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いつかの君とどこかの僕  作者: 密室天使
だいいっしょう  ひきがねをひくせかい
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第二十五話

 私と弟の禁忌の関係はたちまち一家郎党の知るところとなりました。父様は大槻家本家の醜態を秘していたのですが、人の口に戸は立てられぬとはよく言ったものです。その秘事はたちまち大槻の親戚、係累に漏洩したのでした。

 幸いなことに大槻家の一家郎党の絆は極めて深いものでした。ですから私と弟の秘め事が公になることはありませんでした。私たちの秘密は大槻家とその関係者以外に知るものはいなかったのです。

 とは言え、いつ私たちの秘密が世間に知れ渡るか、私は戦々恐々としていました。もしそれらがお天道様の下に明かされたのなら、本当に離れ離れになってしまうでしょう。父様は今後そう言った蜜月関係を解消するよう、私たちに厳達しました。こんなことはあってはならぬと峻厳たる様子で注意されました。逆に言えば、私たちが恋人同士ではなく、単なる姉と弟の関係に戻れば、その罪を許すのもやぶさかではない、と言うことでもありました。大槻家の継嗣は私と彼、ただ二人です。大槻家の跡取りは代々、大槻の人間が継ぐことになっています。大槻家の支流や本家以外の人間が継いではならぬのです。そう言う点も考慮されたのでしょう。父様は私と弟に厳しく釘を刺し、ある程度の体罰を施しこそすれど、それ以上の罰を与えることをしませんでした。

 ただ、体罰や誹謗よりも辛かったことは弟と一時隔離されたことでした。大槻家の裏手には大きい離れが立てられております。そこは独房のような造りになっていて、外から鍵をかければまさに牢屋となる恐ろしい離れでした。

 私はそこで三日もの間幽閉されました。頭を冷やせと、父様にそう申し上げられて。

 私は三日三晩離れの中で泣き明かしました。悲しみのあまり、身も世もなく泣き伏したので御座います。足元に広がる板敷きの床は冷たく、足の指がひどく冷えました。季節は夏であると言うのに、私の心には冷え切った風が吹いていたのです。

 弟に逢いたいと思いました。何が何でも弟に逢いたいと強く望んだので御座います。弟の艶めいた唇に口付けたいと、そのたくましい腕に触れたいと、そう渇望していたのです。

 そして三日が経ちました。私は三日ぶりに弟と再会したのでした。

 一日千秋の想いで待ち侘びた弟の顔は蒼白でした。頬は痩せこけ眼窩はくぼみ、全身から生気が抜け落ちていました。けれども私の顔を見たとたん、瞳に灯がともり、ぱっと明るくなったのが手に取るように分かりました。弟もまた私と再会することを心から切望していたのです。

 弟の顔には涙が伝ったらしい跡がありました。私は弟を強く抱きしめたい欲求に駆られました。しかし再開の場には父様と母様が立ち会っていました。なので抱擁を交わすことも、熱い接吻を交わすこともなく、ただ寒々しく互いの顔を見合わせるにとどめたので御座います。

 父様は改めて私たちに峻峭(しゅんしょう)とした注意を促しました。そして私たちは金輪際男女の契りを結ぶことなく、健全な生活を営むことをここに誓わされたのです。

 正直、これ以上父様や母様を困らせたくはありませんでした。両者とも私と弟をかわいがってくれ、目に入れても痛くないほど愛してくださったのですから。

 ですがそれとはまったく別に、私と弟はもはや偕老同穴(かいろうどうけつ)の仲にまでなってしまったのです。今後一切の触れ合いを断ち切られてしまっては、もう私たちに希望はありません。深い奈落の底に落ちるのみなので御座います。

 私は後一年もすれば結婚適齢期となります。我が大槻家は昔から早婚でした。母様も十七で輿入れをしましたし、父様も十八で母様と結婚しなさったのですから。二人はちょうど高校生でしたので、同じ学校に夫婦が一組在籍することとなったのです。

