楽しいひととき
太陽の光が眩しい土曜日の朝。
遊園地の駐車場には、すでにたくさんの車やバスで溢れていました。
家族連れや友人同士、手をつなぐ恋人同士の姿があり、彼らの笑い声や興奮した声が空気を駆け巡っていました。
車を停めるなり、ナツは勢いよくドアを開け、チケット売り場がある方角へ一人駆け出していきました。
「ささ、行きますよー」という声が、人混みに溶け込んでいきます。
ここにきてナツは、普段通りのテンションに戻ったのです。
一見すると明るい様子なのですが、その笑顔がやや強引に作り出されていることは、私からすれば明白でした。
この強引な振る舞いは、自分の弱さを私たちに見せたくないという思いから生まれたものか、それとも、心配をかけたくないからなのか……。
「まったく……あの子はいつまでたっても子どものままなんだから……少しは蒼井さんを見習ってほしいものだよ」
ため息をつきながらそう言ったのは、夏月の父親である『赤原 雅弘』さんです。
雅弘さんの声には、少しの苛立ちと同時に、父親としての深い愛情がにじみ出ていました。
ナツの振る舞いを眺めながら、雅弘さんは彼女が成長していくことを願っているようにも見えました。
「んっんん!」とせきを払って声質をもとに戻すと、雅弘さんは「ゴメンね。ナツと一緒だと、毎日振り回されて大変でしょう?」と言いました。
車から降りた私は、「い、いえ、そんなことはありませんよ。こんな私にも優しく接してくれて、むしろナツには毎日助けられっぱなしですよ」と言い、ドアをそっと閉めました。
なでるような声で「……そっか」と雅弘さんは言うと、車の鍵を閉め、歩き出しました。
私の四、五歩ほど先を歩いていると、雅弘さんは私に背中を向けたまま、こう言いました。
「もし、蒼井さんさえ……」
「蒼井さんさえよければ、あの子の側に、いてあげてほしい……」
「あぁ見えても、実はかなりの寂しがり屋だからさ。蒼井さんが側にいてくれると、あの子も安定するんだよね……」
そう告げた雅弘さんの背中は、どこか、お母さんの後ろ姿に似ていました。
やはり、たどってきた道が似ているからなのだろうか……。
不幸は平等に与えるくせして、幸福は不平等だなんて……。
神さまは一体、どこまで残酷なんだ……?
クソ……クソ……。
私なんて、まだかわいい方だよ──。
その告白を受けた私は、早歩きで雅弘さんを追い抜かし、進行ルートをふさぐようにして「もちろんですよ」と答えました。
私は続けて、「この先もずっと。……いや、何なら一生、私はナツの側にいますよ。天国だろうが地獄だろうが、どこへ行っても一緒です」と伝えました。
一瞬、私の瞳の奥をのぞくと、雅弘さんは灰色の青空を仰ぎながら「天国だろうが地獄だろうが……か! はははっ! 頼もしすぎるよ!」と言いました。
雅弘さんは振り向いて数歩の差を埋めると、私の瞳を真っすぐ見つめながら「蒼井さん。本当に、ありがとね」と言いました。
雅弘さんは「それじゃあ、行きましょうか」と言い、再び私の前を歩きました。
遠くなる背中に向けて「はい」と芯のある声を届けた私は、雅弘さんと一緒に、ナツが待っているチケット販売の列へ向かうのでした。
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「……あ! おーーい! 二人ともーー! おそいぞーー!」
私たちの姿を見つけると、ナツは口に手を添え、大きく手を振りながら、この人混みの中でもバッチリ聞こえるほどの声量で呼び叫びました。
私と雅弘さんは、両手を合わせながら人混みをかき分け、「ごめんごめん! ひさしぶりだからちょっと迷っちゃってさ!」と言い、ナツの隣に並びました。
ムスーっとした表情を浮かべると、ナツはフグのように頬を膨らませながら「うーむ! まぁいいのだがな!」というと、「ねぇ、そんなことよりもさー」といきなり話を転換させました。
「あのキャラの名前って知ってる?」
ナツは、入場ゲートの両サイドに飾られているキャラクターパネルを指差しながら問いました。
パネルを見た瞬間、私の口は「あぁ、キャンディキャットだね」と自然にその名前を出していました。
