表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

#5

#5



気づくと哲平は世田谷通りから環七通りへと曲がっていった。このまま右折すれば向かうは新宿、そして歌舞伎町だ。


…何もわざわざ、ヤツらのテリトリーとやらに向かわずともいいものを。


自嘲気味に口元をゆがめる。どれだけヤツらにとって馴染みがあろうが、あの街はおれにとっても特別なんだよ。路地の一本一本がな。


めんどくせえから振り切ってやる。哲平がどれだけスピードを上げようとも、腕がいいのか四台のバイクはぴたりとついてくる。原付は…さあ、どうだかな。

早くPCでもパンダ(どちらもパトカーの意)でも何でもいいからやって来てくれ!本店の交通プレゼンは終わっちまったのかよ!!


薄闇の中、サングラスをむしり取る。ノーヘルの目に直に風が当たる。警察が本腰を入れて新宿を取り締まるとしたら、こんな早い時間ではないのだろう。





身体ごと道路すれすれにバイクを倒して、カーブに突っ込む。


会社帰りの通行人で溢れかえる駅が遠目に見える。彼は靖国通りの高架下に差し掛かっていた。




信号は青からゆっくりと黄、そして停止信号へと変わろうとしている。

赤になった瞬間に、歩行者は群衆となって進み始めるだろう。ぎりぎりの隙を突いてすり抜けてやる!





しかし哲平は何を思ったか、まさに黄色から赤になるその直前で必死に急ブレーキを掛けた。ギュルギュルギュルと空回りするタイヤの音と白煙。彼はそのままバイクを乗り捨てると、脇の通路を駆け出した。




不意に怖くなったのだ。後ろの連中が。




哲平自身が己の身を怖がるはずもない。そうではなく、悪意も殺意も自覚さえない顔のない連中は、たとえどれだけ歩行者がいようと赤信号であろうがなかろうが、哲平のバイクを追い続けるのではないか…と思い至ったのだ。


群衆が何人なぎ倒されようとも、こいつらにその痛みが伝わるだろうか。

大量殺戮ゲームのように、いとも簡単に跳ね飛ばしてしまうのではないか。それを思うとぞっとした。





急に止まったバイクに、さすがのチェイサーたちはたじろいだ。人々の群れはうまい具合に哲平を覆い隠し、いくら同じように自らの足で追いかけようにも視界は全く失われていた。それに、彼らにとっては大事なバイクなのだろう。ためらう間に距離は広がるばかりだった。


哲平はそのチャンスを逃さぬように、見慣れた景色にとけ込んでゆこうとした。歌舞伎町一丁目、人がすれ違うのもやっとなくらいごった返したゴールデン街。そしてその裏通り。





ここまで来ると、異国の香りすらする。実際住む者のほとんどが東洋系である。

入国管理局の出張所が置かれるようになってから、確かに不法滞在外国人は激減したが、何のことはない。地下深く見えなくなっただけのことだ。


建ち並ぶ店から薫る香辛料は、日本のどれとも違う。店前で大声を出し、ケンカでもするかのように世間話に興じる中華系の男たち。のんびりと丸椅子に座り、たばこを吹かす老婆。一見の客が足を踏み入れることもできない、独特の熱気で満たされた空間。


そこまで逃げ込むと、哲平はようやく足を止め、肩で息をした。





「どしたね、哲。またおまわりさん追っかけられてるか?」


顔なじみの店主が朗らかに声を掛ける。


「人聞きが悪いだろうがよ、劉老師。おれは綺麗さっぱり潔白の身よ~。ちっとばかし血の気の多いガキどもと、運動がてらね」



苦笑いで応える。三十過ぎるとおっかけっこもきついねー。飲んでくか?いい具合つけ込んだ酔蟹ズイシエうまいよ。


どこの国でもどんな人種の輪の中へでも溶け込める。それは哲平の特技であり、同時に、彼の本当の居場所がどこなのか、輪郭がどんどん曖昧にぼやけていくことにもつながる。





ほうっと息を吐き出し、ようやくリラックスした哲平の耳に聞き慣れた音。


テトテトテト…。


さすがの哲平も予期せぬその音に、驚いて振り向く。


そこには原付に乗り、律儀に半端なヘルメットを頭に乗せた順一がいた。

ミニバイクを止め、ゆっくりと降りる。彼はまっすぐ哲平を睨み付けた。





「逃げ切れたと思っただろうが、残念だったなおっさん。オレだってここは長いんだよ。あんたが逃げ込む先なんてたかがしれてる。路地ばっかのこの街で、人を追い詰めるには原チャがいちばんだ。でけえバイクはここまで来れねえ。オレをさんざんバカにしてくれたがな、あんたが幅を利かせてた時代はもう古いんだよ!!」


そう…だな。珍しく素直に哲平は同意した。確かにおまえの言うとおり、原付でなきゃできないこともある。おれは古いのかも知れないな。


「吉田さんも、その上の松本さんも、あんたの名前を出すとビビってたよ。でもオレにはオレたちには、ただのおっさんだ。流儀だ仁義だと、訳のわかんねえ昔のヤクザみてえな理屈はオレたちには通用しねえぜ?アッタマくんだよな。歳が上ってだけで偉そうに」


哲平は身じろぎもせず、吐き出すような彼の言葉を聞いていた。


「素手で倒すのがそんなにすごいのか?今どきタイマン張るヤツなんてどこにいますかあ?ばっかじゃねえの。どんな手でも勝ったもんがちなんだよ!!道具があればそれを使う、人を集めてボコボコにする。弱いヤツを見つけたら徹底的にカモにする。かっこつけて飢え死にするより、手っ取り早く勝つことを考えた方がいいんじゃね?」


