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冬の朝  作者: 月夜
8/9

 泣いて、泣いて、目が腫れて、翌日が日曜日で本当によかった。喉は痛いし、頭も痛い。風邪かもしれない。

 あんな格好で6時間も外にいたんだもの。そりゃ風邪もひくでしょうよ。気力もなくて、お風呂にも入らなかったし。

 というか、昨日の朝から何も食べていない。気づいた途端、おなかがぐーぐー鳴り出した。調子が悪くてもおなかは空くのね。何かあったかしらと考えながら、のそのそとベッドから下りた。


 最近はずっと料理をしていた。インスタントを探してキッチンを彷徨うと、戸棚の奥からラーメンが出てきた。カップじゃないけど、これにする。お湯を沸かして麺を入れて、スープを入れる。ほかには何もいれずにラーメンだけを食べた。静かな部屋に、ラーメンを啜る音だけが響く。

 無心に食べて一息ついて、ぼんやり天井を見上げた。おなかが暖まると、気持ちが落ち着くのかな。

 結局、あれは何だったんだろうと思う。前日まで、あきらくんとはメールをしていた。翌日の待ち合わせ場所や時間の確認をして、別に変なことは何もなかった。


 思いついてスマホを確認する。メール0件。やっぱり、何もない。

 まさか事故にでも遭ったのだろうか。あきらくんを責めてばかりだったけど、急に恐ろしくなってきた。事故とか事件とか、連絡できない状況なのかもしれない。


 私は慌ててあきらくんにメールをした。「大丈夫?」ただ一言、それだけ。

 でも結局その日も、誰からもメールは来なかった。

 


 月曜日になるともう落ち着いてはいられなかった。だからといって、あきらくんの自宅も何も知らない。思えば私は、あきらくんのアドレスしか知らないのだ。彼の携帯の番号も名字も知らなかった。

 彼が本当に事件や事故で返信できない状況ならば、私がいくらメールを送っても意味が無い。私はよくよく考えて、山田さんにメールをした。約束をすっぽかされたことや、待ちぼうけをしたことには触れず、他愛ないメールを送る。


『そろそろ年末だから、ちょっと早い年末の御挨拶。私は風邪気味なんだけど、あなたは大丈夫? そういえば、あきらくんはどうかしら? 風邪っぽいようなことを言っていたけど。』


 まるで、土曜日に会ったときにそういう話をしたかのように装って、メールを送る。山田さんは忙しい人だけど、マメな人でもある。飲み会や寝ているのでなければ、返信は早い。朝だと特に、返信は早かった。

 すぐに返ってきたメールの内容を確認する。


『まだまだ寒いね。温暖化らしいけど、ホントかしら。風邪は大丈夫? 私も、喉がちょっと痛いけど、週末騒いだせいかも。あきらくんも、今日はちょっとツラそう。風邪だったのね。』

 

 私は何度も何度もメールを読み返した。


 あきらくんは無事。風邪かもしれないけど、生きている。というか、バイトに行っている。つまりは、働けるくらいには元気。

 土曜日、私は待ちながら2度メールをした。着きました。待っています。日曜日には安否を伺うメールもしたのだ。大丈夫? と。

 あきらくんからの返信は一度もなかった。そして月曜のいまも、無い。


 これって結局、遊びだったのかな。いや、それは思い上がりが過ぎるか。私が20歳ならともかく、41のおばさんと何を遊ぶというのよ。

 よく考えれば、あきらくんと2人で会ったのはあのイタリアンのときだけ。後はメール。とすれば彼としてみれば、ちょっとした暇つぶしだろう。スマホでゲームをするのと同じ感覚だったのかも。


 それがまた会うことになって、戸惑った。自分から言い出したことだけに今更嫌だとは言えず、当日を迎えた。でもやっぱりおばさんと会うのはどうよと思い直して、止めた。だってどう考えてもおかしい。

 私があきらくんの立場だったとしても嫌だ。よりにもよってクリスマスイブに、何を好きこのんでおばさんと2人で食事するのだ。しかも、おフランス料理のフルコースなど。

 そこまで考えて私ははじめて、お店にキャンセルの電話とお詫びをしていなかったことに気づく。気づいたが、静かに流す。二日も経ってお詫びをすべきかと悩んだが、そんな気力もないほど私は傷ついていた。


 やめろ、変だと言い聞かせたのに。

 私はいつの間にか、あきらくんに恋をしていた。


 私の恋はいつもそう。好きな人には避けられて、嫌いなタイプに好かれている。この辺りで手を打てば? そう思えるような人ではなくて、見た瞬間に駄目だとわかるような、そういう人。

 もちろんその人たちが世間一般的にも駄目なのかと言うと、そうばかりではないのだ。つまりは私が、駄目な人なのだ。


 理想が高いのだろうか。だが生理的に受け付けない人というのは、本当にいるのだ。若いときにはそうでもなかったのだろうが、年齢を重ねて灰汁が出て、どうしても駄目な人。そういう人とも我慢して、結婚しなきゃいけないのだろうか。贅沢は言えない年なのだ。だからどうしても結婚したければ、駄目な人の手を掴まなきゃいけない。

