48 明日は年末祭
「ふっつぅに釣り始めたねぇ」
「これはひどい。何のために清楚路線でコーディネートしてやったと思ってるのやら。あのヘタレは……」
「どちらも子供過ぎたかも知れないねぇ」
「あの2人って何なんです? そういう関係じゃないんですか?」
「うぅむ、イルマ君との付き合いが出来る前からぽんこつの姉としっかりした弟みたいな関係だったけどねぇ」
〈海浜の魔窟〉の沖。
そんな会話をしながら、立ち泳ぎで双眼鏡を持って丘崎とリインを観察しているのはニコラウスとイルマである。
2人ともウェットスーツのような肌を出さない水着を着ており、ニコラウスの赤い角やイルマの赤毛は水面では目立つために青色の被せ物や帽子を付けている。
イルマはリインの仲直りを支援した者として見届けるため。
ニコラウスは面白そうだったということで付いて来た野次馬であるが、海辺のスニーキング用として今着ているスーツ等のスポンサーを買って出ていた。
今日のリインの服装の指導等を行ったのはイルマだが、出かけ先とリインと丘崎の関係について完全に把握し切れていない部分が有り、少し単純に男女の仲に容易に発展するようなものだという認識だったため、少々フェミニンな格好にしてしまっていた。
(すごく、ミスマッチです……。せっかくザ・海辺のお嬢スタイルなのに、ちょっとゴツいベスト着て手づかみであのにょろっとした奴扱ってると最早シュール……)
ゴカイを手際良く釣り針に仕掛けては楽しげに海に投げ入れているリインを見て、イルマがうへぇ、と舌を出す。
「なんかもー、色々見誤ってた感が有ります」
「……まぁ、あの2人の本当の関係は後になってから分かった事だったからねぇ。確かに余所じゃ見ない程複雑だったし、仕方ないんじゃないかなぁ」
最早観察しても仕方ないだろうか。そんなことをイルマが考え始めた時だった。
「……何しよん? ニコォ」
「フヒッ!?」
「ひゃっ!?」
剣呑な声色が背後から。
2人で恐る恐る振り返ると、水上に腕を組んで仁王立ちしたお柚がいた。
格好は袖がインクで汚れた長袖ジャージである。また、顔に微妙に疲れが出ていた。
「や、やぁユウ! 脅かさないで欲しいなぁ。変な声出たじゃないかぁ」
ニコラウスが顔に脂汗を吹き出させながら言うが、お柚は眉間に皺を寄せたまま見下ろしている。
「あんた、年賀状の作成済ませてへんのにこんなとこで油売って……」
「い、いやぁ。だって気になるじゃないか」
「どうせあの子らは仲直りしても当分進展せんて言うたやないの! それに年賀状の8割以上はあんたの知り合いって分かっとんの!? ほら、帰るで!」
「え、ちょ、おぼぼぼぼぼぼぼっ!?」
お柚はざぶりと水面から海に入ると、ニコラウスの頭をヘッドロックで捕まえて砂浜の方へと連行して行った。
着衣水泳状態であるが、平然と長身のニコラウスを牽引するパワーは流石だった。
1人残されたイルマはそれを呆然と見送り、
「……はぁ」
溜息を吐き出した。
「何やってんだろ。私も帰りますかね……」
そう呟く。
「おう、儂もあんまし友達のデート覗くのは趣味良くねえと思うしな」
「ひょおおおっ!?」
再び背後から声がした。
振り返ると、水面で胡坐をかいて浮かんでいるトゥレスがいた。
「ど、どっから湧いて出たんですかトゥレスさん!?」
「どこからというと水中と言うか、……水面というか」
「水面って何です!?」
「いやな、大将やイルマちゃんに気付かれずに回り込むためにエモニエの姐さんに船代わりに使われてなあ」
こんな感じで、とトゥレスは水面で横向きになった自分の上にお柚が立ち、ここまでぷかぷかと運んできたことをジェスチャーで示す。
〈水気〉の制御次第でそういったことが出来るのは知っているが、
「船代わりて。何が有ったんですか? むしろ何かやらかして弱み握られたとか?」
イルマは呆れた表情で言った。
トゥレスは遠い眼になるとふいっと明後日の方を向き、
「……ダークエルフだからって調子乗って弓使えるところ見せ付けてる税だって」
「う、うわぁ理不尽」
「ま、まあ姐さんが忙しくしててストレスたまってる時に日課の百射してるの見られちまったのが良く無くてな。普段はあんな笑ってない眼でこんなアホなことさせてくる人じゃねえんだけど……」
「年末ですからね……」
「年末だからしかたねえな……」
そんな会話をしてから、イルマとトゥレスは浜の方へと戻った。
