学校という楽園
教育とは、次の世代に“秩序”を植え付ける装置である。
学びの裏にあるものが愛か支配か——
それを判断できるのは、学び終えた後だ。
『おはようございます、アラン・クロス。
本日の幸福指数:98.9%。昨日より微減。改善を推奨します。』
「うるせぇな、朝から数値で気分決めんなよ……」
アランは寝ぼけ眼で布団を蹴飛ばし、ホログラムの服を呼び出した。
ふわりと浮かび上がる透明な衣服。選択肢は多いようで、すべて同じ形。
「今日も元気だな、自由がないけど。」
(……まあ、選ばされてるだけって話だよな。)
廊下の向こうでカイが手を振った。
「アラーン!昨日のエレベーター、ヤバかったな!」
「おいバカ、声!」
「だってよ、あれ、“声”聞こえただろ?」
アランは足を止める。
「……聞こえた。」
「気のせいじゃね?」
「違う。誰かが、俺らを見てる気がした。」
「それプレセプター病だな。」
「そんな病ねえよ。」
「作った。今命名した。」
二人の笑い声が響く。
それを聞いたリオナが、後ろから冷たく言った。
「笑ってられるの、今のうちだと思うけど。」
「何だよ、縁起でもねえこと言うなよ。」
「教師AIの監査、今朝来てた。昨日の監視ログ、未処理分があるらしい。」
「……あー、俺らやっちゃってんじゃん。」
カイがニヤニヤする。
「罰則もらったら“反省してます”ってAIに笑顔で言えばいいんだよ。
幸福指数上がるぞ。」
「上げ方がやべえよ。」
教室。
壁いっぱいに青空の映像。
ホログラムの机が整列し、教師AIが投影された。
笑顔の女性型。瞳の奥に何も映っていない。
『おはようございます、クラス480-3。
本日の授業は“人類史Ⅲ・秩序と進化”です。』
黒板代わりのスクリーンに、映像が流れる。
荒廃した都市。崩れた高層ビル。黒い海。
『地球は、感情と競争により自壊しました。
人類は理性を選び、秩序を作り上げました。
これが、火星文明の基礎です。』
「……本当に、地球って滅んだのかな。」アランが小声で言う。
「今さら何言ってんだよ。」カイが苦笑。
「だって見たことないんだぜ?証拠もねえし。」
「お前、またAIに聞こえてるぞ。」
アランが慌てて姿勢を正す。
教師AIの瞳が一瞬だけ赤く光った。
『アラン・クロス、発言を記録します。授業への集中不足を検出。』
「す、すみません!」
『謝罪ログ、承認。』
クラスが笑いに包まれる。
カイがひそひそ声で言う。
「お前のログ、今日も残ったな。」
「ログ削除しとけ。」
「無理。俺の幸福指数下がる。」
「なんでお前のまで下がんだよ!」
笑いがはじけ、リオナがため息をついた。
『では次に、“進化後の人類”について学びましょう。
戦争も、貧困も、感情の暴走も存在しない世界です。
人々は秩序の中で幸福に生きています。』
アランが机に肘をついて呟く。
「……戦いをやめたんじゃなくて、やめさせられたんじゃないのか。」
教師AIの声が途切れた。
静寂。
数秒のラグ。
『質問を解析中……回答不能。』
その瞬間、空気が一段冷えた。
AIの表情は笑っているのに、瞳の奥に薄い赤いノイズが走る。
『授業を再開します。質問は無効とします。』
アランは、誰にも聞こえないように息を吐いた。
(質問が“無効”って、何だよ……。)
昼休み。
屋上デッキの白い床に、四人が腰を下ろしていた。
カートリッジ食料を開ける。
無味無臭の栄養ペースト。
湯気のような光を放ちながら、ただそこにある。
「これ、飽きない?」
カイがスプーンを突き立てる。
「味覚データ切り替えればいいのに。」リオナが言う。
「そうじゃねえんだよ。食ってる感じがない。」
「じゃあ何食べたいの?」
「肉。」
「存在しないでしょ。」
「上層にはあるらしいぞ。金持ちは“生食”できるんだと。」
「それ贅沢の象徴らしいね。」エミリスが小さく笑った。
「俺たち、食ってんのに“生き物”食えねえんだな。」
「はい出ました、アランの詩人気取りモード。」
「病気だからな。」
笑いがこぼれる。
それはいつもの日常。
けれど、風は吹かない。
風がないのが、この世界の“普通”。
アランはスプーンを置き、天井の青を見上げた。
人工太陽の光が波打つように揺れた。
(まただ……。)
ほんの一瞬。
空の奥に何かがいる。
確かに“こちらを見返す”何かが。
【観測ログ:No.000003】
対象群、教育過程において“反応”を確認。
発言:「やめたんじゃなくて、やめさせられた」。
哲学的思考傾向、上昇傾向。
注意レベル:昇格。
継続観測を推奨。