【尾を振る犬は、叩かれず】ちょっと不憫な犬の生活
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【庭には二羽、鶏がいます】(N5904DK)、【雉も鳴かずば射たれまい】(N7503DM)の続編にあたりますが、単独でお読みいただけます。【雉も~】の終章で、今作の主役たち(?)である犬たちについて触れていますので、合わせてお読みいただけるとより楽しめるかと思います。
相変わらずの『我が家の常識は、世間の非常識』を地で行く愉快な生活、皆様にもお裾分けいたします。
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《隣家の鶏話:承前》
3羽に増えたお隣さん宅の鶏さんは、今日も元気にコケコケいってます。最近、誰かがサボっているようで、卵が二個しかないそうです。先日、春植え球根のために花壇をほじくった結果、数多くのコガネムシ幼虫が貢がれました。そのうち卵の形で我が家に還元されるかと思います。
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自由気ままで庭に君臨する「にわこっこ達」(烏骨鶏その他の鶏たち)に翻弄される、とある田舎の家庭には、その他の動物たちも愛玩動物として飼われておりました。前作【雉も鳴かずば射たれまい】(N7503DM)の終章で一部ご紹介しましたが、犬が大好きな家長さまは、常に犬を侍らせる生活を送っておりました。
今回は、そんなニワトリ達に負けず劣らず家族に可愛がられ、ちょっと不憫(?)で、それ以上に幸せな生活を送ってきた(であろう)犬たちの思い出を綴ります。
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【犬のおはなし】その1:どの犬もたどる、我が家の洗礼
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前作の話と一部重複しますが、自分の記憶にある範囲で飼われていた犬は、紀州犬3頭、柴犬3頭、一時保護したビーグル犬1頭、です。多頭飼いではなく、同時飼育は最大2頭でした。
紀州犬1号は「姉の犬」、紀州犬2号は「自分の犬」、紀州犬3号は「弟の犬」という名目でやってきた、紛れもない「父の飼い犬」でした。「姉の犬」は、自分が小学校に上がる前に交通事故にあっており、「弟の犬」はやむを得ない事情で数年後に手放されました。よって一番長くいたのは「自分の犬」であった子で、10年間我が家の犬として暮らし、その生涯を終えました。
この話を、しかも冒頭で語るのはちょっと心理的に微妙なのですが、「弟の犬」が手放された理由は、今思えば勝手な事情だったと思います。それでも、ある意味「我が家の飼い犬としての規範」であった事情なので、あえて記します。
先の紀州犬2頭は共に雌でしたが、「弟の犬」は雄でした。ご存じかも知れませんが【紀州犬】は本来狩猟犬、猪猟のための犬種です。とうぜん、本性は荒く獰猛にもなります。実家ではきちんと躾けもほどこしましたので、人間に対して攻撃を加えたりしたことは全くなかったのですが(躾けの途中での事故などはありますが)、どんな生き物にも個性はあるものです。「弟の犬」は生来やんちゃ気質というか、狩猟本能が発達している子でした。
お互いの不幸だったのだと思います。
ある日、弟の犬は余所からやってきた野良うさぎ(これもどうかと思いますが……)を捕らえて食い殺してしまいました。
元は狩猟犬です。犬の本能に従っただけだと思います。
それでも。
父は、「生きている生き物の血の味を知った犬を、他の動物の側には置けない」という判断を下しました。
時に肉体的指導も加えながら、ニワトリその他を攻撃しないように厳しく躾けてきましたので、この子を含めニワトリたちが犬に噛まれたことはありません。しかし、一度「生き物を狩って殺す」ことを知った犬の、その本性を押さえることはできない、と父は判断したようです。
その子はイノシシ猟をする家庭に引き取られてゆきました。あちらの家庭で立派に猟犬として活躍した生涯を送ったのが、せめてもの慰めです。
我が家では、主に父がどの犬も大変厳しく躾けました。……ええ、隣で見ていて思わず犬に同情したくなるほどに。
でも、この厳しさがあってこその「飼い犬」です。甘やかすことは、お互いの不幸です。これは多くの「ペット飼い」の方に自覚して貰いたいですね。
蛇足ですが、現在の自分が犬を飼うことに後ろ向きなのは、この躾を厳しくできる自信がないからだったりします。間違いなく、甘やかす。だから飼わない。……でも、もふもふ愛でたいです……シクシク。
それはさておき。
我が家の犬たちが、肉体をもって厳しく躾けられたことは多々ありますが、「我が家の非常識」としては以下の2つでしょうか。
【その1。家から脱走しない。】
……何を当たり前のことを? と思われるかも知れませんが、我が家の犬たちは原則「放し飼い」だったのです。やってきた当初や、半日以上誰も家にいなくなる時を除き、基本的に繋がれないノーリード生活。首輪すら外される時もあります。
