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真実


切り札を使えば、監禁されていようと、投獄されていようと、関係ない。確実にカイルを逃がすことができる。


(でも ─── 、それしかできない)


ユリアは顔を歪めた。

今までカイルがどれほど国のために尽くしてきたか、ユリアはよく知っている。

逃げてしまえば、カイルの濡れ衣を晴らす機会は、永遠に失われてしまう。追っ手もかかるだろう。カイルならば、その逆境すら乗り越えて、一時は身をひそめても、味方を増やし、王位を取り戻せる日が来るかもしれない。けれどそれは、弑逆の汚名を自ら被るのと同じことだ。

疑いは真実だったのだと、誰もが思うだろう。


(まだ、使えないわ。……まだ、判決は出ていないのですもの)


ここまできては、無罪となる可能性は限りなく低い。

それはわかっていたけれど、第二王妃から聞いたところによれば、カイルはまだあきらめていないという話だった。カイルはいまだ変わらずに、濡れ衣を訴え、その強い眼差しを失っていないのだという。

なら、自分が勝手に屈してしまうわけにはいかない。

それに、第二王妃という最大の味方もいるのだ。

ユリアが監禁の身となってからも、第二王妃だけはユリアを気にかけて、以前と同じようにお茶会へ招待してくれている。

叔父も、第二王妃の意向を無視することは難しいのだろう。そのときだけは、ユリアは外出を許されていた。


(……それでも、もしものときのために、備えだけはしておきましょう。もし、最も恐ろしい判決が出ることがあれば、そのときは……)


自分のすべてを費やして、カイルを牢獄から解放しよう。





カイルが捕まってから、五か月が過ぎた。

情勢は日に日に悪化していき、今ではまるでカイルなど存在しなかったかのように、第二王子が正式に王太子位に任命される式典の準備が進んでいる。当初は沈黙という中立を守り、周囲を伺っていた貴族たちも、カイルの投獄が長引くにつれ、先を競うように第二王子支持を打ち出した。


今や、第一王子派といえる人間は、半死人のようなユリアだけ ─── ……。


それは、侍女たちの噂話から得た情報だった。

シンシアが解雇された後、侍女たちは、ユリアが熱を出して寝込んでいると、看病という名目で、ユリアの部屋を息抜き場所に使うようになった。厳しい侍女頭の眼がないユリアの部屋は、お喋りにはもってこいの場所なのだろう。彼女たちにとって、寝台のユリアなど、耳があるとは思わない。人の形をした置物のようなものだ。


ユリアは、たびたび、寝込んでいるふりをして、侍女たちの噂話に耳を澄ませていた。熱を出して寝込む芝居だけは、迫真の演技だったろう。何せ、幼少の頃から身体に沁みついている動きだ。ユリアは内心で自嘲しながらも、噂話にじっと耳をそばだてた。

監禁された身で、第二王妃のお茶会以外では、外へ出ることもできず、会話をする相手もいない。侍女たちのお喋りは、貴重な情報源だった。


そして ─── ……、ある日ついに、最も恐れていた言葉が出た。


「ねえ、聞いた? 例の王子の処刑の日が決まったそうよ」

「らしいわね。でも、処刑場は使わないんでしょう?」

「さすがに元王太子に、公衆の面前でギロチンはできないでしょうよ。あの塔の中で死なせるんじゃないの? 名誉のための服毒死とか、あり得そうじゃない」

「偉い人は得よねえ。大罪人になっても、気遣って貰えるんだもの」


ユリアは、思わず悲鳴を上げそうになるのを、口を手で押さえて必死に耐えた。


(第二王妃殿下は、そんなことおっしゃらなかったわ ─── !)


先日も、お茶会に招かれたばかりだ。

けれど、判決が出たという話すらなかった。

むしろ、陛下のお加減が悪いのだと聞いていた。身体が弱っているせいもあり、カイルへの処遇を後悔している言葉も出ているのだと。もしかしたら、第二王子が正式に王太子となった暁には、恩赦が出るかもしれないと励ましてくれた。

