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第四章「同人進化論」

SF・マンガ研究会の部室は、六月の陽射しで蒸し暑くなっていた。窓を全開にしても、古い建物特有の熱気は逃げない。そんな中、メンバーたちは夏のビッグイベントの計画に没頭していた。


「よし、じゃあ夏コミの申し込みはこれで決まりだな」


高塚は一枚の用紙を掲げた。「サークル名:おたぴぽっ☆彡、ジャンル:SF評論・考察」


「原稿の進捗はどう?」北見が尋ねた。


「私のイラストはだいたい完成したわ」村上が自信満々に答えた。「表紙と中表紙、それに本郷くんの記事用に挿絵二点」


「僕のも…」本郷は少し緊張した様子で言った。「『宇宙船技術と鉄道技術の共通点』という題で、下書きはできました」


「橋本の論文は?」高塚が振り向いた。


「『メディア横断的物語構造の進化論的考察』、90%完成した」橋本は眼鏡を直した。「後は参考文献リストの整理だけだ」


「村松、編集と印刷の準備は?」


「オフセット印刷の見積もりを取ったよ」村松は手帳を確認した。「50部で9800円。部費から出せる?」


「何とかなるさ」高塚は頷いた。「大事なのは、夏コミという『祭り』に参加することだ!」


本郷は周囲の熱気に圧倒されていた。入部して二ヶ月足らずで同人誌の原稿を書き、さらに「コミケ」なるイベントに参加するとは。彼の生活は急速に変わりつつあった。


「本郷くん、コミケ行ったことある?」村上が優しく尋ねた。


「いいえ、初めてです」


「楽しいわよ!」村上の目が輝いた。「全国から同じ趣味の人が集まるお祭りなの。ただし、すごく暑くて混むから覚悟してね」


「毎回戦場と化すからな」高塚が笑った。「水分補給は欠かさないように」


「コミケって、いつから始まったんですか?」本郷が尋ねた。


「1975年だったかな」北見が答えた。「最初は同人誌即売会という小さなイベントだったんだ。それが今や数万人規模のイベントになった」


「進化論的には『適応放散』の典型例だな」橋本が解説を始めた。「初期の単一種から、環境適応によって多様な種が生まれる現象だ。コミケも最初はSF同人誌中心だったが、今やアニメ、マンガ、ゲーム、アイドル…と多様化している」


「橋本、また難しいこと言い始めた」高塚は呆れた様子だったが、本郷は興味深そうに聞いていた。


「あの、じゃあ僕たちの同人誌は、どんな『種』なんですか?」


「おお、いい質問だ」橋本は目を輝かせた。「我々は『SF批評種』と『アニメ分析種』の中間に位置する新種と言えるだろう」


「本郷がマジメに聞くから調子に乗るんだよ」高塚が笑った。


その時、ドアが開き、山下里奈が顔を覗かせた。


「こんにちは、お邪魔します」


「山下さん、いらっしゃい!」村上が嬉しそうに立ち上がった。「大学祭の件、どうなった?」


「承認されたわ!」山下は笑顔で言った。「『想像力の冒険 ―SF・児童文学合同企画―』が正式に大学祭のメイン企画として認められたの」


「やったー!」高塚が両手を突き上げた。


「補助金も出るのよ」山下が続けた。「展示スペースは学生会館の大ホール、映像上映には視聴覚室が使えるわ」


「これで機材も借りられる!」村松も喜んだ。


山下は部室を見回して尋ねた。「皆さん、何か作業してたの?」


「ああ、夏のコミケットに出す同人誌の準備さ」北見が答えた。


「同人誌ね…」山下は少し考え込んだ。「うちの研究会も、もっと外に発信したいと思ってたのよね」


「山下さんたちも一緒に作る?」村上が提案した。「『SF・児童文学クロスオーバー特集号』みたいな」


「いいわね!」山下の目が輝いた。「実は私、宮沢賢治と松本零士の共通点について考えてたの」


「それ、私も興味ある!」村上は嬉しそうだった。


橋本が眼鏡を直した。「まさに『収斂進化』の例だな。異なる起源から似た特性が進化する現象だ」


「収斂…進化?」山下は首をかしげた。


「橋本は生物進化の用語でオタク文化を説明するのが好きなんだ」高塚が苦笑した。「気にしないで」


「でも面白い視点ね」山下は真剣に考えた。「文化の発展を生物進化になぞらえるなんて」


その瞬間、部室の奥から声が聞こえた。


「種の起源」


全員が振り向くと、水沢が本棚の前に立っていた。誰も彼が入ってきたことに気づいていなかった。


「水沢先生!」本郷が驚いた声を上げた。


「ダーウィンの言葉だ」水沢は棚から一冊の本を取り出した。『種の起源』と題された古い本だった。


「生物も文化も、環境との相互作用で進化する」


水沢の静かな言葉には不思議な重みがあった。


「それって、同人活動にも当てはまりますか?」本郷が尋ねた。


「同人誌は共有と変異の繰り返しだ」水沢はページをめくりながら言った。「共通の土壌から生まれた多様な表現。自然選択と同じ原理が働いている」


「なるほど…」北見が頷いた。「好まれるものが残り、変化していく」


「そうなのよね」山下も共感した様子だった。「文学研究でも、テキストの受容と変容は重要なテーマなの」


「まさに同人文化の本質だ」橋本が熱く語り始めた。「既存作品の解釈と再創造の繰り返し。作品という『遺伝子』が読者から読者へと伝えられ、少しずつ変異していく」


「お前、それコミケでスピーチしろよ」高塚が冗談めかして言った。


「『同人進化論』、いいテーマじゃないか」北見が言った。「大学祭の企画に取り入れてみては?」


「それいいわね!」村上が賛同した。「SFと児童文学、それぞれの進化と交差を視覚化するような展示にできるわ」


議論は白熱し、メンバーたちはアイデアを出し合った。水沢だけが静かに窓際に立ち、彼らの様子を見つめていた。


「これが『共同体』だ」


彼の言葉は小さかったが、本郷の耳にははっきりと届いた。


この夏、彼らは二つの冒険に挑もうとしていた。一つは夏のコミケット。もう一つは秋の大学祭。どちらも、彼らのサークルにとって大きな転機になるかもしれない。


本郷は自分のノートに「同人進化論」と書き、その下に自分なりのアイデアをメモしていった。彼自身も、この「種」の一部になりつつあった。


(つづく)

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