今の飼い犬常識からすると『とんでもない!』という話ですが、当時は周囲もそれほど厳しくありませんでしたし、なにせ田舎のこと。普通よりはやや広めの敷地内で、自由気ままに走り回れ、たとえ雨でも毎日朝夕2回の散歩を欠かされない犬たちは、特に「脱走して外出する」理由はありません。よって、ちゃんと躾ければ脱走しません。
まあ、それでも「今日は、なんか脱走したい気分♪」となる時もあるようで、時折生け垣をかいくぐったり、側溝にもぐりこんだり、玄関の引き戸を勝手に開けて(!)脱走する時もあります。
脱走が発覚すると、家人による捜索が始まりますが、基本的にテリトリー範囲内の決まった場所をウロウロしていますので、発見はそれほど難しくありません。ある程度探して見つからなかった場合、捜索は打ち切られます。……だって、そのうち勝手に帰ってくるんだもの。
夕方に脱走し、翌朝に玄関先で家人が新聞を取りに来るのを待っている犬。我が家では珍しくとも何ともない光景でした。
ただ「躾け」は必要ですので、脱走が発覚した場合はペナルティを受けます。
どんなペナルティかと言いますと――【リードで繋がれる】、それだけです。
他の家の飼い犬からすれば当たり前の状況。しかし、普段ノーリード生活に慣れている犬たちにすれば、これが大変苦痛のようでした。脱走の悪質さ(頻度などを勘案)によって繋がれる期間は変わりますが、一週間ほどリード生活を強制された犬たちは、さすがにしばらく脱走しなくなります。賢いですね。……「しばらく」に過ぎませんが。
より賢い子になると、もっと知恵を巡らせます。
『脱走すると繋がれる……どうすれば……いいこと思いついた!』
『脱走したことがばれなきゃいいんだ!!』
――おいっ! と突っ込みたくなる思考ですが、代々の犬が必ず考えるこのアイディア。
実際、家に人の目があるとはいえ、四六時中見張っているわけでもないので、短時間の脱走は可能。30分から1時間程度の脱走をばれずに過ごした経験を、実は多くの犬がもっているかと思います。
とはいえ、そこは田舎。思わぬ「敵」がいるのです! ――近所の目、という強敵が。
我が家の犬たちは、近所でもそれなりに可愛がられていて、よく知られています。個体識別されているのです。
結果。脱走して自由な散歩をしている姿を見られた子は、後ほど「脱走」の事実を密告されてしまうのですね。
(蛇足ですが、実家を離れて生活しだすと、ご近所さんにとっては「犬」の方が顔見知りになります。数年ぶりに実家に帰って犬を散歩させていた時、ご近所さんから犬を指さして『それ、(片平)さん家の○○ちゃんよね? あなた、誰?』と誰何されることは珍しくありません……おばちゃん、私のこと、忘れないでよぉ……)
ご近所探偵団の活躍がなくとも、脱走がばれることは多々あります。
特に秋頃は、バレバレです。なにせ――体中にびっしりと「ひっつき虫」(ヌスビトハギなどの草の種)をつけてればねぇ……お外を駆け回ってきたことは一目瞭然です。
『ぼく、どこにも行ってませんよ? でも何故か、身体にヘンなものがたくさんついているので、取ってもらえませんか?』
と、何食わぬ顔で見上げてきます。全く悪びれていません。
当然、おしおきです。
他にも、学校からの帰宅途中の自分や弟に発見されて、一緒に帰宅したにも関わらず、
『学校から帰ってきたら、散歩の時間ですよね? さあ、行きましょう!』
と、リードを咥えて督促する子もいたり。
あなた、さっきまで外で遊んでたでしょうがっ!
……躾けられているようで、なかなか完璧には至らない、我が家ルールその1でした。
【その2。咬まない。】
これは当たり前過ぎる躾けですね。既に書きましたように「咬まない、攻撃しない」という点については、家人はかなり厳しく躾けておりました。
おかげで、我が家の犬たちは、家族や他人を咬んで怪我させたことは一度もありませんし、同居するニワトリたちも守って貰ったことはあれども自分たちが攻撃されたことはありません。
とはいえ、犬も“ケモノ”です。特に我が家の犬たちは、和犬ぞろい。元は狩猟犬種。
しかも我が家の犬たちは、皆「狩猟家のお宅で飼われ繁殖したものを譲って貰う」という経緯でやってきています。つまり、親は立派な現役狩猟犬。性質はどうしても勇猛果敢な子が多くなります。
よって、初期の厳しい躾けが大変重要になっていたのです。
本当に子犬の時代からやってきた1頭を除き、我が家の犬たちは生後1年以上の成犬になってから迎え入れていますので、元のお宅で基本的な躾けは済んでいます。よってあまり苦労はしていなかったかと。
例外であった1頭(柴犬1号)は、生後3ヶ月くらいでやってきましたので、全ての躾けは我が家で行いました。
姉が1日かけて「お手」を覚えさせていた後ろ姿、今でも覚えています。姉、暇だったのかな。まあ、これは可愛いものです。
「咬まない、攻撃しない」の躾けは、父の担当。かなりスパルタでした。
今でもよく覚えているのは、次のようなもの。
(1)「待て」をさせたまま目の前にニワトリを連れてきて、手を出したら叱る
……可哀想なのは、巻き込まれたニワトリさん達。
(2)犬の背にニワトリを乗せて、じっとさせる
……やっぱり可哀想なのは、ニワトリさん達。
(3)ニワトリに突かせて、手を出したり牙を剥いたり唸ったりしたら叱る
……これはどっちが可哀想だろう?
