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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

成り上がり男爵令嬢は金貨がお好き

いつか神の御許へ還るまで

作者: たろんぱす

こちらは「成り上がり男爵令嬢は金貨がお好き」シリーズ三作目、ケイティの物語となります。今作の恋愛要素は少ないですが、シリーズ通してジャンルを「異世界 恋愛」で揃えております。ご了承下さい。


R15設定ですので細部の表現は避けているつもりですが、ケイティの職業は娼婦である為ご不快に感じるシーンがあるかと思います。その際は我慢して読み進めずにバックして下さいますようお願い申し上げます。

また、ケイティではなくレオン&チェルシーの所だけ読みたいな…と思って下さった方。***(区切り)三個目からレオンが、終わりの方でチェルシーが登場します。スキップして頂いてもストーリー上大丈夫だと思います。


よろしくお願いします。


「いたたたた…頭痛い」


 二日酔いに痛む頭を抑えて、私はベッドから起き上がった。埃っぽいシーツに伸びる剥き出しの脚に、昨晩の記憶を辿る。


「昨日の相手は…そうよ、エヴァン」


 久しぶりにチェルシーの父親に再会したんだった。


 回らない頭でぼんやりと昔を思い出した。




***




 あたし、ケイティが娼婦になったのは17歳の時だった。


 小さい商家に産まれたんだけど、潰れちゃったのよね。パパは見栄っ張りで、借金で首が回らなくなるどころか身動きできなくなるまでその事を隠してた。

 借金の形にあたしが連れていかれるその時も「絶対大丈夫なはずだったんだ!多分なんとかなるから!」って叫んでた。

 あたしは泣きながら「いつも偉そうだったのに、パパってバカだったんだ」ってすごくガッカリしたっけ。




 あたし的に良かったなって思ってたのは初体験を済ませていた事。店の従業員でカッコよくて憧れてた人に捧げたの。まあ、そいつは店が潰れる寸前に姿を消した最低野郎だったけど。

 納得してあげたんだから、まぁいいのよ。


 でも娼館へ売り飛ばされて、検査をうけたら「なんだ中古品か」だって!

 悪うございました!いいのよ、初めてがクソオヤジとか御免だもん!


 高級娼婦として売り出すには教育が足りてない、新品でもないあたしには小さな部屋があてがわれた。ベッドとサイドチェストしかない、本当にする為だけの部屋。

 客が居ない時は姐さん達の世話をする。そうしてウロチョロして、客の目に止まる様に振る舞う。上客を横取り出来ればラッキーだし、指名して貰えれば指名料が上乗せされる。


 あたしが付いた姐さんは元々お貴族様だったんだって。

 真っ白い肌に赤い唇で、柔らかな金髪に長いまつ毛に縁取られた緑柱石の瞳。口調はゆったり、おっとりしていて柔らかな物腰だった。

 頭の天辺からつま先まで洗練されててお人形みたいなのに、意味深な視線ひとつで男を惑わせる様はギャップがあって、女の私でも見惚れる時があった。

 娼館でダントツ一位の姐さんを、あたしは必死で真似た。「滑稽だわ」って同僚に嘲られたって、無意味だなんて思わなかった。

 とにかく借金を返さなければ。




 そうしてちょっとずつ客が増えて、努力の甲斐あり一年で中部屋へと移動した。


 大部屋へは行けなかったけど、それでも安定して指名客がつくようになり、私は五年で借金を返し終わった。それから更に一年貯金をしながら働かせてもらって、23歳の時娼館を出た。


 私の部屋にはぴちぴちの16歳が入るそうだ。私は正真正銘の中古品になった。




 しばらく暮らせるだろうお金を抱え、私は生まれて初めてひとり世間に放り出され戸惑った。

 住処の探し方、仕事の見つけた方、どれひとつとってもわからない。宿の相場は幾ら?一回のご飯にどれだけお金を使ったらいい?




 一年もかからずに私は再び娼婦になってしまった。それ以外の生き方がわからない。誰も教えてくれなかった。

 きちんと部屋がある娼婦は店に来る客を待っていればいいが、ひとりでやるには街に立って自分で客を捕まえて来なければいけない。

 美しく清潔感を保つ為の絹の下着や香水を自分で揃えて管理するのは大変だったけど、そうしなければ病気が無くお金を持っている上客が捕まらない。

 上客は大抵ホテルへ連れてってくれる。道端で相手しない為には粧し込むしかなかった。




 この時出会ったのが、後にヘッダ男爵となるエヴァンである。




 とても気前の良い男だった。金払いはいいし、する時はいつもホテル。服やアクセサリーもプレゼントしてくれた。愛人にしてくれないかなー、なんて思ってたけど、半年ほど経つとエヴァンは気移りして若い女の方に流れていった。ムカついたけど、貴族相手に追いかけて揉めるのも面倒で、新しい客を探し始めた。




