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モノクロームに愛された者たちへ  作者: ヤナギ ショーキ
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『なにか』

「────て」


 あまりにも悲しく、寂しさに満ちた、底の世界。


「お──サ──」


 たった一人、奥底で叫び続けるあなたは。


「おきて、サラ」


 何を追い求め、何を探し続けているのでしょうか。


 ─────────────────────


「あ……れ……?」


 誰かの声に導かれてまぶたをゆっくり開けると、私は薄暗い空間の中で仰向けになっていました。


 上半身を起こし、私はその場に立ち上がりました。


 ぐるりと一周、私は周囲を見渡してみました。


 しかし、左右前後、どこを見ても、ただ薄暗い空間が広がっているだけでした。


 不安にかられた私は、すぐにこの場所から離れたいと思いました。


 ────しかし。


 しかし、なぜでしょうか。


 なぜ私は、不安と同時に、本来ありえるはずもない安心感をこの薄暗い空間から得ているのでしょうか。


「──の、────夫──か」


 すると突然、私の背後から誰かのかすれ声が聞こえてきました。


 ありません。


 ありえるはずがありません。


 そんなことはありえないのです。


 さっき私が周囲を確認した時には、確かに誰もいなかったはずです。


 では一体、今、私の背後にいるのは誰なのか。


 それではまるで、本物の────。


 その瞬間、私の体に恐怖がベッタリと貼り付き、全身の毛を逆立てました。


「だ……」


「……だれっ!?」


 恐怖心を少しでも和らげようと、私はわざと大声を出しながら振り向きました。


 ですが、私の背後には誰もいなかったのです。


「え……」


 私は青ざめ、体が硬直してしまいました。


「だ、だれか……だれか、そこにいるんですか……?」


 声が聞こえてきたと思われる方向に向かって、私は必死に問いかけました。


 すると。


「──は、──に────」


 今度は私の背後からではなく、どこか遠く離れた場所からかすれ声が聞こえてきました。


 声の主は、私に何かを伝えようとしているのですが、声量があまりにも小さかったため、何を言っているのかうまく聞き取ることができませんでした。


「あの……あなたは、どこにいるんでしょうか……」


 体を震わせながら、私は問いかけました。


「──だよ」


 すると、さっきよりも大きな声で返事がありました。


「もう一度……もう一度だけお願いします……」


 聞き逃すことがないよう、私は耳をすませながらそう言いました。


「ここ、だよ」


 ハッキリとした声で返事がありました。


「うしろ、だよ」


 声の主は、続けて言いました。


「あなたの、うしろ」


「すぐうしろ」


「────え」


 恐怖で頭が真っ白になるよりも先に、私は振り返っていました。


 そして私は、戦慄したのです。


「あ、あ、あ……あ……! あ、あ……」


 真っ黒く、重油のようにドロドロとした液体を身にまとい、かろうじて人の形を保っている『なにか』が、私の後ろに存在していたのです。


 遅れて恐怖が追いつき、私は体の芯から震え上がりました。


 喉元は凍りつき、両足は石像のように動かなくなってしまいました。


 私は、まだなんとか機能していた目を動かし、視線を『なにか』の全体から、『なにか』の足首へ移しました。


『なにか』の足首は、決して自由が許されない罪人のように、地面から伸びる無数の鎖によって固定されていたのです。


 ────いけない。


 これ以上、足首を見てはいけない。


 頭の中で、自分にそう強く言い聞かせました。


 しかし、視線がその一点に吸い寄せられてしまうのです。


 おぞましさを感じるのと同時に、私は頭の片隅でこう思いました。


 これは、鏡。


 まるで鏡を見ているみたいだ、と。


 すると突然、『なにか』が私に向けて両手を差し出しました。


「サラ……こっちにきて……わたしの……わたしのて、を……」


「……え?」


「…………」


「……うん」


 なぜ、私の名前を知っているのか。


 なぜ、恐怖の中から確かな安らぎを感じているのか。