上陸した場所は人気が比較的少ない部分であり、リゾート向けの主要範囲と比べると岩などが多かった。
イルマが帽子を取ると、中に納めていた普段ポニーテールにしている赤髪が水を含んで背まで落ちた。
肌に張り付くようなスーツが黄精人種の中性的な身体のラインを露にするが、性別が分からないか程かというとそうでもなく、女性特有の柔らかさや腰のくびれが存在を主張していた。
筋肉の付き方もあり、どちらかというとアスリート女性のような印象を受ける姿だった。
「それで、イルマちゃんこれからどうする?」
〈水気〉を操作して自分とイルマに付いた海水を飛ばしながら訪ねた。
海から上がったトゥレスはトランクス型の水着姿で、やはり黒い肌が目立つ。
負傷の後遺症で筋肉の付き方が歪な下半身と、弓を引くためか発達した上半身がそれぞれ特徴的だった。
「……どうしましょうか。リインたちもアレじゃあいくら今日だからって夜宿行ったりはしないでしょうし」
「お、おう、そこまで有り得ると考えてたのに儂はびっくりしてるぜ」
「だって、今思うと自覚無しだったっぽいですけど、リインは明らかに丘崎さん意識してましたし」
「うぅむ……。つーか今日だから……? ああ、明日は降誕、じゃなくて年末祭か」
トゥレスが思い出したように言う。
この日は12月24日。
明日は〈源世界〉におけるクリスマスである。
クリスチャンのセトラーによる宣教が成功しなかったため、キリスト教自体が成立しなかったこの世界では降誕祭は存在しないが、年越しを前に忘年会の要素を含めて騒ぎ、子供にプレゼントを渡す文化だけは年末祭という名で残っていた。
そして、その前日の日没からを「恋人の日」として扱うことも。
「丘崎たち、今日がそうだって覚えてるかもわかんねえな」
「確かに。……まあ、今日お一人様じゃないってだけであやかりたいくらいな話ですが」
冷めたように半眼になってイルマが言った。
呆れを主とした声だったが、内側にまた異なる色も有るように見えた。
トゥレスは悪戯を思いついたようにニヤリと笑う。
「うっし、おじょーちゃん可愛いね。おじちゃんとデートしようか」
「えっ」
「いひひ、じょうだ」
イルマが驚いた顔をしたことにトゥレスは嬉しげに言おうとし――
「良いんですね? 今日は付き合ってもらいますよ?」
イルマはずい、と迫り、被せるように返した。
「お、おう」
トゥレスが圧されて頷く。
「……ま、健全にな」
軽く苦笑しながらトゥレスが言うと、イルマは少し頬を染める。
売り言葉になんとやらだったが、自分が何を言ったかを省みると恥ずかしくなったらしい。
「当然です。……身持ち悪くは無いですよ。私は」
「知ってるよ」
そう言って2人並んで歩き出す。
基本的に冬である年末祭には似合わない場所だが、確かに周りを見ると浜にはカップルが多いような気がする。
ウェットスーツのイルマと普通の水着のトゥレスでは少しミスマッチだったが、そこまで気にかける者は居なかった。
「とりあえず昼飯にすっか。やっぱ海に来たら不味い海の家の飯だよな!?」
どこか楽しそうにトゥレスが言うが、
「いえ、ここのご飯美味しいですよ? メニューは普通ですけど、年中やってるから店員さんも長期雇用ですしインスタント食も使ってませんし」
「まじで!? 前世で家族を旅行に連れてったとことか酷かったぞ!? 次男はラーメン食って「トマコマイ一番の味がして美味い」とか言い出しやがるし!」
一転して怒り始めた。
「そんなこと言われても……。まあ、私も普通の海の家とか本でしか知らないんですけどね。ウィケロ育ちは海と言えばここですから」
「ジモティー御用達って奴か……」
「店長兼〈魔窟主〉の瀬野さんも都市内の学校に臨海学習の誘致してますし、週末の放課後に「明日〈海浜の魔窟〉で花火しようぜ!」みたいな会話してる男子とかいましたし、特殊かもですねー」
「ダンジョン経営物でもそこまで地元に密着した生々しい話はそう無かったぞ。いや受けそうも無いから書く人いなかったのかもしれねえけど。魔窟とは一体……、うぐぐぐ」
頭を抱えるトゥレスを見て、イルマは可笑しそうにくすくすと笑った。
瀬野の海の家に到着すると、余所に聞かせたくない話になる可能性を考えて2階の個室を頼んだ。
「慣れてるな」
「たまに来ますから」
2階へあがる途中、イルマは店内の店員の中に元同級生がいないかをちらりと見回して確認する。
特別仲の良い相手というわけではないのでうろ覚えだが、中学卒業後に確かここに就職した者がいたはずだった。