 だけどそれはうまくいかなかった。妊娠したのだ。

 産むなんて想像もできなかったけど、降ろすのも怖い。娼館で何度か堕胎した仲間がいたけど、予後に体調を崩す者が多かった。そのまま血が止まらずに亡くなった娘もいた。

 頼る親も友人も居ない。悪阻に苦しみながら迷い、怯えている間にも胎の子はどんどん育つ。


 私は不安を紛らわす為に、開き直って妊婦を売りに客を取った。そういう好き者は何処にでもいるし、背徳感からか何時もの倍ぐらい払ってもらえた。

 自分でもサイテーだってわかってる。でも情緒不安定なのか、独りでお腹を見下ろしてると涙が止まらない。やり場のない気持ちが、誰かといると少し慰められたのだ。


 とても粗雑な扱いをしてしまったのに、赤ちゃんは元気に産まれてきた。独りきりの部屋、痛みで呻く中、血まみれで床に滑る様に出てきた我が子に再び泣けた。

 痛いし苦しいし、動けないし震えは止まらない。最低よ。血溜まりで泣く赤ちゃんはちっとも可愛くない。


 呼吸が整ってから手拭いで顔を拭いてあげた。沸かし置いといた湯はすっかり冷めてしまい、沸かし直す。使い古したシーツで這う様に床を拭いて、とりあえず汚れが広がらないように片付けてから赤ちゃんを湯に浸けた。


「私なんかの元に産まれてきて、可哀想な子…」


 綺麗に洗って服を着せていると、子供の頃に大好きだった着せ替え人形を思い出した。不安や憂いを知らない無邪気で楽しかったあの頃。


「チェルシー…貴女の名前はチェルシーよ」


 あの頃のお人形の、名前を付けた。








 チェルシーの首が座って夜泣きが減ってきた頃、仕事を再開した。オムツの世話や片付け、短い睡眠時間にも慣れてきたし、何より授乳した後チェルシーは2時間以上よく寝てくれるので出来ると判断したのだ。


 蓋を付けた箱型の荷車にチェルシーを寝かせて連れ出した。

 贅沢は言わない。路上もやむを得ない。蓄えは目減りする一方で、生きていく為にお金が必要なのだ。綺麗な服を着て髪型を整えておけば、それなりに清潔感のある男が相手してくれた。

 毎日客が取れるわけじゃない。絹の服やアクセサリーもちょっとずつ手放して、確実に生活は苦しくなっていく。


 チェルシーは2歳くらいにはこちらの言う事を理解し始めて、「ママが開けるまで出てきちゃダメよ」と言うと、素直に守った。

 チェルシーが初めて喋った言葉は「まま」だし、初めて話した文は「ままだいすき」だった。家にいれば鬱陶しい程ずっとくっついてるのに、仕事中は我儘言わずに我慢して待っててくれる。


 チェルシーは街で見かける他の子より、手はかからないしずっと良い子だと思えた。私には勿体無い程だ。




 問題が起きたのは、チェルシーが5歳の時だったと思う。

 事後の気怠い中スカートを整えて、少し離れて置いていた荷車へ向かうと、蓋が開いていた。


「…っ!?チェルシー!?」


 慌てて見回すと、ひとつ先の角に隠れる様に小さな後ろ姿が見えた。安堵して近づくと、チェルシーはひとりじゃなかった。知らないオヤジが屈んで、やに下がった顔で銀貨をチラつかせていた。


「な?ちょーっとおじさんが舐めるだけだから。大丈夫だよ」


 ざっと血の気が引いた。チェルシーが小首を傾げて「わたしはたかいのよ」と返した。私の口調を真似しているのだと気づく。益々前のめりになった男を渾身の力で突き飛ばした。


「ってぇ!」

「ちょっと!!この子は5歳よ!この変態野郎!!」


 ひったくる様にチェルシーを抱っこして家まで走った。

 玄関を閉めて真っ先に、私はチェルシーを引っ叩いた。怒りと悔しさとで目の前が真っ赤に見える。


「5歳で娼婦の真似する子なんていらないわ!次やったらあんたを教会に捨ててやる!!二度とあんたに会わない!!」


 気付いてしまった。

 いらないと思ってたのに。

 毎日毎日「ままだいすき」って言ってくれるこの子に私、救われていたんだわ。


 チェルシーを、愛しているんだわ。


 でも娼婦の私の元で産まれ育ったら、同じ様に軽んじられて、同じ様に生きていってしまうのか。

 

 その瞬間、手放そうと思った。

 私の子に産まれたばかりに悪い事ばっか覚えて、不幸になる。だったら。


「あんたなていらないわ!!」

「ご、ごめんなさいママ!!もうぜったいしないから!おねがい、すてないで」


 泣き縋るチェルシーに、もう手は伸ばせなかった。




 その日を最後に、チェルシーを連れて仕事へ行くのは止めた。チェルシーは一瞬泣きそうな顔しながらも頷き、留守番をした。留守番に慣れてくると、明るい間なら外に行っても良いかと聞いてくる様になった。


「娼婦の真似事はやめなさいよ」

「うん。わかった!」


 チェルシーを連れて行かない私は警戒心が下がり、遅くとも夜半に帰る生活から飲み明かして帰る事が増えた。売り上げは酒代や化粧品へと消えるのに、30歳になる私の客は減り始めた。


 早朝家に帰るとチェルシーは大体起きていて、前日に何をしていたか話してくれる。誰々の手伝いをした、ぶらぶらしてたら飴貰った。教会がどんな所か気になって見に行ったら遊んでもらえた、と。


 呆れてしまった。私よりよっぽどしっかりしてる。いや、ちゃっかりしていると言うべきか。子供特有の冒険心からか、町中を練り歩いてはおこぼれを貰っている様だった。あんな目に遭ったのに。捨てると言われた教会まで下見に行くとか図太過ぎない?


