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モノクロームに愛された者たちへ  作者: ヤナギ ショーキ
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己の意思

「────て」


 喜びと充実感に満ちた、世界の頂。


「お──サ──」


 穏やかな笑みを浮かべ、調和の光の中にいるあなたは。


「起きて、サラ」


 何を見つけ、何を享受したのでしょうか。


 ─────────────────────


 世界はまだ、夢見心地な静寂に包まれていました。


 朝焼けが地平線を優しく照らし始めるこの時間、空は徐々に明るく色づいていき、日の出の美しさを予感させます。


 そんな静ひつな時刻に、私はゆっくりと意識の海から浮かび上がるのでした。


 枕に頭を預けたまま、私はそっと首を横に傾けました。


 そこには、幼い頃から変わらぬ愛情で私を見守ってくれるお父さんの姿がありました。


「おはよう、沙楽」


 お父さんの声は、夜明け前の冷えた空気を春の温もりに変える魔法が宿っているかのようでした。


 私はぼんやりと「……おはよ、お父さん」と返し、彼の隣に腰掛けました。


「私ね、やり遂げたよ」


 その言葉に、お父さんは心からの優しさを込めて「あぁ、ここから見ていたよ。ありがとう、二人の世界を見せてくれて」と応えるのでした。


「……それでね? 私、これからもナツと一緒に活動を続けていくことにしたの」


「それはいいことだね。きっとこの先も、二人だったら輝いていける」


「やっぱり私たち、同じ夢を見ているからさ。だからこそ、この先も二人で頑張っていきたいんだ」


「そうか。どんな時も、パートナーを思いやってあげるんだよ?」


「うん!」


 お父さんは、微かなせんぼうを込めて「でも、そうかぁ……。ちょっとうらやましいなぁ……」とつぶやくと、顔には複雑な表情が浮かんでいました。


 その瞳には、過去を振り返る時と同じのような、遠くを見つめる深い思索が映っているのでした。


「……なにが?」


 私が問いかけると、お父さんはしばらくの間、深く考え込むように沈黙を保ちました。


 そして、静かなため息とともに、お父さんはついに口を開いたのです。


「実は、あれからずっと考えてたんだ。今の沙楽みたいに、僕の人生にも輝いていた瞬間はあったのかって」


「誰かの記憶にも残らず、何者かになることもなく、この広い世界に自分の痕跡一つも残せず、まるで生きていた証さえもなかったかのように、静かに、ひっそりとこの世界から去っていくこと……」


