扇屋ころんの憂鬱
私の名はヘロン。サギでも数学者でもない、暑さにやられたポロンコ・ロンの本音。ンゴロンゴロ生まれの宿主ボロンコ・ロンの怠惰な心が生んだ、身代わり地蔵のようなもの。
⋯⋯嘘でありんす。単なるジャパニーズ・ペーパーファン。扇子屋さんの看板娘に憧れて、うっかりコロンビアから弟子入り転生して来たのが私⋯⋯ヘロンの正体って事になってるの。
そう────あれはコロンビアの暑い日のことだった。
その日、私は近所のマーケットに行き、買い物から帰る途中だった。そして転がって来たサッカーボールを踏んづけて、すっ転んで頭を打って死んだ。いまいましいお坊ちゃんのパワフルシュートが、ゴールネットとフェンスを突き破り、私の足元にピタリと収まったのだ。私、神の子? まさにキャプ翼並の奇跡。
悪意さえ感じる軌跡。次に生まれ変わる時は、絶対後頭部を守ってくれる素敵な守護神を下さいと願った。
「その願い、叶えてあげましょう」
犯神タイガースな天使コロンがそう言ったのだろうか⋯⋯私の魂は、頭の防御力の高そうな、日本のとある女性へ向かって、シュートされた。
「────いだっ!!」
なんて事でしょう。私の魂は防御力の高い女性のお団子頭に弾かれて、身体を乗っ取り損ねた。何てスーパーセーブをいま発揮したの。さらに無防備な魂を、お饅頭と間違えてもぐもぐされたよ⋯⋯。
「むぐむぐ⋯⋯ぶぇっ、不味っ! なにこのグニャグニャは」
(ひどいっ!)
「えっ? どこから声? ムカつく!」
お団子頭の女性が嗚咽し怒る。私も、私の魂を食べた感触が、口の中に残るという奇妙な体験にオエッとなる。どうやら天使コロンの思惑は失敗し、私はこの女性の中にヘロンという意識体として存在する事になった。
『ちっ、せっかくのチャンスが』
舌打ちして消える天使コロン。お前さんいたんかい。鋭い視線の軌道から、理由はなんとなく察した⋯⋯そっとしておくよ。せっかくの異国体験、楽しみたいもの。
「えーと、わたしの頭がおかしくなったわけではないのね」
(あなたの頭は別の意味でおかしいけれど、そうよ)
天使コロンの魔法により、私はスペイン語のまま話してスペイン語で全て聞いている。しかし、扇屋ころんにはスペイン語の後に日本語訳の言葉が遅れて聞こえてくる。きっとかなり煩いと思う。私の事なのに、私には害がないので他人事だ。
私が居候転生した宿主は、扇屋ころん(28)という和服美人だ。身体の主導権はモチロン宿主である「扇屋ころん」にある。
私が望んだ何でも受け止める守備範囲の広い、伝説の守護神のようだった────お団子頭が。
ころんが残念なのは、コロンボ刑事好きの変人という事。今時の子は知らないよねコロンボなんて。三十路目前だというのに、いつまで経っても独身貴族を満喫している。天使コロンは、この状況を何とかしたくて私を召喚したの? ⋯⋯だとしたら何て迷惑な!
扇屋ころんの実家は、浅草で代々扇子屋を続けている老舗中の老舗。ころんは扇子屋の看板娘であり、跡継ぎの娘でもあった。売り子歴は物心ついてからという、根っからの商売人。
私には行動の自由はない。意識を共有しているせいで、私は逃れられない地獄に突き落とされた気分だ。
「地獄はこっちだよ。あちぃ〜〜、だりぃ〜〜、扇子なんて売れね〜〜し、私も売れね〜〜」
(ちょっと、大和撫子ならキチンとなさいよ)
「そんな絶滅危惧種の日常なんて知らないよ」
休憩時間中、和服が着崩れるのも構わずに、休憩室の和室で横になってグダるころん。バタバタとバタ足しながら扇子を仰ぎ、バランスを崩したころんがゴロンと転がる。
昭和のおっさんも同居しているのかと、疑いたくなるくらい、仮面と本音が激しい。むしろ上手に使いわけていると言うべきかも。
「いや、わたしもオフの時くらいは休みたいの。でも毎晩ヘロンがうるさいからでしょ。居候転生なんて単なる憑依、■■■にたかるハエだよね!」
(それ、私がハエならあなたは⋯⋯)
私を攻撃すると、ころんも巻き添えになる。少し休ませないと、精神衛生上よくないのかもしれない。
日本各地で酷暑なのは異常気象のせい。でも⋯⋯ころんの心からダダ漏れする、酷い例えは親友の影響。私のせいではないはずよ⋯⋯。
(でもね、ころんさんや。休憩時間だけではなく、あなた仕事休みの日もゴロゴロ自分を転がしてますよね)
「うっ⋯⋯」
思い返すと、眠りすぎて眠れないから子守歌を歌って──そう言ったのはころんの方だったよ。
(ゴロゴロ転がってばかりいると、ボンレスハムみたいに育つわよ?)
