ヒーロー
エドゥアルド視点です。
夜のうちに音も無く降り積もった雪は、学園を真っ白に覆い尽くしていた。
せっかくの新年祭だというのに、この天気では……と心配はしたものの、この雪は逆に生徒達の気分を盛り上げてくれたようだ。
非日常な景色に皆が心浮かれて、新年祭はおおいに盛況している。
学園へと戻ったエドゥアルドは代表挨拶も卒なくこなし、あとは式典を滞りなく進めるだけ。この新年祭は大成功であるといえるだろう。
当のエドゥアルドといえば、心ここに在らずであったのだが。
(フランシーナは、頑張っているだろうか……)
壇上の指揮者がタクトを振った瞬間、講堂には音楽隊の演奏が鳴り響く。
式典のフィナーレを飾る音楽隊の演奏は、実に素晴らしいものだった。磨き抜かれた音色に、幾重にも重なるシンフォニー。
そんな、胸に迫る演奏も――エドゥアルドの耳には届かない。
(……また、緊張していなければいいけど)
式典の間、エドゥアルドの頭は、フランシーナのことでいっぱいだった。
一人きりで大丈夫だろうか。
あの問題集は、役に立っただろうか。
今年の試験が、どうか簡単であればいいのに。
王城に置いてきた彼女のことばかりをぐるぐると考えて、やがて視界は暗転して――
エドゥアルドは暗闇をさまよった。
いつも、何にだって対価を求めた。
名誉も、人望も、報酬も。
行動に見返りがなければ、それは自分にとって無駄なこと。エドゥアルドは、そうしてずっと『ロブレス侯爵家の跡継ぎ』として生きてきた。
対価を求めることは、なんら悪いことだとは思わない。その分、期待通りの結果を残しているのだから。
けれど真っ直ぐな彼女といると、見返りばかりを求めて生きる自分が醜いもののように思えてしまって。
自分の想いに気付いた瞬間、彼女に近づけなくなった。彼女の隣に並ぶことがためらわれた。
勝手に近付いて、勝手に距離を取って、戸惑う彼女を振り回して――
それでも今朝、積もった雪を見た瞬間、足は自然とフランシーナの元へと向かっていた。
彼女は今日の試験をどうするつもりだろうか。雪の中、無茶をしようとしてはいないか。
ただただフランシーナのことが気がかりで、彼女のために何かせずにはいられなくて。できることを探して、他の誰でもない自分自身が彼女を助けたくて、我ながら無茶をした。
そうして彼女を送り出した今。
『誰かの役に立つことは嬉しいです』
以前聞いた彼女の言葉が、エドゥアルドの胸にストンと落ちる。
フランシーナの役に立つことで、エドゥアルドはこれ以上ないほど満たされた。たとえ彼女が手に入らなくてもそれでいい。彼女を助けられたなら。
(そうか……フランシーナの『嬉しい』とは、こういう気持ちだったんだな……)
やっと彼女と同じ場所へ立てた気がする。
不思議な幸福感の中で、エドゥアルドは瞼に光を感じた――
「……ここは」
見慣れた天井。オフホワイトのカーテン。殺風景な狭い部屋。窓から見える景色は暗く、今が夜であるということは分かる。
エドゥアルドは、いつの間にか寮のベッドで寝ていたようだ。さきほどまで式典に出席していたはずなのに。
(記憶がない……)
新年祭の代表挨拶を終えてから、記憶がひどく曖昧だ。式典の最中もフランシーナのことばかりを考えていたことだけは覚えているが、そこからは何も――
こころなしか頭も痛むし身体もだるい。雪の中、馬に乗ったせいなのだろうか。
とりあえず状況を把握しようと、重い身体を起こしてみる。
部屋に灯されたランプを頼りに、ふと顔を上げると――
「フランシーナ……?」
己の目を疑った。
ベッドの脇に、フランシーナが座っている。今にも泣き出しそうな顔をして、こちらに身を乗り出して。
「……っエドゥアルド様! 目が覚めたのですね!」
「なぜ、君がここに?」
「す、すみません。勝手なことをして」
男子寮は女人禁制のはずだった。ここがエドゥアルドの部屋で間違いないというならば、フランシーナが眼の前にいるはずがない。
もしかして、これはまだ夢だというのだろうか。彼女のことばかり考えていたせいで?
「夢?」
「夢じゃ困ります。やっとエドゥアルド様の意識が戻ったのに……」
「え……僕は意識を失っていたというの?」
「……覚えていらっしゃらないんですか?」
彼女によると、エドゥアルドはフィナーレの演奏が終わった途端、ぐったりと倒れてしまったらしい。
その後ゲオルグら教師陣によって男子寮にまで担ぎ込まれ、自室ベッドへと寝かされた。医師によると過労によるものであるという。
「なんてことだ……最悪の失態だ」
「皆さん、心配してました。先生方も、有志の皆さんも、寮生達も……本当にたくさんの方が」
「式典中に倒れるなんて……大迷惑だろ……」
「私も、心配したんですよ。……とても」
フランシーナの瞳から、こらえていた涙がぽろぽろと溢れる。
こんなにも弱々しい彼女は初めてで、自分のために流されている美しい涙に思わず見惚れた。
「学園へ帰ってみれば、エドゥアルド様が倒れたって聞いて……これは私のせいだと、そう思いました」
フランシーナはどうしてもエドゥアルドに会いたいと、寮へ足を運んだらしい。
そこで二人の仲を知る寮生達が、こっそりと彼女を招き入れてくれたようだった。
「こんな雪の日に、あんな薄着のままで送ってくださったから」
「べつに、フランシーナのせいじゃない」
「でも」
「もういいでしょ。君の役に立てたんだから」
フランシーナは、きっと何を言っても自分を責める。せっかく彼女を助けることが出来たのに、彼女が自責の念にかられては本末転倒だ。
もうこの話は終わりにしたほうがいい。エドゥアルドは無理矢理に会話を切り上げようと、彼女から目を逸らそうとした。
なのに、フランシーナはそれを許さなくて――突然、エドゥアルドの手を握る。
「フランシーナ……?」
思わず息が止まった。しっかりと握られたその手からは、どことなく好意が伝わってくるから。
こんな状況、どうしても都合よく考えてしまう。
エドゥアルドのことを心配して、苦手なはずの男子寮まで来たフランシーナ。その瞳は熱く潤んで、エドゥアルドだけを見つめている。
「――本当に、ありがとうございました」
「な、何、急に」
「エドゥアルド様はまるで、ヒーローのようでした」
涙まじりに震える声が、じわりと胸に染み込んでいく。
嬉しくて、夢のようで、気が変になりそうだ。
エドゥアルドは我慢できずに、彼女の手を握り返した。
隠すことができなかった。フランシーナを前にすると、何もかも。
「嬉しいな……」
素直な気持ちが、するすると言葉になる。
「君のヒーローになれた」
そう言って笑って見せると、フランシーナはきょとんとしたけれど。すぐに恥ずかしそうな笑みをつくった。
なんて可愛い。なんて愛しい。
二人は目を合わせて微笑み合った。
離れがたいその手は、絡められたまま。
「――エドゥアルド様、手が少し熱い気がしますが」
「そういえば熱っぽいな……頭も痛い気がする」
「ああ! もう寝ていて下さい。まったく無茶をし過ぎです!」
「……フランシーナに言われたくはないな」
仕方なく、言われるがまま再び横になるけれど、フランシーナの手は離せそうにない。
エドゥアルドは彼女の赤い顔を見あげながら、この上ない幸せに身を委ねたのだった。
次回、完結となります。
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