているらしかった。

 僕は気付いた。不知火サンの鞄は女子のわりに、ストラップ等の装飾品がまったくなかった。不知火サンの性格を象徴しているようでもあった。

 そんなことを不知火サンにそこはかとなく聞いてみたら、不知火サンは唇をわずかに歪めて、「女の子っぽくないかな」と声のトーンを落とした。

「そんなことはないと思う。僕もやたらと携帯にストラップつける人とか理解できない」

「紅花君もストラップみたいな装飾品、つけないよね」とバックから鍵を取り出す不知火サン。「携帯にも筆記用具にも、無駄なものがない」

 不知火サンの言うとおり、僕は装飾品の類があまり好きではない。嫌悪感を覚える。経済的な理由もあってか、それらをつけることは今後もないように思えた。

 ただ。

「よく分かったね、ボクがストラップをつけたがらない奴だって」

「あっ……うん。紅花君のこと、ずっと見てたから……」

 目を伏せて、両の人差し指をつんつんとぶつける。頬を少し赤くした不知火サンは、はにかむように笑った。

 凛冽とした面立ちに浮かぶ笑顔と、変態チックな雰囲気に飲まれた僕は、熱にうなされたような変な気分になった。不知火サンの笑みは魔性で、この世のものとは思えぬ何かを併せ持っていた。

 対峙する二人。

 距離は近く、手で触れ合える程度。

 いつの間にか不知火サンの熱っぽい視線が僕を縫い付けていて、僕はその場に固定されたように全然動けなくて、不知火サンがゆっくりと迫っていって、それを僕は目で追っていて、心臓が鼓動を繰り返して、そのまま。

 そのまま。

 と。

「あらあらあら、お客さん?」

 長襦袢ながじゅばんを着た女性が、興じるように僕たちに声をかけてきた。

 鼻筋の通った顔に、切れ長の瞳。長い髪の毛は後ろで結わえてある。左腕には小さな提げ袋を携行していて、いかにも大和撫子と言った淑女だった。

「……お母さん」

「……って、お母さん?」

 僕は不知火サンと涼味の爽やかな女性とを見比べる。確かに顔つきは似ているし、限りなく色素の薄い髪や瞳もそっくりだった。

 その女性は静々と笑った。

「私は確かにこの子の母ですけど」と言葉を一旦切り、「あなたは彼方の彼氏さんかしら?」とやはり楽しげな様子で訊く。

 彼方って誰のことだっけ、と一瞬思うが、不知火サンを指していることに気づく。そして同時に、ひょっとしてこれは大変な事態なのではないか、と思った。

 僕はどう答えていいか考えあぐねていると、すかさず、「彼はワタシの恋人」と言った声が入る。

 音源の方に目を向けると、仏頂面の不知火サンがいた。家の鍵を手で弄んでいる。いかにも不機嫌そうな表情だった。

 もしかして家族仲が悪いのかもしれない。しかし、眼前の女性はニコニコと我が子を見ている。次いで、僕と目が合うと若々しい微笑を投げかけてくれた。とても人から悪意や憎悪を抱かれるような人には見えない。

「……機嫌悪いの?」と気になって尋ねてみる。

 唇をへの字に曲げた不知火サンは、肉親を睨みながら、「あのままいったらキス、できそうだった」とポツリと言った。「せっかくいい雰囲気だったのに。お母さんのバカ」

「あらあらあら、はしたないわねぇ、この子は」と口元に手を当てて笑う。薄物の着物を羽織った女丈夫は、ポンポンと我が子の頭を撫でた。

 一方の不知火サンは「むぅー」とかわいらしく唸って、それを受け入れる。どうやら家族仲は悪いわけではないらしかった。

 その睦まじい様子を見て、一抹の寂しさを覚える。葵もふと、触れ合う家族を見て悲哀を感じているのだろうか。

「そう言えば、あなたの名前は?」と不知火サンのお母さんは、にこやかな視線を向けた。

「紅花と言います」

「あら、風流な名前ね」と涼感のある和服をふわりとさせ、「それで、下の名前は?」と尋ねた。

「禊です」

「ふーん、苗字もだけど、変わった名前ねぇ」と僕の珍妙な名に感心したようだった。それはよく相原にも言及されることがあるので、さもありなんと言ったところ。「さっきも言ったけど、私はこの子の母で、不知火桜(しらぬいさくら)と言います。ちょっと思い込みの激しい子だけど、この子のことをよろしくね、禊君」