「え、もしかして今も覚えてる感じ?」
「昔、家族でよく来てたからさ。まだなんとなーく、頭の片隅に残ってるのよ」
そうするとナツは、「じゃあアレはー?」と言って、また別のキャラクターパネルを指差しました。
一つ一つ示されながら答えていくのは面倒くさいので、私はまとめて「アレは、ブルームバニー。で、その隣がマジカルマーモット、グリーニーボブ、反対側のヤツがグリーナグリだね」と言いました。
「ほぇー……すっご……」というと、ナツはボト、ボト、と拍手をしながら「私はもう全然覚えてないわー!」と続けました。
入園前から大いに盛り上がっていると、前方にあるチケット販売窓口が空きました。
「お、空いた空いたー!」と叫ぶナツに続いて、私と雅弘さんも受付の前に並びました。
「一日フリーパス、大人三枚で!」
スタッフが電卓を打ち込むと、ガラス窓越しに料金が提示されました。
私はポケットから財布を取り出し、大人一人分の料金である三千円をカルトンの上へ乗せようとした、その時。
「蒼井さん、いいんだよ」
私とナツの間にいきなり雅弘さんが割り込むと、カルトンの上に一万円を乗せました。
「あ……え……?」
お釣りとチケットを受け取ると、雅弘さんは「はい、チケットー」と言い、一枚をナツに手渡しました。
「あんがとー」
雅弘さんは「ほら、蒼井さんも」というと、そのままの流れで私にもチケットを手渡そうとしました。
私は「あ、あの、お金返します」と言い、チケットを受け取る前に代金を返そうとしたのですが、雅弘さんは「はい、ダメダメ」と言って、財布のチャックを無理やり閉じてしまったのです。
「え……いえ、でも、申し訳ないです……」と声を漏らすと、ナツは私の肩に手を乗せながら「まぁまぁ! お父さんもダメーって言ってるんだから、いいんじゃない?」とのんきなことを言いました。
あははー、と笑うと、雅弘さんは「はい! 気にしない気にしない! 蒼井さんは、首を縦に振って受け取っておけばいいの!」と言い、私の手のひらの上にチケットを乗せたのです。
「あ、ありがとうございます……」
「ほらほら二人とも! そんなところでボーッとしてないで、さっさと入っちゃいますよ!」というと、ナツはスタッフにチケットを提示し、園内へ入場していきました。
雅弘さんは「まーた勝手に行きようてからに……」とつぶやきながらチケットを提示すると、どうすればいいのか分からずに固まっている私を見て「蒼井さん、行くよ?」と声をかけました。
「……あ、はい」
返事をして、私も遅れて入場ゲートをくぐるのでした。
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両手を広げ、コマのようにグルングルンと体を回しながら園内を見渡すと、ナツは「さってと! まずはどこから乗りましょうかねー?」と跳ねるような声で問いました。
一部を除き、過去にほぼすべてのアトラクションを制覇していたので、私は「どこからでもいいよー。ナツにお任せする!」と返事をしました。
「ふむむー……じゃあ、お父さんは?」とナツが尋ねると、私の真横で雅弘さんが「僕も、蒼井さんと同じかな」と答えました。
「えー……? うーん……じゃあ、アレなんかどう?」
「げげ」
「あー」
ナツが最初に指を差した先にあったのは、大きな円を描き、山と谷が連なり、ねじれ曲がったレールがどこまでも、どこまでも続いてしまっているジェットコースターでした。
絶叫系のアトラクションはあまり得意ではないのでなるべく避けていたのですが、『おまかせ』と言ったのはこの私なので、責任を持って「あー……うん、いいよ! 乗ろう乗ろう!」と返事をして、ナツの隣に並びました。
ナツが「お父さんはどうするの?」というと、雅弘さんは「あんなのに乗ったら、おじさん仕事に行ける体じゃなくなっちゃうからパスで……」と答え、パラソルつきのベンチに腰掛けるのでした。
「とりあえず荷物は預かっておくから、ニ人で行ってきな?」
「そっかー。分かった。じゃ、荷物はよろしくね」とナツは言うと、ウサギ柄がついたリュックサックを雅弘さんの膝上に乗せました。
「すみません。お願いします」と言い、私も雅弘さんに手提げバッグを預けました。
