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いつかの君とどこかの僕  作者: 密室天使
だいいっしょう  ひきがねをひくせかい
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第二十二話

「……ありゃ。時雨サンじゃないですか」

 浴衣を羽織った時雨サンは莞爾(かんじ)を浮かべた。カランコロンと下駄の音を響かせて、静々とこちらへと向かう。一本に結わえられた銀の髪が小粋に揺れた。

「禊に葵かの」

「見て分かると思いますけど……」

「いやねぇ、葵があんまり綺麗じゃから」と相好を崩す。よしよしと葵の頭を撫でた。

「そ、そんなに綺麗ですか、私?」

「そうじゃよ。葵も粋な女になったもんじゃ。この様子じゃと男に不自由しとらんように見受けられるが」

「いいよぉ、お兄ちゃん以外の男なんてー。私はお兄ちゃんと結婚するからいいの」

 なんだか聞き捨てならない言葉だった。きっと冗談のつもりなのだろうけど、目が本気っぽかった。

 僕には分かる。

 葵は本気なんだって。

 けれど。

 一方の時雨サンは単なる洒落だと解したらしかった。瀟洒(しょうしゃ)に笑って、葵の言動を真に受けていない。

 それもそうだよなぁ、とか思う。時雨サンには氷雨サンと言う弟がいるけど、普通、家族同士でそう言うのは……ないしなぁ。

 少なくともこの二人に限ってそれは……。

「それに禊は禊でいい男になっちょるの。氷雨なんぞ目じゃないわ」

「ぼ、僕ですか……?」

 藪から棒の一言。僕は気恥ずかしさでうろたえてしまう。やにわにそんなことを他人の口から言われると、どうしたって恥ずかしいのだ。

 僕の反応が面白かったのか、「意識しとるな、意識しとるな。いいんじゃよ、禊も男じゃから」と楽しそうに興じる。「やっぱりお年頃、禊もお年頃じゃ。けどのぉ、やっぱり男はそういう自覚がないといかん。じゃないと、いざって時に相手を悲しませる。男は肝も据わってなくちゃ、男とは言えんもんじゃ。ただし……くれぐれもとっかえひっかえの女たらしになるんじゃないぞ」

「なな、何を言うんですか! 僕は女たらしになんかなりませんよ」

「さすがに妹にまで手を出すもんじゃないぞ」

「出してません!」

 ふふふと時雨サンは巧みに受け流す。時雨サンは手練手管の策士だった。

「葵も禊のこと、好きじゃろ?」

 こくんと顔を赤くして頷く葵。つんつんと両の指の先をぶつけて、顔を下げる。そしてちろちろと僕の面色を窺うのだった。

 その仕草は完全にアレだったが、不覚にもかわいいと思う自分がいた。

「わ、私ね……お兄ちゃんが好き、ですよ。すごく、すごく、好きなんです……」

 最後は消え入るような声だった。はぁーっと葵は恥ずかしくなったのか、勢いよく顔を伏せた。その表情は前髪で窺い知ることはできなかった。 

 その様子を見た時雨サンは、妙案を思いついたようなしたり顔になった。

 と。

「じゃぁ、接吻するかの」

 時雨サンはふいに、そんなメチャクチャなことを言い出した。

「は?」

「じゃから、接吻するか、と尋ねておるんじゃ」

「だだだ、だっ、誰とですか?」

「いや、おまえと」

 時雨サンはまず僕を指差した。

 そして……。

 葵のほうを指差した。

「なんだ……時雨サンとじゃなくて、葵とか……って、はぁ?」

 僕は大いに仰け反った。あまりの事態にめまいを覚え、卒倒しそうになった。

「ぼぼぼっ、僕と……葵が、ですか?」

「気に入らんか」

「気に入らないとかそういうんじゃなくて僕たちは、その、兄妹なんですよ? 兄妹がそんないかがわしいことしたら、ダメに決まってるじゃないですか!」と強烈な舌鋒を向けるが、時雨サンは首をすくめる程度だった。 

「別によいではないか。葵もしたいじゃろ?」

 時雨サンが葵のほうに目を向けると、葵はブンブンと激しく首肯した。

「ほれ、葵もしたいんじゃそうじゃ。まぁ、それほど問題にはならん。欧米では接吻が日常の挨拶だと聞く。本邦も異国の文化を学ぶべきだと思うんじゃ」

「そそそ、そうだよ、お兄ちゃん! たっ、たまにはこういうことしてもバチは当たらないんじゃないかな? ほら、少しくらい、ちょっとだけでいいからさ……ね、お兄ちゃんってば!」

