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冬の朝  作者: 月夜
4/9

『こんにちは、彬です。この前はずっと食べててごめんなさい。腹減ってて……w 今日、時間あったらお茶でもどうですか?』


 何度も何度も読み返してしまった。

 あきら、て、彬と書くのねなんて、どうでもいいことを考える。

いやしかし、問題はそこではない。私の頭の中は、ぐるぐると混乱した。


 どういうこと? 一度きりじゃなかったの? 

 お茶って……お茶? 何時? お茶って、3時かしら? 


 私はスマホを握ったまま壁にかけられた時計を見上げる。

 いま、0時25分。あきらくんからのメールが、11時42分。お茶というくらいだから、3時かしら。5時というのは遅いか。

 でも仕事は6時までだし、どうしよう。風邪でもひこうかしら。でも午前中ケホともゴホとも言っていない人が、いきなり仕事を休むほどの風邪を発症するのも変よね。腹痛の方がいいかしら。


 でも……

 私は机の上を見る。


 買ってきた3つのパンのうち、2つを既に食べていた。こんなにばくばく食べておいて、腹痛もないだろう。その場合、食べ過ぎかあたったのかと思われてしまう。それに、仮病で仕事を休んで、外で営業の人に見られてもまずい。

かなり悩んだが、断腸の思いで返信した。


『改めてはじめまして』


 ここで悩んだ。

 相手は名前で言ってきてる。私も下の名前で応じるべき? でも40過ぎのおばさんが、下の名前もないだろう。と言い聞かせ、ゆみです、なんて書かない。


『改めてはじめまして、秋田です。お誘いありがとうございます。ですが6時まで仕事です。』


 何度も何度も読み直して、送信した。もっと砕けた方がいいのか迷ったが、何も思いつかない。まるで事務連絡のようなメールを送信し、昨日だったらなと思う。

 昨日は、一日何もなかったのに。お茶でも何でもつきあえたのに。どうして月曜日なんかに誘ってくれるのよ。


 そう考えて、ふと思う。

 

 もしかして、こっちが断らざるを得ないのを重々承知の上で、誘ったのだろうか。

 月曜の昼間にフリーになれる社会人も少ないだろう。仕事で断るとわかった上で誘ったのだ。そうすれば向こうは、とりあえず聞いたアドレスにメールを送ったぞという痕跡が残る。


 紹介してくれた友人とどういう関係かはわからないけど、多分、弱みでも握られているんだろう。だから断り切れずに、おばさんと呑んだんだ。そして義理を果たすためにアドレスを聞いたと。聞いた以上はアクションを起こさなきゃいけないと思って、誘った。でも誘いに乗られても困るから日曜日を避けて、社会人にはまず無理な月曜日にした。そして首尾良く私が断って、一件落着。


 ああ、そうか。

 これよ、これ。


 私は机に落ちたパンを拾い、一口で食べた。パックのジュースを一気に飲んで席を立つ。

 馬鹿馬鹿しい。返信内容に悩む必要もなかったわ。私はただ、断ってあげればよかったんだもの。

 途中のゴミ箱にゴミを投げ入れてトイレに向かう。急がなきゃ1時になってしまうわ。あんな短い返信に15分も使ってしまったんだもの。

 歯を磨いて、さっと化粧を直しただけで席に戻る。12時台のトイレはいつも満員。トイレの洗面台しか歯を磨ける場所がないのだ。化粧室を作れなんて贅沢は言わないけどせめて、洗面台を3つにしてほしい。


 席に戻ると0時55分だった。ちょっと早いけど、パソコンの電源を入れる。5分でも昼休憩が短くなるのは惜しいが、ほかにすることもない。いつもなら本でも読むけど、5分じゃバッグから出すだけで終わる。

 電源を入れてほっと息をついて、何気なくスマホを見た。青い光が点滅している。手を伸ばすのを一瞬躊躇した。迷惑メールだろうか、返信だろうか。昼休みが終わるチャイムの音を聞きながら、スマホを操作した。


 メール1通。

 件名『Re.こんにちは』


 あきらくんからだとわかり、画面を凝視した。開くのを躊躇ったが、仕事はもう始まっている。さっさと確認して業務に戻らなきゃ。理性がそう言い聞かせ、私の手を動かせた。


『お仕事6時までですか。ではお茶ではなく、食事にしますか? 呑みでもいいけど^-^ 月曜からじゃ駄目ですよね』


 驚いた。

 この子、どういうつもりだろう。

 社交辞令でアドレス聞いて、社交辞令で誘ったわけじゃないの? それとも何かの罰ゲーム?


