第二十六話
大槻時雨と大槻氷雨の遺体は粛と荼毘に付された。
外は雨だった。
滅入るような曇天。煙突から燻った煙が雨に混じって消えていった。
先ほど二人のお父さんから手紙と遺骨の入った木箱を貰った。
遺書だった。
否。それは遺書と言うより懺悔の言葉に近かった。すなわち時雨サンの罪の告白だったのだ。
丁寧に記されたそれは、禍々しくも初々しい恋心がしたためられていた。氷雨サンとの恋の経緯が詳細に記述されていた。
なんとも言えず、困る。僕はその手紙を大事に懐にしまった。一応コピーは取ってあるらしいから、僕が持ってても多分大丈夫……だと思う。
そして。
僕の手には古めかしい木箱があった。
僕は一人で海へ向かうことにした。
バスの停留所に乗り込んで、ぼんやりと暮れゆく夏の海を見た。窓を少しだけ開けて、潮のにおいにむせる。
頬杖をついてぼーっとしていると、いつの間にかバスは停まっていた。僕は運賃を支払って降車した。目の前は岨道で、後ろは海だった。斜陽に照る水面。ガードレールを越えて砂浜へと向かう。タバコの吸殻やごみの類が落ちていない綺麗な海だった。
仮設された階段を下り、岩場に足をかける。そのまま砂浜へ出た。僕は靴を脱いで裸足になった。だってそのほうが気持ちよさそうだったから。風とか潮とか砂とか、そう言ったものを全身で感じ取ることができそうだったから。
何か一言、叫びたくなる。愛とか正義とか、どうにもならないものとか諦めとか、そんなどーでもいいものを体の中から吐き出したくなった。価値観とか倫理観とか、そんな邪魔なものを取っ払いたくなった。海にはそんな力があるのだろうか。僕には分からず、ただ夏の海に叫んだ。
水平線の向こうに広がっているのは何なのかな、とか思っても答えは出ない。なんだかその中に人生の心理が見え隠れしているようで、どうでもよくなる。絶対な心理とか、確実なものとか、この世界ではごった返しているけど、そんなもの、僕の人生の中で一度として見たことがない。
潮風が心地よい。僕はしばらくの間風に打たれ、やおら木箱から小さくなった骨を取り出した。二人分。かつて僕の恩人であり、師匠であり、友達であり、他人でもあった人の骨。僕は手首のスナップをきかせて、穏やかな波の立つ海に投げてやった。波は静かに二人の骨をさらっていった。あっという間に見えなくなる。ついでに木箱も投げて、欠伸を漏らしながら、海を後にした。
振り返ることは特にしなかった。
あの時から僕は、少しずつ変わっていったような気がした。二人の死が一因だったのかもしれない。あるいは関係なかったのかもしれない。ただ、きっかけではあったように思う。
僕は思い切って髪を銀色に染めた。白と灰が混ざったような色。初めは似合わないかなと思ったけど、存外僕の幸薄そうな顔と整合してそれっぽくなった。周りから顰蹙こそ買った。けれど葵はかっこいいと言ってくれたし、相原に限ってはあいつ茶髪だし、文句なんか言わせないつもりだ。
そんなこんなで僕の周囲にいる人間は割と理解を示してくれた。学校の方は苦い顔してたけど、担任の顔殴って黙らせた。
以降、僕は銀髪で通ることになった。
その真意を問うものは誰もいなかった。
僕と葵と相原は二人の命日になるとお墓参りをするようになった。すると大抵、色々な人と会う。やっぱり二人は慕われていたんだなぁとしみじみと思う。二人がどうなろうと大槻氷雨は大槻氷雨で、大槻時雨は大槻時雨なのだ。
僕だけ、一ヶ月に一度、二人の墓に参る。意味なんてない。それこそ懺悔に近い。僕は殺人未遂のような過ちを償いに来ただけなのだから。こんなことで許されるとは思ってない。けれど、足しげく通って墓前に花を供えている。胡蝶蘭を二本。花言葉はあなたを愛してます、だ。
もう夏休みも中盤だった。一向に宿題が終わる気配がない。僕は頭を抱えながら、御影石に水をやった。柄杓で清らかな水をかけてやる。
蝉時雨がうるさい。霊園に人通りはなく、閑散としていた。ザワザワと潮騒の音が聞こえるだけだった。
今の自分の心境をそのまま表しているように思った。僕の心は伽藍堂ででっかい風穴が開いているのだ。
別にどうしようとも思わないけど。
ふと、気付く。二人の墓標の前に花が一本ずつ活けてあった。僕が用意した花柄の花瓶とは別の奴。淡白な陶磁器らしい陶器。それに薄いピンクの花が手向けてあった。しかも新しい。瑞々しくて、枯れていなかった。
僕はなんだか嬉しくなって、胡蝶蘭の花を陶磁器の方に移植してやった。これで一つの器に二本ずつの花が添えられたことになる。
薄いピンクの花は花見月だった。
確か花言葉は……。
「私の想いを受け止めて、だっけ」
粋なことをするもんだなぁ、とか思ってくすくす笑った。花見月の花を手向けた誰かに拍手を送りたくなった。
今になってみればそれは、決して逝去した二人だけに向けたメッセージではないように思う。
もっと深い意味が。
向けるべき相手が。
そう。
それはきっと。