 でもやっぱり、そこまでは覚悟を決められなくて、私はいまでもひとりでいる。どうしても駄目な人と、どうしても結婚するくらいなら、ひとりで潔く生きていこうと思う。最後は老人ホームで、来世を思いながら死のう。

 だって、どうしても、駄目なんだもの。


 そして私は気づく。


 私がどうしても駄目な人が、あきらくんにとっては私なのだろう。何を思って何があって、あきらくんが私とメールをしてくれていたのかはわからない。気まぐれだろうが、何で私と会おうとしてくれたのかわからない。

 でも彼は、気づいてしまったのだ。顔を見ずにやるメールは誰とでも続けられるけど、実際に会うとなると無理が生じる。

 私が、見た目や話し方で駄目な人がわかるように、あきらくんもそうなのだ。私の見た目や話し方が駄目なのだ。というか、このスマホの向こうには40過ぎのおばさんがいるんだぞと気づいてしまったのだ。

 

 約束を破られて、何時間も待たされて。でもあきらくんを恨みに思うのは間違いなんだろうな。12日間だったけど、夢を見させてもらったのだ。私は感謝しなきゃいけない。

 この日、胸に刺さった小さなトゲは、カードの支払い明細が届けばまた疼くのだろう。来年のクリスマスには、また痛むのだろう。

 そんなことを何度か繰り返したら、やがて笑い話になる。女子会の、いいネタにはなるだろう。


 だが、そうなるまでにはもう少し、時間が必要だったが。



 今年最後の出勤日は、29日木曜日だった。仕事の開始は、1月5日の木曜日。8日間の休暇だけど、もちろん予定なんか何もない。1月1日に実家に帰って、顔を出すだけだ。

 昔は12月29日や30日に行って泊まっていたけど、姉が結婚してからやめた。姉一家がやってきて、私の居場所は無くなるのだ。


 姉はいい大学を出たが、就職はどれも長続きしなかった。半年や1年勤めては、こんな場所は自分の働くべき場所じゃない、などと変なことを言って辞める。仕事なんて、6割OK全てOKよ。4割の不都合など踏みつけて我慢するものだ。

 両親は、姉の学費は無駄な出費だったと言い、仕事が長続きしないことを嘆いていた。私が実家に帰れば、姉に対する愚痴ばかりを聞かされたものだ。

 それが結婚し孫が生まれた途端、全てが相殺された。一番の親孝行者のように祭り上げられ、それはいまでも変わらない。


 私は高卒で就職し、実家を出てからは金銭面で何の心配もかけなかった。嫌なことなど山ほどあったが、歯を食いしばって耐えた。やり過ごした。

 どうでもいい理由をつけては仕事を辞める姉を横目に、私まで仕事を辞めるわけにはいかないとがんばったのだ。そんな私を両親は、おまえだけが頼りだと言った。

 それなのに、姉の結婚と出産で全ては変わった。実家に私の居場所など、どこにもない。


 義務として1月1日には実家に行く。3人の姪や甥の相手を適当にして、夕方には家に戻ろう。独身者に正月休みなど、8日間も必要ない。旅行に出かけるにもひとりでは躊躇するし、第一、高い。

 ぼんやり過ごすのももったいなくて、何かをしようと思いばかりを巡らせた。


 ひとりおせちを作っても、材料の無駄が出る。それに多分、実家で持たされる。母のおせちで3日は食いつなげる。ならば料理ではなく、別の何かにしよう。

 絵でも描こうか、本でも読もうか。手編みなどいいかもしれない。仕事は相変わらず定時に終わる。年末でも全く関係はない。というか、私の仕事には関係ない。営業の人たちは忙しそうだったが。

 定時に帰って、ごそごとクローゼットの中を引っかき回す。去年挫折した編み物セットが出てきた。

 何を作ろうとしていたのかよく思い出せないけど、グレーの毛糸玉が10個。これだけあればセーターくらいできるかしら。ついでに出てきた本をめくったが、やりたいものが見つからない。私は何を作りたくてこの本を買ったのだろう。


 翌日の仕事終わりに本屋へ行った。沢山ある手編みの本を物色していたら、20時を過ぎていた。

 3冊のどれにしようか悩んだが、考えるのが面倒で3冊とも買った。これも読めるだろうかと平積みの小説を2冊買って、合計で5冊になった。本が5冊になると結構重い。

 でも何だか、わくわくする。


 本の通りにできるだろうかと思いながら、近くのカフェに入った。いまから帰って料理をするのも面倒だし、でもおなかは空いたから食べていく。外食するのは久しぶりだった。

 窓際で、外を歩く人たちを見ながら食事をした。窓に反射する自分の顔が少しだけ、輝いていた。新しく何かを始めようとしただけで、明るい気持ちになれる。そんなことに、久しぶりに気づかされた。

 軽く食べ終えて、紅茶を飲みながら本を見る。これも、これも、作ってみたい。あのグレーの毛糸だけでは足りないかも。

 編んでいる途中で買いにいくのも面倒だし、明日は毛糸を買ってこよう。編み棒は足りるかしら。家にある分だけでやれるかしら。


 紅茶を飲んで、ほっと息をつく。

 明日は29日。

 今年の仕事も、あと1日。


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