必死…だな。一言だけぽつりと哲平がつぶやく。順一はさらに激昂した。


「うるせえよジジイ!!てめえだってきったねえ大人と同じじゃネエか。やり方違っても結果は同じ。てめえの手だけがキレイだなんて抜かすなよ!」


何に腹を立ててるんだ?そっと哲平が訊く。こいつの心が読めない。おれはテレパスでもサイ能力者でもねえ。だが相手の匂いを感じることはできる。できると信じていた。しかし、理屈の通用しない相手が増え続けていることは確かなのだ。


「おれがおまえの大切な仕事を邪魔したからか。だったらいいさ、わからなくもねえ。だがそうじゃないんだろう?素手でねじ伏せたからか、それとも見下していた田舎者たちの前で恥をかかされたからか?」


「説教されたからだよ!!」


まるで泣いているかのように、順一は大声でわめいた。本人に自覚などないだろう。しかしそれは幼い子が地団駄を踏むのと同じ、甘えにも似た叫び。





何もわかりもしないくせに、偉そうに言うな。大人のおまえにおれの気持ちの何がわかる?上から目線でものを言うな。おれを見ろ。世間一般のガキじゃなく、目の前のおれを見てくれ。


おれのことをちゃんとわかってくれ、わかってくれ!わかってくれ!!





ほう。哲平は目をつぶり息を吐いた。やっと、こいつの実態が像を結んだ。生きている生身の人間だと、ようやく納得できた。収まりの悪い気持ち悪さから解放された。


形は違う、見た目も行動も違う。理解できないと切り捨てることは簡単だ。だが、向き合えば伝わってくる。さっきまでただの符号にしか過ぎなかった無機質な順一が、血も通えば思いもある有機体であることに、哲平は安堵したのだ。





そのため息を、バカにされたとでも思ったのだろう。順一は常に持ち歩いているらしいナイフを取り出した。哲平が取り上げたバタフライではなく、殺傷能力のより強い両刃のダガー。


「哲!これ貸そか?」


劉が料理用の月牙刀を持ち出す。それに、ラーメン作ってんじゃねえんだ!!と明るく返す。

周りの中国人たちはニヤニヤと眺めるばかり。もちろん哲平の実力をも知ってはいるが、いざとなれば店の奥から何の刀が出てくるかわかりはしない。


順一の肩が上下する。握りしめたダガーの切っ先も細かく揺れている。はたき落とすことも蹴り込むことも簡単だ。だが、哲平はそうしなかった。切なく哀しいまなざしで見つめるだけ。





「おまえ…、人を刺したことがあるか?人に…刺されたことはあるのか」


「ヤキならいくらでも入れられたよ!毎晩な!!あんのクソ親父がオレを殴る蹴る、そのうちバットだよバット!!オレには素手でなんかもったいないんだと!頭から血ぃ流しても誰も何も言わねえ。

しまいには雪だまりのできてる外へ放り出す!このままあの家にいたら、オレは死んじまうと思ったんだよ!!」


同じ地方出身者…あれは嘘ではなかったのか。哲平の瞳がさらに歪む。辛そうに。


「でもオレが悪いんだそうだ、全部な!!正座させられて酔っぱらい親父の説教。少しでも足を崩せばバットで殴りつけられる。わかるかてめえに!!」


ここでいくら、おれほどわかる人間もいないだろうと言ったところで、こいつの心にはこれっぽっちも届きはしない。

順一は、いったい今まで、誰に自分の思いをはき出せたのだろうか。相手を同じ目に遭わすのではなく、こうやって言葉で辛さを悔しさを怖さを、そして悲しさを。





「劉老師、大李。他の連中も頼むから手を出さないでくれよ」


日本語も達者な彼らは、哲平の声を受けてただ黙って二人を見守る。先ほどまでの笑いも消え、思うは切なさばかり。


「何でビビらねんだよ!!このダガーは密輸もんだぜ?刃もなまってなけりゃニセモノでもねえ!土下座して謝るなら今だぜ!?」


いつもの哲平なら、引っ込みがつかなくなる前に相手をなだめているはずだった。ただ粋がってビビっているのは順一の方。それでも哲平は何一つ言えず、動くこともできなかった。





とうとう、ぐああああと、獣じみた声を上げて順一が走り出す。周りは止めるか止めまいか、息を飲む。





哲平はまだ動かない。避ける気も見せない。

目を堅くつぶったまま突進する順一のダガーは、まっすぐ哲平の胸を狙ってきた。


何手先も読める棋士同士の闘いなら、無茶はしない。だが素人はどんな負け戦でも突っ込んでくる。

その怖さも十分知ってはいた。手加減などできるはずもないだろうということも。





しかし、何かが哲平の心をやりきれなさでいっぱいにしていた。


ここにいる順一は、あの頃のおれだ。ここに来るまでに誰も救えなかったのか。ああそうさ、しょせんは誰も救ってなどくれないのだ。





哲平の身体に、ダガーの切っ先が届くその瞬間…。





彼はとっさに右腕で胸をかばった。身体ごとぶつかってくる順一を受け止め、哲平も後ろへと後ずさる。





ダガーは深々と彼の前腕に突き刺さった。





「ううっ」


ぐっと奥歯を噛みしめて哲平が声を抑える。順一の方が目を見開き、驚愕の表情を浮かべる。


どうして…どう…し…て…。声にならないつぶやき。





ゆらりと周りの空気が揺らめき、顔なじみの店主らが本来の気性をあらわにし始める。


思わず引き抜いてしまった順一が、ダガーを握りしめて震えている。


「不要动手!!」


中国語で「手を出すな」と叫ぶ哲平に、周りの人間の動きが止まる。





流れ出るおびただしい血を押さえようともせず、息を荒げて哲平はまっすぐに順一を見据えた。



(つづく)


北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