第二十四話
私は罪深い女で御座いました。
それは生まれながらの業であり、私を苛む桎梏でもありました。何にしても私について回り、決して私から離れぬのです。
その罪の名は愛でした。穢れを帯びた、身の毛のよだつ愛で御座いました。
いや、愛とは実に人聞きのよい表現でしょう。あるいは私にとって都合のいい方便でもありました。私の持つ感情はいわゆる愛情であり、そう己を責めることもないだろう、と。
しかし私の業を愛と表現するにはあまりにおぞましいことなのです。むしろ憎悪、と表現したほうが正鵠を射ているでしょう。私の罪科とはすなわち、近親に対する歪んだ愛なのですから。
それを自覚したのは物心ついた頃でした。きっと燻っていたのでしょう。幼い体が段々と女になっていくにつれ、私は異性を意識し始めました。当然のことでしょう。誰にも思春期と言うものは存在するのです。ですから私がそのような情動を抱いていても、その情動がいささかよこしまであっても、なんら問題はないことなのです。それ自体はいたって純粋無垢なことなのです。
しかし、情動を向ける矛先が明らかに異質であったことは認めざるをえないことです。なぜなら私が常日頃から欲情し、恋焦がれていたのは、紛れもなく私の弟なのですから。
弟の何気ない所作や言動。頭を掻いたり腕を回したりする姿は私の心をざわめかせました。ちょうど池に小石を投げかけるように。弟は知らず知らずのうちに姉である私の胸に波紋を投じたのでした。その威力は強大で強烈でした。私は罪深いことに弟に男を感じていたのです。
気がつけば私の中の弟は単なる弟ではなく、一人の男性としてそこにありました。血がつながっているというのに、同じ母親の腹から生まれてきたと言うのに、私はそんな背徳的な妄想を抱いていたので御座います。何より性質が悪いのは、それは妄想ではなく、現実として私の精神を侵食してきたことでしょうか。一度自覚してしまったからか、その妄想は常に私の感情を支配しました。弟を意識せずにはいられませんでした。
特に苦痛だったのは入浴のときでした。基本的に私か母様が最後に入浴するのが我が家の慣わしでした。初めは決まって大黒柱である父様が入浴し、次いで弟が風呂に入るのでした。
私は好んで弟の後に入浴しました。私は湯浴みする弟の姿をガラス越しに視姦し、水の滴る音に愉悦を覚えていたのです。弟は今石鹸で体を清めているのだ、桶の湯で身の汚れを落としているのだ、深々と浴槽に浸かっているのだ、と。そう思うと胸のときめきが止まることはありませんでした。弟の小さな呻き声や、水滴の混じる音、独り言らしい弟の声などが、私の耳に入ってくるので御座います。そのときの私は弟の服を鼻に当てています。弟の体臭が染み込んだ服のにおいを嗅ぎながら、私は絶頂の極致に立っていたのです。そして、弟の生の声に渇きを覚えたのです。あるいは飢えでしょうか。私は今にも弟の体に触れて、弟を全身で感じたいと心底から思っていたのです。
それは青臭い恋慕の情でした。私は性的に弟のことが好きで好きでたまらなかったのです。今すぐにでも弟を犯したいと、弟の体に私を刻み込んでやりたいと、腹の底から思っていたのでした。而してもしそれが成就したら、私は幸せのあまり死んでしまうでしょう。それくらい私は弟にのめり込んでいたのです。誰よりも弟のことが好きで、弟のためなら命すら辞さない覚悟でした。
そんな私にも慕ってくれる子供たちがいました。ここで名前を出すのは彼らにとっても迷惑でしょうから、伏せておくことにします。彼らに一切の罪は御座いません。悪いのは全て私で責任も全て私にあるのですから。
そんな彼らは純粋でした。私の邪悪な恋心など知るよしもなかったでしょう。彼らは愚直でまっすぐでした。ひたすらに私に親愛の情を抱いていました。改めて申し訳ないことをしたと思います。私はあろうことか純真な彼らを騙し、欺き、腹蔵を持って彼らに接していたのですから。本当に彼らには申し訳ないことをしました。
