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いつかの君とどこかの僕  作者: 密室天使
だいいっしょう  ひきがねをひくせかい
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第二十一話

 愉快な祭囃子が聞こえてくる。

 混濁する意識の中、それを聞く。

「どうしたの、お兄ちゃん? きつねにつままれたような顔して」

「……えっ」

「……まったくもう。せっかくの夏祭りなのに、気が抜けちゃって……。お兄ちゃんのバカ」

 葵は頬をふくらませて怒気を表現した。

 僕はあっけにとられ、鳩が豆鉄砲を食らった風になる。

「もう、しっかりしてよぉ」と叱咤して、首を曲げる。葵はプンプンと頬を膨らませて下から僕を覗き見た。愛くるしい瞳が僕の間抜け面を見据える。

「……あっ、ごめん。そうだったね、夏祭りだったね。ちょっと僕、寝ぼけてたのかな……?」

 改めるようにそう言うけど、葵はむすっとした表情を崩さない。睨むように僕を見詰めている。

 と。

「まぁ、いいよ。お兄ちゃんだし」と言って、僕の手をつかんだ。幸せそうな表情。葵は悪戯っぽい笑みを浮かべ、「それよりも、いこ! お兄ちゃんがへとへとになるまで連れまわすんだから!」と威勢良く走り出す。

 釣られて僕も引き摺られるようになる。薄染めの着物を着た葵は颯爽と鳥居をくぐった。次いで、一驚を喫した僕は早くも息が上がっていた。 

「まずはどこ行こっか? 金魚掬い、焼きそば、射的、わたあめ……うぅ、悩むなぁ。お兄ちゃんはどこに行きたい?」

 僕はおずおずと、「ひ、一休みって言うのはどうかな?」と提案した。

 が。

「きゃーっか!」

 と意地悪くそう言って、僕の手を引っ張った。

「夏祭りは始まったばっかりなんだよ? 何でいきなり休むわけ?」

「疲れた」

「疲れた、じゃない! そんなに早く疲れない! しゃっきっとするの!」 

 いつになく苛烈。葵はきびきびと僕を駆り立てた。

 人でごった返す境内(けいだい)。混雑して込み入って、実に雑然としている。それでもみんな楽しそうで、嬉しそうで……。

 著しい落差を覚える。先刻の世界と、現在の世界。それは超然とした不一致だった。あまりにも噛み合わない。僕の体験している二つの世界は。

 夢か。

 現実か。

 画面越しに自分を眺めているような不自然な感じ。自分のことなのに他人事のように感じる自分がいる。主観なのか客観なのか、杳として知れない。

 それはノイズの混じる過去。不確定で不透明。それこそ白昼夢のように実感がないのだ。

 葵の声が聞こえる

 葵の声が聞こえ

 葵の声が聞こ

 葵の声が聞

 葵の声が

 葵の声

 葵の

 葵




 月光が男と僕とナイフと血を照らす。

 すっかりぐちゃぐちゃになった男の腹部。血濡れの臓物(ぞうもつ)がおぞましくうごめいている。渦状のとぐろを巻き、血なまぐさくのた打ち回った。

 蛇みたいだ、と思った。

 蜘蛛みたいだ、と思った。

 寄生虫みたいだ、と思った。

 男の臓器は体の中、と言う(くびき)から解放された。綺麗な月明かりに照らされて、ずぶずぶと血を噴き出す。その様は湧水が滾々(こんこん)と湧き出る温泉を思わせた。命の泉。赤く染まった死のオアシス。

