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キスのあじ

 お説教を兼ねたマドカの話が終わったのは朝七時。

 彼女がこのアジトに来たのが夜明け直後だったので、それから二時間以上が経過していた。

 今日くらいはゆっくりして体力を回復させたほうが美容と健康に良いと思うのだがそうも言っていられないか。幹弥叔父さんを呼び出して手荷物を纏めたマドカは彼と一緒に出かけていった。

 なんでも今回の一件を丸く収めるべく白子組と大塚精気工業をオレの事務所に呼びつけているそうだ。

 オレも行くべきだとは思ったのだが、マドカに「ここで待っていてくれ」とお願いされたら行くことができなかった。

 彼女におまかせするのは少し後ろ暗いが、残る29歳教との後始末を控えて体力回復に努めてほしいとも言っていたし、なによりこの件の中心である恭介の護衛役も任されていた。

 今回はオレも彼女を心配させたのでここはマドカの意見に従おう。

 マドカが出発して静かになったところで寝室に向かうと、中ではスウスウと小さな寝息を立てて恭介が眠っていた。

 これまで研究の実験体になっていて寝不足だったのかまだ目覚めそうにない。


「それにしても可愛いなチクショウ」


 ぷるぷるもっちりの頬を寝息で震わせている恭介が愛らしくて、オレは見ているだけでちょっとした悪態をついてしまった。

 この感情は流石に父性や兄貴風のようなもので彼が持つ淫魔の力とは関係ないだろう……たぶん。

 だが今度はほっぺにチューをしてあげたいと思ってしまったのはたぶん淫魔の力の影響ではないか。

 いや……これは孤児である恭介を引き取って親代わりになろうと考えているオレの中に芽生えた父性だ。多分そうに決まっている。


「ちゅ」


 そうして思い悩んだ末にオレは父親気分で恭介の頬にキスをしてしまった。

 キスするまでに葛藤したせいかドキドキがすぐに収まらず、少しオレのよだれがついて濡れた頬は幼い頃に見たマドカの裸よりも艶やかに見えてしまう。

 あいや性的な意味ではなくて可愛すぎて死にそうという意味なので悪しからず。

 流石にオレもキス一回で挙動不審になってしまったので、恭介がぐっすり寝ているのはオレにとっても幸運だった。


「おはよう恭介。起きたらちゃんと顔を洗ってくるんだぞ」

「はーい」


 それから二時間ほどが過ぎて恭介はようやく目を覚ました。

 起きるまでベッドの横に椅子を置いて彼の寝顔を眺めてしまったのは我ながらヘンタイ的だが、これは我が子を愛でる親心だと自分に言い聞かせた。

 素直にオレの言葉に従った恭介は寝起き一番に顔を洗ったので、あのときのオレのよだれは綺麗に落ちてしまう。寝込みを襲うキスで頬を唾液まみれにしたのが相手にバレたら流石にオレも生きてはいられないほど恥ずかしい。


