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#4

#4



その日、哲平は早くから世田谷にある大宅文庫で資料と格闘していた。閲覧制限のある貴重な雑誌をどかっと机に置き、いささか行儀の悪い格好で丹念に読み取ってゆく。

コピーサービスももちろんあるが、他人の書いた文章の羅列など彼には意味をなさない。




必要なのは、キーワード。




彼の直感で重要だと思われる言葉一つ一つを、あまたの情報の中から集め出し、それを線で結んでいく。もちろん知的作業としては多分に興奮させられるゲームではあった。今までは…。


気づいているつもりだった。自らの書き上げた記事の向こうには、生身の人間が居ることを。

しかし記事は消費されていく。めまぐるしいほどのスピードで。


昨日載っていた社会面の小見出し記事を、今日覚えているヤツがどれほどいるだろうか。


けれど、当事者にとっては一生続く罪の烙印。


柄にもなく哲平は、奥底からため息をつくと背もたれに寄りかかった。小さい文字を追い続けた目が疲れ切っている。




…おれも当事者だと思っちゃいたが、まだまだ甘かったな。




実父を刺した傷害事件も実刑を食らう羽目になった恐喝も、ほんの少しばかり新聞の片隅に書かれただけだ。


被害者の息子が手を下したという符号。そして後に起こした事件の犯人、津雲哲平。


あれ以来、活字はおれにまとわりつき、人生なんてもんをがらりと変えた。

今度はおれが、誰かをつけ回す活字に成り下がっているってのも皮肉なもんだな。


報道されぬ真実。泣き叫んだ方が勝ちだ。近くで現場を見ていた者にとっては、あまりのねつ造ぶりに記事を切り裂きたくなる。


それでも、救えるはずだ。救えたはずだ。たとえそれが、目眩すら感じるほどの広大な砂漠に、一粒落ちた砂金だとしても。

化石へと昇華してしまったこの記事の海の中から、求める真実を見つけ出すことができるのか。このおれに。


情報は、見知らぬ誰かの下世話な好奇心を満たすためのものじゃない。


苦しみのさなかにいる当事者が、真実によって自分を取り戻す作業。それへの支えになればいい。ほんのわずかばかりの力しかなくとも、だ。


今調べていることが、誰を救うことになるのか。それは哲平にさえわからなかった。


…だけどな、おれは昔から往生際が悪いと言われ続けてたんだ。あきらめねえぜ。


短い髪をかき上げると、彼はまた資料の山へと向かっていった。





昼前にはここに来ていたはずだ。しかし外はもう薄暗く、かなりの時間を図書館で過ごしていたことにようやく哲平は気づいた。


すっかり凝ってしまった肩をほぐすように、首を回しながらその辺をぶらぶら歩く。都立松沢病院の木々が、美しい緑の葉を茂らせている。


十数キロ離れただけで、新宿とは全く趣の違う街。静かさをも内包して東京という都市は膨れ続ける。


寂寥の世界にいられたら…儚い夢。





彼の心をわずかにかすめた色即是空は、バイクのエンジン音にあっさりと破られた。哲平にとっての現実は、どうあがいても騒々しいこちら側の世界。


足を止めた彼の前には一台の大型バイクが行く手を阻む。


フルフェイスのメットをかぶる男が指で合図をすると、またたく間にその数は五台にと増えた。殊勝にもマフラーは改造していないようだ。爆音はしない。いろいろと音を立ててはまずいことに手を出しているって訳か。


哲平はオートバイに囲まれ、その禍々しいライトに照らされ続けた。いつぞやとは反対にグラサンをそっと掛ける。


目は大事にしないとな。さあて、いつ狙われてもおかしかねえおれにとっては、敵が誰だかさっぱりなあ。

心の中でひとしきりこぼす。正直、面倒くさいことにならねばいいがと思いつつ。


組関係か政治団体か。それなら何とでもなる。宗教関係者となるとチトやっかいだが、そんなふうでもねえな。

頼むからおれが今、必死にかぎ回っているあいつらでないことを祈るよ。こんなに早く面が割れちゃあ、やりにくくて仕方ねえ。


哲平は身体中を弛緩させ、腕を何度か振った。わずかに腰を落とし攻撃に備える。

こっちは丸腰だ。七百五十とマラソンなんかしたかねえぞ!





そのとき大型の隙間を縫うように、一台の原付が姿を見せた。


テトテトテト…。その軽い音に哲平は思わず吹き出した。おいおい、頭数そろえるために原チャリまで持ち出したのか?


髪を乱さないためなのか、ちょこんと乗せただけのメットの下は、ぎらつく瞳。

あの夜、歌舞伎町でねじ伏せてやったキャッチか。はん、ちょっとばかりでも緊張して損したな。

哲平は警戒を解くと、くくっと笑い出した。案の定、男が食らいついてくる。


「何がおかしいんだよ、このジジイ!!」


「てめえにジジイ呼ばわりされる筋合いはねえな。たしか…順一とか言ったな。悔しくないのかおまえ。周りがみんな限定解除、てめえだけ原チャ。族でも何でも気取るんなら、本気で教習所なり一発検定なり受けてみろよ」