「危機感ってものはないのかしら…」


 そう呟くと、チェルシーはきょとんとして首を傾げた。




 

 30代後半になると、客から値切られる様になってきた。

 そうよね、色々衰えてきたのはわかっているのよ。チェルシーは外でお小遣いを稼いできても、全く使わずに私に渡そうとしてくれる。情けない。


「やっぱり、仕事探そうかな…」


 洗濯婦とか皿洗いなら、私にも出来るかしら。

 …元娼婦でも雇ってもらえるのかしら。


「あの、すいません」


 悩みながら歩いていると、後ろから声をかけられる。女性の声に訝しく振り返ると、声をかけてきたのは年配のシスターだった。


「貴女、チェルシーさんのお母様ではないかしら?」

「え?あ、あぁそうです」


 そう言えばあの子、ちょくちょく教会に行ってるんだったわね。何?説教でもしようっての?


「チェルシーさんには何時も教会の世話を手伝っていただいて助かっています。とても良い子ですね」

「はぁ、どうも」

「それでですね、チェルシーさんに娼婦になるよう声を掛けている男達がいる事はご存知?」

「はぁ!?知らない!私はそんなの許してないわよ!」


 激高する私に、シスターは「落ち着いて下さい」と言った。


「聞いています。チェルシーさんからお母様が怒るから娼婦はしないと。ただ仕事がなかったら、という事で勧誘にくる人がいるのです。一応お知らせしておきますね」

「ありがとうございます」


 チェルシーは私の言うことちゃんと守っているんのね。チェルシーを守れていないのは私だ。





 この時の私は先の事やチェルシーの事でとても悩んでいた。


 だから街でばったり再会したエヴァンに縋ってしまった。


「貴方の娘を産んだのだけれど、生活が苦しいの。少しでいいから助けてくれないかしら…」

「ふぅん?それは本当に私の子なのか?」


 私の職業上、そりゃ疑うよね。確かに顔はカケラも似てない。似てないんだけど。


「顔は私にそっくりだけど、髪と瞳の色を見たら貴方も信じると思うわ」

「へぇ、それは興味ある」


 食いついたエヴァンに、私はチェルシーが如何に良い子かを話した。ちょっとマザコンだけど親思いだし、気もきいてて働き者だ、とか自慢した気がする。

 さらに転職したいと話すと、私に新しい仕事を紹介してくれると言った。


 これで援助してくれて纏まったお金が手に入って、しかも仕事があればチェルシーに好きなご飯をいっぱい食べさせてあげられる!娼婦だってこれでお終いよ!


 それらの気持ちが先走り、話をきちんと確かめずにホイホイ着いていった。高級レストランで久々に接待を受け、高いお酒を奢られる。

 気分がよくなり深酒し……起きたら知らない部屋に寝かされていた。




***




「一体どうなってるの?エヴァン?何処なの?」


 頭が覚醒してきて、部屋を見回す。服は無く、ガウン等も置いてなくて、体にシーツを巻き付けてベッドから降りた。履物も無くて、砂埃の溜まった床を裸足で歩くのは不快だ。


 玄関と裏口には外鍵が付いていて、窓は飾り格子が填まりびくともしない。壁は煉瓦造りで打ち破るのは無理だ。着ている物も下着だけだし、箪笥を開けてみても下着と薄手のネグリジェしかない。家は一階と地下室があるみたいだが、地下への扉は鍵がかかっている。


 監禁された。でもどうして?


 家中の扉や窓をガチャガチャといじり、疲れてきた時、男が1人やってきた。

 男は自分が見張り役だと言った。とは言え何時もいる訳じゃなく、3日に一度食材や薪を持って生存確認をしにくるだけだ。水もその時に頼まないと新しく瓶に汲み置きしてくれない。


「どうして私を捕まえてるの?」

「あんたは人質だ。用があるのは娘の方だと。仕事をさせるとかなんとか…それ以上は知らん。俺も金を貰ってるだけだからな」


 用があるのは娘。仕事をさせる。

 その言葉を聞いて薄っすらと嫌な予感がした。


「まさか娼婦じゃないでしょうね…」


 ここはどこで、チェルシーは無事なのか。


 男が帰ってしまうと、家の中はシンと静かになった。男はまた来ると言っていたが、もう来ないかもしれないと思うと不安ばかりが募る。


 常に不安を抱えながら家中を物色した。ご丁寧に鍋やフライパン以外の金属製品、ペンや工具などは無かった。スプーンやフォークも木製の物が置かれている。鍵開けや格子を外すのは難しそうだ。煙突も子供がひとり通れるかどうかと細めだ。ぶっちゃけ監禁の為の家なんじゃないの?と邪推する。


 本が置かれていたが、聖書や哲学書など小難しい本ばかり。パラパラとページを捲って、神様を鼻で笑った。


「はっ、バカらし」


 本当に神様なんて居るなら、私のクソみたいな人生を問いただしてやりたいわ。


 何もする事がないと、自然と考える時間が増えてしまう。

 チェルシーは、ちゃっかりしてるから私がいなくなって意外と清々してたり……ないか。あの子マザコンだしなー。

 むしろ私なんか忘れて清々してて欲しい。

 私はパパにお小遣いやお洋服をねだってばかりいたけれど、あの子が私にねだるのはハグや抱っこ、それとキス。それらだって、5歳の事件以降グッと回数が減った。


 パパから引き離される時、パパがバカでガッカリしたけど。


「ふふ…バカは私ね。大バカ者だわ」


 ごめんね、チェルシー。



 


 こんな生活長くは続かない。

 そう思っていたが一年が過ぎ、二年たっても終わらなかった。

 監禁期間が長くなってくると、見張りの男は3日から5日、5日から7日と様子をみに来る頻度が減っていった。一応持ってくる食材の量は増えたが、日持ちしない物もある。毎度「今日が最後かもしれない」と覚悟を決め、根菜や穀物などの日持ちする物は食べる量を減らして少しずつ蓄えた。

