第12話 お風呂回
俺は日が昇るのと同時に家で軽く朝食を取った後、今日の予定を考える。明日には村から少年が冒険者になる為にこの街にやって来る。俺はその面倒を見る約束をしているので、今日はあまり羽目を外すわけにはいかない。最近生活の乱れが原因で教会に行くことが多い。ヘロヘロの状態で初心者冒険者の世話は出来ない。二日酔いやお腹を壊している者のアドバイスなんて誰が聞くんだって話だ。
そうだな。形から入るか。今日は身嗜みとか整えておこう。ちゃんとしてそうな人間から言われた方が説得力もあるだろう。そうなると風呂と理容室だ。風呂は毎日入っているが理容室は久しぶりである。久しぶりと言っても前回からそろそろ1ヵ月くらいか。日本にいた時と比べるとかなりのハイペースだが、これには事情がある。まともな髭剃りが無いから自分で剃るのがめちゃくちゃ面倒臭いのだ。
電動シェーバーは当然としてスーパーやコンビニで売っているようなT字の剃刀も無い。唯一の手段が薄刃のナイフのような物である。最初はね、俺も「すっげーハードボイルドじゃん」と昔見た洋画のイメージで試したよ。でも日常的にやるの滅茶苦茶面倒臭い。幸い俺はあまり毛深い方ではないので、週一くらいの頻度で自分でも剃って誤魔化し、1ヵ月に1度は理容室でちゃんとする感じだ。
朝から風呂って贅沢に感じる。やっぱどうせなら1番風呂だよな。そうと決めたら早いほど良い。すぐに出かける。結構近所に良い公衆浴場がある。何が良いって清潔なんだよ。異世界なんて不思議な力で何処も綺麗だと思っていたんだが、ここは汚い所はしっかり汚い。
この街には公衆浴場が10以上あり質はピンからキリまである。1回事前情報無しで行った公衆浴場は、浴室に入った瞬間あまりの汚さと悪臭で回れ右で即撤退した。入浴料が銅貨1枚(約100円)だった時点で嫌な予感はしていたんだ。ちなみに今から行く所は白銅貨6枚、銅貨換算で30枚である。30倍の店が凄いのではない、30分の1の値段の方が異常なのだ。
家からだいたい200メートルくらいの距離にある行きつけの公衆浴場にやって来た。外観はマンガや映画で人気だった某古代ローマの公衆浴場的なアレに出てきそうなレンガと石メインで建設された重厚なものだ。出入り口に吊るされた暖簾っぽい布をくぐる。
「はい、いらっしゃーい。あれジンさん今日は早いんだな」
恰幅の良い中年の男性、ここの主であるブライトである。近所なのでもう顔馴染みだ。
「よっ、どう? 1番?」
「いやジンさんは今日の2人目のお客さんだ」
おしい。誰だよ、開店して1時間も経ってないだろ。俺は心中で毒づきながら代金を渡して脱衣所に進む。脱衣所にガタイの良い見張りが2人いる。俺はアイテムボックスがあるから良いが、無い人は見張りがいないと安心して服や財布を置いていけない。こういうところを見て日本の治安の良さを実感する、なんてことはない。日本の銭湯や温泉でも普通に鍵付きロッカーが多い。何処にでも悪い人間はいる証拠だな。
浴室に入って先ず目に入るのが壁のモザイク画である。小さなタイルで構成された白竜の絵が大迫力だ。こっちでは白竜は縁起物らしい。日本人としての感覚では風景の方がしっくり来るんだが、特に富士山とか。
俺は湯に入る前にしっかり体を洗うべく洗い場へ行く。そこには先客がいた。剃髪の老人が体を洗っている。視線が合ったので軽く会釈をして少し離れた場所に腰を下ろす。
「おはようございます。お若いのに朝が早いですな」
「今日は偶々気が向いただけだよ」
声を掛けられたので無難に返す。
「儂のような老人になると朝が早くなってしまって散歩か朝風呂しかやることがなくて、もうここが日課です」
この老人は本当に暇でしょうがないのだろう。こちらの反応も気にせず、とりとめのない話を続けている。