「ムキィーーーッ!」
私の心配が、ころんに直撃したのか、彼女は発狂して畳の上をゴロゴロした。
────ゴンッ!!!
「痛っ!」
(痛ッ!)
休憩室の縦長のちゃぶ台の足で、頭と弁慶の泣きどころを同時に打った扇屋ころん。守護神も自爆は防げなかった。
その鈍い痛みは私にも届く。宿主の不注意のダメージが私にも通じるのは理不尽だと思う。お返しに今夜も覚えたてのアニソンを朝まで歌い続けてやろう。
それにしても扇屋ころん、のたうち回りビチビチ跳ねる仕草が無駄に美しい。でも、なんて涙が出るのかしら、ころんは。
ころんは起き上がると、涙を堪えて店番に戻る。お昼過ぎの一番クソ暑い中でも、無駄に元気なのがインバウンド客。元気で陽気な海外の奇人客達。団体客の到着で、扇屋の狭い店内はごった返していた。
(ちょっと多すぎない?)
「また海外で動画上がったんでしょ」
(そうなの? 確かに日本の特集は見たことあるけど)
「伝統工芸品は結構売れるの」
お客を捌きながら、小さな声で答えてくれるころん。さすが看板娘だけあって、手慣れている。
日本の和服美人「扇ころん」の中に居候転生して、初めて知った驚愕の事実。私は夏の観光客の集団の香りの暴力を舐めていたよ。
「ヘーイ、ジャパニーズゲイシャガール、ボクトケッコンシテクダサーーイ!」
脳天気なイタリア人のイケオジや、アラブの富豪のようなヒゲモジャなどが、カタコトの日本語でプロポーズして来た。
(えっ、何で?!)
腐っても鯛って日本のことわざがあったような。和服美人の控え目な接客、扇屋の看板娘は連日大人気だ。私の力がなくても、求婚者が毎日のように現れる。
(くっ、この私としたことが見誤ったか)
ここまで扇屋ころんがモテるなんて思ってなかった。普段はゴロゴロしているだけの休日おやじなのに、国外から恋人選び放題キャッホーな状態。
(あれっ、足を引っ張っているのはまさか私?)
「ふふふ、くわぁははは⋯⋯泣け! 叫べ! 私の実力思い知ったか、ヘロンさんよ。しょせんは私の居候よね!!」
ふんぞり返って私に勝ち誇るころん。今は仕事中だよ。忘れているでしょ。
(悔しいけど、天使コロンの介入は必要なかったようね──と言いたい所だけど⋯⋯)
「ププッ、クスクス。ねぇねぇ、泣いてもいいんだよ? わたしって優しいからさ、天使コロンもヘロンもまとめてドンッと来いだよ!」
(ころんこそ誰にものを言っているのか、わかっていないようね。ないのは畳んだ扇のような双丘だけにしておくべきだったのよ)
ドンッというよりペシャッて音がしたけれど、ころんが握っている扇子の音だと信じたい。
扇屋ころんは今、自分で自分に偉そうに話しかけているあぶない女と化しているの────大声で、ふんぞり返って。
「あっ⋯⋯やっべ」
民衆の視線が四川の麻婆豆腐のシビカラのように痛く辛い。山椒がピリリッと効くレベルならまだ食べられたのに。瓶のフタが外れてドパッと胡椒や唐辛子や山椒が山盛り状態だよね。
そして起こる国際ロマンス詐欺。結婚の約束を求めた異邦人からの「ごめんなさい」の大唱和。叶うことのない夢。中身昭和のおっさん混じりのせい⋯⋯?
「こいつら全員ぶっ飛ばす。大和撫子舐めんじゃねぇ」
TPOを弁えて、意外と建前の言葉は冷静なころんさん。その冷静さ、もっと早く欲しかったね。ころんが勝手に騒いだだけで、あいつら別に悪くないのに完全に悪役だ。
「それじゃ頼むよ、ヘロン。へーーんしん!!」
お団子頭に扇子をぶっ刺して、ヘロンに変身すべく、狭い店内で腕をグルングルン回し始めた──扇屋ころん28歳。
しーーーーーーん。
あれほどうるさかった店内を包む静寂が重い。痛い視線にはとっくの昔に慣れた私たち。でも⋯⋯当然のように何も起こらなかった。起こってたまるか。そんな入れ替わり能力なんて、始めからないっての。
たとえ入れ替わる能力があったとしても、精神が大人の魅力あるヘロンに入れ替わるだけで、身体は扇屋ころんのままなのよ。それに、期待の新人の得意技は流し目だけ。この身体では大衆を前に役に立たないの。
「やってみるまでわからないよ!」
(そんな薄氷を踏むような真似はやめてぇぇ!)