(4)口に人間の拳を突っ込まれて、咬んだら叱る
……うん、可哀想です。
特に最後の「口の中に拳を突っ込む」は、かなり厳しく何度もやっていました。少しでも牙を立てたら、そのまま喉の奥まで拳を突っ込まれます。これをやられると、かなり苦しいです。これを何度も繰り返すことで、「人間を咬むとイヤな目にあう」という学習をさせるのです。
犬に手を咬まれた時は無理に引いて外そうとせず、逆に押しましょう。そのまま力を込めて口の奥に手を突っ込むと、犬が苦しくなって牙を外すことが多いです。もしくは咬まれた状態で、鼻口部(いわゆる鼻面)に鉄拳を喰らわしましょう。脳天でもいいです。……多分、そんな精神的余裕はないでしょうが。
一般的な「躾け」とは異なるでしょうが、こんなスパルタ教育を経た我が家のワンコたちは【放し飼いで自由奔放な生活】を楽しむと同時に【家人(とニワトリ)に逆らうべからず】の上下関係を叩き込まれて、平和に過ごしていました。
……ま、幸せだったのではないでしょうか。
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【犬のおはなし】その2:なにかと話題に事欠かない柴犬1号くん
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我が家の犬の中で、唯一「子犬」の頃から共に過ごした柴犬1号くん。前作にも少し書きましたが、何かと楽しいエピソードに事欠かない子でした。(カニに鼻を挟まれた子です)
本当に愛されていましたね。そんな彼の楽しく苦笑まじりのエピソードをご紹介します。
まず彼が我が家に来た由来。ちょっと不憫です。
彼はもともと別の家に貰われていった子でした。小学生の子どもが二人ほどいた家だったそうです。生後2ヶ月あまり、乳離れして早々の子犬です。この頃の柴犬は、本当にぬいぐるみのような小ささで可愛さにあふれています。
直接的に何があったのかは知りません。彼は、そのお宅の子どもに二階の階段から投げられて、足を骨折してしまいました。悪意はなかったと信じたいです。
何かしら思う所があったのか、親元の家と貰われていった先の家とで話し合われた結果、彼は出戻ってきて我が家に来ることになりました。
なお、この決定も事後承諾。母をはじめ家族の誰も知りませんでした。
……前作をお読みいただいた方なら、もうお分かりですね?
【ある日、学校から帰ってきたら、子犬が出迎えた】
喜んでいいのか、驚くべきなのか、呆れるべきなのか、分かりません。
しかもまだ骨折中。前脚にプラスチックのギブスを当てられて、「カタカタカタカタ~っ」という軽快な足音を立てて走り寄り、足元にじゃれついてきた子犬とのファーストインプレッションは、大変衝撃的でした。今でも、ギブスがコンクリの三和土にあたって奏でる「カタカタカタカタ~っ」は記憶に鮮明です。
そんなこんなで我が家の一員となった柴犬1号くん。父はもとより、姉が大変可愛がっており、彼も姉に大層懐いておりました。
姉を好きすぎた彼のエピソードで、最も印象深いものは「脱走事件」です。全て姉からの伝聞であるので、多少の脚色はあるでしょうが、楽しいエピソードでした。
我が家にやってきて半年ほど。ようやく成犬と呼べるほどになった頃のお話です。
その頃には躾けもあらかた終了しており、彼もノーリード生活を楽しんでおりました。
そんなある日のことです。
当時、姉は高校生。自転車で通学しておりました。朝、寝坊した姉は犬に構う余裕もなく、毎朝の日課であった触れあいも無いままにあわてて自転車を疾走させていました。しばらく行った交差点で、姉は友人と合流しました。そして友人が一言。
『……(姉の名前)ちゃん、犬、ついて来てんで?』(うちは関西人です)
振り返った姉の目に飛び込んできたのは、無邪気で楽しげな瞳の柴犬1号くん。多少息を切らしてはいるものの、くるんと巻いた尻尾を全力で振りながら、散歩の時のような笑顔(柴犬は笑うと思います、はい)を向ける1号くん。構ってもらえることを、何一つ疑うことのない眼差しの1号くん。
……自転車の前カゴに1号くんを乗せて、姉は家にUターン。
通学路を逆走する姉に、幾人もの同級生が声をかけます。
『(姉の名前)ちゃん、なにしとん? 遅刻すんで?』
