青き城壁
大昔のヨーロッパにこんな逸話がある。
時代は十九世紀前半の第一次世界大戦が繰り広げられていた頃。当時のドイツ帝国軍にトゥールという青年将校が居たとされた。
彼の存在は「いた」という断定ではなく「された」という噂話に留まっているのには理由があり、それは彼の戦働きを物語る伝聞がどれも本当の話だとは思えないからだ。
というのもトゥールは自国を離れて流れてきた東洋人たちが暮らすスラム出身の孤児で、彼らのコミュニティが独自に生み出した影視という見切りの技術を授かっており、白兵戦においては剣一本で重火器で武装した集団を斬り殺す剣豪だったと言われているからだ。
トゥールについた通り名は青き城壁。彼の後ろに立った部下たちの目線では彼の存在は戦場に出現した城のようなモノだったからだという。
「(このトゥールが使用していたとされる刀を加工した拳銃が生み出すバリア……青き城壁の前では壬生狼でも為す術もないわ)」
オレは知らなかったのだが、トマトが使用しているサイコガンはオレの持つ黒き魔槍と対になる絶対防御の銃だったようだ。
かつて無敵の名を欲しいままにしていた青年将校トゥールが青き城壁と呼ばれた伝説の種明かしといこう。
スラムでトゥールを育てた元日本人が持ち込んだ、精気を操る鍔をつけた刀の力を引き出した彼が編み出した独自の防御術式。
それが真偽すらも疑われたトゥールの持つ青き城壁の正体だった。
敵の攻撃は一切通用せず、同行する仲間すらも守り通したその力は、当時の歩兵用武器では何も通用しない。正しく白兵戦においてトゥールは無敵の存在と言えよう。
そしてトマトが持つ青い銃はトゥールの遺品から作られたサイコガン。故に彼の得意としていたこの絶対防御を展開する能力がこの銃には秘められていた。
そんな仕掛けを知らないオレからすれば、貫通力に特化させた流星の一条さえも通じない相手に手を焼いて距離を取る。彼女の防御はとてつもないのだが、攻撃面では未熟者なのが幸いして膠着状態となった。
タイマンでそれなりに離れているとお互いに動き回れば銃弾は当たりにくい。
表皮を掠めるにしてもトマトの放つ威力なら即座に動けなくなる傷はできず、正しくかすり傷と言うやつだ。
普通ならばそれにたいしてオレの流星は三次元的な動きで相手を捉えて直撃しているのだが厄介なのはこのバリア。威力を高めて力づくで破るにしても、撃ち合いの最中ではその隙がない。
オレだけ動き回るがトマトはバリアを張って防御しながら体の向きを変えるだけ。体力の消耗の面では向こうが有利か。
「正面から破れないのなら」
相手が構える盾が予想以上に硬いのならば、盾の後ろから撃てばいい。
オレは横に走ってトマトの狙いを撹乱しつつ、上空に向けて流星を打ち上げる。
曲射可能なサイコガンは比較的多いのもありトマトも頭の上を警戒してバリアを張り、頭上から落ちてくる漆黒の流れ星を軽々と受け止めた。
ここまでは予想通り。
今のところはオレの対抗策は単なる曲射だと思わせておけばいい。
「そろそろ本気で撃つわ。降参すれば命までは取らないであげるよ」
「む……く!」
本気と言うだけのモノはあったのか。トマトの挑発を無視していたオレの脇腹に激痛が走る。
弾丸は躱したハズだが、向こうも曲射を仕掛けたのか。
小首を傾げてよろけるオレの足が何かに躓く。ヨロヨロとしたオレの動きを見て弱っていると思ったのかトマトは勝ち誇った態度だ。
「次は急所に当てるよ」
「ハッタリだな。狙って当てて来たのには褒めてやるが、狙って手加減したのが本当ならば今ので決着をつけなかったのは大きなミスだぜ」
「そういうアナタの言葉こそただの強がりだ!」
ニヤリと顔をゆがませたトマトの背後では彼女のバリアとオレの流星がぶつかる。
あくまで先程防がせたのは囮であり、本命はニ回の加速で背後から襲いかかるのがオレの作戦だった。
だがトマトの守りはそれすらも防いだ。
あれだけ意識を背後からそらしておいたハズなのに。
「ほら……これでアナタの望みは絶たれた」
「勘がいいことでぇ!」
苦し紛れに見えるだろうが仕方なし。
決め手のハズだった背後からの攻撃を防がれたオレは破城槌を応用した煙幕でトマトの目を欺くことを試みる。
だが視界を封じたはずなのに彼女の弾丸は的確にオレに向かって飛んできた。