 水瓶の他に、洗濯用と体を洗う用と思しき大きな盤に残り水を溜め、生活用水は其方を使い、水瓶の水は大事に飲んだ。


 気が狂いそうだった。

 チェルシーを人質に取られて無ければ、見張りの男を早々に誘惑していたかもしれない。靡かないと分かったら殺す事も辞さない程には追い詰められていた。


 何年目か。とうとう男はひと月、顔を出さなかった。時々発狂していたと思う。起きると手や腕が傷だらけで、ドアや飾り格子に血がついていた。記憶が飛び飛びで覚えている事も大して無い。

 男が再び現れた時には飛びかかる様に食べ物を強奪し、その場で生野菜を齧った。

 男は小さく「生きてたのか」と言った。やっぱりというか、あたしを生かしておくつもりは無いらしい。


「死んでると思ってたんなら、なんで食べ物持ってきたのよ」

「まぁ、一応な。お供えだよ」

「けっ、バカバカしい。何の意味があるっての。全部置いてって。水瓶も盤も綺麗に洗って水入れてって」

「おい、まだここにいる気か?あんたの執念には呆れたよ。死んだって報告しといてやるから逃げれば?」

「本当バカ。そしたらあの子はどうなるの?」


 男は言い淀んでから、肩をすくめた。

 サイテーだと思ったが、こいつも使いっ走り。詳しくは知らないのだろう。


「逃げる気が無いんだったら、自分で水汲め。めんどくせぇ。井戸はあっちだ」


 水汲みの他薪拾いまであたしにやらせて、男は夕暮れ前に家に鍵を掛けて帰って行った。久々に身体を洗えて、洗濯もしてしまった。筋肉痛と関節痛でかなり怠いが、スッキリすると気持ちもポジティブになる。


「大丈夫、チェルシーはまだ生きている」




 男はその後2週に一度のペースで来る様になった。あたしがしつこく生きてるから、餓死させるのを諦めたのだろう。


 そんな途方もない生活は、なんと5年も続いた。

 国の査察官という人達が来て保護された時、生まれて初めて神様に感謝したかもしれない。


 病院に連れてかれて、痩せこけた身体がマシになってから取り調べをされた。

 「いつからいたのか」とか「元男爵との関係は」とか聞かれる中、あたしがいた隠れ家への資金が2年前で打ち切られていたと知った。多分あの男がひと月来なかった時期だと思う。


 その頃チェルシーは学園に入り、貴族子息を誑かす様に命じられていたそうだ。チェルシーが令息達に近づくという目的を達成した事で、人質はもういらないと判断したのだろう、と。


 あのエヴァンのクソ野郎が捕まっている事を知って、取り調べ中にも関わらずガッツポーズをしたわ。ざまーみろ!あたしは生き残ってやったわよ!!




 チェルシーが姿を消した事もその時に知った。


 「思い当たる場所は?」なんて査察官に聞かれたけど、あたしもチェルシーもヘッダの町しか知らない。


 取り調べを終え、ヘッダの町へと帰された。以前住んでた場所は当然他の人が住んでいた。


「5年だもんなー…」


 チェルシーがクソ野郎の養女になったのは四年前らしい。あたしが攫われてから暫くは独りで暮らしていたようだ。


(見張りのアイツは、本当にいい奴だったのね)


 もう会う事は無いだろうけど、心の中でお礼を言った。




 チェルシーを探して、暮らしていた街を外側から巡った。以前住んでいた場所も、あたしが行った事ない場所も。


 ヘッダ男爵領は男爵領の中では最大規模を誇る、らしい。他領なんて行った事ないからよくは知らないけど、公爵領へ行く宿泊地点として栄えた歴史があるとか何とか、子供の頃教わった気がする。


 実家があったエリアもなんとなく近づいてみた。この辺りは裕福な人が多く、古着を着たあたしは目立つので直ぐ後にした。遠目に見たあたしの実家だった所はリフォームされ、住人も全然知らない人になっていた。


(思い出の物が無くなるというのは、侘しいものなのね)


 最後に町の中央の教会へ来た。広い領内を歩き回り、足が棒の様だ。空は茜色に染まり始めている。


 見るだけのつもりだったのに、助かった時の感謝した気持ちを思い出して中に入ってみた。あたしにもまだ殊勝なココロってものがあったのか。


 夕暮れの喧騒の中、扉一枚潜ると音が吸い取られる様に静かな空間だった。木製の背付きのベンチが左右に10基ずつ並び、正面にはステンドグラスをバックに白い女神像が祀られている。

 その女神像の足元には、背中を丸めたシスターが祈りを捧げていた。時折咳き込むその後ろ姿で、体調の悪さがわかる。


 シスターは立ち上がり、あたしと目が合うと驚いた様に相好を崩した。あの時チェルシーを心配して声をかけてきた年配のシスターだった。


「あらあら、まあまあ。お久しぶりでございます」

「どうも。……小さい町の教会なのに、意外に綺麗で大きいのね」

「ここは元々それなりに人の多い修道院だったらしいですよ。それが二代前の領主様の時に修道女がたった2人になってしまったそうです。当時の領主さまは大変敬虔な方でございまして、人の集まる教会にしようとリフォームに御尽力下さって出来たものなのですよ」

