表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつかの君とどこかの僕  作者: 密室天使
だいいっしょう  ひきがねをひくせかい
14/37

第十四話

 だったら、なんで神様は、ぼくのお母さんをみごろしにしたんだろう。

 常々思う。何度考えても理不尽だと思う。そして、神様なんてこの世にいないんじゃないか、とそう帰趨する。

 それでも。

 それでもみそぎは、今の暮らしは幸せであると確信を持って言える。お父さんやお母さんがいなくて寂しいけど、みそぎには大好きな妹と、敬愛する人々、そしてなんだかんだで仲のよい親友もいた。

 もし自分が陰鬱な感情を表に晒せば、あおいは落ち込むだろう。ひょっとしたら、その原因が自分にあるものと思い込むかもしれない。それだけは避けたかった。(つま)しい生活も近隣の悪童から苛められるのも、決してあおいのせいじゃないし、あるいは自らのせいだとも思えない。

 幼い子供は無邪気に排斥的なものである。どうせ一時の行動だろうと思うし、時が立てばいずれ止むだろう。いじめとはその程度のもので、しょせんその程度でしかない。しかし、そのときに受けた傷は生涯、みそぎやあおいを苦しめるだろう。

 みそぎはあおいが苛められているところを見ると、許せない、と闘志を燃やして突っ込んでいく。

 が、たいてい、負ける。多勢に無勢。結局、喧嘩にめっぽう強い朋友か、ひさめたちが緩衝に入ってきてくれる。

 助かったと思うのと同時に、やり場のない怒りと情けなさを覚える。自分は何一つできない。妹を守ることすらできない。そうして年若いみそぎは自己嫌悪に陥る。

 その時は無言であおいが抱きしめてくれる。助けてくれてありがとうと、涙を流してお礼を言ってくれる。十分もしたら、みそぎは再び立ち上がるのだった。

 みそぎたちの生活は苦しい。一家を支えてくれる人は当然のことながら、いない。

 親切な祖父母が二人を養ってくれているが、いずれ自立しなければならない。兄妹と二人だけで身すぎ世すぎしていき、これまで助けてくれた人に恩返しをしなければ。みそぎはそんなことをいつも思っていた。

 口元についた水をぬぐう。

 袖が湿る。

 禊は手水舎の脇にある社殿に向かって、薄氷を踏むように歩いた。鼠のような抜き足。砂利を踏まないよう気をつける。ここでじゃりじゃりと鳴ってしまっては、これまでの苦労が水の泡である。だからか、砂利を踏まないよう余分に距離をとった。やや過剰で遠回りな気もするが、石橋を叩いて渡る、とも取れる。

 そして。

「しぐれさん、みーつけた!」

「あらら、これはやられた」

 と、しぐれと呼ばれた少女はかわいらしく舌を出した。

 しぐれは社殿の裏に身を潜めていた。

 雅やかな口元を涼しげにして、ひょいと立ち上がる。しぐれが少ししゃがむと、禊と目の位置がほぼ一緒になった。

「うちで何人目じゃ」

「しぐれさんで三人目!」

 しぐれは少し驚いたようだった。小股の切れた笑みを浮かべて、よしよしとみそぎの頭を撫でてくれる。

「そうか、そうか。相変わらずようやる、ようやる。禊に鬼ぃ、やらしたら敵なしやわ」

「それ、ひさめさんにもいわれた!」

「む。と言うことは、氷雨のあほはとうに捕まってもうたか」

「ひさめさんはあほじゃないよ!」

 そう言うと、しぐれは優しく目尻を下げた。見るものを安心させる、(ろう)たけた笑み。みそぎも嬉しくなって、微笑み返す。すると、しぐれも花開いたように笑った。

 しぐれはひさめの双子の姉である。性格はおしとやかで、大和撫子のような佳人であった。また、大槻家の血なのか、ひさめと同様に髪の毛が銀色であった。それが腰の辺りまであるからか、透徹として典雅な印象を与える。所作も品があって、洗練された美しさを感じるのだった。

「残り一人は誰じゃ」 

「あいはらのバカじゃ」と口まねをする。

 みそぎがそう言うと、しぐれは静かに相好を崩した。

「おうおう、庵か庵か。禊が見つけるのの鬼やったら、庵は隠れるのの鬼やな」

「ぼく、角がはえるの……?」

「はえん、はえん。これはな、比喩、と言う奴じゃ。国語の時間で習ったじゃろ」

「ひゆ?」

「いや、わからんならええんじゃ。禊はまだ年端の行かぬ子供じゃもんな」

 慈愛に満ちた表情でみそぎの頭を撫でる。胸の中がすーっと温かくなって、心地よい熱が全身を包んだ。

 それは母の愛に似ている。

 

  


 最後に残ったのは、みそぎの幼馴染兼悪友だった。

 一旦、缶のところに戻る。杉の木の下には、これまで捕まえたあおい、ひさめ、しぐれと、三人いる。目を閉じて寝ていたり、木にも垂れていたり、樹陰で涼んでいたりしていた。

 空き缶はすぐ近くにある。もし、奴が奇襲してきてもすぐに対応できる。理想的な陣営。鉄壁の布陣。死角なし。

 常に空き缶のそばに控えるのはずるい気がした。けど、あいつだけには負けたくない。その一心。

 そよぐ樹梢(じゅしょう)が荒ぶる酷暑を慰めるように響いていた。猛烈な暑熱。涼感のある風が、汗ばむ皮膚を冷ましてくれる。

「楽にしてやる」

 声。

 奴の声。

 枝葉の揺れる音。不自然に大きい。

 奴の声の源はどこか。前か、後ろか、右か、左か。

 あるいは。

「……上!」 

「ご名答!」

 鋭利な声ははるか上空から聞こえてきた。

 瞻仰(せんごう)する。燃えるような日差し。目を日光でやられないよう手をかざしながら、相手の姿を探す。網膜が人影を捉える。

 そいつはあろうことか、杉の木から落下してきた。初めから木に登っていたのか? いや、そんなはずは。

 むささびのような俊敏さ。縦横無尽。気随気儘。相変わらず型に囚われない動きをする。

 完全に背中をとられる形となったみそぎは、つかの間周章狼狽してしまった。

 まずは缶を死守すべき。

 空き缶の位置を確認する。

 と。

「笑止!」   

 カァーン、と高らかな音が響く。小気味よい金属音。それはあまりにも短兵急(たんぺいきゅう)であった。

「みんな逃げろーっ!」

 したり顔の少年。その言葉を嚆矢(こうし)に、蜘蛛の子を散らしたように退散するみんな。缶は目に見えないところまで転がっている。早く、空き缶を回収しないと。

「唸る黄金の右足……! 日本代表も夢じゃない……! べにばな、このままハットトリック決めてやっから覚悟しろよ!」

 少年は盛大な哄笑を上げながら、一目散に逃走していった。

 木登りとか反則だろ、と思いながらも、缶を拾いに行く。怒りと屈辱に震えながら、必死に缶を探すみそぎ。

「くそっ、あいはらぁーっ!」

 蒼穹にまで届く怒声。再度空き缶をセットする。 

 そうしてみそぎは、獣のように缶蹴りに打って出たのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