 僕は男をえぐったナイフをつぅと撫でた。鋭い刃の側面に指を沿わせる。白銀に輝くナイフは不思議な力を称えていた。

 憑り付かれたようにナイフを愛でる。男の臓を繰り出し、男に死を与えた一閃のナイフ。

 その洗練されたボディ。流線形のフォルム。肉や野菜を加工するために作られたもの。ただ、その意図とは違った使い方もされる。

 だって、しかたないじゃん。

 こんな綺麗な形されてちゃ、殺したくなっちゃうよ。お腹の中、えぐりたくなっちゃうよ。

 もはや、人を殺めるために製造されたとしか思えない。人に害意をぶつけるために作られた凶器としか思えない。

 殺意を実際のものとする。

「……っつぅ」

 一滴の血。指を流れる赤い液。僕の中を脈々と流れていくはずだったもの。

 どうやら指を切ったらしい。それもそう。あんなことしてたら、切れる。切れるに決まってる。

 と。

 痛み。

 やけに新鮮な感覚。漸次して鬱勃(うつぼつ)する痛覚。僕は吐き気のする嗚咽と、矢も盾もたまらぬ欣喜(きんき)を覚えた。

 ……自分の醜い部分と美しい部分を見た気分。

 うっとりとナイフ、そして男の死骸に恍惚とする僕は、やはり恍惚としたままぼんやりとする。

 おぼろげな明かりが差し込んでくる。

 究極の悪意は生きること――それ自体だ。  

 だとすれば、僕にとってこれは、生きると言うことなんじゃないのかな。

 僕を焚きつける悪意は――本能。そう言うことなんじゃないのかな。

 なら。

 仕方ない。

 それを享受していくしかない。

 己の業だと受け入れるしかない。

「……誰を」

 誰を。

 殺そうか。

 飽きた。そろそろ飽きた。もう醜い奴に手をかけるのは飽きた。

 もっと美しいものを。

 もっと儚いものを。 

 先ほど僕が葬ったのは、真に醜悪な人間だった。醜悪で醜悪で、吐き気がした。殺し甲斐がなく、いたってつまらない人だった。

 とくれば。

 とくれば――。

「次は」

 次は。 




「……それでね、それでね、私……これがほしいな」

「……へ」

「だーかーら、私、あのクマの人形がほしいって言ってるの! ほんと、何も聞いてないんだから……」

 ポン。

 小気味よい音が屋台に響き渡る。

「あっ、ああああああ」

 周囲の人々、そして屋台の店主の絶叫。阿鼻叫喚、酸鼻の悲鳴。

「あてっ、当てやがった……! 難攻不落のクマちゃんをものの見事に当てやがった……!」

「れっ、歴史の変わる瞬間に立ち会っちまったぜ、俺たち」 

「お兄ちゃんすごーい! さっすが私のお兄ちゃん!」

 葵が抱きついてきて、ほっぺにちゅーしてきた。

 呆然とする。僕は何をしたのだろう。

 その姿を見咎めた葵は、「当てたんだよ、お兄ちゃん! クマさん! お兄ちゃんがクマさん当てたんだよ!」と喜色満面に言った。ぐりぐりと頬擦りされる。

 まったく状況をつかめていない僕。右手には筒の長い銃が握られ、目の前には無数の景品が並んでいた。

 僕はそんな状態で店主からクマの人形を貰った。かわいらしくデフォルメされたデディベア。

 ギャラリーが割れんばかりの拍手で称えてくれる。段々と状況を飲み込む僕。

 あぁ。

 そういうことか。

 僕はデディベアをあげた。葵は、「大事にするね」と目を潤ませてそれを受け取る。ますます拍手の度合いが激しくなった。

 拍手の喝采に恐縮してしまう。それでも照れたように笑う僕がいて、自然と心に温かいものが流れ始めた。

 僕は恥ずかしさのあまり葵の頭をわしゃわしゃとかき回した。葵は困ったように笑って、クマの人形を抱きしめた。うるうると湿った目で僕を見る。

 紅に染まった手。今か今かとナイフ片手にてぐすね引いた手。それが葵の髪、頭皮に接触する。

 何かが間違っているような気がしたが、棚上げ。

 それはそれ。

 これはこれ。 

 僕は僕で、僕は僕じゃなくて、僕は僕であって、僕は僕でないのだ。

 どれもが僕で、どれもが僕ではない。

「宝物がまたできちゃった……」

「そのクマの人形って原価は何十円くらいかな」  

「夢のないこと、言わない! 私はいいの。お兄ちゃんが私にくれたプレゼントだからいいの。いくら安くても、私にとっては特別なの!」

「変な奴」

 射的屋を抜けた僕と葵はあてどなく店を散策する。

 様々な幟が目についた。どれも魅力的で、各々盛況している。次はどこに行こうかな、なんて思う。

 と。

 僕の目が和装姿の時雨サンを捉える。




「次は……『 』にしようかな」

 ポッと出た案は紛れもない名案だった。それがあったか。僕は熱に浮かされたように沸き立った。

 あの細い体にナイフを突き立てたらどういう気持ちになるだろう。

 あの美しい体にナイフを突き立てたらどういう気持ちになるだろう。

「どうなるだろう、どうなるだろう」

 ふわふわと高揚していく僕の肉。

 ぞくぞくと興奮していく僕の心

 ほろほろと発狂していく僕の脳。

 それは背徳の芽生えだった。これまで世話になった人を刃にかける。まったくもって義理を欠いている。はしごを外すようなもの。

 でも。

 でもでもでも。

 いいんじゃないか。

 殺すくらい、いいんじゃないか。

 ちょっこっとだけ。ほんとちょっと、殺すだけなら……。

 僕の欲心は早くも明確な像を持ちつつあった。

 そうなれば話は早い。

 こうなったらもう、殺すしかない。なんだかんだと自問自答するまえにまず、殺すしかない。逡巡、呻吟するまえに、とりあえず殺しておくしかないじゃないか。時間ももったいない。やると決めたのならテキパキと済ませよう。

 それがいい。

 決めた。僕は決めたぞ。

 その途端、力が抜けていった。さっきまで力んでいたのか、軟体動物のように脱力していく。思索を重ね、()めつ(すが)めつして考えた反動なのか。

 で。

「いつにしようかな……」

 できれば早いほうがいい。

 けれど、どうせなら華やかに行きたい。

「……そう言えば、もう少ししたら、夏祭りがあるような」

 思考が一つに収斂(しゅうれん)していくのを感じた。言葉にしたら、それがたえようもなく魅力的なものに見えた。

 雅やかな着物に身を包んだ「 」。長い銀の髪を上に結わえ、女丈夫のごとき佇まいをする麗人。たおやかな大和撫子を思わせる。

 壊したい、と思う。間然するところのないものを一思いにメチャクチャにしたい。

 この痛みを知ってもらいたい。

 僕は傷ついた指を見る。血で赤く汚れていて、やけに扇情的だった。

 流れ出た血は不思議なカタルシスをもたらす。そいつは高ぶる情動と連動するのだ。

 その想いがいかに有害であっても。

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