「へぇ」


 その孫はクソ野郎になったけどな。

 それでいったらウチのパパは碌でもなかったけど、チェルシーはしっかり者だし、そういうもんか。


「神父様が常駐して下さらず、シスターが2人だけで中々大変な所もあるんですが、子供達がいつも綺麗に掃除して、教会を大事にしてくれています。…チェルシーさんもそうでした」

「……ねぇ、懺悔室とかもあるの?」

「はい、一部屋ございますよ。ご利用になりますか?」


 あたしは1番前のベンチに腰を下ろして、夕焼けを透かしてステンドグラスに色付く女神像を見上げた。


「いいや。どうせ聴いてくれるのはシスターなんでしょ?ここで話していい?」

「はい」


 シスターは静かに微笑み、一人分のスペースを空けて同じベンチに座った。


「あたし、あんまりチェルシーの事大事にした事無かった。産みたくなかったし、疲れてる時は特に鬱陶しく感じてた。あの子の話もあんまちゃんと聞いてなかったし、母親らしい事なんにもしてないの」

「そうでしたか」

「あたしだって生きるのに必死だった。そうそう、いつか捨ててやろうって思った事もある。あたしサイテーなの」


 チェルシーは結構お喋りで、顔を合わせれば一日の出来事をずっと話してくれてた。それが煩くて、怒鳴って黙らせた。

 いつもニコニコしててあんまり泣かない子だった。他に比べて良い子なんて思ってたけど、泣きたいのを我慢していたのかもしれない。

 だって、あんなに甘えん坊だったんだもの。


「何で今さら、気づいちゃったんだろうな…」


 もっと聴いてあげればよかった。

 悲しい時は泣かせてあげて、抱きしめてキスをしてあげればよかった。

 夜一緒に寝て、産んだのは不本意だったけど、でも産まれてきた貴女は大好きだよって。


 何で伝えてあげなかったんだろう。


 手放す以外の大切にする方法をどうしてもっと真剣に探さなかったの。

 どうして、居なくなってから気づいちゃったんだろう。


「本当、バカで嫌い…」


 鮮やかに色付いていた女神像が、段々と夜闇色に変わっていく。その様子が水に沈んでいくみたいにぼやけた。

 溢れ出た涙を、目を強く擦って止める。


「…チェルシーさんにお裁縫を教えたのは、お母様だそうですね」

「え?あ、ああ」


 面倒くさくて…自分で直しなさいって言って教えたっけ。


「よく孤児院の繕い物を手伝ってくれました。「ママが教えてくれた」ってとても嬉しそうに」

「は、なにそれ」

「野菜の皮でも、持ち帰ればご飯作ってくれると」

「あたしもお腹空いてるもの」

「火の付け方、管理の仕方も貴女の教えだそうですね」

「危なっかしいのよ。薪は貴重なのに、あの子ガンガン焚べるし」


 そう言えば叱る時、頭引っ叩いちゃったっけ。


「「ママは怒ると怖いけど、理不尽に殴られたことはない」とも言っていました。あったかくて柔らかくて良い匂いがして世界で1番大好き、とも」

「なんなの、恥ずかしい」

「それで良いのではないでしょうか」


 穏やかなシスターの声に顔をあげる。シスターは立ち上がり、微笑みながら燭台に暖かな炎を灯した。


「理由はどうであれ、繕い物の仕方も火の付け方もいつかは母親から習うものです。まして火災の原因となった者は罰が重いと死刑になります。教え、叱り、料理を作る。それは十分母足りえると、私は思います」


 そうかな。良く言い過ぎな気がする。


 だってあたしが子供の頃、誕生日の度に親は新しいワンピースとプレゼントを用意してくれた。笑顔の両親に囲まれてご馳走を食べると、あたしって愛されて産まれてきたんだと実感出来た。


 チェルシーにそういうものをあげた事はなかった。


「貴女のその行いは、貴女が親から受け取った愛情とは形が違っていたかもしれません。それでも貴女が娘に娼婦となる事を、痛く辛い所業を娘に強要しなかった事は愛情の証明とも言える気がいたします。…あれは、とても心が擦り減るものですから」

「シスター、も?」


 シスターはただ柔らかく目を細めた。


「自分が過ちだと思うのならば、それもまた貴女にとっての事実なのでしょう。ですが神は過ちに気付き繰り返さない者を許します。貴女もまた、これからの行いで許しを得て行けばよいのです」

「あの子はいないのに?」

「他の方法を探しましょう。例えば…」








 そしてあたしは何でかシスターになってしまった。仮のね。見習いってやつ、シスター見習い。


 夜になり行く当ても金も無いあたしに、シスターは「教会は屋根の無い者にこそ門戸を開きます」と優しく笑いかけ、泊めてくれた。職が見つかって金が貯まるまで…なーんて掃除や孤児の世話、料理などを手伝ってるうちに孤児達に懐かれちゃって。


 つーかあのシスター(ばばあ)、いや、グランマ。口上手すぎない?いや、いーんだけど。「貴女が居ないと子供達が寂しがります」とか「貴女が来てくれてとても助かってます」とか、ちょいちょい言ってくんのよね。

 その度に「もうちょっと居ようかなぁ」なんて思っちゃうあたしもチョロいんだろうけどさ。


 まぁ、でもグランマは本当に体調が悪くて、子供達の為の人手を探していたみたい。


 あたしが来た一年後に、息を引き取ったんだ。


 咳も酷かったし、凄く苦しかったと思う。だけどグランマは最期まで笑顔だったし、あたしには頭を下げてきた。


「本当はチェルシーさんを探しに行きたかったでしょう?ここに引き留めてしまってごめんなさい。だけど貴女にはとても助けられました。少しだけれどお金があります。これを貴女に。どうかチェルシーさんを探して」


