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魔王の唯一


カイルは、その力でもって、王宮を血で染めた。

容赦はなく、躊躇もなかった。

投獄されていた五ヶ月間、信じていた者たちのほとんどに裏切られ、背を向けられ、苦痛と屈辱で染め上げられた日々は、カイルの心から慈悲を失わせるには十分だった。

カイルは、いっそ、淡々としていたという。

激昂する様子もなく、ただ当然のこととして王宮内を歩いていった。

カイルを捕らえようと、あるいは殺そうと、剣を向けてくる大勢の兵士や軍高官たちを、一瞥もくれずに肉塊に変えながら、玉座へと進んだ。

その足元には、魔なるものたちが無音で付き従った。彼らは、王の命令なくしては動かない。むやみと人を襲うこともない。しかし、闇色をした異形の姿は、恐慌に拍車をかけるには十分だった。

悲鳴と怒号が王宮内に響き渡る。

カイルが玉座に腰を下ろし、眼下を見下ろしたとき、辺り一面は血の海だったという。

壁までは赤く染まった王の間を見回して、カイルは笑った。

「さあ、始めようか」


─── それが、粛清の始まりだった。


カイルは父王すら手にかける覚悟だったが、実際には、その必要はなかった。

王はすでに死の床についていた。

第二王妃が、病がちな我が子のためと偽って集めた薬師たちは、ひそやかに王を排除するために働いていた。第二王子が王太子となったなら、王はもはや不要な駒だからだ。

カイルが寝所へおもむいたときには、すでに父王の意識はなく、そのまま、二度と目覚めることなく天へ召された。

カイルの父親は結局、妻と子にまつわる残酷な真実を知らないまま、人生を終えたのだ。


第二王妃は、拷問にかけられても、口を割らなかったという。

彼女は、最後まで、つつましく、おぞましく、微笑んでいた。

しかし、第二王妃が黙秘を貫いても、彼女の手下はちがった。長年彼女に雇われていた魔術師や薬師たちは、命惜しさに何でもべらべらと喋った。正妃の暗殺から始まり、先代のサルヴァ公爵夫妻殺害、カイルの投獄に至るまでのすべてをだ。

情報を得た時点で、カイルに、第二王妃を生かしておく価値は無くなっていた。

第二王妃は、純粋無垢な少女のような声で「誤解よ、カイル」と呼び掛けたという。

しかしカイルは、それに何一つ心を動かされることなく、微笑みごと引き裂いた。


第二王子のマリオンは、混乱に乗じて王宮を脱出した。

……そう、脱出したと、第二王子の従者達は思っていただろうが、実際にはカイルはあえて見逃したのだ。自分に逆らう者たちが、異母弟を旗印に集まることを見越して、逃亡を許した。

本来なら、敵対勢力を団結させるのは愚策だ。どれほど偉大な魔術師でも、一万の大軍には負ける。数の力を侮ってはならない。最終的には、より大勢を味方につけた側が勝つのだから。それは戦の常識だ。

しかし、カイルは、マリオンを担いで膨れ上がった反乱軍 ─── 彼らは自分たちこそが正当なヴィレール王国軍であり、マリオンこそ真の王だと主張していたが ─── を、ものの数秒で壊滅させた。

天から放たれた幾万もの闇色の矢は、容赦なく反乱軍の頭上に降り注いだ。戦場は阿鼻叫喚の巷と化した。地獄のようなありさまだった。マリオンも、彼を担ぎ上げた貴族たちもみな死んだ。

平然と立っているのは、カイル一人だけだった。

カイルに、味方は必要なかった。

あえていうならば、この世界の理そのものが、カイルの味方だった。

真の能力を取り戻したカイルにとっては、反逆者を一人ずつ潰していく方が面倒だったのだ。

だから異母弟を殺さずに捨て置いた。異母弟という甘い餌に、目障りな虫たちが集まることを期待していた。そして、期待が現実となったときには、ことごとく踏み潰した。反乱軍に加わっていた魔術師たちは、誰一人としてカイルの矢を防げずに息絶えた。

その凄惨さは、貴族たちの心を折るには十分だった。


ミカは……、ミカもまた、何も語らなかったという。

どうして裏切ったのか、いつから第二王妃と通じていたのか。

カイルにどれほど問われても、ミカは、せせら笑うばかりだった。ミカは最後まで沈黙を貫いた。


……だからこれは、あとからカイルの耳に届いた話だ。


ミカの母は、体調を崩して療養していると、ミカは話していた。

けれど、実際には彼女は、暴力を振るう夫のせいで心を壊していた。ミカの母は、夢見る口調で、幼いミカに何度もいい聞かせたのだという。


「あなたのお父様は、本当は別の御方なのよ。この国で最も高貴な方なの。あなたは本当は、王子様になるはずだったのよ」


その言葉が真実を含んでいたのか、あるいはただの幻想だったのかを、確かめるすべはもはやない。

ミカの容姿は、母親譲りのものだった。父親が誰であるかの証明にはならない。

先王はすでに亡く、ミカの母親も心がこの世に無い。ミカの父親は、ただの妄想だと、酒臭い息で吐き捨てたが、その人柄は信頼の置けるものではなかった。

それに……、今となってはもう、その血の真実に意味はないのだろう。

ミカが何を考えていたのかはわからない。けれど、彼は自分の意志でカイルに背いた。脅されていたわけではない。ミカは最後まで、カイルに命乞いすらしなかった。

己の抱える事情を打ち明け、慈悲を乞うたなら、カイルは、ミカだけは殺せなかっただろう。それはミカ自身にもわかっていたはずだ。それでも彼は、最後まで裏切り者であることを貫いた。

