運命の日
翌朝、女子寮にけたたましい鐘の音が鳴り響く。
フランシーナは鐘の音に気付いて、やっとのことで目が冷めた。
いつもなら朝の鐘より先に起きている朝型人間のはずなのだが……不覚にも鐘の音に負けてしまったようである。
(仕方がないわ……昨日、なかなか寝付けなかったもの)
昨夜はどうしてもエドゥアルドのことが頭から離れず、あの状態で眠れるはずもなくて。
こうなったらとことん彼のことを考えてやろう……と開き直ってから、記憶がプッツリと途絶えている。いつの間にか疲れ果てて眠ってしまったらしい。
いつもより遅い朝ではあるものの……幸い、鐘の時間から出発予定時刻までは余裕もある。事務官任用試験が開催される王城までは、乗り合いの馬車でおよそ一時間もかからない。まだ慌てるような時間ではないはず。
(それにしても、なんだか……静かな朝ね)
ベッドの上でのんびりと伸びをしながら、フランシーナはなんとなく今朝の様子に違和感を覚えた。
静かすぎるのだ。寮内の足音や話し声なんかは聞こえるものの、小鳥のさえずりが聞こえない。木々の擦れる音も、朝の馬車が走る音も……普段なら耳にしているはずの外の音が、何も聞こえない。
(いつもと違う――)
なんとなく胸がざわざわとして、フランシーナは恐る恐るカーテンを開ける。
すると目に飛び込んできたのは――一面真っ白の雪景色だった。
「嘘っ!!」
窓から見える光景に目を疑った。
木々には雪がこんもりと積もり、その下に広がるテラスや通路も、地面が見えないほど白く覆われている。
そりゃあ、小鳥も鳴くはずがない。
(いつの間にこんなことに……)
昨夜、エドゥアルドのことで悶々と悩んでいた時にはもう雪になっていたのだろう。
嘘だと思いたいが、目を擦ってみても景色が銀世界であることに変わりない。
フランシーナは急いで身支度を整えた。
この時間、いつもなら次は食堂に向かって、ヴィヴィアナとのんびり朝食をとっているところである。
が、今はそんな場合じゃ無い。パニックになりながら荷物を手に女子寮を飛び出すと、学園の正門まで急いだ。
(お願い、どうか神様……!)
バタバタと走るフランシーナは、珍しく神に祈った。
が、こういう時の嫌な予感というものは、大体的中してしまう――
「今日、馬車は出ませんよ」
「そ、そんな……」
「この雪では、危険ですからね」
いつも校門前に停まっている馬車が、今朝は一台もいなかった。御者の男が、気の毒げな声でフランシーナに運休を伝える。
「どうしても、出ませんか……?」
「出ませんよ」
「今日は、大事な試験があるんです、どうか……」
「無理無理。こんな天気の日は駄目だと、上から言われているのですよ」
フランシーナの無茶な要求を、御者は当たり前のように受け流す。
それもそうだ。雪の日の運休は組織で決められていることなのだろう。フランシーナの都合なんてこの男には関係なくて、たとえどんな事情があろうとも、雪の日に馬車を出せなんて小娘のわがままに過ぎないのだ。
しかも新年祭のこの日、学園前発の馬車に乗りたがるなんてフランシーナ一人だけ。馬車なんて、絶対に出るはずがない。
(どうしよう……どうしたら……)
馬車は出ない。となると、歩くしかない。
けれど、王城まで馬車で一時間ほどの道のりを徒歩で、となると……一体どれほど時間がかかるだろう。その上、今日は雪が積もっている。歩くにしても普段通りにはいかないはずだ。
それに、今から歩いて向かったとして、試験には間に合うかどうかも分からない。
絶望的な気持ちになったフランシーナの身体から、ズルズルと力が抜けていく。
冷えきった指先はいうことをきかなくて――フランシーナのバッグは、雪の上へポトリと落ちた。
(あ……)
いけない、バッグが濡れてしまう。
あのバックの中には、事務官任用試験の対策問題集が入っているのに。お守りがわりに、試験に持っていくつもりで――
あれはエドゥアルドから譲り受けた大切なものだ。男子寮で受け継がれてきたそれは、本来ならフランシーナが手にすることは出来なかった。しかし今、フランシーナはその恩恵を受けている。それはどう考えても、エドゥアルドのおかげだった。
(エドゥアルド様……)
問題集を譲り受けただけでは無い。
ゲオルグからは、貴重な解説集だって貸してもらった。
静かな旧図書室での勉強時間も確保できた。
両親からは『三年間、頑張っておいで』と学園へ送り出されている。
事務官任用試験に受かるためだけにほとんどの時間を費やした三年間を、雪ごときで無駄になんて出来ない――
「よし!」
フランシーナは、ひとり叫んで気合を入れた。
こうなったら靴を歩きやすいものに変えてこよう。試験時間には間に合わないかもしれないが、行かないよりマシだろう。とにかく、後悔だけはしたくない。
「あの。無茶を言って申し訳ありませんでした。歩いて行きます」
「歩いて……ええ!? この雪の中、それこそ無茶ですよ!」
「でも、馬車が出ないなら徒歩で行くしかないでしょう。では――」
御者に何を言われようが、フランシーナはもう決めたのだ。
心の底に、皆からの力を感じる。家族、事務官様、ゲオルグ先生、そしてエドゥアルド。
自分が諦めたら、彼等からもらった力まで無駄にしてしまう。
そんなのは絶対に嫌だ。
御者が制止する声にも耳を貸さず、フランシーナはバッグを持って発とうとしたのだが。
拾い上げるよりも先に、バッグがひょいと持ち上がる。
「え……」
バッグを持つ美しい手には、見覚えがある。
まさかと思いつつ顔を上げると――そこにはエドゥアルドが立っていた。