 あたしは首を横に振った。


「確かにチェルシーとはまた会いたい。だけどこれっぽっちのお金では探せないわ」


 それにグランマが居なくなったら、この教会のシスターはマザーひとりになっちゃう。


「あたし、この教会のシスターになる。だから心配いらないわよ」

「あら、まぁ。ふふ、逆に心配だわ」


 グランマは咳き込みながら笑って、小さく「ありがとう」と言った。


 その日の内にあたしはグランマから洗礼を受けた。

 グランマの部屋にマザーが聖水を運んで来た。グランマはベッドからゆっくり上体を起こし、震える手に聖水を纏わせて、跪くあたしの髪に振りかけた。


「…ケイティ、誓いを」

「誓い?どんな?」

「貴女が一生かけて神様と約束する事を、貴女の言葉で言うのよ」


 ケイティは少し考えてから、自分の人生で1番後悔した事をもうしたくない、と思った。


「…子供を大事にするわ。きちんと教えて、きちんと叱って、不安な時は大好きって伝えるの。そうやって大事に育てて、神様が創った世界に優しい大人を送り出すわ。いつかあたしが神様の元に還るまで続けると誓う」


 ベッドと文机、クローゼットしかない狭く薄暗い部屋だったけど、その瞬間は確かに厳かで神聖で、私の人生で1番清らかな瞬間だった。




 グランマの死後、マザーとあたし、それと孤児院の子で成人した娘が1人シスター見習いになって、3人で教会を支えた。


 教会の管理に子供達の世話、町の奉仕活動をして寄付金を集めて、と日々忙しい。それでも毎晩寝る前に、チェルシーが無事であります様にと祈った。




***




 そんなある日、彼は現れた。


「チェルシー!?」


 切迫詰まった声で娘の名を呼び、肩を掴んで来たのだ。…まぁ、殴り倒してやったが。いや、だってね?チェルシーに付き纏ってるヤバい変態かと思ってさ。顔赤くしてさ。エロ目的か!?エロ豚野郎なのか!?ってなるじゃん。


 話を聞いてみても、なーんか関係性は要領を得ない。両思いだったと思うけど付き合ってたとは言い切れない、と言いつつ「シスターは声も肩のラインもチェルシーとそっくりですね」とか照れながら言ってて。一瞬鳥肌立ったわ。


「あー、わかった、わかった。じゃーあんたはチェルシーの元カレってことでいい?」


 教会の食堂、テーブルを挟んだ向かい側で腹の丸い男は嬉しそうに「チェルシーのカレ…」と呟いた。いや乙女か。あと「元」な「元」。


「まぁいいや。ねぇ、チェルシーの話もっと聞かせてよ」

「あ、はい!喜んで!」


 彼の話すチェルシーは、やっぱりあたしのチェルシーだった。


「チェルシーの1番はいつもママでした。会う度に貴女の話を聞いていたかもしれません」


 なんて言うんだもの。恥ずかしいわね。


「だから貴女を一目見て直ぐにチェルシーの母上だとわかりました」

「そっか」


 それに、チェルシーがやらされていた事も隠さず話してくれた。やっぱりあたしの娘というだけで娼婦の真似事をさせられてしまうのだわ。


「チェルシーが行方不明になって、娼婦の娘ってレッテルが無くなったのだけは良かったかもね。元気で暮らせてるならだけど」


 勿論また会いたい。あたしが知ってるチェルシーは13歳が最後で、大人になったチェルシーを抱きしめてあげたい。だけどあたしはチェルシーの側に居ない方が良いのかもしれない、とも思う。


 あたしの葛藤を見透かした様に、彼は真っ直ぐに見返して来た。


「私はチェルシーを見つける事を諦めていません。貴女と再会させてあげる事も。チェルシーは間違いなく今でも貴女が大好きです。どうか信じてお待ち下さい」


 エロ豚野郎改めレオン様は、そう言って多額の寄付金を納めて帰って行った。


 …ちょっといい奴かもしんない。




 レオン様と出会って、チェルシーの安否を祈るより「きっと元気に暮らしてる」と前向きに考えるようになった。

 あたし以外にもチェルシーを探している人がいるっていうのは、仲間が出来たみたいで思ってた以上に頼もしかった。


 レオン様は定期的に様子を見にヘッダ領へ来てくれて、ついでのように食料や衣服を持って来てくれる。


 半年経った今なら迷わず言える。レオン様マジいい奴。体型だけで豚とか思って悪かったわ!ぶっちゃけ粘着質だけど、今チェルシーに想い人が居ないなら婿として認めてあげてもいい。




 冬に訪れたタイミングで雪に捕まっていたレオン様は、晴れて雪嵩が減った日にまた王都へと帰って行った。その後は雪が降ったり止んだりが続き、暫くレオン様の訪問が無くなった。


 春が来て雪が全て溶けきった頃、手紙が来た。


「シスター!お手紙きてた!!誰から?誰からー??」

「ああ、どれ。ちょっと待ちな」


 皿を洗っていた手を拭いて手紙を受け取る。


「…えーどれどれ。お、レオン様じゃん」

「レオンさまー!?」

「いつっ!?次いつ来るか言ってる!?」

「れおしゃまー!おかしー!」


 すっかり餌付けされた子供達に苦笑し、封を開けて便箋を広げる。箔押し飾りの付いた高そうな便箋には短い文が走り書きされていた。


「えっとチェルシー、が…え?」


『チェルシーが見つかった!』


 文面を三度ほど読み返した。


「ねーねー!なんて?なんて書いてあんの?」


 期待と不安で動悸が激しくなり手が震える。


(ウソ…本当に?本当に見つかったの?)