実際の関係は兎も角、年末祭の前日にトゥレスと海に来たなんて話が出回れば数日もせずに級友たちから質問責めに遭わされることは容易に想像出来た。
しかし幸いにも、この日はシフトに入っていなかったようで姿は確認できなかった。
案内された個室は、畳敷きに低い卓の置かれた部屋だった。
大きく風通しの良い窓が有るが、隣室に聞き耳を立てている者がいるとか、大声を出さなければ問題無いだろう。
オーダーした物が揃うと、トゥレスはビール、イルマはオレンジジュースのジョッキをそれぞれ持って掲げあう。
「何にする?」
「勝利のお祝い、で良いのでは? あの後そういった機会も有りませんでしたし」
「……悪くねえな。おし、それじゃ儂らの勝利に」
「乾杯」
こつりとジョッキを当て合い、結露した水がテーブルに散った。
イルマは焼きソバ、トゥレスはカレーをメインにいくつかツマミになる物を注文しており、それぞれ食べていく。
「……まじで美味い。明らかに湯煎ルウじゃねえ。専門店みてぇだ」
「この焼きソバもいけますよ。野菜はシャキシャキですけど水分はきっちり飛ばしてあって美味しいです」
枝豆の小皿に焼きソバを分けてやりながらイルマが言った。
お互いに少し交換しながらメインを食べ終えると、その後は枝豆や蛸わさ、フライドポテトなどをちまちまとつまむ形になった。
季節を忘れる魔窟内の暑さに影響されてか、自分の奢りにするつもりも有ってか、今日のトゥレスはかぱかぱとジョッキを空けてはビールを注文していた。
2人はしばらくはリインと丘崎について、この魔窟と海の家についての雑談を交わしていたが、自然と先日の騒動とその後の事に話が移っていく。
「どうだったよ。騎士団に戻って」
「んー、まあ、最後にあの3人組を確保するために秘密裏に動いた事は文句を言われましたけど、概ね問題なしです。騎士団内部でデヴォニッシュ家や〈鷹羽〉に協力したり弱み握られてた人たちの席が空いてて寂しくなってましたけど」
「大変だな。儂とやったあれはやっぱ不味かったか」
「転移陣で逃げることが予想出来てたのに、あえて見逃したような物ですからね。追求にはあくまで自分達は保険の積もりだったと答えましたけど」
「わりぃな。尻拭いさせちまったか」
「いえいえ。それに1年間の侵入活動で一つ、あの3人の捕縛に成功したことで一つ。功績が認められて階級が2つ上がりそうなんです。等騎長ですね」
「へえ! 特進か!?」
「前者の昇進は無事に最初の1年を勤め上げると皆もらえるんですよ。流石に2階級特進は殉職者だけですって」
「なるほどな。だけど良い話じゃねえか。おめでとさん」
「有り難う御座います。ただ、これ以上昇進しても普通のルートから外れそうなんですよね……」
「あん?」
「今回〈変り種〉が大活躍だったじゃないですか。特にお柚さんなんてスロット7でウィケロ最強と言われていた〈凶蛇〉を単独で制圧しちゃうし。短命種のリインや丘崎さんは兎も角、他は長命種だから今後も長く活躍が見込めるでしょ? 私が行政との協力を依頼する際の繋ぎ役として出向になりそうなんですよね」
「……ほう。その場合どんな形になるんだ?」
「私が騎士団所属であることは相変わらず周知はしてませんから、東山さんたちと相談の上でお世話になる形で話が進んでいるみたいですね。定期的な報告と非常時の連絡役は行うでしょうが、平時は一冒険者としてやっていくことになりそうです」
「それは大変、なのか?」
「どうでしょうね。階級のおかげで騎士団からの俸給は上がってるし、冒険者としての収入も入るなら随分懐が暖かくなりそうですが」
「普通に出世とかしたくねえの?」
「出世したければ騎士団学校に行ってますよ。そもそも私は騎士団に入った当初は裏方事務希望でしたし」
騎士団学校は中学卒業者を対象とする指揮官を養成する学校である。イルマのような中学卒業者は採用されても二等騎士から補騎長まで ――軍における兵から下士官相当―― にしかなれない。
「前世の儂がいた軍とかは結構出世争いが酷かったらしいがなあ。儂自身は兵卒だったから詳しくは知らんけど」
「私が騎士団に入ったのは社会の一員として世の役に立つのが目的でしたからね。人を使う才能が無い以上、出世する必要が有りません」
イルマは当然のように言うが、トゥレスはそれに感心した
「目的に対して出世が手段になり得ない訳か。……皆がイルマちゃんみたいに欲が無けりゃあな」
