旅立ち
MD歴十五年、オールーラ大陸、魔法教皇帝国サティスの地方都市ガディエンド。その西端から五十kmほど更に西に進んだところに、『入れずの森』と呼ばれる場所がある。その場所は一見、周囲と何ら違いが分からない。違いがあるとすれば、森の入り口には一本の大きな古びた欅の木が立っており、進めど進めど何度も同じ欅の木のもとに帰ってきてしまう。戻ろうと思えば不思議と迷わずに戻れるのであるが…。
ナーニャ、十五歳。季節は初夏に差し掛かろうとしており、新緑が一際萌えるように映えた。
「将に今の私の気持ちを表してるような景色ね」
最近の彼女は、若いエルフにありがちな「外界に出てみたい病」にかかっている。そして、実際既に何度か年長者たちの目をかいくぐって結界 - 欅の木より向こうに行ってみたこともある。あの周辺は薬のもととなる種々の薬草が点在しており、人間もエルフも時折訪れる。しかし、エルフの場合は未成年(十八歳未満)は保護者の同伴か許可が必要となり、見つかれば一週間ほどの自宅謹慎、夕飯抜きという結構きついばつが待つ。
(私も実際何回かくらっちゃったしね…)
この日も腹を壊した弟のためにガストリタケというキノコを採って、家路についた。
◆
エルフたちは、『入れずの森』の中に数十~百人程度の村を十ほど形成して暮らしている。村同士は閉鎖的ではなく、定期的に交流や交易なども行われている。森には東西南北四ヶ所にそれぞれ大きな欅の木が植えられており、この木の持つ樹力を礎にして、幻惑系の結界が張られている。これは、森の中で生まれ育ったもの以外を惑わし導き、侵入を拒むのだ。
また、村の周囲には魔物の侵入を防ぐ結界も張られているが、エルフは皆優秀な魔術戦士であるため、結界自体は特別強力なものでもなく、夜間等の警戒を強めるため程度に過ぎない。この結界の目的は魔物の侵入よりも更に外側で人間の侵入を拒むこと、ここにエルフが魔物よりも人間を警戒し、危険視していることが窺える。
ナーニャは村に着くと通りすがりの人に挨拶をしながら今度は寄り道せずに自宅に向かった。
「ただいま、母さん。良い匂い、夕飯はシチュー?」努めて普通に振る舞った筈だ。
「お帰り、着替えて手を洗ってきなさい、…と言いたいところだけど、その前にその『良い匂い』のものをカバンから出しなさい?」
ギクッ!!
「そ、そうだ!忘れてた!村を出たとこで珍しくガストリタケが生えてて偶然採ってきたの!」
「言っておくけど、誤魔化したり嘘ついたりしたら謹慎は延びるからね?今の内ならまだ間に合うわよ?」
ぐえっ…、完全にバレてる。
ナーニャは観念して、採ってきたガストリタケをテーブルの上に並べる。
「ナルスがお腹壊してたから…」
母親は何も言わず、ふん、と鼻を一つ鳴らすと、「取り敢えずシチューは抜きだね。まずは『洗浄』をしてきなさい」
「…分かりました。」
◆
「あーあ、今日はバレないと思ったんだけどなぁ」
『洗浄』を終えて、自室に戻ってきてナーニャは独りごちる。『洗浄』とは村や結界の外に出た後、妙なものを持ち込まないようにするための措置だが、冷水で行われるため、どちらかと言えば懲罰の意味合いが強い。
「ただいま、あれ?お姉ちゃん、また懲罰喰らってんの?」
私塾から帰ってきた三つ年下の弟ナルスが目ざとく嫌味を言ってくる。
村で行われている私塾では読み書き計算を始め、様々な技術や知識も教えているのだが、参加が自由なこともありナーニャはサボり気味であった。
(今更年下の子たちに交じって教わるのも業腹だしね)
私塾に通っている子供たちは十歳から十七歳、十五歳のナーニャから見れば年下の少年少女も多く、気恥ずかしさもあったのだろう。また、ナーニャは所謂「天才肌」の少女で、見たり聞いたりした技術 - ナイフや弓矢、魔法等 - は、何の苦もなく実行できてしまったため、じっくり私塾に通ってその他の知識を学ぶことが無かったのである。
早く十八歳の成人を迎えて、村を出たい。それがナーニャの目下の悩みであった。
そう、この時の彼女はまだ、「早く大人になりたい症候群」に焦がれるただのエルフの少女だったのだ。
◆
それから暫くしたある日のこと。ナーニャの弟のナルスと母親のネイミアの小さな小さな異変から始まった。
普段は元気いっぱいの二人だったのだが、ここしばらく奇妙な症状に悩まされていた。それは、足先のピリピリとした痺れと、咳、それに瞳の薄く白い濁り。
最初は日常の行動に些細な影響が出る、重いものが持てない、遠くのものが見づらい、体力が続かない、などの程度であった。しかし、症状が一か月を超えたころから次第に臥せるようになり、ナーニャが家事を担当するようになる。それまでもしたことがあったのでそれは別に良かったのだが、それよりも村で見たことのない症状を家族が発症し、しかも同時。不安にならないわけがなかった。
更に数か月、刻は進む。奇病は次第に村中に広がり始め、気付けば村の人口の三割を超えるようになった。特に、小さな子供に至ってはより重篤であり、酷い咳、痙攣、瞳は真っ白で何も見えている様子がない。
◆
「レングのところの子はもう駄目かも知れない」
村の医魔術師の診断であった。元々体の弱い少年であったが、発症してから1か月あまり、早すぎる進行であった。
そして、その頃から村ではある噂がささやかれ始めた。
「これはどう考えても村の外から持ち込まれたものだ」
「いや、寧ろ『結界』の外からだろう」
「普人族が入ったのだろうか」
「まさか誰か裏切者が…?内通者が出たか」
大きなささやきでは「普人族が侵入して広めた」という内容であったが、こちらはあまり信用されているわけではなく本当にただの噂だ。欅の木を超えられる普人族はまずいないからだ。
しかし、更に小さな声ではまことしやかにこのようにささやかれていた。
「問題児のナーニャが外から持ち込んだのだ」
◆
月のない、暗い夜であった。独り夜道を進み村を出ようとするナーニャを止める者はいない。否、寧ろ厄介払いできたと皆喜んでいるのではないか、とさえナーニャには思えた。
自分が持ち込んだ(とされている)病気の原因、更には出来れば治療法までを探すため、欅の木を超えて外の - 普人族の住む - 世界へ。ナーニャ自身、持ち込んだ可能性については否定できない部分が強く、その可能性は高いと考えてすらいる。
何かに追い立てられるように、若干十五歳の少女は「入れずの森」から旅立った。
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