「そんじゃあ行きますよー!」
「うん」
小学生の頃と同じように手を引かれ、私はナツ一緒に、ジェットコースター待ちの長蛇の列へ並びました。
列には小さな子どもも並んでいたので、誰でも乗ることができる安全設計のアトラクションなんだ、と思っていたのですが、実際は、私が思っていた以上にハードなアトラクションでした。
チェーンリフトでビーグルが巻き上がると、レールの最上部に到達。
目の前に灰色の空が広がったと思えば、そのまま真下へ急降下。
右に引っ張られ、左に引っ張られ、下に押さえつけられると、大きく一回転した拍子に内臓が浮き、体中から変な汗が大量に湧き出るのでした。
隣に座っていたナツは、「うわははははーー!!」とスリルを心から楽しんでいるようでしたが、私の方は終始「キャー!」やら「ワー!!」と大騒ぎでした。
ビーグルから降りると、ナツはピョンピョンと飛び跳ねながら「うははー! 久しぶりに乗ったけど、ヤッバたのし!」と声を上げ、とてもご満悦な様子でした。
「えぇ……えぇ……と、とても……」
息を切らしながら姿勢を前に崩し、両膝に手をつけていると、ナツは私の背中に「……ぜんぜん大丈夫じゃなさそう。一回ベンチで休憩する?」と言葉を浴びせました。
つぶれたような声で「ずびばぜんー……」と言った私は、ナツの肩を借りながら、雅弘さんがいるベンチのところへ戻りました。
その後、数十分ほどベンチで休憩した私たちは、園内散策を再開しました。
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「とゆーわけで……次は! アチラになりまーす!!」
「げげ!」
「ひえぇーーー!」
ナツが指差した先にあったのは、『ワイルドストオム』という、超巨大な空中回転ブランコでした。
つまり、数時間ぶりの絶叫系アトラクションです。
「あんなのに乗ったら、僕、本当に死んじゃうわ! ムリムリ! 今回も荷物のガード役に徹底するわ!」というと、雅弘さんは近くのベンチにおしりを接着させてしまいました。
ナツは笑顔で「んじゃ、荷物お願いしますねー!」というと、雅弘さんの隣にリュックサックを投げ置きました。
乗り気ではない私は、うつむきながら「いってきます……」と言い、雅弘さんにバッグを預けました。
アトラクションへ向かおうとすると、雅弘さんは「ねぇ、蒼井さん……」と言って私を呼び止めました。
「……はい、なんでしょうか」
「気をつけてね……」というと、雅弘さんは座ったまま、私に敬礼を送りました。
最後に「あ……あはは……なんとか生きて帰ってきますね……はい……」と言い残し、私はナツに手を引っ張られたまま、アトラクションへ乗り込みました。
シートベルトをきつく締め、安全バーで胴体をしっかり固定すると、ブザー音とともに座席が宙に浮かび、ゆっくり回転し始めました。
回転するスピードが増していくと、中心にそびえ立っている鉄柱を軸にして、徐々にアトラクション自体が斜めに傾き出しました。
「いやっほーー!! たのしーーっ!!」
上下左右にぐわんぐわんと振られ、ジェットコースターとはまた違った恐怖を感じた私は、安全バーを必死につかみ、全身を力ませながら「きゃーー! バカーー!!」とやまびこのように叫びました。
「ねぇねぇねぇねぇねぇ! 私! 私まだ生きてるんだよねぇ!?」
ナツは私の方に手を伸ばすと、「だいじょーぶだいじょーぶ! まだ生きてるからさー!」と笑顔で叫びました。
「あー! お願いします!! 生きたまま地上に降ろさせてくださいー!」
「しぬときはいっしょよー!」
「やめてーー!! こんなところでしにたくないーー!!」
その後も私たちは、約三分ほど、遠心力やら重力やらに振り回され続けました。
スタッフに安全バーを上げてもらい、シートベルトを外して座席から降りると、私の体から力が一気に抜け、「あ……あうあ……あう……あ、あうー……」と謎の呪文を唱えながらその場に尻もちをついてしまいました。
スニーカーの靴ひもを結び直すと、ナツは「サラー、大丈夫?」と声をかけました。
腰の骨が完全に砕け散ってしまった私は、その場にうずくまりながら「た……立てない……しばらく……このままにしておいて……」と言いました。
