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気づいたら、40歳を過ぎていた。
別にポリシーを持っていたわけでも、拘りがあるわけでもない。
普通に、生まれて育てられて勉強して学校行って就職して、真面目に働いていたらこの年になっていた。
こういう時代だから、結婚を急かされたこともない。辟易するほど、見合話がきたこともない。腫れ物に触るように気遣われつつ、2,3回はしてみたけど。
出会いパーティーがあれば参加したし、合コンも断ったことがない。そんなに高い理想を持っているわけでもないし、二度見されるほど造作が乱れているわけでもない。
それなのに、何故か、気づくと私はひとりだった。
ぱたぱたと伴侶を見つけた友人たちが過ぎ去って、私の周囲には結婚した友人とそうではない友人が半々くらいだ。だから、本気で焦らなかったのかもしれない。
結婚した友人の何人かは、こちら側に戻ってもきたし。
テレビの中ではいろんな人生観が語られ、個性だの自分探しだので賑わっている。結婚する人生もそうじゃない人生も尊重されて、一見自由だ。
だが、自由の何と生きにくいこと。
祖父母やそれより前の世代では、年頃の子供を抱えた親は必死で相手を探してきた。顔も見たことのない人と、出会ったその日に結婚したのよと言われても、いまの私には羨望しかない。
自分で相手を見つけるって、本当に大変だもの。
たとえば、と高校野球を見て思った。
出会ったその日に結婚した人たちって、18か19でしょ? 男性が年上だったとしても20いくつか。ということはこの野球少年たちが目の前に現れて、さあ結婚しなさいと言われているようなものだろうと。
そう思いながら見ていると、どの子もどの子も大丈夫だった。生理的に受け付けないということはない。男臭さもなく、灰汁もない。そんなものが滲み出てくる年じゃないのだ。
このくらいの年ならば、男も女も大概売れる。そんな気がした。
少子化を嘆く人たちに言ってやりたい。
結婚した男女は大体子供を持つのだ。結婚した女性が子供を産む数は、そんなに変わっていない。病気や体質や拘りが無ければ普通に子供を持つ。
金銭的に生まないという選択肢は、実はそんなに取られていない。
少子化の一番の問題は、晩婚化と未婚だ。本気で少子化対策をしたければ、昔に戻ればいい。男も女も20歳までに、無理矢理にでも結婚させてしまうのだ。そうすりゃ少なくとも、ひとりくらいは生まれるだろう。
そうすりゃ私も、こんなに悩んじゃいなかった。
良い時代なのかどうなのかよくわからない。
自由に恋愛ができていいわねと言われても、恋愛なんてしたこともない。ベルトコンベアーに乗って日々を過ごしていたら、この年まで独り者でその上恋愛未経験者になっていたのだ。
仕事が忙しかったとか、遊びが楽しかったとか、そういう理由もない。
ホントに、どうしてこんなことになったのだろう。どこから間違ったのだろう。どこからやり直したらいいのだろう。
私は途方に暮れていた。
独身の友達はいるし、出戻りもいる。職場も男性陣は既婚率が高いけど、女性はそうでもない。
私より年上で独身の女性もいる。活き活きと働いている。彼女を見習ったらいいかなと思うけど、見下してもいる。
彼女と、私自身を、私は心のどこかで見下しているのだ。
独身で仕事のできる男はいくつになっても賞賛されるのに、独身で仕事のできる女は世間的には見下されている。というか、哀れみを受けている。結婚できなかった寂しさを仕事で紛らわせているんでしょと、そう思われているような気がするのだ。
これって、独身女の僻みだろうか。
ずっと独身でいようと決意していたわけではない。でも、何が何でも結婚したかったわけでもない。出来たらするわなんて余裕も、30を過ぎればただの強がりだ。
ひとりで生きていく覚悟ばかりして、ひとりでどこにでも入れるようにもなった。トイレでさえ、誰かと連れだって行っていたかわいげは、もはやどこにもない。
ひとりでカフェに入ってお茶をして、ひとりで映画に行って、ひとりで買物をする。フランス料理のフルコースでも、食べたきゃひとりで食べに行く。
友達を誘うこともあるけど、日を合わせたり、行きたい店を相手の意見で変えたりするのが面倒になった。旅行も、一人旅を何度か経験すれば、誰かを誘おうという気さえ無くなってしまった。
私は何度も何度も覚悟して、そしてシミュレートする。
ひとりの老後、ひとりの最期。
そうやって、何度も何度も、自分を宥めていた。
ひとりで動いているときは特に、周囲が気になる。恋人同士や、家族連れ。男の顔を見て、あんなのは御免だわと思い、女の顔を見て、あんなのでさえ相手がいるのにと悲しくなる。
夫や子供に満足なご飯さえ作らない専業主婦を見ると、私の方がもっとちゃんとできるのに、なんて思ってしまうのだ。