「ええぃ、離せヘロン。これがわたしのイキザマよ!」
離せって、私は掴めないって。ツッコミ入れているけど。凍りついた店内で、大きな独り言を吐き出す看板娘。なんてタフなのかしら。
「オ〜〜〜ゥ、イッツァジャパニーズジョーク♪ ハハン?」
「オゥー、ジャパニーズニンジャ、スシクイネェ、ヤー」
お寿司柄の手ぬぐいを取り出して、額に巻いて怪しげな日本語で誤魔化す扇屋ころん。意味不明なノリと勢いで誤魔化すつもりだ。
私に教えてくれた人気のアニメソングまで歌い出し、全てなかった事にしようと踊りだした。
「オゥ、ゲイシャアイドル。ケッコンシテクダサイネー」
簡単に誤魔化されてくれる海外の観光客達。チョロい、こいつらチョロ過ぎるよ。
扇屋ころんがモテるのはわかった。それならさっさとイチャラブして、私を解放して欲しい。
「それはこっちのセリフだよ。役立たずのヘロンだけでも頭痛いのに、天使コロンとか紛らわしいキャラ被りまでいるし」
(私が役立たず⋯⋯ぐはっ。天使コロンなんて私も知るかっ)
閉店後──自分の部屋に戻って来たころんは、とても疲れ切っていた。
鍵はきっと私にあるのね。天使コロンは「ヘロンの公式」に必要な一角だっただけ。主役なのにタイトルまで奪われて⋯⋯しょせん私は都合のいい女なのよ、シクシク。
「泣かないで、ヘロン。あなたが泣くと、めっち辛気臭くてしてうっとうしいから」
そう言って、パッパッと塩を怪しげに、クネクネとツイスト踊りをしながら、身体にふりまくころん。こいつ⋯⋯鬼か!
(私は悪霊じゃないって!!)
私が弱っていると勘違いしたのか、塩振りおじさんのように脇を締めて肘を畳んで塩の塊を天井へ向けて振りまいた。
踊り疲れて開いたころんの大口に、塩の雨が降り注ぐ。
「ペッペッ、うげぇ、しょっぱ!!」
(あ、あんたアホゥ?! 踊ってばかりいるからだよ)
『ペッペッ、塩っぱ!!』
ころんの怪しい踊りとお清めの塩により、天使コロンが呼び出されていた。タイミング悪く放った塩の一部が口へ入ったらしい。ミネラルたっぷりの天日干し塩も、大量摂取は良くない。
しばらく人と中の人と天使が塩気に悶えた後、ころんと天使コロンは互いに正座して向き合って座った。
「婚活頑張るので、どうかヘロン共々お引き取り下さい」
(私をお荷物みたいに言うなぁー)
「いくらわたしの為でも、コロンビアから知らない人を無理やり連れて来て、私に押し込めるのはやめて下さい、お祖母ちゃん」
天使コロンは、ころんのお祖母ちゃんだった。
(待って、ころんは天使コロンの事を知っていたって事?!)
「えっ、知らないよ。何となくそう言っておけば、あいつらみたいにノリで帰るかと思って」
『うぅ⋯⋯どうしてわかったのかしら』
(ややこしくなるから天使は乗るな!!)
結局、天使コロンの正体はわからないまま、扇屋家にホームステイ⋯⋯居候を始めた。看板も、看板娘の扇屋ころんのままだ。
金髪ロリコンの天使コロンが看板娘に加わった事で、海外観光客だけではなく、国内からも観光客が押寄せるようになった。忙しさの割に、売り上げは微増なのは観光地あるあるだ。
私はというと、相変わらす扇屋ころんの中に閉じ込められたままだ。何故か言葉が通じる天使コロンが増えたせいで、毎日がお祭り騒ぎだよ。
でもね、私は心に誓っているの。いまは悪霊だ、寄生虫だ、と言われてるけれど、いつか絶対にこの身体を乗っ取って、看板も(扇屋ヘロンの憂鬱)に変えてやるんだからね!
企画主のコロン様より、FAを描いていただきました。ありがとうございました。
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