表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/8

魔王の唯一


むせ返るような血の匂いだった。

ユリアは吐き気をこらえて進んだ。

王を諫めなくてはならなかった。

それができるのはユリアだけだった。ほかの者が諫言すれば、文字通り首が飛ぶ。王に逆らって命があるのは、王妃であるユリアただ一人だ。それは、王宮内ではすでに知られた事実だった。


( ─── そんなものが、ほしかったわけではないのに)


磨き抜かれた床の上に、おびただしい量の真紅が広がっている。悲鳴と、恐怖と、泣き叫ぶ声も。許しを請う叫びに、王の笑い声が重なる。

その場に居合わせた臣下たちは、誰も口を開かない。眼をそむけている宰相も、無表情の将軍も、真っ青な顔をしている衛兵も。誰もが沈黙して、ただこの惨劇が終わるのを待っている。

ユリアは、それらを無視して口を開いた。


「陛下、その者たちには、もはや陛下を害することはできません」


王は、そこで初めて、ユリアの存在に気づいて顔をしかめた。


「……誰がお前を呼んだ?」

「誰にも呼ばれておりません。わたくしはただ、騒ぎを耳にして参りました。それゆえ、何があったかは存じませんが、その者たちにこれ以上抵抗の意志がないことは、無知なわたくしの目にも明らかです」


抵抗どころか、もはや動くこともできないだろう。血の中に浮かぶいくつもの肉片に、ユリアは胃液が込み上げてくるのを、懸命に喉の奥に押し留めた。

王は、ふんと鼻を鳴らしていった。


「これは暗殺者だ。俺の命を狙った。だからもてなしてやったのさ」

「……そうでしたか。陛下がご無事でよかった……」


本心からそういってしまう自分は、誰よりも罪深いのだろう。

王の眼差しが、かすかに緩む。王もまた、ユリアの言葉が心からのものであることを知っている。

ユリアは、奥歯を噛みしめて告げた。


「陛下、どうか、ご慈悲を。陛下を狙った大罪人であっても、これ以上、むやみに苦しみを与えることに、意味があるとは思えません」


救えるとは思っていない。暗殺者を救いたいわけでもない。しかし、手をもぎ足をもいでいく殺戮劇を、これ以上、王に続けさせるわけにはいかなかった。

すでに王が、魔王と呼ばれ、恐れられていることを知っていても。

王は忌々しそうな顔をしたが、軽く手を払った次の瞬間には、すべてが灰に変わっていた。

血も肉も、一かけらも残っていない。何もかもを焼き尽くした後のような、白みがかった灰が、床の上にうっすらと積もっている。

王はその灰を踏み潰してユリアの傍まで来ると、低い声でいった。


「顔色が悪い。部屋に戻って休んでいろ」


それはユリアを厭って遠ざける響きでなく、真摯に体調を案じる声だった。

だからユリアはただ、黙ってうなずいた。




どうしてこうなってしまったのだろうと、何度も何度も考える。


王がまだ王太子であった頃、彼はユリアの世界を照らす太陽だった。

明るく、寛大で、聡明で、彼が笑えば、それだけで世界が輝くような存在だった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