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幸福と、忍び寄る破滅の足音


「殿下ときたら、こうおっしゃったんですよ。『ユリアへのみやげがまだ決まっていない。付き合ってもらうぞ、ミカ。みやげを買うまで、王都へ戻れると思うな』とね」

「まあ……」


ユリアはぱちりと瞬いて、そっぽを向いているカイルを見つめた。


王太子であるカイルは、先日、国境沿いの争いを収めて戻って来たばかりだ。

まだ17歳という若さではあるが、カイルはすでに、学業よりも、公務につく時間のほうが長くなっている。彼の腹心であるミカも、カイルに同行して、王都を離れることが多い。

公務は王命ではあるが、カイル自身、学園へ通うことは時間の無駄だと考えている節がある。

王太子として英才教育を受けてきており、幼い頃から優秀だった彼は、今さら学園で皆と一緒に授業を受ける必要性を感じないのだろう。

三人とも、同じ学園に通っている身ではあるが、学園内でユリアが二人を見かけることはほとんどなくなっていた。


ユリアは、小さく眉を下げていった。


「殿下……、わたくしは、なにもいりません。殿下が無事に帰ってきてくださることだけが、わたくしの望みです」

「知っている。お前はいつもそういうからな」


だが、と、カイルは開き直ったように胸を張った。


「俺はお前にみやげを買ってやりたい。お前に何でも与えてやりたい。ついでに、お前が喜びに顔をほころばせ、俺の頻繁な不在にも目をつむってくれることを期待している」

「後半はなかなか情けない台詞ですが、殿下が堂々とおっしゃると威厳すら感じられるのが不思議ですよね」

「ミカ、お前は最近、おしゃべりがすぎるのではないか?」

「おや、これは失礼いたしました」


ユリアはくすくすと笑った。

二人の軽口はいつものことだ。

判断が素早く行動的なカイルと、思慮深く気配りを忘れないミカは、対照的でありながらも、昔からお互いを深く信頼し合っている。カイルにとってミカは、腹心であると同時に、無二の親友であるといっていい。


学園では、二人の容姿になぞらえて、太陽と月のようだと称える者もいる。

光り輝く金の髪に、空よりも深い蒼の瞳のカイルと、雪よりも淡い輝きの銀の髪に、冬空よりも薄い水色の瞳のミカは、学園の女生徒たちから絶大な人気を得ていた。


親友を睨みつけていたカイルは、気を取り直した様子で、小さな木製の箱を取り出した。

ふたの部分には、美しい花模様が彫刻で描かれている。

ユリアは思わず顔をほころばせた。

ユリアは花が好きだ。

王都に咲く花も、山奥に咲く花も、異国に咲く花も、どの花も美しい。

もしも身体が丈夫であったなら、カイルとともに、さまざまな場所を訪れて、さまざまな花を見たかったと、心の奥で、ひっそりと思っている。叶わない夢だと、とうに諦めてはいるけれども。


カイルはユリアの望みを知っている。しかし、見せてやりたくとも、遠方から花を無事に持ち帰るのも難しい。花にはそれぞれ生育に合った気候が必要だ。だから、こうして、その土地の花を描いたものをみやげに買ってきてくれる。

ユリアのための枯れない花だ。


木箱を手にとって、愛おしく見つめていると、カイルがくつくつと笑っていった。


「ユリア、ケースだけで満足せずに、開けてみてくれ」


みやげは木箱そのものではなかったらしい。

ユリアが恥ずかしさに頬を染めながらもふたを開けると、布地の上に、美しいブレスレットが置かれていた。青色の花を、まるで蔦のような鎖が繋いでいる。


ユリアは声も出せずに、潤んだ瞳でカイルを見つめた。

カイルは少し困ったように微笑んで、ユリアの手にそっと自分の手を重ねた。


「大げさだな、お前は。それほど気に入ったか?」

「ええ、とても……。とても美しいですもの。ありがとうございます」

「貸してみろ。つけてやる」


カイルの長い指先が、ユリアの手首にブレスレットを巻いて、器用に留め具をつける。

カイルは満足そうに頷いていった。


「思ったとおりだ。お前には、この色がよく似合う」

「……殿下の瞳の色と、お揃いですわ」


小さな声でいうと、カイルは口角を上げて笑った。


「おや、そうだったかな?」

「あからさまでしょう。殿下の独占欲の表れですね。一目でわかりますとも」

「喋れない身体にしてやってもいいんだぞ、ミカ」


カイルが獰猛に笑う。

ミカが大げさな謝罪を述べるのを聞き流して、カイルは気遣う瞳でユリアを見た。


「俺の留守中に、何事かなかったか?」

「ええ。変わりなく過ごしておりますわ」


カイルが、この家でのユリアの扱いを案じていることはわかっていた。

王太子がいなければ、病弱なユリアは公爵家にとって何の価値もない娘だ。

それはユリアにもわかっていたし、今さらその事実に対してあがこうとも思っていなかった。

自分に残されている時間が少ないのなら、誰かを恨んで生きるよりも、愛する人のことだけを考えていたい。

だからユリアは、カイルを安心させたくて、声に力を込めていった。


「離れでの静かな生活が、わたくしには合っているのです。近頃は体調を崩すことも少なくなりましたわ。殿下がご心配なさることは何もございません」


信じたそぶりもなく、じっとこちらを見つめるカイルに、ユリアは微笑んで続けた。


「それに、第二王妃殿下もわたくしによくしてくださいます。折にふれて贈り物をくださいますし、お茶会にも招いてくださいます。……そのような娘を、無下に扱うものなど、この屋敷にはおりませんわ」

