第六章「異種間交配」
「開場10分前です!」
東陽大学の学生会館視聴覚室前。本郷直樹は緊張した面持ちで北見に報告した。長蛇の列は廊下を曲がって遠くまで続いていた。
「こんなに人が来るとは…」北見は驚きを隠せなかった。
学園祭二日目、『想像力の冒険―創造の源流を辿る―』と題した企画は、予想以上の人気を集めていた。視聴覚室の前には老若男女、多様な来場者が並んでいる。
「入場整理券、足りるかな」村松が心配そうに札束を数えていた。
「足りなかったら二回目上映も考えなきゃね」村上が提案した。
「安藤くん、準備はどう?」高塚が映画研究会の安藤に声をかけた。
「バッチリです!」安藤は誇らしげに答えた。「35mmプロジェクターのセッティングは完了しました。音響も最終チェック済みです」
視聴覚室内では、映画研究会のメンバーが巨大なフィルムプロジェクターを稼働させる最終調整を行っていた。実際の映画館と同じ機材を使用する本格的な上映。それは彼らの夢だった。
大学当局からの補助金と三つの研究会の協力により、『銀河鉄道999』と『銀河鉄道の夜』の二本立て上映が実現したのだ。
「橋本、解説パンフレットは?」北見が尋ねた。
「100部用意した」橋本が眼鏡を直した。「『メディア間越境と物語構造の進化』というタイトルで、両作品の比較分析を載せている」
「難しすぎないかな…」高塚が心配した。
「大丈夫よ」村上が笑った。「私のイラストも入ってるし、山下さんの宮沢賢治解説もわかりやすいわ」
「本郷くんの鉄道技術記事もね」村松が付け加えた。
「あの…緊張します」本郷は顔を赤らめた。初めて一般の人々に向けた文章を書いたのだ。
「心配いらないわ」山下里奈が児童文学研究会のメンバーと共に近づいてきた。「私たちの合同制作、とても良い出来だと思うわ」
三つの研究会が共同制作した特別パンフレットには、それぞれの視点からの解説が詰まっていた。映画研究会による撮影技術とフィルム分析、SF・マンガ研究会による松本零士作品考察と鉄道技術解説、そして児童文学研究会による宮沢賢治の世界観解説。異なる専門性が一つに融合した稀有な資料だった。
「時間です!」安藤が大きな声で告げた。「開場しましょう!」
扉が開くと、熱気と共に観客が流れ込んできた。
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上映後、会場は大きな拍手に包まれた。
「すごかった…」本郷は感動に震えていた。大スクリーンでの『銀河鉄道999』の迫力は、テレビで見るのとはまったく違った。
「やりましたね!」安藤は興奮した面持ちで高塚と握手を交わした。「映画研究会としても貴重な経験になりました」
「こちらこそありがとう」高塚も声を弾ませた。「君たちの技術がなければ実現しなかった」
映写室から出てきた映画研究会のメンバーも誇らしげな表情だった。彼らは本物の映写技師のように35mmフィルムを巧みに扱い、完璧な上映を実現したのだ。
「皆さん、こちらでも大盛況ですよ」
山下が会場入口から手招きした。そこでは三研究会の合同展示ブースが設けられ、同人誌やグッズの販売が行われていた。テーブルには次々と人が訪れ、本を手に取っている。
「うちの同人誌、20部ほど売れたわ!」村上が報告した。
「映画研究会の急遽作った映画技術解説本も人気です」安藤も満足げだった。
児童文学研究会の創作集も好評で、大学祭の来場者に混じって、地域の文学愛好家らしき年配の方々も手に取っていた。
「コミケとは違う層が来るのね」村上が驚いた様子で言った。
「大学祭ならではだな」橋本が分析した。「一般の文化イベントとオタク文化の交流点になっている」
「誰か感想ノート見た?」村松が指差した。
展示ブースに置かれたノートには、次々と来場者からのコメントが書き込まれていた。
「『一般の映画上映でもこのくらい学際的な解説があればいいのに』」本郷が一つのコメントを読み上げた。
「『子供の頃に見た999が、こんなに深い意味を持っていたなんて』」村上も別のコメントを紹介した。
「『宮沢賢治と松本零士の共通点についての考察が興味深かった』」山下も嬉しそうに読んだ。
北見は感慨深げに展示ブース全体を見渡した。「これこそが異なる文化の交流だね。我々の『異種間交配』の実験は成功したようだ」
「また進化論的な言い方ですね」本郷が微笑んだ。
「でも的確だと思う」橋本が真面目な顔で言った。「生物学では、異なる種の交配によって新たな活力が生まれることがある。文化も同じだ」
「異なる視点が交わることで、新しい見方が生まれる」山下も同意した。
販売ブースでは、三つの研究会の同人誌を全部セットで購入する人も現れた。それぞれ異なる視点からの考察と解説を読み比べる楽しみがあると言う。
「これは意外な展開だな」高塚は目を輝かせた。「うちの部誌だけじゃ売れなかったけど、三誌セットなら魅力的なんだ」
「共生関係ですね」本郷が言った。「お互いの弱点を補い合っている」
「まさに文化的共進化だ」橋本が満足げに言った。「異種の接触点から新たな文化現象が生まれる瞬間を目の当たりにしている」
昼下がり、展示ブースに一人の男性が静かに近づいてきた。
「水沢先生!」本郷が驚いて声を上げた。
水沢は無言で三研究会の展示を見回し、同人誌の山に目を留めた。彼は手に取った本をめくり、わずかに頷いた。
「進化の分岐点だ」
水沢の静かな言葉に、本郷は耳を傾けた。
「多様な視点が交じり合うとき、文化は新たな段階へと進む」水沢は続けた。「これは変化の序曲に過ぎない」
「どんな変化ですか?」本郷が尋ねた。
水沢は答える代わりに、一枚の紙を本郷に渡した。それは小さなポスターだった。「第一回JAPAN ANIMEフェア 開催決定」と書かれている。
「来年の春、東京で開催される新しいアニメイベントですか?」本郷は興味深げに見つめた。
水沢はわずかに頷いた。「商業とアマチュアの境界線が薄れつつある。君たちの活動も、大きな流れの一部だ」
そう言って、水沢は人混みの中へと消えていった。
「水沢先生、いつも不思議ですね」本郷は手のポスターを見つめた。
「でも面白いこと言うよね」高塚が近づいてきた。「俺たちの小さな試みが、何か大きなものにつながっているのかもしれない」
「それってワクワクすることじゃない?」村上も目を輝かせた。
夕暮れ時、大学祭の賑わいの中、三つの研究会のメンバーは展示ブースで打ち上げの乾杯をしていた。
「今日の成功に!」北見が紙コップを掲げた。
「乾杯!」
それぞれ違う道を歩んできた彼らが、今、一つの場所に集っていた。SF・アニメ、映画技術、児童文学—異なる種が交わり、新たな可能性が生まれつつあった。
その日の夜、本郷は日記にこう書き記した。
「今日、僕は文化の交差点に立ち会った。それぞれ別々だと思っていたものが、実は深いところでつながっている。水沢先生の言う『進化の分岐点』とは、分かれることだけでなく、新たに出会うことも意味するのかもしれない。この大学祭での経験は、僕の中で何かを変えた気がする。」
窓の外では、大学祭の花火が夜空に咲いていた。
(つづく)