5 休憩室にて
冒険者役場のパイプテントから、一人の男が出てきた。
赤褐色のふさふさした髭。同色の髪は首の後ろでくくって額をむき出しにしている。
そして、筋肉質でがっしりと幅のある体に身長150センチ台しかない特徴的な体格。
ゆったりとした白い衣服に身を包んだ白精人種だった。
名はアブドラ・グラゾフスキー。
成人のドワーフにしては柔和な顔立ちで優しげな印象を与えて来る男である。
冒険者としてとあるギルドに所属してはいるが、〈鬼の魔窟〉のイベントでは協力な治癒魔法の腕を活かし冒険者役場医療班の外部協力者としての参加をしていたのだ。
「アブドラさん、お疲れ様でした」
アブドラがかけられた声に振り向くと、20代前半の女性が冷えたジュースが入ったグラスを持って立っていた。
冒険者役場の女子制服である、赤系チェックのタックベスト付きレディスーツを着込んでいる。
黒髪に黒目、象牙色の肌、彫りの浅く童顔に見える顔立ち。
彼女の名前は西郷愛実。
数年前にこの世界に迷い込んできた、かつては21世紀の日本に住んでいた人物である。
今は冒険者役場に就職し、この世界に順応して生きていた。
「おー、こりゃあありがとの。愛美さんもおつかれさん」
アブドラは髭面をくしゃりと笑みに変え、西郷が持ってきたジュースを受け取って口をつける。
西郷を下の名で呼ぶのは、彼女が苗字を好んでいないことを知っているためである。
ごつくて頑固なイメージの有るドワーフに似合わないアブドラの柔らかな表情に、故郷にいた頃の優しい祖父を思い出して西郷も笑みを浮かべた。
実際のところ、アブドラと西郷では年がそう離れているわけではないのだが。
「今日は本当に有り難うございました。アブドラさんがいてくれなければ、私たちでは対処できない怪我人が結構いましたから」
西郷が頭を深く下げると、アブドラは後頭部をがりがりとかく。
「わしゃ地母神様の御力をお借りしとるだけじゃけえ、そがいな風に言われるとちと困るわ」
「それでも、祭りの重傷者対策なんて神殿の方たちは出てきてもくれませんし、出てきてくれても大金を要求してきたりしますから」
アブドラの謙遜に西郷が苦々しい表情で言う。
アブドラのように強力な治癒神令が使えて、その上で在野にいる者は少ない。
大抵は神々を奉る神殿法人が抱え込んで、多額の寄付を代償に治癒を行っている事が多いのだ。
「冒険者にとって稼ぎ時のイベントの日に自分から協力を申し出てくれるアブドラさんには、私たち冒険者役場の者は頭が上がりませんよ」
しかもアブドラはほとんど金を受け取らない。1日拘束した分の最低限の人件費くらいしかもらってくれないのである。
これが神殿だったら時給10万サクル単位で要求して来るのではないかと西郷は思う。
「神殿か、わしゃもう破門されとるけえ、今どげなことになっちょるんか分からんしのお」
ぐび、とジュースを啜って他人事のように言うアブドラ。
「破門された人が治癒の力も腕も良くて無償みたいな額で人助けしてる。……組織化した宗教ってのはどこの世界でも変わらないもんですね。いや、この世界の宗教の基礎を作ったのも私たち〈異繋人〉らしいから言えた話でも無いんですけど」
「……余所の神様はわしゃわからんが、少なくとも地母神様は神殿の所属を条件に力を貸してはくれんようじゃな」
自嘲を絡めて愚痴る西郷に、少しだけ暗い物を含めた表情のアブドラ。
しまった。と西郷は思った。
西郷はこの人の良いドワーフに妙なことを言わせてしまったと後悔し、話を変える。
「……今日は、これからギルドで打ち上げですか?」
「じゃな。ここいらはどこの家もそうじゃろうけど今日明日は鬼肝料理になるのお」
〈鬼の魔窟〉特産の鬼肝は美味だが、一つで4人前は肝料理が出来るし結構腹に来るのだ。
狩りに出ていない彼らはともかく、散々狩った冒険者たちが値下がりした肝をどう処理するのか。
少し意地悪い想像をして二人で笑った。
「じゃあ、わしゃこれで上らせてもらうけえ」
「はい。今日の報酬は口座に入れておきますので――」
双方会釈して別れようとした所で、
「……待ってくれ、アブドラ」
低い声が、二人にかけられた。
振り返ると、小柄な人物を抱えた大男が立っていた。
「あれ、ベネット?」
「おお、ベン君か。どげしたんじゃそれ」