「……そうか。義母上にはよく、礼を申し上げておかなくてはな」


カイルは、ようやく眼差しを和らげた。第二王妃のおかげで、多少なりとも信用してもらえたらしい。


この国には二人の王子がいる。

今は亡き正妃の子である王太子カイルと、第二王妃の子であるマリオンだ。

普通なら、次期国王の座を巡って権力争いが起こるところだろうが、第二王妃は控えめな人柄で、常に王太子であるカイルを立てていた。

カイルが文武両道で魔力も強く、次期国王としてすでに周囲から認められていることや、カイルの7歳年下のマリオンが内気で人見知りをする性格なこともあるだろうが、義親子の関係は良好だった。

だからこそ、第二王妃は、王太子の婚約者であるユリアにまで目をかけてくれるのだ。



「そういえば……、先日のお茶会でも、第二王妃殿下がマリオン殿下を心配されていらっしゃいました。また、具合を悪くして寝込まれてしまったと……」

「マリオンか」


カイルはすっと眼を細めて、それからため息を吐き出した。


「あいつの場合は、仮病だと思うんだがな。剣の稽古をしたくなかっただとか、そんな理由だろう。……しかし、心から案じている義母上に、そうも申し上げられん。俺としては、無理やり寝台から引きずり出すのが、最短の解決策だと思うんだが」

「忠臣として申し上げますが、そのような暴挙は絶対になさらないでくださいね。第二王妃殿下は、マリオン殿下をそれは心配されて、寝込まれるたびに、大勢薬師を呼ばれているではありませんか。あのような場に乗り込んで、寝台から引きずり出すなど、考えただけでゾッとしますよ」


カイルは嫌そうにミカに目をやって「誰も実行するとはいっていないだろう」とぼやいた。


「義母上にお任せするさ。……愛する者を案じて、過保護になってしまう気持ちは、俺にもよくわかるからな」


カイルが甘く微笑む。

ユリアは、頬を染めてうつむいた。

ミカが、やってられないといわんばかりに首を振ったとき、離れ付きの侍女頭が、慌てた様子でやって来た。


「失礼いたします、お嬢様。王宮より使いの者が参っております。殿下に火急の用がおありとのことですが、いかがいたしましょうか?」


ユリアはとっさにカイルを見た。

カイルは、一瞬表情を険しくしたが、すぐに、安心させるように微笑んだ。


「さて、またマリオンが寝込みでもしたかな? 悪いが、ユリア。少し外す」


カイルが、侍女頭の案内で屋敷へ向かう。

その背中を見送って、ユリアはかすかな息を吐き出した。

初夏の陽気だというのに、突然、吹雪に見舞われたような心地がした。

小鳥の涼やかな鳴き声さえ、今はどこか不吉に感じられてしまう。

何かあったのだ。この屋敷まで急ぎの使者が来るほどの何かが。


「王都に戻ってこられたばかりですのに……」


また、カイルが危険な任務を請け負うのではないかと思うと、生きた心地がしない。

何も、王太子であるカイルでなくともいいだろうと思ってしまう。カイルが、国のために戦うことを望む人間だと知りながらも、彼が無事ならそれでいいのにと願ってしまう。


「心配いりませんよ、ユリア様」

「ミカ……」

「殿下は強い御方です。何があろうと、ユリア様とこの国を守ってみせますでしょう。……たとえ、どんな敵が行く手を阻もうともね」


どこか不吉な響きを感じて、ユリアはまじまじとミカを見つめた。

ミカの水色の瞳は、底知れない深さをもって、ここではないどこかを見つめているようだった。


「殿下はまるで太陽のようだ。あの強い輝きに、誰もが魅せられていくのでしょう」

「ええ。わたくしもそう思いますわ」


ユリアが力強く頷くと、ミカはうっそうと笑った。


「ですが ─── 、ユリア様」


ミカの雪よりも淡い銀の髪が、そよ風に揺れる。

晴れ渡った空の下で、王太子の親友は、貴公子然として微笑んでいった。


「光が強ければ強いほどに、その足元に落ちる闇もまた濃い。そうは思いませんか?」

「……、ミカ……?」



ミカは微笑んでいた。

怪訝な眼差しを向けるユリアに答えることもなく、美しく笑みを浮かべていた。


─── それが、ユリアが彼と交わした、最後の会話になった。


ミカがあのとき何を考えていたのか、その後、ユリアが知ることはなかった。

ユリアは、深い後悔とともに、幾度となく思い出したが、答えは永遠に失われたまま、取り戻すことはできなかった。



使者のもとから戻ってきたカイルが、地方で反乱がおこり、平定に向かうことになったと告げる。

留守にしてすまないと詫びるカイルに、ユリアは大きく首を横に振って、彼の無事を祈った。

ミカは、いつも通りの軽口をたたいて、カイルとともに戦場へ出立した。






カイルが反逆罪で捕らえられたのは、それから数日後のことだった。







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