四ノ伍
潮の香りが僅かに吹く風に乗って鼻腔を刺激する。
辺りは空き地が少々、他に建物といったらコンビニとか倉庫とか、それかいくつかのビル。
少し歩数を増やせば港市場も見える、その市場がここらでは一番人がいて、今僕らがいる場所はほとんど人はいない。
車両の走行が激しい道路に反して人通りの少ない歩道。
申し訳程度に木々が歩道に均等間隔で植えられているのそれでも寂しさは拭えない。
ここらは主に港市場や運送業等の人達しか通らず、逆にそうであるからこそある意味では活発。
だから土地が余っていても街は特に人を惹きつけるような娯楽施設は特に立てず、この寂しさってやつは人工的な寂しさ。
それゆえに偽彪光からも見つけられやすい。
もしも見張っていたらの話だが、まあ彪光を見張っている可能性のほうが大きいけどもしもってのは少しでも思い浮かんだのならば警戒は必要。
だから少しだけ物陰に隠れて待機。
「ドうしたの?」
「いや、ちょっとね」
待つ事数分でジョギングをする人やサイクリングをする人、犬の散歩をする人などが徐々に増えていった。
今日はいつもより人が多いな、そういう自然さを“こっくりさんのお願い”によって作り出してその中の一部となるべく僕はアンナを連れて歩道へ出て行った。
念には念を、そういうわけだ。
歩道を歩いて数歩目、ポケットの振動音は携帯電話になんらかの知らせ。
携帯電話を取り出してメールを受け取り、彪光を乗せたトラックが入ったと思われる倉庫についての情報を得て僕は思わず笑みを溢した。
海沿いの倉庫付近は企業が管理している敷地などがあるので敷地内へ入るにも管理者の目から逃れる必要もある。
運悪く今の時間帯は貨物船が港に着いて作業員やら警備員やらが目立つ。
そんな中僕らが入り込んだら流石に止められるだろう。
偽彪光はどうせ事前に作業員の顔を覚えて顔を変えてここへ入ったと思われるし、僕もそんな妙な特技欲しいな、なんて思いつつ港の入り口付近に目を向ける。
警備員が入り口にいるが、
「ハイれるネ?」
「入れるよ、だってあの人は今から急に休憩したくなるはずだからさ」
すると警備員は腕時計に目をやると踵を返して奥のプレハブ小屋へと向かっていった。
「ね?」
「おお~」
入り口はこれで大丈夫になったのであとは物陰に隠れつつ進んでいく。
少し歩数を重ねればすぐ多々ある空き倉庫へとたどり着いた。
携帯電話を見ながら彪光がいると思われる倉庫を確認。
倉庫番号がついていてよかった、とても探しやすい。
あとは落ち着かずに跳ね上がり続けている心臓の鼓動をどうにか静めてからそっと倉庫の裏口を開いた。
照明は点灯しておらず、窓も塞がれていて光の入る余地は無し。
携帯電話の照明機能を用いて足元を照らしながら僕は壁沿いに歩いていく。
後ろにはアンナがついているので安心だ。
天井は高く、二階もあるようだが壁沿いに歩いていけば階段にたどり着くだろう。
今は足音を立てずに息を潜めて歩く事に専念する。
どうせここへ入った扉の音で偽彪光は僕らの侵入には気づいているだろうが、この漆黒ならその後僕らがどう動いたのかは誤魔化せるはず。
やがて目が暗闇に慣れてくると倉庫の正面であるシャッターにたどり着いた。
僕らは今シャッターの裏側にいるわけだが、扉を閉めて暗闇にしてしまったためにそう思っていても実際はそうじゃないかもと不安になる。
僕のすぐ近くにはトラックがあり、倉庫へは律儀にも車両の頭から入らずバックで入庫したようだ。
そっと覗いてみるが当然誰もいない、なるべく陰に隠れつつ箱型の荷台へ。
僅かに開けられており、隙間から覗いてみるも中には人の気配は無し。
「ネエ、兄たん」
「静かにっ」
衣擦れの音が微かに聞こえた。
誰かが移動しているのは確かだが、何処にいるかは把握できない。
「いるんだろぉ? おい」
その声、彪光の声ではあるがそれは違う――口調も然り、偽彪光の他ならない。
やはり二階にいるようだ。
相手から口を開いてここにいると存在を知らしめたのは、隠れる必要の無い何らかの自信が感じられる。
身体能力からくる自信か、それとも武器を所持しているか、若しくは彪光をちらつかせるつもりなのかもしれない。