「息子に店を譲って時間が出来て、自分の趣味の少なさに初めて気づきましてね。隠居したのに結局商いに口出しして息子や孫に煙たがられてしまいましてなあ」
「何を取り扱っているんだ」
「薬ですな」
「へえ、店で会ったことがないから冒険者向けの店じゃないんだな」
「ええ、冒険者向けの店のように外傷用のポーションや毒消し中心の品揃えではなく、病やその予防の為の薬が多くなっとります。それにしてもやはり冒険者なんですなあ。この浴場では珍しいので、どうなのかと思ったのですが」
まあ男の冒険者で風呂に金を掛ける奴は少ないよな。風呂で多めに金を出すなら、風呂は風呂でも特殊浴場的な所に行くのが一般的な冒険者だ。ここみたいなお高めの公衆浴場の客層は裕福な商人などだろう。それで珍しくて俺に声をこんなに掛けて来てたのか。
「ここは家から近いし清潔だから良く来る」
「ほう、近所なんですな。ウチの店にも来ていただければ何でも融通しますよ。一線を退いてから今まで取り扱いをしていなかった珍しい物にも手を出しているのでどうぞお越しください。商業区の大通りにある杖と天秤の看板の店となります」
「近いうちに顔出すよ」
それなりに金を持っていると値踏みされたようだ。まあ健康食品や痩せる薬なんかあれば試そうかな。さて体も洗い終わったし、髪も洗うか。なんとここにはシャンプーがある。
「儂にはもう必要ない物ですが、良い商品ですな。ウチでも取り扱っとります。3代前の聖女様の広めた物なんですが、しかしアレですな」
言葉は濁したが「なんで聖女がこんな物作っているのだ。他に役目があるだろ」と言いたいようだ。この世界では現在聖女の地位が著しく落ちている。ここ何代かの聖女がやらかした影響だ。魔王との戦いへの協力を拒否したとか、婚約者のいる男性を誑かしたとか色々噂は聞いている。
「しかし3代前は良い噂も結構聞くけど、な」
「魔王軍との戦いに消極的でしたが、様々な物を発明したり広めたりして聡明で美しい方だったらしいですな」
俺はあまり聖女達を責める気になれない。この世界では評判の悪い聖女だが、彼女達はこの世界の神が用意した転生者や転移者だ。驚くことにこの世界の神は、俺以前の転生者や転移者を顔で選んでいたらしい。美人や美少女にしか興味ないんだってさ。とある乙女ゲーの世界に転生させてあげるとか、甘い言葉で騙くらかして連れて来ていたようだ。そら、いきなり戦えとか言われても無理だって。
戦力を求めているんだったら戦いに向いた奴を連れて来いよ、それかせめて戦う気のある奴を。当初の目的である魔王への対応が出来ず、神は聖女による解決を諦め男を呼ぶという苦渋の選択をした。こちらの世界に呼ばれた時に本人から言われたのだが、苦渋の選択って失礼だろ。どんだけ男嫌いなんだよ。だが最終的に連れてこられた俺は役目を果たすこともなく現地の人間が魔王を倒してしまったわけだ。なんだかなあ。
「俺とその聖女の生まれる順が逆だったら良かったのにな」
「腕に自信がおありのようで」
実際のところは分からない。一応ガチれば魔王を超えられるタイプの特典は貰っていた。単純な成長限界を突破出来るというものだ。しかし強くなるのに時間が掛かるので先を越されてしまったわけだ。まあ、もし魔王を倒していたら今みたいなお気楽な生活は出来ないので結果的には良かったのかもしれない。
「もし魔王が復活して他にヤれる奴がいなかったら俺がヤるよ」
その時、俺が生活習慣病に負けていなかったらな。老人は冗談と受け取ったのか笑っている。髪も洗い終わりやっと湯に浸かれる。一番風呂とはいかなかったが、ほぼ一番風呂ということで気分も清々しい。広い風呂でゆっくり浸かるのは何故こんなに気持ちが良いのだろうか。あ、魔王を倒すメリットあったわ。自宅に広い風呂を作れる。