「無理です! 次のお客さんも待ってるんで、ちゃっちゃと移動しちゃいますよ! ほら、背中乗って!」とナツは言うと、私の近くに駆け寄り、背中を向け、腕を後ろに伸ばしながらしゃがみました。
「ありがとー……」
私はイモムシのように床をはいつくばった後、ナツの背中にしがみつきながらアトラクションを降りるのでした。
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フードコートの四人用のテーブルに座り、荷物を一つの椅子の上にまとめると、ナツは「さってと! なにを食べましょうかねぇ? こういうところに来ると何でも美味しそうに感じるから、困っちゃうんだよねー!」と陽気な声を張りました。
その言葉を聞いた私は、うん、うん、と首を縦に振りながら「あー……その気持ち、よく分かるわぁー……」と言い、ナツの考えに共感しました。
「でしょう? だから私、迷った時はとりあえずラーメンにしよう! って決めてるんだよねー」
「私はもう決まってるからいいんですけど、お二人はどうですか?」
雅弘さんはすぐに「んー、僕はカレーにしようかな」と決めると、「蒼井さんはどれにする?」と言い、選択のバトンを私につなぎました。
店舗の上部に取りつけられているメニュー看板をしばらく眺めた後、私は「じゃあ、オムライスにしますね」と言いました。
雅弘さんは財布を開けると、ナツに五千円札を手渡しながら「それじゃあ、これで買ってきてくれる?」と軽く言いました。
「ほーい。りょーかーい」とナツは言うと、鼻歌を歌いながらお札を握りしめ、非常にご機嫌な様子でカウンターへ向かっていきました。
紙コップに注がれている水をチビチビ飲んだ私は、雅弘さんに「すみません。チケットだけじゃなくて、お昼までおごってもらって」とお礼を言い、頭を下げました。
「いいのいいの!」と言ってほほ笑むと、雅弘さんはテーブルに肘をつき、手の甲にあごを乗せながら「これは、大人の務めなんだからさ」と言いました。
「ねぇ、蒼井さん」
「はい、なんでしょうか?」
「大人の仕事……役割って、なんだと思う?」
心の中で、雰囲気がどこかお母さんと似ているなぁ、と思いつつ、私は「役割……ですか? 私はまだ大人になれているわけではないので、あまりよく分からないんですけど……えぇっと、常に成果を出し続けること……とかでしょうか?」と答えました。
二度、まぶたをパチリと開閉させると、雅弘さんは「そう。僕たち大人は、常に成果を出し続けないといけない。でも、あともう一つだけ、蒼井さんの答えにつけ足すのだとすれば、『子どもたちを笑顔にする』っていう成果を出し続けることかな」と言いました。
雅弘さんは両手をほどくと、背もたれに大きく寄りかかりながら「だからもし今、蒼井さんが申し訳ないって思っているんだったら、それは違うよ?」と言いました。
「これが、僕たち大人の仕事なの。だから少なくとも今は、この瞬間だけは、お金のことなんて考えちゃダメ。気を使いすぎるのもダメ」
「ね?」
雅弘さん瞳の奥に残っていた濁りを確認した私は、深い深い心の奥底で『その目……やっぱり雅弘さんも、同じなんですね……?』『それは、大切な人が消えてしまったから……? それとも、「すぐ暴力を振るうような人間になりたくない」という怒りからなのか……?』と問い続けながらも、「……分かりました」と口に出しました。
「うん! ならよし!」と雅弘さんは言うと、紙コップに注がれていた水をグビリと飲み干しました。
空になった紙コップのふちを爪で弾いていると、三つの呼び出しベルを手に抱えたナツが「おまたせしましたー!」と言いながら席に戻ってきました。
テーブルの中央に呼び出しベルを寄せると、ナツは椅子に座りながら「なになに? 二人でなんか話してたの?」と言いました。
「いや、なんでもないよ」
私はてっきり、すべての会話内容をナツに明かすものだとばかり思っていたのですが、逆に雅弘さんは、口を固く結んだのです。
「えー? 別に教えてくれたっていいじゃん?」
雅弘さんはいたって冷静に「いずれ教えるよ。いずれ、ね」と返すと、ナツは「ぶー!」と唇をとがらせました。