目の前に鏡がなきゃ夢を見ていられるのに、鏡を覗いて現実を思い知る。
鏡の中の私はおばさんで、つぼみのまま腐っていこうとしていた。
アンチエイジングという言葉にぴくりと反応して、お財布と相談しつつ化粧品を買う。
買って三日はちゃんと使うのに、すぐに面倒になっておざなりにしてしまう。今日は疲れているから、明日するから。自分に言い訳ばかりで嫌になる。
買った化粧品を横目に、今日も何もつけずに寝てしまう。
同世代の独身男性は、おじさんばかり。
当然だ。
おばさんの同世代はおじさんだろう。
だがこっちがそれなりに身形や健康に気をつけているのに、あちらは完全なおじさんだ。髪の毛は仕方がないとしても、腹はどうにかすればいいのに。ファッションだって、わからなきゃ店員に聞けばいい。
不健康な遊びには金を使うのに、そっちには全くなのだ。1円まできっちりと割り勘にされた日には、二度と会いたくもない。おごれとは言わないけど、ざっくりした割り勘にできないものか。それだけの器もないのかと。
この年になると、自棄にもなる。
この年までひとりなのにどうして、背が低くて腹が出ていて歯の汚い、食べ方も汚い、話もおもしろくない、ケチな男と一緒にならなきゃならないの。そんな風に思ってしまう。
そんな風に思ってしまう私は、理想の高い女なのだろうか。
ひとつだけ、いいところを見つけたらいいよ。
結婚した友達はそう言う。
煩い子供を抱えて、ひとつでも尊敬できるところがあれば、好きになれるわよと。
それは私には難しい。ぱっと見て、駄目だと思ったら最後まで駄目なのだ。見た目が全てで、見た目が受け入れられないともう駄目なのだ。
人間、40年も生きていれば内面が顔に出る。ケチな人はケチな顔に、いじわるな人はいじわるな顔になる。
そういう意味で、私はイケメンが好きなわけではなく、灰汁の少ない人が好きなのだ。皮肉屋や偏執的な人は嫌なのだ。
だが悲しいことに男もこの年まで独身だと、独身の理由をちゃんと持っている。そしてその理由が、本人の内面以外にあることはあまりない。
それは女も同じでしょ。
もう一人の私がそう言う。
ええ、ええ、わかっていますよ。
私にも独身の理由がある。
思ったことをすぐに口に出してしまうし、あまり人の気持ちがわからない。面倒くさがりで、回りくどいことも嫌。いろいろ推測するより、聞いた方が早いと思ってしまう。
そして、視野が狭い。肩を叩かれなきゃ、周囲で何が起きているのかさっぱり気づかないことも多い。
多分、この口が駄目なんだろうな。
相手が嫌がることを、無意識で言っているんだ。だから、もう一度会いましょうと誘われることが少ないのだ。
最近では、友達でさえそうなんだもの。私ばっかりが誘って、誘われることが激減した。
でもやっぱり食事会などをすると、私ばかりが話している。そしてそのことに、後で気づく。
ああ、駄目だと落ち込んで、反省するのだけど人はそうそう変われない。何度も同じことを繰り返してしまう。
ホントにどうにかしなきゃ、これじゃ寂しい老後だ。独身で恋人もいなくて、その上友人までいなくなったらどうしよう。
ずどんと落ち込む夜が増えた。
誘われたら、どんな内容でも参加するようにしている。次がないかも、という恐怖心もちょこっとある。誘われているうちが花だからと言い聞かせ、出かけるのだ。
そうでもしなきゃ足が動かないのは、度重なる失敗の記憶があるからだろう。誘ってくれるのは大概コンパだ。それも人数合わせ。ちょっと期待して、ちょっと身構える。それでもやっぱり期待して、おしゃれして、出かけた。
そして、心に小さな穴を開けて一次会で帰るのだ。
この年になると彼氏が欲しいとか恋愛がしたいとか、そういう余裕も無くしていく。即結婚、即出産となる。
だが本当にそれでいいのかという疑問も、もちろん私の中にある。
いくつを過ぎた頃からだろう。自問自答することが増えた。
あなた、結婚したいの?
どうしてもしたいの?
子供がほしいの?
答えは多分、私の中にある。誰でもいいから結婚したいわけではないし、子供がいなくても幸せなのだ。
私が結婚したいと思うときは、周囲の視線が気になっているときなのだ。
いい年して独身の私を、周りはどう思っているのだろう。
親戚や家族から、結婚できない理由をあれこれと言われる。私自身、あれが駄目だこれが駄目だと自分に言っている。
でも、と思うのだ。
私より頭の悪い人も、顔の悪い人も、性格の悪い人も、口の悪い人も、結婚している。
私は最低の部類の何かを持っているわけでもないのに、結婚できない理由を一生懸命探されて、ここが悪いと見せつけられる。
結婚していないことで何が嫌って、結婚できない理由を私の中に探されることなのだ。縁が無いから、そういう理由では納得してくれない。
周囲も、私も