 もう少しすれば、私もどこかの家に嫁ぐことになるのでしょう。それは大槻の女の必然でした。いや、大槻の女に限らず、全ての女性はそうなる運命なので御座います。

 そんなことを思い至った私は、ふいに血の気が引く思いでした。このまま行けば私は、どこぞの馬の骨とも知れぬ男と縁付くことになるでしょう。それもこういった不祥事が起きた今、すぐにでも嫁に出されることでしょう。弟も十八になれば、私と同じようにどこかの家に婿入りするのでしょう。

 身の毛のよだつ思いでした。目の前が真っ暗になる気分でした。吐き気すらします。そのような事態は決して気持ちの良いものではなかったのです。

 弟と結婚したいと思いました。猛烈にそう思いました。そんなことができたらどんなに幸せでしょうか。誰も悲しむこともなく、みんなが幸せになるのですから。傷つくものといえば世間体と、大槻家の看板くらいなのです。ですからそう過敏にならず、私たちの仲を認めてほしいと心底から望んだのです。出なければ私は、自刃すら論をまたないであろうことなのです。

 しかし認められるはずもありませんでした。父様は無情に私と弟を引き離しました。

 後から振り返ってみれば、それは父様なりの優しさだったのかもしれません。あえて私たちを引き離すことで過ちを正そうとしたのかもしれません。今からでも遅くはないと考えたのかもしれません。

 しかしながら、どうしたって手遅れでした。父様の通達は生木を裂くことと同義だったのです。私にとって弟は愛しい恋人であり、生涯の夫でもあったのです。臥所(ふしど)の中で、私と彼は一生添い遂げることを誓った仲なのです。

 私は弟のいない寝室でくず折れました。弟のいない寝台はあまりに空々しく、あまりに空虚でした。私の胸も穴が開いたように空っぽでした。今すぐにでも弟に抱いてもらいたいと思いました。そうすれば私の心はたちまち狂おしい愛に満たされ、体も温かい血が通うようになるでしょう。凍結した心は氷解し、弟の穏やかな愛情に触れることができるでしょう。

 私はたまらなくなって弟の寝室へと向かいました。弟に逢いたい。その一心でした。

 弟は蒲団に包まって声を詰まらせていました。枕に顔を押し付け、必死に涙を堪えているようでした。

 それを見た私は狂おしくも切ない感情に囚われました。やはり私たちが離れ離れになってしまってはどうしようもない。私たちは二人で一つなのだ、と。

 私の足跡に気付いたのでしょうか。弟はかすかな不安と多大な期待を持って、振り返りました。

 言葉は要りませんでした。私と弟は激しい抱擁を交わしました。それだけで全てが伝わりました。

 いきおい接吻の流れになりました。私と弟は専一に互いの唇を貪りました。無我夢中になって接吻に没頭し、互いの鼓動を感じ合いました。

 彼は私を蒲団の中に誘いました。抵抗はしませんでした。私は彼の望むとおりに彼に身を預けました。彼が接吻を望むなら接吻を、指を舐めろと言うなら指を舐め、耳を噛めと言われれば甘く噛んであげました。彼が身をよじらせると、嬉しくなって彼の口に舌を入れました。

 しばらくの間戯れた私たちは、早くも幸せの絶頂にありました。このまま時が止まってほしいと、柄にもない詩的なことも思いました。

 やがて弟は凝然と私の目を見詰めました。澄み切った漆黒の瞳でした。

 私はかーっと顔が真っ赤になるのを感じました。彼の視線は真剣そのもので、実にまっすぐな目をしていました。私は体をよじらせて顔を伏せました。気恥ずかしさのあまり耳まで熱を持ち始めます。やはり私は弟に惚れているのだ、と恥ずかしさと平行してそんなことも実感しました。そうなのです。私は弟に完膚なきまでに惚れていたのです。完全に骨抜きにされ、弟のためなら何でもできるような女になっていたのです。

 弟は上体を起こして私の足を掴みました。慈しむように足の指を口に含めました。私は手で顔を覆い、熟れたリンゴのように赤くなる面容を隠しました。弟の行為は変態じみていて、私を背徳的な気分にさせるのです。

