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月曜だからという理由なのか、9時に駅で別れた。
7時に会って、9時に別れる。2時間のお食事は、時間として適度なのかな。よくわからないけど。物足りないような気もするし、ほっとした気もする。
共通点があまりに少ない2人は、相手を探りつつ食事をしていた。急がず、遅れず。食事の速度を、お互いが相手に合わせる。
そして、白い砂浜に落とした白い小石を探すように、話題を探した。2時間がんばって探したけど、結局、山田さんという小石しか見つからなかった。
駅で、またね、と言って別れた。また、はないとわかっていながら。お互いに儀礼的に挨拶を交わし、ほっと息をついて別れた。
あきらくんに背を向けて、私は駅構内に入っていく。
いったいこれは何だったのだろうと思いながら。
あきらくんからはそれからも時々メールがきた。会いましょうという話にはならないけど、他愛ないメールがくる。
私はしないがブロフだかプロフだが、そう呼ばれるものに似ているんじゃないだろうか。何だっけ? 公開日記?
ネットに日記を公開する意味がよくわからないけど、そこにはこういうことが書かれているんじゃないのかしら。
今日の昼食はラーメンでした。どこそこのがおいしいです。こういうメールをもらっても、ああそうなの、としか思えない。だがまさかそういう返信をするのもどうかとは思うので、そうですか、今度食べに行ってみます、程度のことは書く。
手紙にしろメールにしろ、私は自分で終わらせることができないのだ。何かをもらったらお返ししなきゃと、強迫観念的に思ってしまう。
そういうわけで、あきらくんからのメールにも、とにかく何かしらの返信は必ずしていた。
週に1度来ていたメールが3日に1度となり、毎日となって、気づいたら12月だった。
10月にはハロウィンがどうとかと言っていたが、この時期になると話題はクリスマスになる。もう少し経てばお正月になるのだろう。それを過ぎると節分かな。いや、若い人ならそれをすっ飛ばしてバレンタインになりそうだ。
ご近所さんとの話題に困ればお天気と季節の話にしろと聞いたことがあるけど、それは誰に対しても同じなのだと気づく。こうやって探してみれば、年齢差があってもできる話題ってあるものだ。
だがこれも、メールだからかもしれない。面と向かって1、2時間。潰せるほどの共通の話題ではないだろうが。
あきらくんは、友達とするクリスマスパーティーのことを話題にしていた。みんなの都合を合わせると、当然だが12月24日や25日には行われない。ぐずぐずしていてお店がとれず、12月2日にするんだと笑っていた。早すぎですよね、と。
あるだけいいじゃない。この年になれば、そんなもの話題にも上らない。結婚した友人たちは当然、家族と過ごすし、恋人がいれば決まっている。
売れ残りばかりが集まって、コンパをするのも悲し過ぎる。この時期、私はもう何年も前から息を潜めて過ごすことに決めているのだ。
冗談交じりにそう返信したら、驚いたことにあきらくんからお誘いがきた。しかも、12月24日だ。たまたまその日が土曜日で、あきらくんのバイトが休みだからなのだが、私は変に意識してしまった。
だって、だって、24日よ?
12月の24日に、仕事以外で男性と会うなんて、生まれて初めてだわ。
2人だし、恋人同士じゃないし。だからお店なんてどこでもいいわと思っていたら、フランス料理のお店が空いていた。
この時期って、恋人同士が張り切って早々に予約を入れるけど、当日までに別れる人も多いらしい。そうじゃなくても当日に盛り上がって、予約した店なんか忘れて走っちゃう人たちがいるらしい。つまりは、ベッドに。
そういうわけではじめから、若いカップルの予約は受け付けないお店もあるのだと、私はこの年にしてはじめて知った。
ちょっと高めのお店だったが、私は予約を入れた。ボーナスも出たし、ご馳走する気だった。あきらくんのプライドを傷つけないように、どうにかして話を進めたい。
もちろん彼に合わせて、ラーメンでもうどんでも何でもいいのだが、クリスマスイブに異性と過ごすなんて、最初で最後かもしれないのだ。ちょっとした思い出くらい残したい。
うんうんうんうん悩んでから、山田さんにSOSを出した。
私が事前にお金を渡すから、それを山田さんからあきらくんに渡してもらえないかと。山田さんの会社の臨時報酬として、あきらくんに渡してもらいたい。
私がそうお願いして茶封筒をテーブルの上に出すと、山田さんは何とも言えない表情をした。よくないと思うよ。顔にそう書いてあったけど、渡すことを了承してくれた。
山田さんは活動的で、人に対する垣根が低くて、誰とでも話ができるし反応もいい。人もいいから、誰かのために動くことも厭わない。年齢も男女も問わずモテるから、彼女を捕まえるのはとても大変。