偽彪光にとって、本物と偽者がいるという事実を知る僕らは波紋を生じかねないし自分の手の届く範囲に留めておきたいのもあるだろう。
「意外と早かったな。来いよ、こいつに会いたいだろ?」
ここを見つけるのは予想通りという言い方だ。
偽彪光が起こした事故、あれはわざと事故を起こして僕らにヒントと与えて誘い、その結果思い通りに事が運んだからそう言えるのだ。
無論、誘いと解って僕はここへ来たわけだけどね。
「は、放してよ!」
解りづらいがどちらも彪光の声だが口調で区別できる分、二人の存在を把握できる。
すぐにでも飛び出したいアンナ、僕はそれを何とか抑えてトラックの陰を移動。
僕もアンナの行動には大いに賛成だが、最低でも倉庫内の状況と構造、相手は武器を所有しているか否か、仲間の存在など把握すべき項目に全てチェックを入れてからでなくては動けない。
「私にはアンナがついてるんだから! そんな小さいナイフ、あんた一人でどうこうできる相手じゃないわ! それに二階にいるんじゃ逃げ場も無いわね!」
彪光……君のその勇気、脱帽してしまうよ。
「うるさいなお前は! あの人と大違いだ!」
「あの人? 姉さんの事かしら?」
わざと口論に持ち込んで僕らに情報を送っている。
僕が知りたい情報を察してよく観察しての発言だ、おそらく正確。
「うるさい! 黙ってろ!」
頬を叩く音、その時僕は隣で骨が鳴る音を聞いた。
アンナが両手の骨を鳴らし、殺意を固めて塗りたくったかのようなその目は僕の制止は間に合わず、二階へと駆け抜けていった。
「アンナ!」
仕方ない、追いかけるしかないなここは。
誘いに乗るのは自ら罠に掛かるのと同じだが、覚悟するしかないようだ。
その時、近くからはカチンと金属音。
鍵が掛かる音に酷似していたがもしかしたら、裏口の鍵が掛けられたのかもしれない。
外に誰かが待機していた? いや、そんな気配は無かったが。
どうであれ先ずは外に出さないために挑発して出口を塞いだ、か。
なら次は何をする?
向かってくる敵、アンナの存在は今知ったばかりで彼女の戦闘能力や戦闘スタイルは知らないだろう。
よほどの対応力が無ければ相手が出来ない。
二階へ恐る恐る上がるとようやく照明がつけられた。
奥には彪光の首にナイフを突きつける偽彪光。
彪光は手足を縛られて身動きが取れない様子。
アンナはナイフを見て足を止めるが、その固く握られた拳は足を止めるのすら精一杯だったという感じにも思える。
お互いの対峙、その時僕は相手に気づかれないよう視線を上下左右へ。
周りには木箱がいくつもあるが中に何が入っているかは不明、人が入っているという事は無さそうだ。
二階はおそらくただの物置の空間として利用されていただけらしい、窓は木材で塞がれているし人がここで作業するというような空間では無い。
抜け道も無し、鉄製の床では何かを仕掛ける事も出来ないだろう。
一先ず、一つだけ解った事はこの倉庫には僕ら四人しかいない。
偽彪光の仲間に囲まれたらどうしようかと不安だったが先ず想定していた最悪の状況は回避できた。
それでも最悪の状況ってのはまだまだ予想されていて、今目の前で予想が現実になっているがね。
「おい、あんまり近寄るな、手元が狂って刺しちゃうかもしれないだろ?」
じりじりと詰め寄ろうとするアンナは足を止めるも、まるでその様子は火のついた導火線のように危なっかしい。
「僕らをここに留めておく事が君の目的……か」
特に何かをしようともしていないので探る意味も混ぜて僕は言う。
「ふん、察しがいいな」
どうやらその通りのようだ。
「となると君は継承式に行かないと駄目だから仲間がここに来るのかな?」
「楽しみにしてろ、あと少しで来るはずだ」
「せっかくだから聞かせてよ、君がこれから何をするつもりなのかをさ」
諦めたからの発言では無い。
好機は必ずあるし無くとも見出してみせる。
それにその余裕を見せた表情、油断を引き起こしてくれればありがたい。
先ずは、陽気に話でもさせるとしよう。
僕も継承式をどうするかなど知りたかったし、少しでも聞ければどういった人物が関わっているかも調べやすいしね。
「随分と余裕だな」