 考えても、まったく分かりませんでした。


 グチャグチャと考え続けるよりも先に、私の足は一歩、黒い大地を踏みしめていたのです。


 ですが、一つ。


 一つだけ、言えることがあるとすれば。


 それは、この私が、ここに囚われている『なにか』を救ってあげなくちゃいけない。


 なぜか、そんな気がしたのです。


 私は、『なにか』のすぐ目の前で立ち止まりました。


 近くでそのおどろおどろしい姿を見ると、醜悪な姿とは裏腹に、触れれば粉々に砕け散ってしまいそうなほどにもろく、息を吹きかければ吹き飛んでしまいそうなほどに繊細。


 それはまるで、ガラス細工──。


「サラ……てを……」


 私は言われるがままに両手を差し伸べ、『なにか』の手に触れました。


 その見た目通り、『なにか』の手はドロドロとしていて、とても冷たい。


「やわらかくて、あったかい……」


 これではまるで──。


「たしかにいきているんだってじっかんできるよ……」


 ──死人。


 死人の手にでも触れているかのような──。


「……サラ、うしろ、みて」


 そう言うと、『なにか』はそっと両手を離し、私の後ろに人差し指を向けました。


『なにか』が示した方向へ体を向けると、真っ白いドアがポツンと一枚だけ存在していました。


「なんでドアが……? さっきまでなかったのに……」


 視線をドアに向けたまま、私はそうつぶやきました。


「このドア……どこにつながってるの……?」


 視線を戻し、私は『なにか』へ問いかけました。


 少しの沈黙の後、『なにか』は答えました。


「あければ、わかるよ」


「……あけてみて」


 一度大きく深呼吸をして冷静さを取り戻した私は、先がどこへつながっているのかを確認するため、『なにか』の言う通り、ドアを開けてみることにしました。


 ドアの前に立ち、私はドアノブを手前に引きました。


 しかし。


「あ……れ……?」


「どうかした?」


「このドア、開かないんだけど……」


 どれだけ強くドアノブを引っ張ってみても、ドアが開くことはありませんでした。


「たぶん、鍵がかかってるんじゃないかな……」


 私がそう言うと、『なにか』は「ははっ……」と、どこか悲しげな笑い声を飛ばしました。


「そう……かぎ……か……」


「まぁ、そのとおりなのかもしれないね……」


「まだ、そのときではないと……」


 地面へ吐き捨てるようにしてつぶやくと、『なにか』は黒い大地に両手をつけました。


 崩れ落ちる姿を近くで見ていた私は、何かしてあげられることはないのかな? と思いました。


 ですが、何の力も持っていない私は、こうして少し距離を置いた場所から『なにか』が落胆している姿を見ているだけしかできないのです。


 私には、普通の力さえ宿っていないのです。


 つまり私は、人間以下────。


「──だいじょうぶ」


「まだ、チャンスはあるから、ね」


 顔を伏せたまま、『なにか』は言いました。


「だってわたし、しっているから。サラの──いが────づ────を」


「あなた──せ──は、や──くい────ら」


 言葉の途中でノイズが入ってしまい、肝心な部分で何を言っているのか聞き取りませんでした。


「私……?」


「私がなんですか……っ!?」


『なにか』に私のことを聞こうとした瞬間、薄暗い空間が激しく揺れだしました。


 バキ、バキ、と大きな音を立てると、薄暗い空間の全体にヒビが入りました。


 ヒビ割れた隙間からは真っ白い光が差し込み、周辺が明るく照らされました


「……じかんか」


 小さな声で『なにか』が言いました。


「あ、あなたは、どうなるんですか……?」


 私がそう聞くと、『なにか』は首を大きく横に振りました。


「わたしのことはいいんだ。きにしなくていい」


「わたしは、いつでもここでまっているから」


「だから、いってらっしゃい。サラ」


『なにか』が最後にそう言うと、薄暗い世界は跡形もなく崩壊してしまいました。


 真っ白い世界に投げ出され、どこまでも落ちていく、私。


 包み込まれるような、とても優しい感覚。


 温かく、どこか懐かしい。


 新しい私の、新しい目覚め────。

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