「いえ、騎士団は皆似たようなもんですよ? 今回の件で席を空けた人たちも、脅されたり騙されて利用されていたケースがほとんどでしたし」
「……ああ、そうだよな。ここはそういう世界だった」
この世界の現地人は、セトラーやリアクターが関わらなければ健全極まりない人間性を持っている。
20年生きて理解出来たつもりでいたが、改めてそれを思い知る気分だった。
話が進むうちに、内容が変わっていく。
「ウノたち〈鷹羽〉、デヴォニッシュ家の両上層部は真偽精査の魔法を使用して余罪を含めて調査が進んでいますが、恐らく能力を封印した上で終身刑になるだろうという事です」
「そう、か……。奴らは、そうなったか」
トゥレスは卓に頬杖をつき、窓の外に視線をやりながらそれを聞いた。
「ただ、丘崎さんが交戦したマーティンだけは、やはり精神崩壊に近い状態のままのようです。他者の言う事は聞くし生活を送るのに支障をきたしもしませんが、ひたすらに大人しくて人が変わった様だと」
「丘崎は、『奴が自ら生み出した因業の釜に漬け込み煮込んだ』 そんなことを言ってやがったがな……。一体何をしたのやら」
呆れたような顔でトゥレスは言う。
イルマはそれを冷静な表情で見つめていた。、
「話は変わるんですが、聞いても良いですか?」
「うん? 何ぞ?」
「ウノと戦ったときの事です。正面から相対するより手の無い私と違って、トゥレスさんなら他にやり様がいくらでも有った筈だと思うんです」
イルマは少し言いづらそうだった。
「トゥレスさんの能力なら、今回の件に乗じなくともウノを倒すことが出来たんじゃないですか?」
それは、トゥレスの能力を理解したが故に見えてきた結論だった。
物理的な機動力を超えられる上、本来彼が持つ高い狙撃能力をさらに高める〈影法師〉、攻撃の発動する瞬間をずらすことの出来る〈傷飼〉。
これらを活用すれば、極めて隠密性の高い不意打ちを行う事が出来る。
例えば常人が登って来られない高所に〈影法師〉で密かに移動し、致命打を入れることの出来る魔導射法をターゲットが通過する場所へ叩き込み、〈傷飼〉で発動を遅らせて即離脱。
誰が撃ち込んだかも分からない矢が取り除かれたとしても、残された破壊効果がターゲットが来た時に開放されれば暗殺に近い完全犯罪が成立する。
他人のイルマですら思いつくのだ。そういった方法ならウノを止められることに気付かないはずがないと確信していた。それなら障害が治らなくても実行出来たはずだったとも。
今回の事についても、わざわざ外に逃げられるようにする必要は無かったはずだ。〈傷飼〉の能力なら、転移直後にすぐ倒壊させて全員の無力化すら可能なのだから。
それをしなかったということは、
「トゥレスさんは、ウノを倒したくは無かったんじゃないかと、そういった事を想像してしまったんです」
「身勝手な理由で足を不自由にされたのにか? まさか――」
トゥレスは笑い飛ばそうとするが、
「流石に負けて良いと考えてたとは思いません。でも、トゥレスさんの本当の目的が彼を打倒する事では無かったんじゃないかって思うんです」
「……それは」
しばらくの沈黙が有った。
やがてトゥレスは正面を向くと、イルマは酷く悲しそうにしていた。
「その目的と言う物が何なのか、私には分かりません。推測ではなく妄想するのが精々です。でも……」
泣きそうになりながら、イルマは言う。
追い詰め、犯罪者としてウノ達を叩き落とす事をトゥレスは望んでいなかったのではないか。
自分がトゥレスの元に現れてしまったが故に、自らそうせざるを得なくさせてしまったんじゃないか。
そういった思考が、彼女を苛んでいる。
(優しい子だ。……本当に)
そう思いながら、トゥレスは首を横に振った。
「いや、奴は誰かが倒さなきゃいけない男だったのは事実だ。身内として、儂が討つべきであったことも」
「……」
「だけど、要らねえ手間をかけたのも事実だ。理由は言いたくねえ。勝手に想像しててくれとしか、今は言えねえ」
申し訳なさそうにトゥレスが言う。
緩く笑い、右手を伸ばしてイルマの赤い髪を撫でた。
払いのけられなかった。
何時ものポニーテールと違って、下ろした髪は手指にかかる量が多かった。
「だけどそうだな、今は言う気はねえが、もしもイルマちゃんに全て明かす事が有れば、……何時かのこの日に、違う形で一緒に過ごすことが有れば、にしようか」
酔いからか、悪戯っぽく笑ったトゥレスは普段なら想いもしないようなことを口にした。