「ダメダメダメ。遊びでそういうことしたらダメなんだって! こ、こう言うことは愛し合うもの同士がすべきなんだよ。葵も分かるだろ?」

「なら問題ない。葵と禊は互いに愛しあっとるからの。その点において、不都合はない」

 揚げ足を取られた、と気付く頃にはもう遅かった。手遅れだった。

 葵は鼻息荒く僕の肩を掴んだ。目の焦点は合っていない。はぁはぁと肩で呼吸している。

 その様子が、ものすごく怖い。

 時雨サンも少々引き気味だった。「あっ、葵や。そ、それはちょっと強引ではないかえ?」

「いいんです、時雨さん。私、前にもお兄ちゃんにキスしようって言って迫ったんですけど、逃げられちゃった苦い過去があるんです。あれは悲しかったなぁ。お兄ちゃんも、あんなに血相変えて逃げなくてもいいのに……。その雪辱を晴らす機会を私に与えてくれた時雨さんには感謝しています。今ここでお兄ちゃんの口を吸っても、大丈夫なんですよね? 大丈夫なんですよね?」

「いやの、葵。それはその……おかしいような、おかしくないような……。とっ、ともかくも、穏便にな。穏便に済ませるんじゃぞ」

 さすがの時雨サンもこれはまずいと思ったらしい。軽い気持ちで言ったみたら、こんな風になったのだから仕方がない。

 時雨サンは慌てて葵を引き剥がそうとするが、葵は乱暴な仕草で時雨サンを振り払った。その間隙を縫って逃走を図るも、あっけなく阻止される。葵は僕の右手を強く握って、逃げられないようにした。

 葵は僕の腰に手を回した。浴衣の上を這う指。それは僕の首のほうに迫ってきた。

「お兄ちゃんもなんで逃げるのかなぁ? 時雨サンもしろって言ったんだからさぁ、男らしくしちゃえばいいのに。ただ互いの口同士をくっつけるだけなんだよ? 全然いかがわしくない。それこそアメリカの人たちはたくさんしてるよ。家族同士でも、兄妹同士でも、見境なく……。お兄ちゃんも覚悟決めよっか。私とキスしよっか」

「おお、おい、それはいかん。それはいかんぞ。それは大人の世界と言う奴じゃ。いくらなんでもそんなにべたべたしたら、べっ、別の……あ、あぶのーまるな世界に行ってしまうぞ」

 尻餅をついた時雨サンは必死に説得をするも、無視。葵の目はずっと僕だけを見ている。蛇のように舌なめずりをして、唾を何度も飲み込んでいた。

 事態の深刻さを悟る。時雨サンは半場諦めたように肩を落とした。

 どうやら。

 どうやら時雨サンは僕と葵の仲のよさを、単なる家族愛に起因するものだと思っていたようだった。年頃になってもねんごろなのだから、普通、そう思う。誰だって僕たちの様子を見れば、家族の絆のすばらしさを実感するのだと思う。

 けれど。

 超越する。葵は世間一般の常識、倫理を超越する。

 血縁関係とか、問題じゃない。粉砕する。そんな常識、打ち砕いて、蹴散らしてしまう。

 勿論、家族の絆はある。僕と葵は間違いなく、家族の絆で固く結ばれているのだ。

 ただ、強いているならそれは、赤い糸、だったり……。

「アブノーマル、上等です。だってしょうがないじゃないですか。愛し合ってるんだから。私とお兄ちゃんは心の底から愛し合ってるんですよ。愛に性別も年齢も、そして血の繋がりも、関係ないんです。だって好きだから。好きだからこんなことするんです。好きだからしたいんです。時雨サン、ありがとうございます。嬉しいです。私嬉しいです。こうやって時雨さんのお墨付きで兄ちゃんの口を吸えるなんて、幸せです。……きっと周りの人も、私たちをただの恋人だと思ってるんでしょうね。公衆の前でキスしようとするバカップルに見えるんでしょうね」

 葵は小さく笑った。凄絶。葵の言葉は柔らかく聞こえるけど、致命的に異様だった。

「んじゃ、するね」

 と。

 僕を見た葵は。

 吸った。口を吸った。

 葵は閉ざした僕の口唇を無理やりにこじ開けた。舌で強引に開錠し、僕の歯茎や口腔を舐めていった。

 葵の身長は僕より若干低い。だから爪先立ちをして、できる限り深く吸えるようにしていた。僕の首に両手をかけて、思いっきり吸った。

 よだれが参道に落ちる。僕のなのか葵のなのかは不明。

 周囲の人たちは僕たちを避けるように過ぎていった。

 ある人は好奇の視線で。

 ある人は下卑た視線で。

 ある人は頬を赤らめて。

 ある人は静かに笑んで。

 葵はもう、見えていないようだった。周りなんぞ視界に入らないようだった。視線は常に僕のほうに向いていた。

 舌が侵食してくる感触が強くなった。葵は僕の舌と自分の舌とを濃厚に絡めた。

 終わる気配はなかった。

 そのまま数分もの間、葵と接吻した。

 