カイルが望んでいるのは、恩赦ではなく、汚名返上だろうとわかっていたけれど、それでもユリアは黙って深々と頭を下げた。

恩赦での放免ならば、少なくとも追っ手がかかることはない。

今はもう、それだけでも十分な気がしていた。


─── なのに、死刑だなんて。


侍女たちの噂話が正しいのかどうか、ユリアに判断はつかない。

けれど、聞き捨てることはできなかった。

……第二王妃という希望にすがりながらも、カイルがいつそうなってもおかしくない立場なのだと、ユリアも理解していた。

死刑が真実なら、第二王妃が知らなかったとは思えない。

けれど、第二王妃は、優しく慈悲深い人柄だ。ユリアの心をおもんばかって、真実を伏せたのかもしれない。先の長くない娘に、絶望を与えることはないと、気遣ったのかもしれない。


ユリアは、侍女たちに悟られないよう、静かに息を吸い込んだ。

侍女たちの噂によれば、死刑は三日後なのだという。

もう、猶予はない。切り札を使うのは今夜だ。


(……どうか、もう少しだけ、お待ちくださいませ、殿下)


ユリアはそう、胸の内で囁いた。






月が銀色に輝く夜だった。

ユリアは、荒い息を吐きながら、罪人の塔の階段をのぼっていた。


屋敷の者たちはみな、眠りに落ちている頃合いだ。自分の姿がないことを、気づかれる心配はない。


右手にランプを掲げ、左手には小さな鞄を持ちながら、壁を押し伝っていく。

小さな鞄には、手元に残ったわずかな装飾品と、母の形見の短剣が入っている。

装飾品は、売れば路銀になるだろう。短剣は、武器としては頼りないが、ほかに持ち出せる物がなかった。何もないよりはいいと考えるしかない。いくらカイルが、牢の中でも貴人として遇されているといっても、武器だけは与えられないだろうから。

階段をのぼっていく。絶え間なく襲ってくる眩暈と、今にも壊れそうな心臓に耐えながら。


( ─── まだよ。この夜が明けるまでは、死ぬわけにはいかないの)


ユリアのたった一つの切り札は“魔法”だ。


もはや誰も触れることのできなくなった領域。言霊も契約も必要としない古の魔術。かつて、このヴィレール王国の祖である大魔法使いが得意とした神秘の御業。 ─── もっとも、ユリアには、そこまでの力はない。初代国王のように、聖なるものも魔なるものも従えることなどできない。ユリアに使えるのは、片手の指で足りる程度の魔法だ。分厚い古文書の中の数ページ、いくつかのささやかなものに過ぎない。


それでも“魔法”はユリアの身体を蝕んだ。


ユリアの身体が弱いのは、膨大な魔力に身体が耐えきれないからだ。

ヴィレール王国の一の魔術師と謳われた母と、王家の血縁である公爵家当主の父を持つユリアは、奇跡のような魔力を授かって生まれてきた。しかし、身体はそれに適応できなかった。まるで、何代にも及ぶ、魔力重視の婚姻の歪みを受けたかのように、“力だけ”が強い子供だった。

ユリアの両親は、娘を守るために、あらゆる手を尽くしてその膨大な魔力を封じた。

しかし、それが完璧でないことは、両親もユリア自身もわかっていた。氾濫する河の前に、土嚢を積もうと、いずれは決壊するだろう。長くは生きられない。

それでも、少しでも娘の寿命を延ばすために、両親はユリアに固く約束させた。


『決して力を使ってはいけないよ。お前がそれを望んでしまえば、封印はたちまち解けてしまう。言霊も契約もなくとも、世界はお前の望みに応えるだろう。だけど、ユリア。お前の身体は ─── 』


持たない。

わかっている。


(いいのです。この夜が明けたなら、そのときはすべてを天へお返ししましょう。けれど、今はまだ、そちらへ行くわけにはまいりません。カイル様をお助けするまでは、わたくしはどこへも行きません)


ここへ来るまでに、すでに“解呪”と“透過”、それに“飛翔”まで使った。魔法を使えば使うほど、魔力はあふれ出て荒れ狂う。身体はすでに限界を訴えていた。

死神が、すぐそばまで来て、大鎌を振り上げている気配がする。

それでもユリアは歯を食いしばり、前を見据えた。階段を一段一段、ゆっくりと登っていく。


(この時間なら、殿下の侍従たちも下がっている)


塔に人の気配はない。不吉なほどに。


(牢の扉は、わたくしの“解呪”で開く。枷も解けるはず……)