ならば、それが、ミカの選んだ道なのだ。

銀の髪をした月のような少年が、進むことを決めた人生なのだ。


新王を認めないと声をあげる者たちを、圧倒的な暴力でもって平らげた後、カイルは生き残った者たちに選択を迫った。

服従か、さもなくば死を。

日和見な中立も沈黙も認めない。今すぐ膝をつけ。迷うなら殺す。黙るなら殺す。服従以外は生かさない。皆等しく死ぬがいい。

単純な二択だ。抗うほどの気骨のある者は残っていなかった。

すでに誰もが、反乱軍の末路を知っていた。天から降り注ぐ“魔法”の矢など、どうやって防げようか。魔王の足元にはべる闇色の獣たちと、どうやって戦えようか。魔力の強い貴族であればあるほど、“魔法”を操る新王の恐ろしさをわかっていた。

貴族たちは、皆、カイルに膝を折った。


……ユリアが目覚めたのは、その後のことだ。


カイルが国内を掌握するまでの流れを、ユリアは自分の眼で見たわけではない。

すべて、聞いた話だ。

なぜなら、カイルは力に目覚めた後、真っ先にユリアを眠らせたからだ。

カイルが話すところによれば、それは治療のためだった。

一般的な病や怪我なら、カイルの“魔法”でたやすく治癒できたろうけれど、自分を苛んでいたものもまた“魔法”だ。真の力に目覚めたカイルにすら、簡単に治せるものではなかった。

そこで、時間を稼ぐために、この身体にとっては、一日が一秒であるように魔法をかけた。そして、時の流れの違いのせいで精神が変調をきたさないように、深い眠りへと落とした。


だから、自分が目覚めたときには、すべてが終わっていた。

カイルは治療のためだったという。それはきっと、半分は本当で、半分は嘘だろう。

カイルは自分に見せたくなかったのだ。


かつては義母上と慕った第二王妃を八つ裂きにする姿を。

かつては異母弟として可愛がった第二王子を射殺す姿を。

かつては誰よりも信じた親友を業火で燃やし尽くす姿を。


……カイルは見せたくなかったのだ。

それは自分が心を痛めることを気遣ったためであり、自分が怯えることを恐れたからでもあるだろう。

自分が眼を覚ました後、カイルは、それまでにあったことを、包み隠さず話してくれた。

それから、最後に、かすかに微笑むと、こちらに尋ねてきた。


「お前が望むなら、どこか、静かな場所に、お前の屋敷を用意しよう。美しい花の咲く、平穏な地だ。そこで健やかに暮らすがいい。お前の身体は俺が癒した。何も心配はいらない。どれほど遠く離れようと、お前は俺が守る。誰にもお前を脅かさせはしない。俺の名にかけて誓おう。……その地で、愛する男を見つけて、平和に生きるといい」


カイルはそう告げた。今にも壊れそうな瞳をしてなお、微笑んだ。

だから自分は迷わなかった。迷う必要などどこにもなかった。

しっかりとカイルの手を握りしめる。カイルの空よりも蒼い瞳を見つめて、精一杯微笑みかける。カイルを安心させたかった。自分はどこへも行かないと態度で示したかった。

カイルは、ぐしゃりと顔を歪めて、かすれた声で呟いた。


「……お前は愚かだ、ユリア……。俺のことなど見限ってしまえば、お前は幸せになれるというのに」

「いいえ、カイル様」


あなたが自分のすべて。あなたがいなければ、自分はとうに死んでいた。

そう胸の内で呟いて、カイルの長く硬い指を強く握りしめる。


「わたくしの幸せは、カイル様のお傍にこそあるのです。どうかお傍に置いてくださいませ。カイル様のいない世界など、わたくしにとっては夢に見ることすら恐ろしいものですから」





─── あのとき、そう答えたことを、後悔はしていない。

それは本当だ。今もなお、変わらずに、自分の幸せはカイルがいることだとわかっている。

けれど……、と、ひそやかに嘆息した。

大樹に咲く薄紅を見上げて、それから花園へ目を向ける。

カイルが各地から集めさせた花たちだ。おそらく、この庭より花の種類が豊富な場所は、大陸中を探してもないだろう。本来なら、この地の気候では枯れてしまう花まで、美しい花びらを誇っている。カイルの“魔法”によるものだ。

この花園は、カイルが自分のために用意した『枯れない花』だった。


( ─── そんなものが、ほしかったわけではないのに)


