#最終話
#最終話
首から吊った三角巾をむしり取る。包帯は致し方ないが、この大げさな格好じゃいつぞやの小仲と変わらない。
すうっと一つ息を吸うと、ドアフォンを鳴らす。扉が開くと同時ににぎやかな声が廊下に漏れ聞こえる。
「お帰りなさーい!!もう、哲平さんたら遅いんだから。お姉ちゃんなんか機嫌悪くて大変!!」
「誰が悪いですって!?加奈子、いい加減なこと言わないで!!」
台所から叫ぶように、理香子の怒鳴り声が聞こえてくる。
ほらね。くすくす笑って、製薬会社の社長令嬢は哲平の耳元で内緒話をするかのように口を近づけた。
「お姉ちゃんね、三日前からお料理の仕込みで大騒ぎだったんだから」
そら、楽しみだな。哲平も思わず頬がゆるむ。
変わらぬ白い部屋。人の気配。温かい空気。ここには、あの街にないものが確かにある。逆もまたしかり。おれはどちらにも属せぬコウモリか。
「料理って、ここで作ったのか?道具は…」
「大丈夫、みんなでここで仕上げたの。調理器具だってうちから持ってきてあるわ。もう大丈夫なのでしょう?」
屈託のない、加奈子の笑顔。そう…だな。大丈夫だと誰もが信じているんだな。
「ちょっと、加奈子も手伝いなさいよ!何もしないでおしゃべりばっかりして」
「あら、サラダは私も作ったのよ?小仲さんなんか、味見しかしないし」
小仲?何であいつまでいるんだ。
「あ、お帰りなさい、津雲先輩!」
にこやかにソファから立ち上がる小仲の手には、確かに皿がしっかり握られていた。
「先輩は止めろ、気持ち悪りい」
いえ、けじめはちゃんとつけないと。そのときだけは妙に真面目な顔だったのは、本人なりに宣戦布告のつもりか?
「こら!小仲!!それは大事なメインにするからって言ってあったでしょうが!?」
呼び捨てか。ずいぶん仲のいいこって。ニヤニヤする哲平に、キッチンから出てきた理香子は顔を赤らめた。
「そうなんです。ここまで距離を縮めるのに苦労したんですから。まあ津雲先輩のつけいる隙はこれでもう…」
黙って小仲にハイキックを決めるは、もちろん理香子だ。彼女は目ざとく哲平の腕の包帯を見つけると、どうしたの?とすかさず問いただす。
「はん、ちょいとバイクでこけてな」
「もう、無茶ばっかりするんだから」
ほんの少し含まれる甘い香り。柄にもなく哲平が視線を外す。照れてる訳じゃねえぞ、ふざけんな、こんなお嬢ちゃんに言われたくらいで。
「じゃあ、僕に海外取材の極意をですね、津雲先輩!!」
割り込むように顔を突き出し、小仲が牽制するかのようにいいムードを壊しにかかる。それを見て加奈子がきゃあきゃあ笑い声を上げている。
幸せそうな笑顔が、ここにはあふれている。そして…。
「お帰りなさい、哲平さん」
部屋の奥から、ゆっくりとこちらに歩いてくるのは…涼やかな笑顔と賢しさをたたえた淡い瞳の、綾也。
「よお、久しぶりだな」
哲平の脳裏をかすめるは、先日まで滞在していた彼の母親の生地。イギリスの穏やかな田園風景と乾いた風。そして手がかりを見つけるために走り回ったロンドンの街並み。
ああそうだったな。おれはこいつの、こいつらの笑顔を守るために闘っているのだったな。
全く、人助けなんざ性に合わねえや。
哲平は苦笑いをすると軽く頭を振ってから、忘れかけていたやわらかい空間へ、綾也たちの輪の中へと入っていった。
< 了 >
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