罪人となった者は、みな一様に、魔封じの枷をはめられる。魔術による脱走を防ぐためだ。

これは非常に特殊な魔術が込められた枷で、最高位の魔術師でも、術を解くことは難しい。

強力な魔術で壊すことはできるだろうが、その場合、枷をはめられた人間の身体も吹き飛ぶ。

牢の管理を担う、ごく一部の魔術師だけが、罪人に傷を与えずに枷を外すことができた。


しかし、ユリアが扱うのは“魔法”だ。

偉大な初代国王の足元にも及ばない魔法であっても、“魔術”を紐解くのは難しくない。

そして、魔封じの枷さえ外せれば、カイルは自力で逃げることができるだろう。

本来、彼は、玉座にふさわしい強い魔術師なのだ。抵抗せずに捕まったのは、無実を証明するためであり、そして、おそらくは……、ミカの裏切りに動揺しきっていたからだろう。


階段をのぼりながら、ユリアは不意に顔をしかめた。

何か、わからないけれど、嫌な匂いがする。

古い塔特有のかび臭さとはまた違う、今までに嗅いだことのない匂いだ。

吐き気がこみあがってくるのを、必死に抑える。

原因を探して、目を凝らしたとき、階段の先に、ようやく扉が見えた。


( ─── カイル様!)


初めて、足が軽くなった気がした。

駆けあがるというには、あまりにも足取りは遅かっただろう。それでも、胸を弾ませて階段を上がり切る。異臭はますます濃くなっていたけれど、もう、気にならなかった。

カイルに会える。ようやく、彼に会えるのだ。

たった五ヶ月程度だと、豪胆なカイルなら笑うかもしれない。

けれど、彼が投獄されてからの日々は、永遠にも感じられるほどに長かった。

牢の鍵は、自分が望むだけで解けていく。

分厚い扉を押し、中へ入り、そして ─── ただ、瞬いた。

自分が眼にしているものがなんなのか、理解できなかった。

部屋の中は、さらに牢があった。何十本もの細い鉄柱が、部屋を二つに区切るように並んでいた。そして、その奥に、カイルが……。

いや、ちがう。あれがカイルのはずがない。こんなことが、現実であるはずがない。

それでも、唇は、勝手に言葉を紡いだ。


「カイル、さま…………?」


部屋の隅にうずくまっていた影が、びくりと震える。

それから、爛々と燃え滾る瞳が、一つ、こちらを見た。

一つだ。

どうして、と、思ってから、答えを知る。


右眼は潰されていた。

右眼があったはずの場所に、生乾きの肉と、膿と混ざり合った血が滲んでいる。痩せこけた頬には濃いあざが浮かび、唇はいびつに腫れている。シャツはぼろきれのように汚れ、肋骨が浮き出ていた。身体中に火傷の跡があった。火を押し付けられたようなそれは、左足の先へ進むほどひどくなった。もはや歩くことはできないだろう。嫌な匂いがすると思った。なんの匂いかわからなかった。あれはきっと、ひとのからだの焼けるにおいだ。


ユリアは、はくはくと、唇を震わせる。

もはや悲鳴すら出なかった。

声なき叫びを上げたとき、影が、嗤った。


「……ユリアか」


ひどくしわがれた声だった。カイルのものだとは信じがたいほどに。


「ハッ……、ハハッ! ついにお前が来たか! お前も裏切ったか! これで全員だな、ハハハハハッ!! 全員寝返ったかッ! 笑えるぞッ! ハハハハハッ!!」


男が、狂ったように哄笑する。

そして、どろりと濁った瞳に、それでも凄まじい意志を宿して告げた。


「あの女に伝えろ。誰が来ようと無駄なことだ。お前であろうとな、ユリア! 俺は決して屈せぬ。ありもしない罪を認めることなどするものか! この身をどれほど痛めつけようとも、貴様の思い通りにはならぬと知るがいい……ッ!」


その声で、その言葉で、足が動いた。

最後の牢を開いて、カイルのもとへ駆け込む。

カイルは、怯んだ顔をした。ユリアが近づいてくると思わなかったのだろう。

カイルが、ランプの明かりを嫌がるように、身をよじる。今の自分の姿を、見られることを厭うように。

気づいていたけれど、それでも、カイルの傍に膝をつき、その手にそっと触れた。

火傷の跡に触れないように、奇妙な方向に曲がった指に触れないように、カイルに痛みを与えないように、そっと。


「遅くなって申し訳ございません、殿下」


触れた指先から、力を流し込む。

カイルにかけられたすべての封印を解き、すべての枷を外す。空気が揺れる。風が巻き起こる。今の自分には、言霊も契約も必要ない。こうしてカイルに触れることさえできれば、魔術などガラス細工よりも脆い。