かつて、カイルが贈ってくれた、花模様の木箱を思う。花飾りのブレスレットを思う。

自分にとっては、あの贈り物で十分だったのだ。十分幸せだった。

けれどカイルは、何かの埋め合わせをするように、自分に物を与えたがる。


美しく、豪奢なドレス。たっぷりと重ねられたレースに、針子の手で丁寧に施された刺繡、それに裾に縫い付けられた星の川のような真珠は、見た瞬間に小さく呻いてしまった。

年頃の娘ならば歓声を上げる美しいドレスだというのはわかるけれど、残念ながら、自分は長年、寝台だけを友としてきた身だ。いくらカイルが治癒してくれたといっても、このように豪奢で重そうなドレスを長時間纏うのは難しい。身体が持つとは思えない。

そう控えめに伝えて見たところ、数日後には、羽のように軽い生地で仕立てられたというドレスが届けられた。相変わらず華やかな装飾だったけれど、確かに生地のお陰でずいぶんと軽くなっていた。……けれど、そういうことではない。


( ─── そんなものが、ほしかったわけではないのに)


サルヴァ公爵家当主の肩書きは、今では自分のものとなっている。

叔父は、反乱軍へ加担して命を落とした。

後からわかったことだが、叔父は第二王妃と裏で繋がりを持ち、第二王子が王太子となった暁には自分の娘と婚約させる約束を取り付けていたらしい。

もっとも、あの第二王妃のことだから、そのような約束をした相手が何人いることか、と、カイルは嗤っていたけれど。

カイルは、サルヴァ公爵家を断絶させることをよしとせず、妻に当主の地位を与えた。

無論、あくまで名目上の当主だ。実際の執務は、かつて父の時代に働いてくれていた者たちに任せている。

しかし、たとえ名ばかりであっても、王妃が公爵家当主を兼任するなど異例だ。

王とは本来、臣下たちに対して公平でなくてはならない。だからこそ王妃も、王家に嫁いできた時点で、どれほど有力な家のものであろうと関係なく、王家の一員となるのだ。

王妃が公爵家当主では、王はあからさまにサルヴァの家を贔屓しているといっているようなものだ。

けれど、そうたしなめても、カイルは不敵に笑うだけだった。


「俺がお前を贔屓していることなど、ただの事実だろう、ユリア? お前を、ただの臣下たちと同列に扱う意味がどこにある? お前がいなければ、俺は死んでいた。俺がお前を特別に遇したとて、それを咎められる者などいるものか」


確かに、魔王と恐れられるカイルに、異を唱えられる者はいないだろう。

そもそも、王が臣下たちを公平に遇するべきなのは、彼らの忠誠を損ねないためだ。妬み嫉みが渦巻けば、王家への忠誠心は失われ、反乱はたやすく起こる。


けれど、カイルは、臣下たちの忠誠を必要としていない。


もしも彼らが一人残らず背いたなら、一人残らず潰すだけだ。

カイルにはそれだけの力がある。カイルは、彼個人が、この世界で最大の軍事力なのだ。カイルには兵隊も騎士も必要ない。彼が求めるのは服従だけだ。カイルは、国家の運営を円滑に回していくための駒だけを求めている。


その魔王が、自分一人を特別に扱うのだ。


魔王に逆らうのは恐ろしいが、彼の寵愛を受ける王妃に取り入ろうとするのはたやすいのだろう。カイルがまた、王妃を褒め称える分には機嫌を悪くしないからなおさらだ。自分の歓心を得ようとする者は、信じられないほどに増えた。寝台だけを友として生きてきた身には、あまりにも難事である。夜会で取り囲まれて、顔を引きつらせれば、カイルは助けてくれるが、止めてはくれない。笑っているだけだ。それもまた機嫌が良さそうに。


魔王がそんな振る舞いをするから、王妃はたちまち別格になっていく。


カイルはそれをわかっているくせに、己の影響力を理解しているくせに、どれほど諫めてもやめようとしない。カイルはこちらに、特別な地位を与えたいのだ。

カイルとは違い、武力も、美しさも、賢さも、人脈すら持たないただの小娘である自分が、皆に崇拝され、特別に扱われる光景に、カイルは内心で満足している。

それはカイルからの贈り物だ。魔王の唯一という特別な地位だ。


( ─── そんなものが、ほしかったわけではないのに)


( ─── そんなもの、いりませんと、何度も申し上げましたのに)


豪奢なドレスはいらない。分不相応な地位もいらない。

自分が欲しいのは、カイルが生きていてくれることだけだ。彼が幸せであってくれたら、それだけでいい。カイルの笑顔は、いつだって、世界を輝かせる太陽のようだから。


……けれど、カイルはもう、かつてのようには笑わない。

自分への贈り物をやめることもないだろう。わかっていた。

カイルを駆り立てるものが何なのか、とうに気づいていた。


(……わたくしたちは、どこで間違えたのかしらね、ミカ……)


どこで違う選択をしていたら、別の未来へたどり着けたのだろう。

埒のない問いかけだ。

たとえカイルの魔法をもってしても、時間をさかのぼることはできない。死者を生き返らせることもできない。今さらもう、取り返しなどつかないのだ。

カイルの魂が闇の底へ落ちていくとわかっていても、自分にできることはもう、一つしかなかった。





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