「うぅぅ……」

 葵は僕にもたれかかってきた。全体重をこっちに預けてくる。長時間におよぶ接吻で精根尽き果てた僕は、葵と一緒に倒れそうになった。

「……っと」

 どうにか葵を抱きすくめる。葵は疲れたのか、目を閉じていた。耳を済ませてみれば、寝息を立てていた。

 考えてみれば、葵は夏祭りが始まってからはめを外していた。小鹿のようにはしゃいでいた。

 その疲れが今になって出たのか。

 僕はほっとするのと同時に、ついにしてしまった、と言う罪悪感を覚えた。きっかけが僕ではないにしろ、してしまったのだ。

 それもすっごいエロい奴。

 色々な葛藤、せめぎあい。僕の中で理性が悲鳴をあげていた。

「おっ、おまえたちは……」

 と。

 躊躇うような声。

 時雨サンだった。

「おまえたちは……その、付き合っているのか。互いを異性として愛し合っているのか?」

 僕の目の前に立った時雨サンは神妙な面持ちで問いかけた。端々ですまなさそうにしているのが分かった。

 沈黙。暫時の沈思黙考。

「……分からないです。僕には全然。けど、少なくとも僕は、葵をそういう風に思ってはいません。ただの妹、単なる家族です」

「そう、か。では、葵の一方的な片想いであるとな?」

「……かもしれません」

「報われんな、それは。実に兄に恋した妹か。まったくもって報われんし、救われん。その先には不幸しかない。結婚もできないし、子供も産めない。一緒になったとしても、辛いだけじゃ」

 時雨サンは感慨深そうに言った。どこか遠い目をしている。まるでここではない何かを見ているようだった。

「昔はそうではなかった。葵は普通の少女じゃった。おまえも普通の少年じゃったし、庵も、そして氷雨も……普通じゃった。なのになぜ、狂ってしまったのか。うちらはいつどこで、選択を間違ったのじゃろうか……。実はの、禊。うちもなんじゃ」

「何がですか?」

 軽い気持ちで問いかけた。

 それが深淵へと続く扉だった。

「うちもしたことあるんじゃ、接吻。……氷雨に」

「…………」

「初めは興味本位じゃった。単なる気まぐれじゃった。けど、けど……気付いた。自分の感情に気付いてしもうた。うちは実の弟が好きなのだと、弟ではなく一人の男として愛しておるのだと……気付いてしもうた」

 時雨サンの独白は続く。

 小さな声なので、辺りに響くことはない。

「昨日も、まぐわった。氷雨と一夜を共にした。……幸せじゃった。葵の言うように幸せで幸せで、どうしようもなかったのよ」

 すぅすぅと規則的な寝息。僕は葵の背中を撫でながら、時雨サンの話を聞いた。

 場違いな祭囃子。やけに陽気なそれは、この場に著しい乖離をもたらす。

 時雨サンは薄い雲の先にある本殿を遥拝した。(まなじり)を決した様子。時雨サンの表情には覚悟と決意とが浮かんでいる。

 もうそろそろ神楽舞の刻であるように思う。後数分で、時雨サンたちが舞ったり、楽器を奏でたりするはずだ。

「……とまぁ、これは嘘じゃ、嘘。そんなわけあるまいに。いくらなんでも家族同士で関係を結ぶなんぞ、ほらもいいところじゃろうて」

 時雨サンは乾いた笑声を上げた。

 嘘だ、と思った。それこそが嘘。だったらそんなに悲しい顔をするはずもない。

 真実なんでしょう、時雨サン?

 そんなことは言わなかった。

 愛の形なんて人それぞれ。口出しするつもりも、横槍を入れるつもりもない。それが正常だとか異常だとかは、周囲の人間じゃなくて、あくまで本人が決めることだ。

 別に間違ってもいいんだ。間違いのない人生が正しい人生だなんて、空虚。薄ら寒い。僕はたくさん間違った人生を歩むつもりだ。間違って間違って、それでも生きていくんだ。

「禊よ。うちはそろそろ神楽を奉納せにゃいかん。おいとまするわ」 

「ま、待ってください」

「なんじゃ?」 

「その、祭りが終わったら本殿の裏手のところに来てくれませんか? ちょっと伝えたいことがあるんです」

 時雨サンは不思議そうに首を傾げた。どことなく悲壮な顔。まるで大切な人が死んでしまったように悲しそうな表情だった。

「……ええよ。話を聞ければな」

 それだけ言って、時雨サンは僕に背を向けた。(きびす)を返す。その後姿はすぐに人ごみに紛れてしまった。

 葵は満ち足りた表情で寝入っている。僕の首に手をかけたまま、僕を抱きしめるような形で。

 僕の顔に微笑がともる。なんだかんだ言っても、葵はかわいくて僕の大切な人だ。必ず更生させてみせる、と決心を新たにする。もっと普通の女の子に戻ってもらうんだ。

 僕は暢気に欠伸をして、懐にしまっておいたナイフの感触を確かめた。

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