小さく何かにこすれるような音を立てながら飛来したソレはふとももに直撃し、ズボンに防弾加工が施されていなければ動脈が切れていただろう。
「なるほどね」
オレもトマトが使った不可思議な軌道の弾丸について仕組みをある程度察している。
オレの流星も似たようなものなのと、先程躓いたことでほとんど見抜いたつもりでいた。
だが彼女の仕掛けはオレが思ったよりも強引で、そして狙った場所を撃てるというのもハッタリとは言い難いようだ。
加えて意識外の背面すら防御しているあたり、おそらく外部からのあらゆる角度の攻撃を防ぐようにバリアを配置した上で戦う必勝戦術なのだろう。
こちらの攻撃は通じず相手の攻撃は必中。これでは急所に当たらなくてもいずれオレが参ってしまう。
なるほど……よく考えられた戦術だ。だがオレにその仕組みを見抜かれたのはお前さんにはアダだぞ。
「イメージするのはそうだな……よく跳ねるピンポン玉だ。貫こうとすれば逆にこっちの弾丸が砕けちまう。ならば丸くてつるりとした弾丸でバリアを弾くようにする。ついでに保険としてコイツも持っていけ。要するにトコロテンってやつだぜ」
「ぐっ!」
あと一歩。
オレが一歩早く気づいていなければ、おそらく彼女の思い描いた絵図の通りにここに横たわったのはオレの方だ。
最後の詰めの手を打ったはずのトマトは激痛とともに弾け飛ぶ愛銃の姿に呆気に取られた。
衝撃で折れた人差し指と親指があらぬ方向に曲がり、激痛が彼女の握力と思考を鈍らせる。
鉄壁の布陣を敷いていた青き城壁は脆くも崩れ去り、煙幕が晴れるとそこには右手を痛そうに抑える彼女と銃を彼女に構えるオレの姿。
形勢逆転。
オレの勝ちだ。
「何をやったんだ?」
トマトが困惑するのも無理はなかろう。
「簡単なことだぜ。お前さんの撃った弾丸の通り道をオレの弾丸で逆流させた」
「見抜かれていたか」
「単純な跳弾芸なら器用なヤツだで済んでしまうが、あの煙幕の中でも当ててきたら流石に仕掛けもバレるさ。まさかバリアでほぼ全身を覆いつつ、相手に直撃するように跳弾専用の弾の通り道を作っちまうなんてな。まったく……並のバリア発生装置じゃこんな芸当できるわけがないぜ」
「いくら負けたからと言っても、その秘訣まで教えるつもりはないよ」
「別に構わないぜ。それよりもオレが勝ったらとっておきの情報を伝えるっていう話はどうなったよ。お前さん……まさかアレはフカシか?」
「フフ……とんでもない」
「じゃあ早く唄いな」
「簡単な話だよ。まずは前提の話だが……今回の一件で出撃したシンズのメンバーはワタシ以外は既にあの女の手で全滅している。現場責任者だったガーベラ・シンだけでなく、アンタが気絶させるまでに留めた部下たちもひっくるめて」
「殺したかは別にして、マドカが倒したと言ったんだから、ソレはわかっている。むしろお前さんがマドカの手から逃げ延びたことがオレとしてはびっくりだったよ」
「ワタシも伊達にサイサリス・シンを承ってはいないさ。それでだ……淫魔の末裔について29歳教の本部が知っているのは、大塚精気工業の研究所が彼を幽閉していることと白子組が彼を狙っているという情報止まり。アンタのことや彼の現状について、ワタシはまだ上に報告していないんだよ」
「つまりここでお前さんを消せば当面の危険はなくなるということか」
「そういうこと。いずれ上もアナタの元に彼がいることに気づくでしょうけれどね」
オレは痛々しい姿を見せるトマトにトドメをさすための弾丸を黒き魔槍に充填する。
生身の人間相手に使用するのは可哀相だが、これはお互いの面子をかけた果たし合いの結果。むしろ彼女に手をかけなければこの勝負は完遂しない。
最後の足掻きであのバリアを展開したとしても苦しませない攻撃となると、精気相転移を消滅させたときと同じく高密度に精気を集約させたあの弾丸が相応しいだろう。
先程とは異なり精気を集中するだけの余裕もある。オレは心のなかで数を数えた。
「今のは確かに賭けに見合った報酬だったぜ。それじゃあサヨナラだ」
そして引き金を弾くと銃から精気が迸った。
破城槌の応用でトマトを包み込むように放たれた黒い砲弾は地面をえぐり、彼女をこの場から消し去った。
オレは気づかなかったが彼女が用いた希少なサイコガン、青き城壁もその場から消えている。
文字通り彼女がこの場にいた痕跡は消えたのだろう。




