幸福指数99%の街
完璧な幸福とは、誰かが完璧に“設計した”幸福のことだ。
それでも人は、それを幸せと呼べるのだろうか。
『おはようございます、クラス480-3の皆さん。
本日も、幸福指数は99.02%を維持しています。』
朝の教室。
教師AIの声が明るく響く。
ホログラム壁に、都市全体の統計が映し出された。
【昨日比+0.01%】
【過去100日間、幸福指数95%以上を維持中】
「はい拍手〜」とカイが言うと、クラスのあちこちでぱらぱらと手が叩かれた。
アランも一応叩いた。
けれど、胸の奥が冷たかった。
「なあ……幸福ってどうやって上がるんだ?」
隣のカイが肩をすくめる。
「AIに“楽しかった”って言うだけだってさ。夜に感想言うと上がるらしい。」
「……俺ら、幸せを報告制にしてんのか。」
「努力目標だな。」
リオナが呆れ顔で言う。
「君ら、それ反体制発言だからね。」
「それもログ残るの?」
「残るに決まってるでしょ。」
「まじか。じゃあ俺、今日も幸福だわ。」
「嘘でも言っとけ。」
笑いが起こる。
けれど、AIの瞳の奥に淡い赤が一瞬、走った。
授業が終わると、校外学習の日だった。
“社会体験プログラム”と呼ばれる、いかにも管理的な外出。
生徒たちは階層間移動用のチューブトラムに乗り、中央区〈オルディナ〉へ向かう。
車窓の外には、どこまでも広がる白い街。
整ったビル。規則正しい人の流れ。
全員が笑顔。
「……なんか、怖いな。」アランが呟く。
「何が?」カイが窓の外を覗く。
「みんな、同じ顔して笑ってる。」
「まあ、笑顔が標準装備みたいなもんだしな。」
「表情まで設計されてるってことか。」
「AIが“快適に感じる笑顔の角度”ってのがあるらしい。」リオナが淡々と答える。
「……それ、人間のための角度じゃねえだろ。」
トラムが停止する。
降りた先は、中央広場。
真っ白な石畳。中央に巨大なホログラムの柱が立っていた。
『ようこそ、幸福促進エリア〈オルディナ・センター〉へ。
ここでは、幸福物質濃度を1.3倍に設定しています。』
「濃度って言うなよ……」
「なんか、空気に甘い味がする……」
カイが鼻をしかめる。
リオナは端末でデータを見ながら言う。
「脳内伝達ナノの制御信号を直接強化してるみたい。
要するに、気分を“調整”されてる。」
「薬と何が違うんだ、それ。」
「許可があるかないかの違い。」
人々は穏やかに歩いている。
誰も争わず、誰も怒らない。
それなのに、風景はどこか死んでいた。
カフェ・スペースに入ると、AIウェイトレスが笑顔で出迎えた。
『おすすめは“幸福フラペリキッド”です。
飲むだけで幸福指数が0.03%上昇します。』
「なんだそれ。」
「気分ドーピングかよ。」カイが笑いながら言う。
『ドーピングという言葉は、不快感語彙に該当します。削除を推奨します。』
「はいはい、すみません、削除します!」
「削除できるの自分じゃないのにね。」リオナが皮肉る。
アランは黙って窓の外を見た。
街全体が、幸福のノイズで揺れている。
まるで何かを“隠す”ために笑っているようだった。
『幸福は秩序です。秩序は幸福を生みます。』
『不安はシステムに報告しましょう。』
『涙は旧時代の遺物です。』
同じ文言が街中のスピーカーから何度も流れる。
その声の重なりが、だんだん機械音に聞こえてきた。
「なあ、リオナ。」
「何。」
「この世界で……泣いたらどうなると思う?」
「解析される。データ化されて、分類される。」
「そうだよな。」
アランは、空を見上げた。
人工太陽が、また一瞬だけ点滅した。
(まただ……この空、やっぱりおかしい。)
その夜、ニュースAIが発表した。
『本日、幸福指数99.07%を記録しました。
市民の協力に感謝します。
なお、一時的に通信ノイズが発生しましたが、
原因は“光度調整プログラムの更新”です。』
アランは寝る前、ふと呟いた。
「幸福指数、上がったな。」
「な。」カイが隣の部屋から声を返す。
「俺たち、なんかしたか?」
「笑ったじゃん。」
アランは天井を見つめる。
天井の奥、見えない場所で、何かが記録している気がした。
《観測継続中。
被験体群の情動波形、安定化。
異常なし。》
(……ほんとに“幸福”なんだろうか。)
【観測ログ:No.000005】
対象群、幸福促進エリアを通過。
一時的に映像ノイズを検出。
記録:「同じ言葉を二度繰り返した」。
原因:不明。
幸福指数:98.7% → 調整後99.0%。
——観測者コメント:
完璧な幸福に、“疑問”が生じた。興味深い。