哲平の笑いは止まらない。順一は顔を真っ赤にして、かぶっていたメットを地面にかなぐり捨てた。


「それ以上笑いやがったら、ただじゃおかねえからな!」


「ほう、おもしれえ。ただじゃおかねえならどうする気だ?」


彼はすでに腕を組んでニヤニヤしていた。若くて力がないくせにイキがる。気持ちだけが尖りきっているのに何もできない。まるで焦燥感に駆られて暴れまくっていた、あの頃の自分を見ているようで、笑えて仕方がなかったのだ。


「こないだは吉田さんがいたから我慢してやったんだ。ここにはジジイの知り合いもいねえ。住宅街だから助けも来ねえ。ナイフがダメでもいくらでも方法はあるんだよ!」


「てめえのチンケな面目を潰したからって八つ当たりか?キャッチにはキャッチの流儀ってのがあるだろうが。金持ってそうな、あわよくばネエちゃんとっつうエロ親父からだったら、いくらでも搾り取れよ。見栄っ張りのお偉いさんを、てめえの舌先三寸でうまく店まで引っ張り込んでみせたら、おれはおまえを見直してやるよ。だがな、あんなチョロい素人仕事をおれの目の前でやるんじゃねえ!!」


順一は怒りで身体中を震わせていた。ドスのきいた哲平の声に、何と言い返せばいいのか混乱しているかのように。





「このままサシで勝負するんなら、受けて立つぜ?」


せめてそのくらいの気負いを見せてくれるのなら、そう期待した。しかし順一は黙ってヘルメットを拾い上げると、原付にしっかりと乗り直した。


「何、格好つけちゃってるんだか知らないけどさ、おっさん。あんたアタマが昭和だろ?雑誌の記者だっつうからネットの裏サイトでバアッと呼びかけたら、まあいろいろやってんのな。ヤクザ映画の見過ぎじゃね?」




なん…だと?このガキ…。




「どこにいるかなんてな、すぐわかったぜ?オレたちの情報網を甘く見るなよな」


はん、誰に向かって口を利いているつもりだ?天下の津雲哲平に向かってよ。


「おっさんはあんとき、偉そうにナイフで刺せば相手は痛いと言ったよな。わかってるさそんなこと。殴ったって自分の手も痛いだけだ。だからオレたちは、直接手なんか使わねえんだよ!!」


その言葉を合図にでもしたかのように、すべてのバイクが火を噴いた。スロットルを開き、哲平の周りを走り始める。うめえもんだ。こんなに小回りが利くんなら白バイ隊にでもしてやりてえよ。


おれを跳ねとばすつもりか。痛めつける程度で止める気はなさそうだな。今どきの若い奴らは加減を知らねえ。そうつぶやいてから、哲平は苦笑いをした。こんなセリフを吐くようじゃ、おれも本当にジジイの仲間入りか。


バイクはどんどん間合いを狭めてくる。そして一台、また一台と哲平に向かって突っ込んでくる。それをさっと避けてかわすと、彼は脱兎のごとく走り出した。しかしここは閑静な住宅街で、込み入った路地などはない。大型バイクで挟まれでもしたら終わりだ。


「どうする気だ!?おっさん。いつまでも走って逃げる訳じゃねえだろうなあ。それともバイク相手に合気道ですかあ」


エンジン音に負けじと、順一が声を張り上げる。そこへげらげらとした笑いが被さる。

これじゃいつまで経ってもらちがあかないことは目に見えている。


哲平はその辺のコンクリート塀をぱっと蹴ると、バイクの方へと向き合った。

大型車はスピードを緩めない。その延長線上には、黙って彼らを見据える哲平の姿。


「早く這いつくばって謝って見せろよ!!そしたら許してやってもいいぜ!?」


その向こうから順一の声が響く。哲平は動かない。

こいつらからは殺気も殺意も感じられない。あるとすれば…ただのゲーム感覚か。ラスボスを倒してエンドロール。やってらんねえな。


ぎりぎりまで引きつけておいて、哲平は横から一台のバイクに乗る男へと飛びついた。不意を突かれてそいつの手がスロットルから離れる。二人はもみ合いながら横倒しになった。


バイクがタイヤをきしませながら、ズザアと滑る。


哲平は素早く立ち上がると、バイクを引き起こしす。それにさっと跨り、クラッチレバーを強く握ると左足で思い切りペダルを蹴った。




とたんに生命を吹き返すバイク。




「悪いねー!借りるよー」


高らかに宣言すると、哲平はそのままアクセルを開け、フルスロットルの状態にまで持って行く。


「あ…んの、ジジイ!!卑怯だぞ!!」


「ばーか。三十六計逃げるにしかず、だ!!勝てない戦はしないのが、無敗の必要最低条件なんだよ!ここ大事だから覚えとけ!試験に出るぞ!!」





何やらわめき返す順一の声が一瞬だけ聞こえた。しかし、哲平はひさびさに頬へと受ける風に爽快感を味わっていた。


…前に乗ったのなんざ、いつのことやら。


ただのツーリングならな。ったく、後ろからブンブンうるせえこと。

哲平になぎ倒された男も、別のバイクの後ろへと素早く乗り、ぴったりと先頭を行く哲平についてくる。


彼は猛スピードを出したまま、警察署を避けて大通りへは出ず、一本奥まった道路から世田谷通りへと向かっていった。





風が心地よい。


このままずっといられたら。柄にもなくそんな思いを抱きながら、あてもなく哲平は走り続けた。



(つづく) 


北川圭 Copyright© 2009-2010 keikitagawa All Rights Reserved

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