おっと……いけない。
「諦めるとさ、不思議と余裕も生まれてくるものだろう……?」
誤魔化すために溜息混じりで、それも言葉には重みを感じさせるような精神的な疲労感を表現した口調で僕は言った。
偽彪光はじっと僕を見てくるが、失笑して口を開いた。
「いいだろう、これから継承式でクーデターを起こしてやるのさ」
「ク、クーデター?」
彪光はナイフを突きつけられているため視線だけを偽彪光へ向ける。
「ああそうだ。お前が首謀者としてな。お偉方が集まる継承式を利用して俺が先ず全員が小鳥遊グループに株を全部よこせって言うんだ、経営権は小鳥遊グループが掌握だってな」
「絶対に無理よ!」
「ああ、無理だろうな。だからそういう奴らは殺してやるのさ。おめでとう、お前は残虐当主として歴史的人物の仲間入りだ! そんで大戦争の始まり始まりってわけだ。最後は首謀者の死亡でおしまいだ。これが終わったらお前を連れてあの人のところにつれていってやるよ、死ぬ前に顔は見ておきたいだろう?」
今はまだ殺さないのは確定しているようだ。
それだけで少しは安心できる。
「でもどうしてそんな事をするんだ……?」
「どうして? ふん、別に俺は頼まれたからやったんだよ、それのそれがあの人のためになるなら尚更だ」
妙だな。
虎善さんとは別の人に頼まれたからクーデターを起こす、そういう言い回しだ。
他にも何か目的があるように思われるが、これ以上は話してくれないだろう。
「さて、お前ら。携帯よこせ」
抜け目の無い奴。
僕らは携帯電話を偽彪光の足元へ投げ込んだ。
話に夢中になって忘れていてくれればと思ったけど、冷静になった今は流石に甘くない。
偽彪光が携帯電話を拾おうとしたその時だった。
彪光と僕は目が合った。
これから何かをする、そういう目だ。
そして彪光は身体を傾けてナイフを避けつつ、
「う、ぎゃあああ!」
偽彪光の足に齧りついた。
歯が肉にめり込み、たまらないとナイフを振り回して彪光の腕に横一線、彼女は流血するがそれでもその歯はめり込み続ける。
ようやく突き飛ばして肩で呼吸する偽彪光。
途端に、アンナが動いた。
もはや彪光の流血を見て我を忘れている。
彪光を盾にすれば動けなかったものの、偽彪光は思わぬ攻撃に彪光を突き飛ばしたのが仇となったな。
不幸中の幸いってやつだ。
初動は足を大きく振り上げて偽彪光の手に向かって勢い良く振り下げた。
軟体な関節と彼女の身体能力からくるその速さ、まるで鞭のようだった。
普段とは違う足を使った戦闘スタイル、この日のためにとっておいたかのような動き。
手首を強打させてナイフを落とさせ、アンナは体を反転。
綺麗な裏拳で次は頬の攻撃は直撃し、偽彪光が上体をふらつかせると顔面に向けて正拳。
肉が潰れる音、骨が軋む音が混ざったような音が響き、しかもそのまま壁に叩きつけて偽彪光は口や鼻から流血。
最後はいつもの戦闘スタイルに戻っていたがその破壊力、恐ろしいものだった。
それは怒りが加わったからこその破壊力だろう。
「ア、アンナ……?」
だが彪光の震えた声はアンナに向けられていた。
なあ、そこは形勢逆転したのだから強気にいくべきと思うんだが。
すると僕のところまで上体をふらつかせて後退してきた。
まだ偽彪光は倒れていない、それに反撃なんて受けていなかったのに一体どうしたっていうんだ。
倒れそうなところを支えると、アンナの腹部は真っ赤に染まっていた。
「ひひ……ナイフが一本だと誰が言ったあ?」
血に染まるその表情で、にやりと口元を不気味に歪ませる偽彪光。
「アンナ! し、しっかりしろ!」
「ま、まだ……ヤレルね……」
出血の量が多い、傷口はかなり深いのが解るがどう止血すればいいかが解らない……!
それに傷口は一つじゃなく、真っ赤に染まった衣服を見る限り三回も刺されている。
一体どこで刺したのかすら解らなかった。
「くそが……この顔の怪我……目立たないように変装しなおすしかねえか……」
そしてナイフを遊ぶようにして振り回しながらこちらへ近づいてくる。
「お前らはやっぱ今死んどけよなあ……ひひ」
足元はふらついている。
アンナが与えたダメージは相当大きいはず。
僕でもやれるか?