 それでも弟がそういうことをしてくれるのが嬉しくて、私も弟の頭を撫でたりしました。弟は足の指をなめずるのを止めませんでした。私はますます恥ずかしくなり、そして段々と気持ちが高ぶっていくのを感じました。

 胸の高鳴りが大きくなる中、足のほうに異変を感じました。それはすぐに痛覚となって私を襲いました。私は痛みを訴えるほうの足を手で押さえました。 

 そして信じられないものを見ました。

 弟は口に爪のようなものをくわえていたのです。間違いありません。それは私の足の爪でした。

 どうやら弟は足の指を口に含みながら、私の足の指を歯で噛み千切ったようなのです。現に弟が口にくわえた爪の表面はざらざらで、血が付着していました。私の足も血がどくどくと溢れ出していました。

 私は弟の方を見ました。弟は恍惚の表情で私の爪を飲み込みました。口の中で味わうように咀嚼し、ゆっくりと嚥下していきました。その表情は満ち足りており、至福の表情を浮かべていました。

 弟はうっとりするような顔をして、私に近づいてきました。私は退くことも避けることもできず、ただ硬直していました。足の痛みはすぐに失せました。それよりも弟の行動の方に目を奪われていたのです。

 欲しい、と弟は言いました。姉様の全てが欲しい、と言って私の腕に噛み付きました。初めは肌を舐める程度だったそれは、やがて歯を獣のように立て、私の肌に食い込みました。そのまま弟は私の皮膚の一部を噛み千切ったのです。

 そのときの私は痛みよりも先に、幸福のような悦を感じていたのでした。弟は幸せそうに私の体の一部を食しました。その様子を見ると私は、弟が喜んでると耽溺(たんでき)とした女の悦びを噛み締めるのです。もっと弟に喜んでもらいたいと思いました。私は倒錯的にも、もっと彼に愛してもらいたいと思ったのです。ここに言う愛とは近親相姦故の歪んだ欣喜雀躍(きんきじゃくやく)でもあり、食人嗜好故の偏執的なときめきでもありました。私は弟と一つになりたいと心の底から願ったのです。

 終わることへの愉悦でした。弟は私との禁じられた関係、許されざる恋、報われぬ愛に頭がおかしくなったのです。自身の感情と周囲の反応に決定的なズレを覚えたのです。ですからそれが回りまわって、こうした倒錯した愛情表現へと結びついたのでしょう。いっそのこと全てを終わらせようと言う魂胆なのです。弟は不幸しか見えない未来を見限り、刹那の快楽に身を委ねることにしたのです。そしてその快楽とは常識や倫理とは離反した、めくるめく激情だったのです。

 弟の性癖はさしずめ、終滅愛なのでしょう。弟は何かが滅びることに性愛を感じるのです。滅びるからこそ美しいと言うことなのです。

 それは私の深層心理にも潜んでいました。私もまた、何かが滅びることに性愛を感じてしまうのです。そして今、その開けてはならぬ扉に手をかけてしまったので御座います。

 気がつけば、私と弟はひたすらに互いの体を貪っていました。比喩では御座いません。文字通り互いの血や肉を貪欲に食らっていたのです。爪をはぎ、首を絞め、顔を殴ったりもしました。髪の毛を引っ張り、口に指を突っ込んだりもしました。

 しかしそれは、私たちにとっての一種の愛情表現でした。生物が消える瞬間が好き、命が消える瞬間が好き、そこに性的魅力を感じるのです。

 破綻した論理でした。生き物は種の保存が最も基本的な生きる理由であるのに、私たちの愛はそれに真っ向から対立するものなのです。自分と共に他人も滅びる。そこにあるのは非生産的な愛であり、何よりも美しく照り輝く純愛なので御座います。

 生と死。相反する情動の中で私たちは葛藤し、各々せめぎあっていたのです。そうした考察の結果、私たちは互いに滅びることを選択したのです。

 この後の流れはいたって簡単なものでした。互いを搾取しあった私たちは、このまま死を選ぶことを決意しました。どうせ報われることのない恋で御座います。はかなく散ってしまう命で御座います。であるならば、自らの手で幕を閉じたいと思うのは人の(さが)で御座いましょう。覆ることのない人の本質なのでしょう。