大男ことベネットは、西郷にとっては居候先の家主であり、アブドラにとってはたまに一緒に仕事をする友人だった。
西郷は今日は別々に帰宅する予定だったため、どうしたのかと眉を上げる。
アブドラは抱えられた人物を気にかける。
ドワーフは鼻が良い人種ではないが、彼に限っては治癒神令の使い手であるため、嗅ぎ慣れた血の匂いを感知したのだ。
「……近くで拾ったんだ」
「犬猫みたいに言うわね」
「愛美、ちょっと黙っていてくれ」
いつになく真剣な声と表情のベネットに、茶化した西郷はどきりとして一歩退いてしまう。
伸ばした前髪から覗く眼が強い意志を伝えて来る。
慣れた西郷が相手でも、ちょっとしたことで視線を逸らす癖を見せるベネットにしては珍しいことだった。
「……この子供を治してやって欲しい」
ベネットが抱えていた人物を見せられ、その悲惨な有様に西郷とアブドラは顔をしかめた。
――歯は足りとった。元から虫歯一つ無かったようじゃけえ、楽に繋がったわ。
――……そうか、良かった。……生やすのは痛いからな
――去年ベン君のを生やした時はひどかったからのお
――……いっそ殺せと、割と本気で思った
――はは。さて、わしゃそろそろ去ぬるわ。仲間待たせとるけえ
――……分かった。礼にこれを
――こりゃあ、結構する酒じゃろ? この子は見ず知らずの子供言うとらんかったか?
――……そうだ。だが、この少年には「恩」と「借り」が出来た。恩人を救ってくれた分だ。持って行ってくれ
――すっきりした顔しおって。ベン君がええならええじゃろ、ありがたく頂くわい。
喋り声と、ドアの閉まる音。
丘崎は、それに反応して目を覚ました。
「あ、起きた?」
西郷が言う。
丘崎はベッドに寝かされていた上半身を起こすと、意識を失う前と違ってすっきりした視界に違和感を感じて顔をぺたぺたと触る。
顔の腫れが無くなっている。
潰されたはずの鼻が元に戻っている。
舌が折れたはずの前歯に当たり、砕かれた顎が動く。
顔を触れる右手の指も、左腕も折れていない。
膝の熱は感じないし、折れた肋骨が内臓に刺さる痛みも無い。
ついでに、泥に汚れた体も拭われ、今は小奇麗なシャツとゆったりしたズボンを履かせてもらっているようだ。
ただ、口の中に残る血の味が少し不快だった。
「怪我酷かったみたいよ。ほら、うがいして」
水の入ったグラスを差し出して西郷が言う。
丘崎はどう見ても日本人のOLにしか見えない姿にぎょっと目を見開いた。
一瞬前世に戻ったのかと混乱しながらも、礼を言ってグラスを受け取る。
冷水を含んでも口内は沁みもせず、赤くにじんだ水を用意してあったバケツに吐き出してしまうとすっきりした。
「治療してくれた人は帰っちゃったから、あとでお礼言いに行かないとね」
「……ええと」
周囲を見ると、木製のロッカーの並ぶ小さな部屋のようだ。
僅かに見覚えが有る巨漢、ベネットを見て、
「あ」
と声を上げると、巨体が一瞬で掻き消えた。
「……消えた?」
丘崎が呆然として言うが、
「居るわよ」
西郷が入り口のドアを指差す。
西郷の容姿に気を取られながらもドアに視線を向けると、巨体を縮こまらせたベネットが頭だけを出してこっちを見ていた。
丘崎と目が合うと頭を引っ込め、再びひょこりと顔を出してくる。
「……」
丘崎は何度も瞬きして、さらには目を擦ってから西郷の姿を見てみたりもする。
混乱の中に有る丘崎を見かねて、西郷が声をかける。
「私は冒険者役場ウィケロ壁南支部の職員で西郷愛実。ここはそこの休憩室ね。そっちのでかいのは冒険者のベネット。ベネットに運ばれたのは覚えてる?」
丘崎は頷き、ベネットに対して礼を言った。
ベネットは丘崎を恐れている訳ではないのだが、警戒した態度でこくりと頷く。
「冒険者役場……。そうだ、魔窟ってところで助けてくれた人が、冒険者役場って組織が出してるテントに行けば良いって言われて、それで……」
そもそも何をしようとしていたのかを思い出した。
西郷の方は、まるでこの世界の常識が無いかのような言動に眉をひそめる。
丘崎が元日本人でなければ知らないようなフレーズを知っていたことはベネットから聞かされていた。
くたびれた旅装に、獣の革中心の粗末な装備。
いかにも都会で一発当てに来た田舎の子供ですと言わんばかりの風体だったため、転生者だろうかと予測していたのだ。
(田舎から出てきた転生型のセトラーじゃないの?)
