使命
この日も私は、図書館や自宅から持ち込んだ美術関連の参考書を活用しながら、キャンバスと向き合っていました。
しかし、参考書を何冊読み込もうとも、美の本質や奥深さをつかむことはできませんでした。
交錯する線と躍動する形だけは、私の右手の中でもハッキリと感じ取ることができます。
しかし、それだけです。
それだけが、私に許された表現の範囲なのです。
紙を一枚隔てたその先に描かれたものがどのような色調を持っているのかは、残念ですが、私には理解できないのです。
これはあくまでも私の考えなのですが、形や輪郭だけで美の全体を表現することは不可能だと思っています。
色がなければ、その絵画は魅力の大部分を失ってしまう。
色は、作者の感情や情景を表現するための重要な要素です。
例えば、赤は、情熱や愛情を。
青は、静寂や安らぎを象徴します。
色にはそれぞれの意味があり、それらが作品に奥行きを与えるのです。
しかし、私にはそれが見えない。
私が見ている世界を分かりやすく表現するのであれば、世界が常にモノクロのフィルターを通しており、さらに一枚の画面の中に閉じ込められているようなものです。
そんな退屈な世界のことはさておき、今日も私は、キャンバスと向き合っている自分の姿を頭上からふかんします。
そこにいるのは、静かに参考書をめくりながら絵画の在り方を必死になって理解しようとする私。
ページに描かれている人々が色彩豊かな作品を楽しむ様子を見ると、私もその世界に飛び込みたいと心から願います。
まぁ、無理な願いですけど……。
……。
けど、たとえ無理だとしても。
ハンデを背負ってでも。
その夢に向かって身を置くことが、たとえ苦しいものだとしても。
最終的に、醜いものが誕生しようとも。
どんな形であれ、私は絶対に、最後まで成し遂げなければなりません。
これは、避けられない道なのです。
それは約束であり、使命なのだから。
「ねえ、ナツ」
このままだといけないと悟った私は、参考書を閉じ、隣の角椅子に腰を下ろしている彼女の名前を呼びました。
ナツは顔を上げると、私を見つめました。
「んー?」
「この絵なんだけど……」
「一回、家に持って帰ってもいい……かな?」
ナツはすぐに首を横に振ると、ミサちゃん先生の許可もなしに「ん! 大丈夫だよぅ! つか、いつでもサラの好きなタイミングで持ってってもいいんだよ?」と言いました。
「い、いや、何回も持って帰るのはさすがに申し訳ないから、この週末中にどうにかするよ」
「必ず」
ナツの瞳は、静かに私の目を捉えていました。
その視線には、信頼と支えが込められているようにも感じました。
しかし、それらが『本物』なのかどうかは、私には分かりませんが……。
「……」
「……そうだね」
「じゃ、私も運ぶの手伝うよ」
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部活の活動終了時間が迫りつつある中、私の心は揺るぎない決意で満ちていました。
それは、日々体験している日常に改めて深く触れ、理解し、感じようとする決意です。
お母さんに電話をかけてしばらくした後、ナツはキャンバスを一階に運ぶ手伝いをしてくれました。
キャンバスの重みが手を圧迫し、その重みは、私の心の中に刻まれた決意をも強固にするのでした。
階段を下りている途中、ナツがそっと声をかけてきました。
「サラ、あんまりムリしちゃだめよ?」と。
ナツの気遣いが、私の内なる強さをさらに引き出してくれるかのようでした。
そうやってナツは、いつも私のことを心配してくれる。
しかし、今回だけは、その言葉をそっくりそのままお返ししたいと思いました。
あなたは、とにかく優しすぎる。
その優しさが、いつか自分自身を傷つけてしまうのではないかという、恐怖。
その暗い予感が、私の心を強く揺さぶるのです。