 決行は翌日となりました。くしくも夏祭りの日に重なる結果となりました。これも神のお導きか、悪鬼の悪戯か。どちらにしろ私たちは滅びの道を歩み始めたことに変わりはありませんでした。

 そして当日。私は人生最後の神楽を奉納しました。ある意味懺悔だったのでしょう。せっかく神々から賜った大切な命の花を自ら散らせてしまうのですから。私は胸底で何度も懺悔の言を吐きました。人として立つ瀬がないと思いました。ですが、私の終息へと収斂(しゅうれん)するこの欲求を止めることはついに叶いませんでした。

 月の綺麗な夜で御座いました。森閑たる静謐に包まれた夜で御座いました。

 私は紙垂(しで)の取りつけられたご神木に我が身を吊るしました。服装は死を案じさせる白装束で御座いました。弟もまた白装束で、手には槌と釘を握っています。その片方の手の指はさきほど、私が(たがね)で切り落としました。弟がそれを望んだからです。弟はこれから死に逝く姉に惻隠の情を覚えたのです。優しい弟は姉である私のみならず、我が身にも想像を絶する苦痛を自ら所望したのです。それくらい弟は人間味に溢れ、寛大な人格者であったのです。

 おそらく弟は私を殺した後に死ぬつもりなのでしょう。私を見詰める目にその覚悟がありありと表れていたのですから。弟は己の軛に身を任せつつも、純然たる愛を持って私を冥府へと連れ去るのでした。そこに無慈悲な死神の姿はなく、慈愛に満ちた天使のみが私を見守ってくれたのです。

 弟は私を姉ではなく一人の女性として愛してくれた、ただ一人の男性でもあったのです。

 弟は震える手で槌を振るいました。私は歯を食いしばって激痛を堪えました。私の手は深々と釘によって穿たれていきました。しかしその苦痛は、包み込むような優しさを持って私に安息を与えてくれました。弟が与えてくれる痛みは何をおいても愛そのものでした。弟は私の痛みを察しながらも、私に愛を与えてくれたのです。

 緩慢に意識が遠のいていきました。弟の青白い顔も、無機質な槌も、もやがかかったように見えなくなりました。曖昧模糊と歪んでいき、霞みゆく意識は穏やかな死の風にさらわれてきました。

 私は幸せでした。

 弟と愛を交わすことができて幸せでした。

 弟と共に死ねることが幸せでした。

 父様、母様。私と氷雨をこの世に産んでくれて衷心よりお礼申し上げます。あなた方のおかげで私と氷雨はこうして会いまみえる事ができ、愛し合うことができたのですから。

 そして禊、葵、庵。あなたたちは強く生きなさい。私のようになっては駄目ですよ。自分を信じなさい。まっすぐに成長しなさい。それだけが私と氷雨の望みです。

 私は罪深い女でした。ですが、私の最後の願いをどうか聞いてやってはくれぬでしょうか。皆様に迷惑ばかりかけて私は浅ましい女です。それでもこの願い、聞き入れてください。

 と言うのも、私と氷雨の遺骨を瀬戸内の海に弔ってはいただけないでしょうか。私と氷雨共々、母なる海で共に暮らしたいのです。そしてその役目は、禊。おまえがやってはくれぬでしょうか。

 おまえが私を意識していたことは前々から承知していました。それが恋愛感情なのか、師弟愛なのか、それとも単なる友情のようなものなのかは分かりません。けれどもおまえにふさわしい役かもしれませんね。本当に迷惑をかけます。死してなお、おまえたちの世話になりたくはなかったのですけど。

 それではあなたたちの帰りができる限り遅くなるよう、私と氷雨はこちら側で願い、そして気長に待っております。


 またいずれ。




   ○○○




 気がつけば僕たちは歪んでいた。

 ただ。

 歪んでいても救いがあることだけは確かだ。

 

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