本当に? ナイフを持ってるぞ。
……やれる。
いや、違うな。
……やるしかないんだ!
アンナはなるべく最初に目をつけられないようにと僕は後退させて身体を寝かせた。
僕のシャツをなんとか破いて傷口に当てておいたがこれじゃあ気休め程度、いや気休め程度とも言えないかもしれないけど今はこうしておくしかない。
すぐに僕は偽彪光へと近づいた。
なるべく僕へ意識させるために、僕は確かな敵意を持っていて、隙あらば噛み付いてやるぞと近くに落ちていた木材を拾って威嚇。
窓に貼り付けていた木材だと思うがほぼ腐りかけていて武器とは言えないが無いよりはマシだ。
「おお? やるか? よし、こい……ひひ!」
この木材で殴りかかってもすぐに壊れるだろうし大したダメージにもならない。
だから僕は構えるだけでしばらくは威嚇を続けるしかなかった。
その間にこの状況を打破する策を練らなければ。
「ひひ、ほら来いよお! その死に掛けから先に捌くぞ?」
「ま、待て! お前の相手は僕だろ!」
僕は移動し、アンナを背にして対峙。
「喧嘩は慣れてねえなあ?」
まったくその通りである。
僕の震える両足が偽彪光に悟られたようだ。
「てめえには苛々していたからなあ、腹の中ぐちゃぐちゃになるまで刺してやりてえなあ、ひひ……」
ナイフを右手へ左手へとお手玉のように投げて僕を挑発。
その威嚇に僕は敏感に反応して両目は右へ左へと動く。
「そうだ、こいつ。もう顔を切っちゃったしもっと切っても問題ねえよな?」
すると偽彪光は後方にいた彪光へと視線を向けた。
「なっ……!」
「こいつもさあ……生きてりゃあいいしよお!」
振り返り、噛まれた足を引きずるも近寄っていった。
「や、やめろお!」
偽彪光はナイフを持つ手を振り上げる。
僕は木材を偽彪光の頭へ向けて振るうが、
「馬鹿が……ぎゃはははははははは!」
光るものが横一線されると木材が床に落ちた。
僕の持つ木材はもはや十センチくらいの長さしかない。
腹部を蹴られ、僕は倒れこみ黒の天井のみが僕の視界となった。
そこへ覗き込むようにして血塗られた笑顔の偽彪光。
「ほらあ、聞こえるだろお? 裏口の扉を叩く音だ。俺がこのボタンを押せば部下がやってくる」
懐から取り出したリモコンは裏口の鍵を開け閉めできるもののようだ。
それでさっき二階へ上がる時に裏口の扉が閉められたのか。
「部下にはお前らを吊るさせてサンドバッグみてえにしてから刻むとするかあ、ひひ……そいつらは目の前っていう特等席に移してやるよ」
突き飛ばして逃げるべきだが、上体を起こそうにも動けない。
階段を上がる複数の足音が聞こえてくる。
万事休す……だ。
「ほらお前ら……手伝えよ、こいつら吊るせ」
「無理だな、そりゃあ」
はあ……万事休すだぜ。
偽彪光がさ。
「何を言っ――てうごっ……!」
その時、偽彪光は襟裏を掴まれて宙に上げられた。
「俺は今からお前を半殺しにするからな」
その頼もしい声は新蔵だった。
新蔵は先ず偽彪光を壁に叩きつけた。
何とかナイフを落とさなかった偽彪光だがそんなの、新蔵には関係なかった。
ナイフを振られるが新蔵の拳は偽彪光の手首を砕き、ナイフは床に落ちた。
しかしまだ反撃する気力は残っているようで左手て殴りかかるがその前に顔面へ新蔵の拳が直撃した。
「――はぎ」
もう一度壁に壁に叩きつけられその反動で新蔵の正面へ倒れこんだところで、彼の膝蹴り。
「ぐげぇ……へ」
痛みからの涙と、赤黒い血が顔を彩っていた。
目の焦点はもはや合っておらず、偽彪光は今何を、何処を、どう見ているのかすら解らない。
「悪いな、流石に手加減できねえぞ」
最後に新蔵は偽彪光の顔面へ止めの一撃を食らわせる。
デジャヴのように再び壁に叩きつけられた偽彪光は、崩れるように倒れこみ手足を痙攣させた。
アンナが与えたダメージに、新蔵の猛攻が加わった結果だ。
もはやこれ以上は闘えまい。