 じっとしていられずに、マザーの元へ駆け出す。今は学習室の掃除をしていたはず。異常を察したのか、子供達の軽い足音が付いて来るが気に留められない。

 

「マザー!」


 強くドアを開けたあたしに、注意する様に眉を吊り上げてから、直ぐに困った顔になった。


「シスターケイティ、どうして泣いているの」

「マザー、む、娘が…娘が…」


 つっかえながらレオン様からの手紙を差し出すと、マザーは一読してから頷いた。


「グランマが遺してくれたお金をまだ取っておいてあります。王都へ行ってらっしゃい」

「あ、ありがとう、ございます…!」


 僅かばかりのお金と下着を鞄に詰めて、たった1着だけある、あの釈放された日に着ていたワンピースに袖を通す。脱いだシスター服も畳まずに、足早に廊下に出る。

 廊下では悲しそうな顔をした子供達が立っていた。


「シスター、出てっちゃうの?」

「もう帰って来ない?」


 それを見てハッとした。


(バカバカ!本当にあたしは大バカよ!神様と約束したのに…!)


 しゃがんで子供達を抱き寄せる。


「びっくりさせてごめんね。あのね、あたしの子供…と言ってももう成人してるんだけどさ。ずっと会えなかった子供が見つかったんだって。だから、ちょっと会いに行って来る。でも絶対絶対帰ってくるわ。約束する。皆の事大好きだから」


 悲しそうながら、子供達は小さく頷いてくれる。手を繋いで、ゆっくり表へ出た。名残り惜しいけど行かないと。


「パッと行ってパッと帰ってくるからね」

「絶対よ?」

「約束だからな!」


 そう話していると、教会の前に一台の大きな馬車がゆっくりと入って来た。御者の声で馬車が停まる。

 全員がその馬車を見て、子供が1人呟いた。


「ねぇ、あれって…レオン様の馬車じゃない?」

「えぇ…あたしも、そう思うわ…」


 目が釘付けになる。

 御者がステップを置いてドアを開けると、予想通りレオン様が出てきた。驚愕顔したあたしと目が合うと、彼は優しく目を細めて、馬車の中に手を差し出した。

 その手を取って出て来たのは。


「…ふふ、若い頃のあたしにそっくりじゃんか」


 指名が1番取れていた、若くて色気があって美人だったあの時のあたしそっくりなチェルシーだった。


 もっとよく見たいのに、涙が全然止まんない。

 チェルシーもあたしに気がついて、顔をくしゃりと歪めた。


「ママ?本当に?本当の本物?……っう、マ゛ァマ゛ーー!!」


 小さい頃のチェルシーは大泣きすると、眉間の皺がV字になって鼻の頭だけ真っ赤になってた。

 なによ、泣いたら赤ちゃんの時の顔まんまじゃないのよ。


 駆け寄って来たチェルシーを強く抱きしめて、2人で暫く大泣きした。




「おばーちゃん、はじめまして!ルドです!」


 あたし達の涙が落ち着いて来て、皆で教会の食堂へと移動した。

 泣いてる時は存在に気が付かなかったが、レオン様が痩せたらこんな顔だろうな〜って感じの可愛い男の子が立って、ちょこんと頭を下げた。


 うん、聞いてない。学生時代に仕込んだなんて話1ミリも聞いてないぞ。

 ジトッとレオン様を睥睨すると、彼の視線は挙動不審に泳ぎまくった。後ろめたさはあるらしい。


「初めまして。おばあちゃんのケイティよ。会いに来てくれて嬉しい」

「ぼくも!ぼくも嬉しいよ!」


 ルドと名乗ったあたしの孫は、明るく人懐こい上に利発そうで、内面はチェルシー似だなと思った。絶対この子も()()()()()してる。


「それにしてもレオン様からの手紙が届いたのついさっきなのよ。一体いつ見つけたの?」

「え、レオン様、ママに手紙出しておいてくれてたの?」


 レオン様は「ああ、そう言えば」と思い出して言った。


「捜索人から知らせが来た時点で出していたな。その後チェルシーを迎えに行って引っ越ししてとしていたから…ひと月以上前だな」

「あー、こっちこの前まで雪積もってたわ。それで手紙遅れたのかー」

「えっ雪!?ぼく雪見た事ないよ!また降る?」

「今年はもう無いけど、来年もきっと降るよ。だから遊びにおいで」

「うん!おばーちゃん、ぼくまた来るからね!」


 話の隙間に、お茶を沸かしてくれたマザーがそっとカップを配膳してくれる。

 あたしの隣でべったりくっついて座っているチェルシーがふと、見回してマザーに言った。


「ねぇ、マザー。グランマは居ないの?」


 一瞬、場に沈黙が落ちる。マザーは悲しそうに微笑んで「ケイティ、連れて行ってあげて」と囁いた。


「あぁ…」


 あたしは立ち上がり、チェルシーの手を引いた。


「来て。案内するわ」


 雰囲気の変わったあたしに気づいたのか、レオン様はルドを抱っこして「僕達はお茶を飲んでいるから、行っておいで」と送り出してくれる。

 チェルシーと2人、教会の裏手にある墓地へと向かう。端の方にひっそりと作られた墓石の前に導くと、チェルシーはそっと微笑んだ。


「そうよね…。わたしが子供の時にはもうお婆ちゃんだったもんね」


 屈んだチェルシーが墓石を優しく撫でる。


「グランマ。あのね、子供の頃字を教えてくれる時、聖書を使っていたでしょう?そのおかげでね、わたし他の教会でもお世話になる事が出来たのよ。だからねグランマ、遅くなっちゃったけどありがとう。子供を無事産めたのはグランマのおかげだわ」