カチャリと、どこか奥底で、何かが割れる音がした。

そしてすべての鎖を解き放ったとき、カイルは、呆然としていた。

信じられないというようにこちらを見つめる瞳に、精一杯微笑みかける。


「枷は解きました。カイル様、どうか、御身に治癒の魔術を。わたくしには、その力はないのです」

「…………ユリア」

「はい」

「……俺を助けるのか?」

「はい」

「なぜ?」


これほど哀しい問いかけがあるだろうか。


今では、ユリアにもわかっていた。

誰がカイルを陥れたのか。誰が裏で糸を引いているのか。

カイルは『あの女』と呼んだ。

第二王妃は、自分に、カイルは以前と変わらずに過ごしていると話した。

そう、以前と変わらずに、貴人として遇されているといったのだ!

自由はなくとも、侍従がつき、身の回りの世話はされていると。それを信じた。だから今日まで、この方法をためらってきた。逃がすことはできても、それしかできないのでは意味がないと思った。自分は本当に馬鹿だった。度し難く愚かだった。何も知らない、世間知らずな小娘だった。まんまと騙された。

カイルはこの五か月間、ずっと拷問を受けてきたのだろう。

それを、自分は、何も知らずに、第二王妃の言葉をうのみにして、のうのうと暮らしていたのだ。


燃えるような怒りが、胸を焼く。

それでも、懸命に、笑顔を作った。

怒りのためでも、嘆きのためでも、涙の一粒も零したくなかった。

これほど傷つけられたカイルの前で、どうして自分が泣くことなど許せるだろう。


「カイルさま」


一つ残った左眼に、微笑みかける。


「わたくしは、ずっと、カイルさまの傍におります。わたくしの身に何があろうとも、カイルさまの身に何があろうとも、それが変わることはございません。わたくしの魂はずっと傍におります」

「……ユリ……ア……?」


カイルが、怪訝そうに、こちらを見る。

それから、濁った瞳に、すうっと、一筋の理性の光が差し込んだ。


「おまえ……、お前、どうやってここへ来た……? その、力は……、まさか……ッ!?」


蒼色の瞳に、今までとは別種の恐怖が宿る。

ユリアは、それには答えずに、重ねて願った。


「カイル様、まずは治癒の魔術をお使いくださいませ」


カイルは、ぐっと押し黙ってから、苛立たしげに、早口でいくつもの詠唱を行う。


星屑のような光が牢獄に集い、踊り子のような風が闇を吹き払う。

精霊の加護がカイルの身体へ戻り、そして安らぎを静けさで満たしていく。

溜まっていた魔力のおかげでもあるのだろうけれど、カイルの治癒魔術は、さすがに強力だった。やせ細った身体こそもとには戻せないものの、右眼は修復され、身体中の皮膚が再生した。折れた骨も、元の形を取り戻す。

光がカイルの全身を包み込み、そして消え去った後には、傷一つ残っていなかった。


思わず、口から、深い安堵の息が出る。

カイルは、壊れ物に触れるように、おずおずとユリアを抱きしめていった。


「……お前は、“魔法”を使ったんだな」

「ええ」

「俺のために、命を捨てたのか」


カイルの声は、涙に濡れていた。

ユリアは、カイルの背中へ手を回して、微笑んだ。


「カイル様が生きていてくださることが、わたくしの幸せなのです。ほかにはなにも、いりません」





カイルに抱きかかえられて、塔を抜け出す。

もう立ち上がる力も残っていなかった。

足手まといになるだけだから、置いていってほしいと、何度も頼んだけれど、カイルは聞く耳を持たなかった。

人目を避けて、深い森の中を進む。

やがて、月影が薄くなり、空の色が移り変わっていく。

木々の隙間から、遠い空を見つめて、ただ祈った。


(どうか、カイル様が、幸せを取り戻せますように)


かすむ瞳で、カイルを見上げる。

美しく、愛おしかった。最後に見るものがカイルで幸せだと思った。

同時に、酷く悲しかった。今、この状況で、カイルを一人にしてしまうことがつらかった。傍にいたかった。


( ─── それでも、わたくしの魂だけは、永遠にお傍に……)


そう思ったのが、最後だった。

瞼が、力を失って、落ちた。


遠くで、カイルの声が聞こえた気がした。






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