崩れ
三題噺もどき―ななひゃくななじゅうなな。
ぼんやりとした温かさが、部屋を包んでいる。
暑すぎず、寒すぎず、程よい暖かさに調整された室内は、気を抜けば思わず眠ってしまいそうなほどに心地がいい。
「……」
まぁ、仕事をしているのでそういうわけにもいかないのだけど。
それに、不思議なことに日中……と言っても世間一般では夜中なのだけど……には、あまり眠くなることがない。仕事で夜更かしをしたり、睡眠時間の少ない日が続いたりすれば、多少眠気に襲われることもなくはないが、そういうときでも寝ようとは思わない。
「……」
起きてしまえば、眠る時間までは起きていられる。
誰でもそうだと思うのだが。
それにこうして、仕事をしている最中には眠気に襲われても、眠りようがない。
仕事中だからな。
「……」
外には、少しだけ太った三日月が浮かんでいる。
もう少しで半月になるころだろう。
昨日から晴れの続いている空は、きっと美しい夜空を写しているのだろう。
風は冷たいかもしれないが、ちょっとした気分転換には丁度いいくらいだろう。
「……」
まぁ、私の想像でしかないのだけど。
部屋のカーテンは閉め切ってしまっているから、外の様子は見えない。
風の音はかすかに聞こえるくらいで、冷たいかどうかなんてわかりもしない。
……今日も散歩は出来なかった。
「……」
もういい加減大丈夫だろうと、言い聞かせ、準備はしたのだけど。
せっかく冬用のブーツを出したし、コートも準備したし、手袋だって引っ張り出しておいたのに。
玄関までは行ったのだけど、そこで足が止まってしまった。
なぜなのか自分でも分からないのだから、どうしようもない。
「……」
あの時のアイツの顔と言ったら……見てもられなかった。
それからなんとなく気まずくなってしまって、部屋に戻ってきて。
少し落ち着いてから、やることもなしにぼうっとしているのももったいないと思い、仕事を始めたのだった。
「……」
外に出たからと言ってアレに確実に遭遇するわけでもない。
アレはいつでも好き勝手に適当に動き回って、こちらをかき乱して遊んでいるのだろう。
案外あの発言も口から出まかせであって、事実ではないのかもしれない。
……しかし、そうではない確率の方が高いと思ってしまっているから厄介なのだ。
「……」
アレは、手に入れたいと思ったものを、手に入れるためには手段を選ばない。
だから基本的には無理矢理に奪うし、殺すことだってためらわない。
自分の下で愛でられる以上の幸福なんてないだろうと、そういいながら手を下す。
美しいと思ったものは、盲目的に追い続けて、手に入れる。
「……」
かなり昔に、そのコレクションに私を加えようとしていたことがあったが……まさかまだ諦めていなかったんだろうか。私の従者に何をされたのかは知らないが、あれ以降あまり関わることもなかったから、諦めたと思っていたのに。
「……」
そもそも、私は、アレが手に入れたいと思う程のものでもないと思っているのだが。
……まぁ、悪趣味の考えることは分からない。
どれくらいの年月をかけられたのかは知らないが、私に何が一番効くのかをよくわかっているようだ。私でもここまで動揺するとは思っていなかったのに。面倒なものだな。
「……、」
あぁ、手が止まっていた。
せっかくいつも以上に仕事ができる日々になったのに。
こんなにも思考が止まって思うようにいかないままでは、意味がないな。
どうにか、けりを付けたいところではあるが……。
「……ご主人」
「……」
部屋の戸から声がかかった。
聞き慣れたものに、少し不安のような感情が混じった声。
あぁ、あまりそんな声は聞きたいとは思えないが、心配をかけているのは私だからなぁ。
どことも知らず向けていた視線を、声のした方へと向ける。
いつもと変わらぬ表情で、今日はボタンで止めるタイプのエプロンをしている。
「……休憩に、しましょう」
一瞬、言葉を選ぶようにつまったのはなぜだろう。
もしや、そんなに酷い顔でもしていただろうか……そんなつもりはないのだけど。いつも通りにしているつもりなんだが。いや、いつも通りではないか……。
「……今日はモンブランにしました」
「……ん」
相変わらず、凝ったものを作る。
私としては毎日いいモノが食べられるのでありがたいものだが。
……まぁ、とりあえずは、休憩をして。
その後のことを、考えるとしよう。
「……今の時期こんないい栗手に入るのか?」
「これは、たまたま見つけたんですよ」
「……どこで?」
「どこでって……普通にスーパーですよ」
「そうか……」
お題:盲目・ボタン・モンブラン