 チェルシーの独白を聞いて、自分が出産した時を思い出す。暗い部屋で、赤ちゃんと一緒に沈んでもう這い上がれない様な不安感があった。


「チェルシー、独りで産むの大変だったでしょう。側に居られなくてごめんね」


 でもチェルシーはちょっと首を傾げて「んーん」と答えた。


「住んでた街はいいところで、結構色んな人が手助けしてくれたんだ」

「そっか。良かったわね。でもあたしも助けてあげたかったわ」


 いい人が多いのは本当なんだろうけど、助けてもらえたのはチェルシーの性格もあるんだろうな。

 チェルシーは眉根を寄せて立ち上がった。


「ママはいつもわたしを助けてくれてたよ」

「あたしは貴女に何も出来なかったわ」


 チェルシーは強く被り振る。


「わたし昔、娼婦にならないかってしつこく誘われた時期があったの。グランマでさえ“お勧めしません、でも例え貴女が娼婦になってしまったとしても、ここに遊びに来てくださいね”って言った。わたしが娼婦になることを強く反対して、本気で叱ってくれたのはくれたのはママだけ。ママだけだったの!」

「そんなの、当たり前…」

「当たり前じゃないよ!わたし知ってるよ。ママはパパに売られちゃったの。借金だってママが働いて返したって」


 涙を浮かべたチェルシーが抱きついてきた。あたしも、戸惑いながら抱きしめ返す。


「どうして知ってるの?」

「…世の中にはお節介で噂好きな大人が多いのよ」


 右の肩にジワリと温かい感触が広がる。


「側に居なくて、寂しかったけど、ママの言葉がわたしを守ってくれてたよ。今の幸せは、過去の…苦しかった時のママが一生懸命守ってくれてたからあるんだって思う。…わたしもママみたいにルドを愛してあげたいな」


 チェルシーの服にも温かな染みが広がる。

 胸が苦しくて、喉がつっかえて、人間は本当に愛しさで泣けるのね。そんなの初めて知ったわ。


「チェルシー、貴女を産んで良かった」

「うん。わたしのママがママで良かった」




 ひとしきり泣いて、お互い赤くなった目を見てクスリと笑った。


 待っている事に焦れたのか、ルドと手を引かれたレオン様が教会から出て来た。


「戻ろうか」

「うん」


 春の風が新芽をつけた枝を揺らす。

 それを見てふと思った。


「そう言えば貴女達、結婚はどうするの?」


 チェルシーは人差し指を唇に当てて、斜め上を見る。


「レオン様が“結婚式しようね!”とは言ってるけど…具体的にはまだなんとも」

「そうなのね。式をするならならあたしも見てみたかったな」


 レオン様は凄い貴族の息子らしいし、きっと王都で計画しているのだろう。こればかりは仕方がない。

 思案顔していたチェルシーが、ハッとして両手を打った。


「ここは教会なんだから、ここですれば良いじゃない!!良い考えだわ!レオン様に言ってみる」

「は!?いや無理無理!チェルシーも知ってるでしょ?うちの教会は神父が居ないんだよ」


 チェルシーはきょとんとしてから、妖艶な悪魔のような微笑みを浮かべた。


「レオン様に言ってみる」


 チェルシーは駆け出して、こちらに向かってくるレオン様に抱きついた。内緒話をする様に顔を近づけて耳元で何事か囁かれたレオン様は、真っ赤な顔でわたわたした後、ひたすら首を縦に振った。

 

「あー…レオン様、チョロ過ぎィ」


 ぼそっと呟く。

 チェルシーはレオン様の頰にキスした後あたしの方を見て、ペロッと舌を出してこっそり指でVサインして見せた。


「ふふっ、いつもちゃっかりしてて、本当しょーがない子ね」


 遠目に笑っていると、レオン様があたしの方に走り寄ってきた。

 真っ赤な顔のまま目の前まで来ると、直角に腰を曲げて叫んだ。


「お、お、お嬢さんを僕に下さい!!!」


 ああ、あたしはなんて幸せな陽だまりにいるんだろう。チェルシーとルドがいて、レオン様はきっと2人を大切にしてくれる。


「はい。よろしくお願いします」




 神様。

 あたし今、ちゃんと愛せてるよ。





ここまで読んで下さりありがとうございました!

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街角聖女から読み始め、こちらのシリーズに入り、なんて素敵なお話しか!とついつい3作まとめ読みしてしまいました。 作者さまのお話は、半端ない辛い事があっても心がほっこりするラストだったりするので、読み始…
3部作の締めくくり 3人のつかんだ幸せ 感動で、涙、涙の大号泣でした。 不遇を自分の力で乗り越えた先の幸福は、とてもキラキラ輝いて、まるでチェルシーが望んだピカッピカの金貨のようですね。
[良い点] ママの話知らなかった(((o(*゜▽゜*)o)))覗いてよかった!! あぁ〜幸せが駆け足でめちゃくちゃ一生懸命走ってくるようなお話 好きです(*´ω`*)大好きです いつかルド君の話やお…
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