レイヤード・シティの空の下で
世界には、知らない方が幸せなことがある。
けれど、人はいつだって、知らずにはいられない。
「おい、カイ。また授業サボっただろ。」
「サボってねえって。AIに出席頼んだだけだ。」
「AIに出席?」
「代返モードだよ。完璧な発音で『はい、元気です』って言ってくれるんだ。」
「……それ、完全にサボってんじゃねえか。」
笑い声が教室に響く。
ホログラムの机がふわりと揺れ、透明な光の粒が散った。
中層都市〈セリア・ブロック〉第480層。
ここは、未来における“平凡”の形だ。
教室の壁一面がウィンドウになっていて、空が映っている。
青く、穏やかで、限りなく人工的な空。
その上に、どんな世界があるのか――誰も知らない。
「なあアラン。」
リオナが、端末を閉じながら眉を上げた。
「また下層に行く計画でも立ててんの?」
「“また”じゃなくて“まだ”だな。」アランがニヤリと笑う。
「もう完璧なルートができてんだ。エレベーターロックのセキュリティも抜ける。」
「どうやって?」
「ハッキング。」
「……誰が?」
「エミリス。」
呼ばれた少女が顔を上げた。
銀色の髪をまとめた小柄な少女。冷静というより、どこか浮世離れした雰囲気を持っている。
「まだ実験段階だよ。あれは本来、教育AIのデータ管理システム用なんだから。」
「つまりできるってことだな。」アランは満足そうに頷く。
「バカ。」リオナが呆れたように言う。「また懲罰AIに記録されたいの?」
「される前に逃げればいい。」
「……そうやって死ぬやつ、下層にいっぱいいるって聞いたけど。」
アランは笑いながら肩をすくめた。
「死ぬってのは、知らないまま終わることだろ。」
その一言に、リオナが言葉を失った。
けれどカイがすぐに空気を軽くする。
「はいはい、また始まったぞ、アランの“詩人気取りモード”!」
「うるせえ。」アランは笑いながら机を蹴る。
透明の机が一瞬だけ虹色に光り、振動が空気に溶けた。
昼休み。
彼らは屋上デッキに集まっていた。
ガラス張りの天井を見上げると、そこには人工太陽。
毎日決まった時間に昇り、決まった時間に沈む。
その規則正しさに、安心を覚える者もいれば、退屈を覚える者もいる。
「見ろよ、今日の光、昨日より三パーセント明るいらしい。」
カイが笑いながら手をかざす。
「ニュースでもやってた。季節調整プログラムの更新だって。」
「“季節”って、何だっけ。」リオナがぼんやり呟く。
「知らん。けど俺、聞いたことある。」アランが言う。
「昔の地球には“冬”とか“春”とかあったらしい。」
「昔って、いつの話よ。」
「さあな。AIの授業じゃ、その辺スキップされるだろ。」
そのとき、空が一瞬ちらついた。
人工太陽がかすかに点滅し、青い空がノイズに変わる。
リオナが眉をひそめる。
「……今、見た?」
「え?」
「空。光が一瞬消えた。」
「気のせいだろ。」カイが笑う。
「この前も“雲が動いた”とか言ってただろ。雲なんてプログラムにないんだぜ?」
リオナは黙った。
けれどアランは、その空を見つめたまま動かない。
青すぎる。
美しすぎる。
完璧なはずの空が、まるで何かを“隠している”ように見えた。
夕方。
校舎を出ると、街全体が光に包まれていた。
透明な歩道を人々が流れ、ホログラム広告が宙を漂う。
「“幸福指数99%”だってさ。」
カイが掲示板を指差す。
「俺、あと1%足りないな。昨日AIに“少し好奇心が強すぎます”って言われた。」
「お前それ、褒められてるぞ。」アランが笑う。
「好奇心は病気扱いだろ、今の時代。」リオナが呟く。
「だからこそ、治すつもりはない。」
アランは歩きながら、再び空を見上げた。
人工太陽が沈み、空の青がゆっくりと紫に変わる。
完璧な夕焼け。
けれどその奥で、何かが瞬いた。
ほんの一瞬。
誰かが、空の向こうから彼を見ていた。
そう感じた。
【観測ログ:No.000001】
被験体群「アラン・クロス」活動開始。
幸福指数:98.9%。
異常:軽度の探求衝動。
対象、空を三度見上げる。
継続観測を推奨。