西郷は予想と異なる反応を不可解に思い、ひとつ、そうとは思われないであろう鎌をかけることにした。
「……ねえ、君の名前も教えてくれる?」
「あ、はい。丘崎始って言います」
出来るだけ自然に問おうとした西郷に、丘崎は半ば反射的に即答した。
西郷とベネットは顔を見合わせて天を仰いだ。
この世界には〈リミッター〉と呼ばれる制限がかけられている。
物質的な制約としては火薬・炸薬になり得る物、極端に複雑であったり動力を燃料に頼る機械の人為的創造の禁止といった物が有名だ。
西郷が丘崎に仕掛けたのは、文化面にかけられた〈リミッター〉である名前の人種制限を利用した物だった。
この世界には多様な人種が存在するが、それぞれの人種によって姓名の定型が固定されており、偽名を使うにしてもその定型に従わなくてはならないのだ。
余談となるが、この制限のために異人種間では家庭内の姓が統合されないので、婚姻や養子縁組での姓変更は文化自体が存在しない。
そして、その定型の一つ。姓名共に和式の物を名乗ることが出来るのは、異世界から生きたまま転移してきた日本人に限られていたのだ。
西郷は未だ不可解な事は多い物の、丘崎をこの世界に来たばかりの人物だと仮定し、セトラーについて説明していった。
この世界に多く出現する別世界にルーツを持つ人間であり、大まかに分けて転生型と転移型がいること。
西郷も転移型、ベネットは転生型のセトラーであるということ。
二人ともルーツに当たるのは西暦21世紀前半の日本で、彼ら、そして丘崎が生きていたと思われる世界を俗に〈源世界〉と呼んでいる。
一方この世界には特に名前は付けられていない。「この世界」は〈この世界〉である。
セトラーの多くが〈PA〉と称される特異な能力を持っていること。
西郷は念じながら右手の人差指をくるくると回して見せると、何も無い場所に幽霊のように半透明になった彼女自身の姿が現れる。
「うわ!」
「私のPAは単純な行動をこなせる分身を産み出す、この〈不器っちょバディ〉」
分身の西郷が握手を求めて来る。
「……どう、も?」
丘崎が挙動不審に成りながらも応じると、体温の無い空気の塊のような感触が有った。
その後、分身は深い一礼の動作を行った後霧散した。
「はー……」
「私のは派手に役立つ能力でも無いし、役場内でもデスクワークとかお茶出しとかに使ってるから見せちゃったけど、自分のPAが役に立つ物だったりしたら隠した方が良いわね。
逆に明かして何かしらの武器にする手も有るけど、そこは個々人で判断してね
冒険者役場と各自治体のどちらを主に扱ってもPA自体の登録と鑑定は義務付けられてるけど、守秘契約魔法を仕込んであるから悪用は出来ないようにして有るわ」
時に驚き、時に感心し、丘崎は興味深そうに話を聞いていた。
特に、西郷やベネットの出自を聞いた時には驚きと安堵と納得が入り混じった複雑な表情を浮かべていた。
西郷とベネットの目にはその反応と態度が演技には見えなかった。
西郷は自身の財布から一枚の紙幣を取り出し、丘崎に見せた。
1万サクル札と呼ばれる、この世界の共通貨幣であり最大単位。
それは日本の紙幣に良く似ていた。正直丸パクリという言葉が浮かぶような物だ。
本家に比べると簡素な文様に透かし、漢字、数字、アルファベットが使われた形態。
人物画の部分は丘崎の見た事の無い、禿頭の老人だった。
「サクルの語源、円の通り価値的には1サクル=1円と考えて良いわよ」
丘崎は口をぽかんと開けているが、