この日も、忙しい合間を縫って会ってくれた。私がどうしても、とお願いしたら会ってくれた。誰かとの飲み会の後、深夜0時からなら大丈夫、そう言ってくれて。
私は時間を潰せる相手もおらず、1人でカフェをはしごした。定時に仕事を終えて、カフェを3軒。そうやって山田さんを待った。どう言ったら山田さんが受けてくれるのかを考えながら。
彼女はとてもいい人だけど、馬鹿じゃない。物事をちゃんと見ている。私がお願いすることがあきらくんにバレたら、とても面倒なことがおきるとわかっている。
私は言い訳もごまかしもせず、正直に話してお願いをした。
自分じゃ意識していなかったけど、私は必死だった。
最後の最後だとわかっていた。だってこんなこと、私の人生に起きるとは思ってもいなかった。いや、期待して、諦めて、そんなことを繰り返してようやく自分を宥めたのだ。来世にかけようと思っていた私に、降ってわいた幸運。
二度と手にすることのない幸運の、切れそうに細いこの糸を、私は必死に掴んでいたのだ。
私の必死さが、同い年の彼女にも理解できるのだろうか。
山田さんは困ったように眉を寄せて、それでも頷いてくれた。
決戦の日まで、あと12日。
準備期間は十分にある。顔も体型もどうしようもないが、服装と髪型だけはどうにかする。
私は美容院に駆け込み、その後デパート巡りをした。服と靴とバッグ、それから化粧品。
普段なら絶対に買わないようなメーカーのお高い基礎化粧品を買い込み、これから12日間、絶対にサボらないと誓う。シリーズで使うほうがいいからと言われ、クレンジングからファンデまで全ての商品を揃えた。総額で一ヶ月分の給料が全て飛んでいったが構うものか。貯蓄はあるし、また働けばいい。
41年生きてきた。
これが私の、最大にして最後の潤いだ。
季節に関係なく、仕事はほぼ定刻に終わる。6時に終えて、私はさっさと帰宅する。
外食は止めた。朝も昼も夜も自炊する。肌にいいものを選んで食べる。油も、オリーブオイルに変えた。お菓子は捨てて、ナッツを買う。
全ては、クリスマスのために。
夜は9時に寝た。ずるずると起きていた生活に別れを告げた。見たい番組は全て録画にして、とにかく寝る。
ドラマもバラエティーも、夢が覚めてから見ればいい。
当日は朝から起きてエステに行った。
エステなんて、本当に久しぶり。どこの店がいいのかネットで調べて予約をした。24日当日にエステに行って磨く人もいないのか、結構簡単に予約がとれた。
エステを終えて、一度家に戻る。まだ13時だった。約束は18時。そわそわしながら顔にパックする。
エステで磨いてもらったのに、それでもまだ化粧水でパックをした。潤いだ、潤い。季節柄、乾燥は大敵。そうじゃなくても年なのだから。
パックをしながら、マニキュアを塗った。買ったばかりの小瓶を3つ、並べる。これは赤すぎるかな、こっちは薄すぎるかな。
悩んで結局、無難な色にした。薄いピンク。塗っているのかどうかよくわからないけど、光ればわかる。そのくらいの薄い色。
久しぶりで塗るのを手間取る。こっちも予約していればよかった。プロに塗ってもらったほうが良かったわと思いつつ、塗っていく。はみ出すしムラができるし、うまくいかない。塗り直そうと除光液シートを取り出したら、大丈夫な指が触れてそっちまで駄目になる。
ああもうと、小さく悪態をつきながら塗っていって、顔にコットンを貼ったままだったことに気づく。慌てて取ったら、コットンは乾燥した綿になっていた。これじゃ余計に顔が乾燥するじゃないと、こっちもやり直す。
どうにかこうにか10本の指に塗り終わったのは、15時が来ようという時間だった。
両手をぶらぶらさせて乾燥させながら、鏡をじっと見る。このおばさんを、どうやれば5歳若返らせるのか。できれば10歳若返りたいけど、それは無理でしょうね。
深いシワとか濃いシミとか、そういうのはないけど安心してはいけない。お高い化粧品を買うときに、ご丁寧に見てくれたのだ。目には見えない粗を。
どちらにしろ、全体的に年老いて見えるのは経験の差なのかしら。シワとかシミとか弛みとか、そういうのだけじゃなくて何というか、初さがない。これは経験の差なのかしら。
思えばもっと若い頃、私も20歳のときにはひとりでお店に入れなかった。いまでもさすがにお寿司屋は無理だけど、フランス料理くらいならばんばん入れるもの。カウンターじゃければ、お寿司も大丈夫かもしれない。
こういうのができるようになったら初さが消えて、不貞不貞しさが顔に出るのだろうか。それが邪魔をして、いくらお高い化粧品を使おうが年齢を誤魔化せないのかもしれない。
考えても仕方のないことを鬱々と考えてしまった。これじゃいけない。山田さんが若々しく感じるのは、活き活きとしているからだ。生きているのが楽しい、そんなオーラが出ている。それらが彼女を若く見せているのだ。
「楽しい、楽しい、楽しい」
私は呪文のように、鏡の中の自分に言い聞かせた。
楽しいのよ? 笑って。
私は自分の気持ちを必死に盛り上げた。