「はぁ。その……こちらこそよろしくお願いします」

「よろしくね」と桜サンは爽やかな笑みを浮かべ、「後ね、禊君。もしよかったら、これ、食べていかないかしら?」と小さめの鞄から包みを取り出した。それは長方形の薄い箱で、最中(もなか)と意匠の凝らされた文字で書かれてある。

「うん。お母さんの言うとおり。一緒に食べよう」と桜サンを押しのけて、不知火サンが僕の手を握った。冷たい、ひんやりとした感触が、手のひらに伝わってくる。冴えた月のような双眸が一直線に僕を見据えた。

 その得も知れぬ迫力に押された僕は、いつの間にか首を縦に振っていた。

 不知火サンは万遍の喜色を浮かべ、僕の手を引いた。「家の中は散らかってるけど、気にしないでね」

「うん……って、え?」と僕は素っ頓狂な声を上げた。「その、家に……上がるの?」 

「ここで立ったまま食べるの? 立ち食い最中?」

「そう言うことじゃなくて」

「なら、どう言うこと?」

「付き合う初日から家に上がるってのは、よろしくないことだと思うんだ。しかるべき手順を放棄している」

「ワタシは別に、いい」

「よくないよ。倫理的に」

「……いじわる。お母さんには柔らかい態度だったのに、ワタシにはつれないんだね。と言うか、ワタシの許可なしにほかの人と喋らないでよ。……殺すわよ」

 ひそやかな声だった。

 殺す。

 僕は眉をひそめた。翼々と視線を泳がせえる。すると桜サンと目が合う。上品に微笑んでくれる。僕も小さい笑みを返した。

 その様子を綿々と観察していた不知火サンは、唇を真一文字に結んだ。怒髪天に衝くかのごとく僕を睨み、母親も睨む。

 そして呟くように、「ワタシ以外の人と仲良くしないで」と数オクターブ低めの声。瞳は氷のように冷え切っていて、鋭利な印象を与える。

「いっ、行こっか、不知火サンの家。ぼぼ、僕もお腹が減ったから、ななな、何か食べたいな」

 不知火サンは徐々に表情を軟化させて、「だったら、最中。食べる?」と桜サンから最中の箱を取り上げて言った。「お茶もご馳走するから。それでいいよね?」

「うん」

「なら、頭撫でて」と不知火サンは催促するように頭を少し下げた。

 僕はちらと桜サンを見た。

 桜サンはにやにやしている。

 ……この人、性悪だ。

 躊躇する思いはしかし、触れてみたいと言う欲求にぬりつぶされる。不知火サンの髪は金糸のように滑らかそうで、単純に触れてみたかった。女の子の髪を触るなんて、小学生の葵以来だった。

 僕はぎこちない素振りで不知火サンの頭を撫でた。正直、親の目の前でこんなことをしていいのだろうか、とは思った。しかい、当人の桜サンは声を忍ばせて愉快そうに笑っていたので、多分大丈夫だと思う(ことにする)。

「もっと……髪握って……。あ、後、髪を、梳くように……。やっ、止めないで、もっと続けて。とっ、止めちゃ嫌だよ」

 不知火サンは顔を上気させて、変な呻き声を上げていた。そんな声を出されると、こっちの方も変な風になるんだ。

 不知火サンの髪の毛は艶があって、手に絡まない。癖が全然ないから、つぅと指が通る。不知火サンの髪は腰の辺りまであるけど、髪の毛の先まで髪全体が清冽な川の流れのようだった。

「……あぁ、もう、いい、よ。つ、続きは、家の、中、で」 

 ぐったりとした不知火サンは、千鳥足で不知火宅に向かった。僕も不知火サンに感化されたのか、体が脱力している。と言うより、不知火サンの官能的な声に体の心までやられたらしかった。

「あらあら、我が娘ながら、めんこいわねぇ。禊君もねぇ、大丈夫なのかしらねぇ」 

 桜サンはやはり暢気な声で、そんな言葉を僕にかける。

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