『犬に聞いてーーーーっ』
何とか無事に家まで連れ帰り、脱走したことに気付いていなかった母に彼を託して、姉は再び登校しました。
当然、学校には遅刻したのですが、話を聞いた担任がなぜか不問にしてくれたそうな。どっとはらい。
そんな彼の大嫌いなもの。獅子舞です。
たいていの犬は雷の音などが嫌いです。1号くんも雷が嫌いです。
ただ彼の場合、「雷が怖かった」という経験よりも先に、「獅子舞が怖かった」ことが大きく影響しているかと思います。お祭り囃子、獅子舞のお囃子の鳴り物の音は、雷とも似ています。だから嫌い。
まだ彼があどけなかった頃。彼は「獅子舞」と出会いました。
実家のあたりでは、お正月と春秋のお祭りの際に、獅子舞が各家(氏子に限りますが)を個別に訪問して、一舞してくれます。軽トラにお囃子衆が乗って、獅子舞の舞い手たち(実家の方は伎楽系なので、獅子舞一頭につき二人以上の舞い手がいます)が練り歩く。懐かしい原風景の一つです。
皆様は【獅子舞に噛まれると縁起がいい】という謂われをご存じでしょうか。
邪気払いや無病息災のご利益があるとされ、正月の獅子舞では家長が噛んでもらっていました。また、特に子どもは噛まれる方がいいとのことで、小学生くらいまでは一緒に噛んで貰いましたね。
そして我が家の新参者の1号くん。まだ「子ども」です。
獅子舞の舞い手やお囃子衆には、決して女性を混ぜてくれないほど保守的であったのにも関わらず、なぜか動物には鷹揚だった獅子舞衆。困ったちゃんの父の願いを、何の問題もなく叶えてくれました。
聞き慣れない音(お囃子)に怯えて、家の奥に引っ込んでいた柴犬1号くんは、無理矢理に玄関先へ。そして父にだっこされて……獅子舞にガブリ、と。
……幼児でも泣き叫ぶことが珍しくない光景です。まして事情を知らない犬です。
この世の終わりのような鳴き声、というものを久しぶりに聞いた気がしました。
当然トラウマとなった1号くん。それ以来、祭り囃子が聞こえる度に、縁の下に潜り込んで隠れるようになってしまいました。うん、父が酷い。
そんなこんなで、不憫ながらも幸せに暮らした柴犬1号くん。話を綴ろうと思ったら、いくらでも綴れてしまう、可愛いワンコでした。
ちゃんと獅子舞に噛んでもらったのですが、残念ながら病気にかかり、5歳で旅立ちました。決して長い間とは言えませんが、子犬からずっと側に居ただけに家人のショックは大きかったです。高校卒業後、家を離れていた姉が電話先で号泣していたことを覚えています。
それまでの犬猫などは、親戚所有の山に葬らせてもらっていたのですが、彼ともう一匹だけは、父の希望で火葬後に実家の庭に葬られました。やはり特別に愛されていたのだと思います。
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今回も、単なる『我が家の非常識』を暴露するかのような話ですが、お楽しみいただければ幸いです。
正直、我が家の犬の飼い方は、決して褒められたものではありません。もうちょっときちんと管理して飼育する方が、本当は犬の幸せにも繋がっているのかも知れません。
しかし「奔放」に生活させてはいましたが、決して「放任」はしませんでした。家族にも、ご近所にも、大きな迷惑はかけておりません。(脱走して、ご近所に不法侵入する子はいましたが……)
きちんと「生命への責任」を持って飼っていたと思います。
少なくとも。
家人は皆、彼らと共に過ごせて幸せでした。
その感謝は果てしないものです。
ただ一言。『ありがとう』の言葉を、虹の橋の向こうにいる彼らに。
「犬たち」と言いながら、柴犬1号くんだけで字数が大変なことになりそうだったので、今回はこの辺で。
また折りをみて、その他の犬たち(柴犬3号も、各種のエピソード持ち)や猫の話などを綴ってみたいと思います。
最後は珍しく(?)ちょっとしんみりする締め方になってしまいましたが、基本的に楽しくクスっとしてもらえるような話を綴ってゆきたいと思います。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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