 友人に、よっぽどの弱みでも握られているのだろうか。それとも若い子たちの間で流行っているのだろうか。おばさんを落とせるかどうか。

 とりあえず、期待なんかしちゃ駄目よと言い聞かせ、返信した。


『いいですよ』


 ああもう。また事務連絡だ。

 顔文字くらいつけるべき? でもなぁ。20歳も年下の子に誘われて、何テンパってんだと思われそうで。いま、あきらくんは一人じゃないかもだし。


 そんなことを思ったら、嫌な光景が目に浮かんできた。


 数人の友人でテーブルを囲むあきらくん。テーブルの真ん中には、彼のスマホ。私からの返信を見て嘲笑を上げるのだ。馬鹿でぇ、このおばさん。なに色気づいてるんだよ。そんな風に嘲笑う。


 パソコンのキーを叩く手が止まる。

 ただの空想なのに、それは真実に思えた。


 横目でちらちらとスマホを見る。仕事は完全に上の空だ。

 返信から30分後、青い光が瞬きだした。急いで確認する。


 会社の最寄り駅から5つ先、家の最寄り駅からは7つ先の駅で、夜7時に待ち合わせた。


 午後からの仕事はほとんど進まなかった。データー分析をする頭はどこにもない。妙な期待と嫌な予感が交互に渦巻く。

 待ち合わせの場所に行ったら、数人の友人とあきらくん。にやにや笑いながら私を迎えるのだ。或いは、物陰に隠れて様子を窺って笑う。

 ああどちらにしろ、嘲笑されることしか想像できない。


 やっぱり、行くのを止めようか。でも約束したし。もしかしたら、万が一、何もないかもしれないもの。あきらくんがひとりでいて、ご飯に行くのだ。

 でもそれって、やっぱり変よ。どうして21の男の子が好きこのんで、41のおばさんとご飯に行くのよ。ごちそうさせてくれるわけでもなし。

 この前のことがあるから、割り勘でしょうね。せめておごらせてくれたら気分も晴れるんだけど。


 仕事が手につかないし、時計の針は全然進まない。とりあえず席を立ってトイレに行く。鏡を見て、また落ち込む。

 どこからどうみても、おばさん。しわは少ない方だと思うけど、無いわけじゃない。というか、この毛穴。かつての産毛は濃くなって、ひげっぽい? ああ、いやだ。嫌なとこばかりが目に付く。

 たるみをどうにかしたいのだが、セロテープでも貼ってみようかしら。て、それじゃお笑い芸人みたいだわ。

 せめて化粧でどうにかしたいけど、昼に簡単に直したきり。まさか仕事中に化粧ポーチを持って歩くわけにもいかないし。出るときに直す時間はあるかしら。6時ぴったりに終わっても、移動を考えるとぎりぎりだわ。待たせるわけにもいかないし。だって21の子が会ってくれるというのだもの。5分でも遅れたら終わりのような気がする。


 それに、服よ、服。今朝はぼんやりしていたから、何も考えずに適当に着てきた。いや普段から、こんな格好だけど。

 でも家を出る前に連絡をくれていたら、もう少しマシな服にしたのに。


 やっぱり風邪になろうかしら。服を買いたいし、化粧も直したい。というか、美容院に行きたいわ。このおばさん頭、どうにかしてほしい。長いだけで艶がない。サイドだけ纏めた髪。バレッタを外したけど、余計に年老いて見えて、また纏める。ひっつめて、目尻のしわを隠そう。

 鏡の中の自分をじっと見て、ため息をつく。


 ああ、潤いがほしいわ。

 顔にも私生活にも。


 時計を見ながらじりじりと過ごし、5時50分を過ぎてから動き出す。まずはコップを洗って、トイレを済ませた。何となく机の上を片付けて、6時ちょうどに席を立てるようにする。

 時計を睨み付けていたら終業のチャイムが鳴った。よし、とばかりに立ち上がってトイレに駆け込んだ。

 とにかく顔だけでもどうにかしようと化粧ホーチを開く。ほとんど落ちかけたようなファンデの上から上塗りした。なんかもう、余計に悪くなったような気がしないでもないが、もはやどうしようもない。素材の問題なのだから。高いファンデを使おうとどうしようと、素の問題なのだ。

 こんなことなら怠けずに、基礎化粧品を真面目に使っていればよかった。


 いろいろと後悔しつつも整えて、駅に急ぐ。定期は使えないから切符を買って、指定された駅に向かった。


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