しかし、言えるはずもありませんでした。まさか彼らが私と同じくらいに慕っている弟に、血のつながりを超えた感情を抱いていたなどと明かせるはずもありません。少なくとも彼らは家族とはそういうつながりを持ってはいけないことくらい、本能の部分で承知していることでしょう。家族とはそういう風にできてはおらず、家族に恋愛感情を持つことは間違っているとそう思うことでしょう。私はそう言った糾弾が怖かったのです。彼らに正しい家族のあり方を切々と説諭されることを恐れていたのです。
なので彼らの前では何事もないように接しました。あたかも仲の良い姉と弟を演じていたのです。幸か不幸か、弟の方も少なからず私を意識していたようでした。しかしそれは思春期特有の、異性に対する興味にほかなりませんでした。私のどす黒い恋慕とは明白に乖離していました。弟もまた彼らと同様に清らかな心の持ち主だったのです。
そんな弟が好きでした。穢れを知らぬ弟が好きでした。私は世におもねらず、気高い弟に惚れていたのです。ですから弟がそういうある意味淡白な対応を取っても悲しくこそ感じれど、仕方のないことだと諦めもしました。弟はいたって普通の人間でした。実の家族に恋々とした想いを芽生えさせることもありませんでした。そういう点もひっくるめて弟を愛していました。
ただ私に影響されたのか、弟は弟で時折ねっとりするような視線で私を見ることがありました。風呂上りの私を見て生唾を飲んだり、私が口をつけた箸を口に含んだりもしていました。私の着物に顔をうずめたり、私の私物をひそかに盗んでもいました。
さすがに気付きました。そして歓喜しました。ひょっとしたら弟は、私にそう言った感情を抱いているのやもしれぬと。その想いに苦しみ、悶々とした日々を送っているのだと。
事実そうでした。とある日の夜、弟の寝室へ出張って意地悪く問いただしたところ、弟はその事実を認めました。私のことが好きだと、私のことが好きで好きでどうしようもないと。弟はそう言ったことをいつになく低い声で告白したのです。
そうだったのかと私はまず納得しました。そして、湧き出るものは喜び。私の唇は弧の形を描いておりました。
おまえは罪深い奴だ、と私は彼を責めました。実の姉に色欲を覚えるなんぞあってはならん、と苛烈な舌鋒を彼に向けました。弟の感情を知って得意になった私は意地悪く弟を非難したのです。そこにあるのは優越感でした。畢竟弟も私のことが好きなのだと、実の家族であっても恋愛感情は成立するのだと、私は舞い上がったのです。それが歪んだ形を持って彼に当たったのです。
そのときの私の行動は暗に、常軌を逸した恋情を持っていた私を責め立てるものにほかなりませんでした。私は自分の感情がおかしいものだとすでにして知っていたのです。人としておかしいと理解していたのです。それでも弟に懸想する自分がいました。そんな自分は人として薄気味悪い存在だと思っていたのです。
同時にこれで両想いになれる、とも思いました。幸せの頂点に達していました。図らずも弟は私のことが好きで、私もまた弟のことが好きだと明々白々になったのですから。
私は一通り弟をそしった後、己の真情を吐露しました。私もおまえのことが好きだと言ってその唇を奪いました。弟の膨らんだ唇に私の唇を当てて、舌で彼の口を吸いました。弟も私の体に手を回し、私の想いに答えてくれました。私を受け入れてくれました。
私と彼はそのまま一夜を過ごしました。
十三歳の夜のことでした。
私の片想いは弟の告白によって実を結んだのです。そして存外あっさりと、体の関係へと発展していったのです。
あの一夜から私と弟の関係は劇的な変化を遂げました。私と弟はひそかに逢瀬を交わし、互いを貪り合いました。両親の目の届かぬところで愛を語り、褥を共にしました。
情事の閨房は決まって私の部屋でした。昼頃に弟と示し合わせて、夜中に人知れず彼と体を重ねていたのでした。
夜が更けると弟は自室へと帰っていきました。そうしなければ両親に私たちの禁じられた関係が白日の下に晒されることになります。それは絶対にあってはならないことでした。一度でもこのことが両親や親類の知るところとなれば、私たちは離れ離れになってしまうでしょう。二度と会えなくなってしまうでしょう。そう思うと気が狂いそうになりました。私と弟の仲はもはや纏綿としていて、世間一般の恋人とさほど違いはなかったのです。