推測の確信を得つつも、西郷は今度は室内に貼られた紙を指し示す。
『リア充は爆発すべきだと思うので職場恋愛禁止 初代役場長』
『紙を無駄にする者よ死ぬがよい 3代目役場長』
『夜勤明けは朝から風呂入って来い特に男子 5代目役場長』
「見ての通り、私たちが今使っている言葉だけでなく文字も漢字・ひらがな・カタカナで構成される日本語でしょ? 一部にアルファベットとかアラビア数字も使ってるけど」
「……そう、ですね。確かに」
「この世界で、それこそ縄文土器とか作ってたような時代に現れた日本人が伝えたみたいなの。他の言葉の通じる日本人の転移した人や、日本人の生まれ変わりの人と協力したりしてね」
「なるほど、それで」
「その「異世界で共通語になってしまった日本語」が代表的だけど、それだけ以外にもセトラーたちは今に至るまで何度も、何人も、この世界のあらゆる地域と時代に現れてる。私たちには有り難いことに近代的な日本文化を広めてね」
そして、今度はこの世界について語り始める。
この世界は神、魔法、怪物等が実在するファンタジーのような世界だが、1年は365日で1日は24時間。4年に1度はうるう年が有る。
月と太陽が存在し、〈源世界〉と同じ星座が見られ、地形や生物のある程度の一致。
それらから見て、ここは明らかに地球であり、正しくは異世界というよりも並行世界に近い物なのではないかと言われていること。
この世界には様々な人種が生きており、ベネットのような「ホモ・サピエンス」そのものの姿を持つ人種を〈基人系〉
エルフやドワーフに代表される特殊な5つの人種を〈五精系〉
身体の一部に哺乳類や爬虫類のような相が現れる人種を〈獣相系〉
上三つに含まれない人種を〈幻世系〉
大きくこの四つに分けられ、そこからさらに細かく分類されること。
そして世界そのものを単位に、文明・技術に制限をかけている『神々のリミッター』の存在を語った。
「こんなところよね」
「……そうだな。ざっくりだが丁度良いだろう。あと有るとすれば――」
西郷は一目でそうと分かる風貌の転移型セトラーにして、冒険者役場の受付嬢でもある。
職場では当然のように「この世界の知識が少ない、もしくは転移したばかりのセトラーへの世界観説明」の役割を担っているため、要点をまとめた説明はお手の物だ。
不足は無いことは確信しているがあえて確認する口調を使い、意図を察したベネットと暗号まじりのような会話をしつつ丘崎の反応を見ていた。
「ここが、地球ですか」
丘崎はため息と共に吐き出した。
「昔やったRPG思い出すなあ。実は剣と魔法の世界は遠い未来の地球で、古代遺跡は魔天楼とか言う奴」
楽しげに苦笑して丘崎は言った。
近い設定の作品に覚えが有るのか、ベネットは「ああ」とでも言いたそうな顔で頷いていた。
「丘崎君もさ、私らの同類、セトラーだとは思うんだけど……」
「そうなんでしょうねー」
「日本に居た時からハーフだったり、帰化した外人さんだったりとか」
「いえ、純日本人ですよ」
「そっかー」
「ええ、今は色々変わっちゃってますけど」
「「はははははは」」
丘崎は誤魔化すように、西郷はどこか乾いたような声で笑った。
「……私の勉強不足かも知れないけど、丘崎君みたいに元からこの世界で生きていたような格好の転移型セトラーって知らないのよね。何か心当たり、無い?」
西郷は申し訳なさそうにして訊ねた。
丘崎はしばらくの躊躇いを示したが、やがて口を開いた。