「ただの影みたいに消えていくことが、一番怖かったんだ……」


「僕は一つでも、この世界に何かを残すことができたのかなぁ……」と。


「残せたさ」


 お父さんの言葉に寄り添う答えを模索している最中、突然、背後から響く低い声で空気が震えるのでした。


 驚いて振り返ると、そこには悪魔がたたずんでいました。


「うわぁっ! どこから出てきたのよ!」と私は大声を上げました。


 悪魔は、少し申し訳なさそうに「すまない。急に後ろから出てくるのは心臓に悪かったな」と言い、笑うのでした。


 悪魔は、古くからの友人であるかのように「久しぶりだな、翔」とお父さんに声をかけました。


 お父さんも「……久しぶりだね、サリー」と悪魔に返しました。


 和んだ表情と声には、友情と懐かしさが宿っているのでした。


「翔の葬儀の時、大勢の人が参列した」


「美術界の仲間、相談に乗って救った子供たち、その家族、翔の母親、真理の家族……とにかくたくさん、たくさんだ」


「みんな、翔に感謝しながら泣いていたよ」


「翔がこの世界に残したものは、もはや絵を超えた」


「だが、どうも人間の目には、翔が残したものの形すら見えないらしい」


「でも確かに、ここに残ってるんだよな。翔の精神が」と、サリーは胸に手を当てながら言いました。


 小さくうなずくと、お父さんは「なら、よかった……」とつぶやき、少しだけ安心したような目でサリーを見つめるのでした。


 そして、闇が徐々に明けていき、部屋は朝の光に包まれ始めました。


「もうすぐで朝だ……」


「さて、過去の亡霊は還る時間だな……」


 お父さんの言葉は、遠い記憶の扉を閉じるかのような重みを帯びていました。


 お父さんはベッドから立ち上がりました。


 彼はドアがある方向を一べつもせず、未知の何かが待ち受ける先の見えない霧がかった空間へと歩き始めるのでした。


 彼の足取りは、運命に導かれるかのように、静かでありながら堅実でした。


 その時、サリーが「……ちょっと待ってくれ」とお父さんを呼び止めました。


 お父さんが足を止めると、サリーは言いました。


「俺も、一緒に行く」


「……サリー」


「あの日、約束しただろう? 沙楽を見守ってってさ……?」


「……なぁ、翔。もう、やめにしようぜ?」


 サリーは、悔しそうに言いました。


「翔が今、何を考えてるか当ててやろうか?」


「『あぁ、僕もそっち側に行きたいな』だろ?」


 サリーの言葉に動揺したのか、お父さんの背中が少しだけ揺れました。


「その反応、図星だよな? 当たり前だよ。四十九年も一緒にいれば、翔が何を考えてるかも、とっさに出ちまうクセも、全部分かるんだぜ?」とサリーは言いました。


 私の方を向くと、サリーは言いました。


「沙楽、正真正銘、これが俺からの最初で最後の頼みだ」


「すまないが、俺はもう沙楽を見守ってやることはできない」


「俺は、翔のそばにいてやらなきゃならない」


 それが、サリーの心からの願いだというのなら。


 私の勝手な都合で引き留めてはならない。


 私は、サリーの意思を尊重してあげなくてはならない。


 そう思ったのです。


「……そか! わかった!」


「じゃあサリー、こうやって指を組んでもらえる?」


「あ? こ、こうか?」


「うん、そのまま」と私は言い、サリーが結んでいる指を手で切り離しました。


「はい。これで私たちの縁は切られたから、サリーは自由!」


「大丈夫。私はもう一人じゃないから」


「行ってあげて!」


「……ちょっと前までオチビだったのに、ずいぶん成長したもんだ」


「短い間だったが、本当にありがとうな」とサリーは言い、お互いに固く手を握りました。


 それは、かけがえのない人と肩を並べる立てることへの深い喜びなのでしょうか。


 サリーの顔は、そんな温かな感情に満ちているのでした。


「約束は本人の意向で無効になった。俺は一人だ」


「だから俺は、俺の意思で、翔に着いてく」


「これで、俺もお前も一人じゃねぇ」


「……はは」


「ははは! サリーって本当に変わり者だよね!」


「抜かせ」


 サリーは笑いながら、お父さんの肩を軽くたたきました。


「それで翔、まずはどこに行くんだ?」


「そうだね、まずは真理のところに行こうかな。最近行けてなかったからね」


「おう」


 そうして二人は、霧に包まれた道へ歩き出しました。


 確かな一歩を踏みしめ、やがてその背中は、私の視界から消えるのでした。


 その間、私はまたこっちの世界で会えることを願いながら、頭を下げ続けました。


 ─────────────────────


 お父さんがいた部屋の扉をそっと閉じると、私を取り囲むのは無垢で真っ白な空間だけになりました。


 その空間の中央で、『なにか』は静かに、しかし確かに、私に語りかけるのでした。


「サラ、ありがとう」


『なにか』の足元を見てみると、重い鎖は解かれ、無機質な床に足かせが転がっているのでした。


『なにか』は、ついに自由を手に入れたのです。


 そして、身を覆っていたドロドロとしたよろいが剥がれ落ち、『なにか』は、その真の姿を取り戻したのです。


『なにか』は、他ならぬ私自身だったのです。


『わたし』は、静かに私の左首筋に手を触れながら、柔らかい声でささきます。


「あなたのせかいは、やさしくいろづいているから」


 その言葉は、私が長い間失っていた自己の一部を優しく呼び覚まし、同時に、長年の残り続けていた傷跡をも癒やすのでした。


『わたし』と私は、運命に導かれるように手を取り合い、ついに一体となったのです。


 指が絡み合う瞬間、かつての違和感は朝霧が晴れるように消え去り、内なる世界は完璧な調和を達成したのです。


 私は、この瞬間を通じて自分自身との和解を果たし、すべてを受け入れることができた。


 そして、私は今、新たな一歩を踏み出す勇気を胸に、人生の新しいステージに立っているのです。


「ありがとう、『わたし』」


「そこで見守ってて」

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