しかしながら、弟が去っていった閨は物寂しく、弟恋しさに何度も泣きました。両親に聞かれぬよう声を殺して咽び泣きました。それくらい私は弟のことが好きで、弟をずっと独占したいと思っていました。弟と永遠にいたいと切望しました。もっとも私と彼は疑いなく家族であったので、人目を盗んで手を繋いだり、接吻をしたりすることもできました。たいてい私が接吻をせがんで、弟が人気のない場所に連れてきてくれて、そこでしました。ねっとりとした接吻を息が切れそうになるまでしました。
罪の意識はさほどありませんでした。ただひたすらに幸せで胸がいっぱいでした。大好きな人と一緒にいられる。そんな歯がゆいような想いで私は悦に浸っていたのです。
しかし現実とはあまりに残酷で、あまりに不条理でした。
とある日のことです。ふとしたきっかけで火のついてしまった私と弟は、日中であるにもかかわらず野外で情交に耽っていました。本殿の裏手にあるご神木の前です。そこは人気が少なく閑散とした場所でした。ですからこう言った情交には絶好の場でした。
そうした油断が祟ったのかもしれません。今思えば己の短慮が惜しまれます。私は愚かにも忍び寄る足音にも気付かず弟とまぐわっていたのですから。
それは呻き声にも聞こえました。弟かそれとも私が出した喘ぎ声かと思いました。
しかし現実は違いました。その声は母様の声だったのです。
母様は腰を抜かしたようでした。当然でしょう。実の息子と娘が媾合に夢中になっていたのですから。
腰を抜かした母様は慌てて私たちの元へ駆け寄ってきました。髪は乱雑に乱れ、焦点は合ってはいません。それくらい母様は仰天し、衝撃を受けたのでしょう。母様は半狂乱になって、私と弟の人倫に反した房事を差し止めようとしました。
ふと首を巡らせて見れば、父様の書斎でした。正面には仏頂面の父様がいて、私たちは正座させられていました。脇には不安そうにする母様もいました。
胡坐をかき、腕を組んだ父様は暫時無言でした。重苦しい雰囲気が澱のように落ちてきました。私はひたすらにじっとしました。弟も歯を食いしばっているようでした。私は自分の思慮の浅さに忸怩たる思いでした。
父様は一言だけ言って、部屋から退出しました。そう、別れろと。文字数にしてわずかなその言葉は確かな重りとなって、私と弟を苛みました。父様は厳格で謹厳実直なお人でした。ただ頑迷な分からず屋、と言うわけではありません。父としての責務、大槻の長であることへの自覚、どれをとっても立派な人物でした。父親としても、褒めるところは褒め、悪いことは悪いと私たちに忠告してくれる出来過ぎた父親でした。
そんな父様を持ってしても、私たちの関係は異常で異質で、どうしようもなかったのです。さすがの父様も対処に困ったのでしょう。状況があまりに埒外なためか、どういった対応をとればいいか困惑しているようでした。怒りよりも恐れよりも先に、なぜこうなったのかと詰問したい風でした。
しかし、あえて問いただすことを父様はしませんでした。どうせ理由を聞いたところでどうにもならぬと悟ったのでしょうか。私と弟の救われない関係に幾許かの憐憫を覚えたのでしょうか。いくら我が子だと言っても、それに至る経緯には何かただならぬものがあると察したのでしょうか。
だから聞かなかった。
それがむしろ辛かったので御座います。いっそ一思いに難詰してくれればよかった。なぜそのようなことをしたと詰め寄ってくれればよかった。そうすればひょっとしたら弟との関係に踏ん切りがついたのかもしれません。諦めがついたのかもしれません。
結局、私と弟は何時間もの間、畳の上で正座をし続けたのです。
十五歳の夏のことでした。
ちょうど文月のみぎりのことで御座います。
その頃からでしょうか。私と弟の間で常軌を逸脱したやり取りが行われるようになったのは。
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手紙は一旦、そこで途切れていた。
その紙を捲って、次の紙を取り出した。
目から涙のようなものが出てきた。