傍側
「僕はもうじき死ぬ」
病室の静寂を破る彼の声は、かすかに震えていた。
壁にかかる時計の秒針の音が、重苦しい空気を刻む。
「……分かってる」
相手は、その事実を知っていた。
相手は死を告げる使者であり、避けられない終わりを告げる存在でもある。
故に、その声には慈悲も憐れみもなかった。
「ねぇ、聞いてもいいかな?」
「……あぁ」
相手はかすかに頷き、しかし視線は彼から逸らされていた。
「死ぬ瞬間って、どんな感覚なんだろう?」
彼は自らの運命を静かに見つめ、その先に待つ未知の世界に対する恐怖と興味を同時に抱いていた。
「…………さぞ、虚しいだろうよ」
「……かつて神童と呼ばれたモーツァルトも、天才と称されたクルト・ゲーデルも、死ぬときは、みんな等しく虚しいもんだ……」
「燃やされて、肉が落ちて骨になって、土の中で朽ちていく……」
彼の心は、死の冷たい現実に触れていた。
彼は死という不可避の運命に直面し、表面には出していないが、その恐怖に苦しんでいた。
「まぁ……それでも、誰かに看取られながら死ぬのならまだ救われてる方だと思うが……」
「……」
「けどあんたは、『例外』だな……」
「さぞ、孤独で寂しいんだろう……」
「はははっ。口調は悪いけど、君はいつだって優しいよね」
彼は自分の終焉に向き合いながらも、相手への感謝と敬意を忘れていなかった。
「……違う」
「俺は、優しいんじゃない」
「尊敬してるんだよ」
「だから俺らは、死んでも一人寂しくならないように、ついていくんだよ」
「生きている間も、死んだその先もよ」
「そうか……」
彼はそうつぶやいた後、噛みしめるように言った。
「僕は、いい人間になれたのかなぁ……」
彼は自問し、病床の上で自らの生涯を振り返った。
相手は黙り込んだまま、彼の問いに答えることはなかった。
彼は穏やかな表情でその様子を見つめ、最後の瞬間に向かっていく。
そして、静かな空気の中で、彼は再び口を開いた。
「ねぇ、最後に一つ、お願いしてもいいかな?」
「……なんでも言ってみろ」
相手は柔らかな声で応えた。
「あ、そこまで重いものじゃないからね。心配しなくていいよ」
「じゃあなんだ?」
「今度は、沙楽を見守ってあげてほしいんだ」
彼はそう言い、穏やかな笑顔を見せるのだった。