「よし。しゃっきりしたな。とりあえず朝飯にするが、パンとおにぎりでどっちがいい?」

「何でもいいよ」

「じゃあおにぎりだ。コンビニのだから大したものじゃねえけどな」


 朝食はマドカが来たときに置いていったコンビニのおにぎり。

 ツナマヨ、こんぶ、梅に鮭があったのだが、恭介はいの一番に梅とこんぶを選んだあたりはちょっと意外にオレは感じた。

 こんぶはまだしも小学生で梅干し好きは少数派だろうなという意味で。

 オレも二十七歳と恭介よりはだいぶ歳上なのだが、実のところ梅干しおにぎりはそんなに好きじゃないしな。


「充分美味しいよ。梅干しなんて久々だし」

「落ち着いてゆっくり食べないと喉をつまらせるぞ。そんなにがっつくなんて恭介は梅干しが好きなのか?」

「いいやそれほどでも」

「それにしてはすごい食欲じゃねえか」

「だってさ……梅の酸っぱさがお兄ちゃんと同じ味だったから」

「え?」


 恭介が言うオレの味とは何かと思い小首を傾げていると彼は恥ずかしそうに小声でこう言った。


「あのときのお兄ちゃんのお口と」


 小声だがバッチリとその言葉をオレの耳は拾い、そしてそれを聞いたオレは固まってしまった。

 オレのお口ということはつまりオレとしたキスの味のことかと。

 言われてみるとあのときはオレも切羽詰まった状況だったのでキスの味など気にも止めていなかった。

 その状況でオレの口づけを恭介がじっくり味わっていたと聞くと、目の前にいる齢十歳の少年がとてつもなくスケベに見えてくる。

 高校時代のやりたいさかりの時期に彼女とのあれやこれを自慢してくる惚気けた同級生でも、こんな風に思ったことなどなかったのに。


「お兄ちゃん?」


 ボケっと固まってしまい無言になってから結構時間が経ったのか。

 気になって呼びかけてきた恭介の声にオレはハッと意識が戻った。


「すまん。なんでもない」

「もしかして今の聞こえちゃった?」


 ここでなんでもないと返したのが悪かったのかもしれない。その言葉でオレがさっきの小声を聞いていたことを察してしまう。

 オレとのキスの味をハッキリ憶えていることをオレに知られたのが恥ずかしいのか恭介の頬はパッと赤らんだ。

 このコロコロと様変わりする彼の反応。ちょっと可愛すぎやしないか。


「聞こえたけれど、なんで恭介が恥ずかしがるんだよ。むしろ梅干し味だなんて採点されたオレのほうが恥ずかしい。ここ最近梅干し自体食ってないのに」

「だったら……もう一度味見してみてもいい? もしかしたら僕の錯覚だったのかもしれないし」

「ちょっ!」


 オレは恭介が恥ずかしがっているのをわかった上で、あえてオレのほうが恥ずかしいと素直に返した。

 すると逆に吹っ切れたのか。真っ赤な顔でオレに擦り寄った恭介は爆弾を投げつけてきた。

 あのときはオレも正常な状態じゃなかったが今はシラフだ。男同士なのにキスをするなんてシラフでやってもいいものだろうか。

 だがこれはあくまで味見。別にやましい意図があるわけではない。

 オレは自分に言い聞かせると、恭介の脇を持って彼を抱き寄せて目と鼻の先で見つめ合う彼にこう言った。


「これでよし。そんなに言うのなら味見してみろよ」

「うん」


 オレの許可を得た恭介は首を伸ばす。そして唇をオレのそれに重ねると小さな舌を伸ばしてオレの唇を喋んだ。

 オレの味見と言うことで舌同士も絡まり合うのだが、オレからすると恭介の口は塩気があってすっぱい。

 というかこれってさっきまで彼が食べていた梅干しおにぎりの味じゃないか。

 となるとオレの方ははツナマヨおにぎりを食べたばかりなのでその味なのだろうか。

 少しして恭介も唇を離したのでオレは早速たずねる。


「どうだった?」

「ツナマヨ味だったけれど……やっぱり少し梅干しみたいな味がしたよ」

「本当か? 梅干しなんてマジでしばらく食べていないんだけどなあ」


 恭介が感じている梅干しに似た味とは何であろうか。

 小首を傾げながらポケットに手を入れたオレはいつものクセで食後の一服を取り出す。

 オレも今ではめっきり少なくなった愛煙家という希少種なので、子供の前で吸うのは良くないのを知っていても取り出すまではついやってしまう。


「おっと。恭介の前で吸うのは良くないな。ケムいだろうし」

「それだ!」


 オレが戻そうとしたタバコの匂いを少し嗅いだ恭介は正体見たりと声に出した。

 そういえば今日はマドカのお説教のあとにも一本吸ったし、昨日も突入前に吸っていたっけな。


「コイツか。これはタバコだから恭介にはまだ早いぞ」


 恭介には梅干しのように感じたらしいが、オレはこのタバコからそんな味を感じたことはない。

 まあオレの口臭と混ざり合うことで偶然梅干しみたいな香気になったと考えるとありえなくもないか。


「わかった。だけど今度またするときには、する前にそのタバコを吸ってね、お兄ちゃん」

「それくらいなら構わないぜ」


 厳密にはタバコを吸った直後にキスをしたら恭介にもタバコを少し口移しすることになるのだが……このときオレは味見という名目でキスしたばかりだったので少し間が抜けていたか。

 それにこのときは深く考えていなかったのだが、「またするときに」と言うことは「あとでまたオレとキスをしたい」という意味でもあると気がついたのは随分あとの話である。

 とりあえずこの日は味見を終えた恭介は残りのこんぶおにぎりを食べてから久しぶりのテレビ鑑賞に日常を感じ、そしてオレは恭介の様子を観察しつつマドカからの続報を待った。

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