その数分後、中央に寄せていた呼び出しベルが一斉に鳴り響いたので、私たちはそれぞれの商品を受け取り、会話を楽しみつつ、のんびりと昼食を済ませました。
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園内を歩き回っていると、光と影が地面に映し出され、まるで踊るかのように移り変わっていくのでした。
日が沈むにつれ、木々の葉は柔らかな夕陽に照らされ、その輝きが暗い景色を鮮やかに彩り始めます。
風がそよそよと吹き、花々の香りが空気を甘く満たしていました。
遠くで子供たちの楽しい笑い声が風に乗って聞こえ、アトラクションの音や人々の声が園内に幸福な響きをもたらしていました。
しかし、そんな園内も、時間がたつにつれて静寂に包まれていきます。
人々は徐々に引き揚げていき、一部のライトが点滅し始め、周囲が静かな暗闇に染まっていきます。
アトラクションの影が伸び、その姿が不気味に映りました。
風は冷たくなり、夕闇が園内を包み込んでいくのでした。
園内を隅から隅まで散策しているうちに、時刻は午後五時十分と、閉園時間の二十分前になっていました。
私たちは入退場ゲートに向かっていたのですが、その途中、先頭を歩いていたナツが突然小声で「……ごめん」と謝罪しました。
「え?」
私の声が、空気に触れて鳴りました。
夏月は、弱々しく笑いながら「……ちょっと、トイレに行きたくてさ。だから二人とも、先に行ってていいよ」と言うのでした。
「……うん」
何を血迷ったのか、私はそれ以上問い詰めることはなく、夏月の言葉に従い、彼女を置いて先に進むことにしたのです。
しかし、いざ彼女が視界からいなくなると、私は途端に心配に駆られ、すぐに足を止めるのでした。
「……蒼井さん」
私のことを気にかけてくれたのか、雅弘さんも足を止めて振り返りました。
彼もまた、同じ不安を抱えているのでしょうか。
振り返る彼の姿には、どこか心配そうな表情が浮かんでいました。
私は口ごもりながら、「すみません、私もちょっと……」と言葉をつまらせました。
「……約束、しましたから」
「私たちは、どこへ行っても一緒です」
私がそう言うと、雅弘さんはすべてを理解してくれたのか、無言で頭を下げるのでした。
「すぐに戻ります」
夏月の行く先を見失わないよう、私は彼女の後を追いかけました。
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星々が瞬く夕空の下、私は人影もない展望台へと静かに足を踏み入れました。
足元の砂がひそやかに私の靴音とともに音を立てて、展望台の静けさを破ります。
夏月がこの場所を選んだ理由は、私にはまだつかみきれていない謎でした。
そっと彼女の後を追いかけると、足音は草の葉と風にかき消されました。
風が微かに吹き抜け、木々がざわめきを上げました。
そして、高台に到着した私は、目撃しました。
寂しげに丸太の手すりに立っている、夏月の後ろ姿を。
彼女の姿は、木々と風の中でほのかに揺れる中で、ますますぜいじゃくに見えました。
心臓が激しく鼓動する中、私はようやく、彼女の真意を読み解くのでした。
夏月の行動の理由、そして、この高台へやって来た動機。
すべてが明らかになっていくのでした。
夏月の姿が、目の前に広がる。
彼女は両手を広げると、まるで覚悟を決めて、すべてを受け入れたかのようで──。
「夏月!」
私の声が高まり、心からの叫びが風に消える。
彼女が振り返ると、驚きとともに私たちの目が合った。
その瞳には、消えないあの日の記憶が映っているのだった。
「な、なんで……」
彼女がささやいた、その瞬間。
「──あっ」
彼女が手すりから足を滑らせる様子は、まるで時間が止まったかのようでした。
周囲の音が遠のき、心臓の鼓動が私の鼓膜を支配し、一瞬で彼女の運命が決まってしまう緊張感が広がるのでした。
身体中が緊張と恐怖で凍りつく中、私は全力で駆け寄り、手を伸ばす──。
……。
…………。
あぁ……ごめんなさい……。
ダメだ……。
間に合わない……。
『まだだ』




