47 約束した時間
海鳥が鳴いている。
寄せる波の音、引く波の音。
磯の香りが鼻をくすぐる。
空には一片の雲も無く、暖かな日差しが降り注いでいた。
白い砂浜で水着の人々が戯れる様を見ると、今が12月である事を忘れてしまいそうだった。
「……ほんと何でも有りだな」
呆れたように丘崎が言った。
彼の姿は何時ものクロークの下にボディアーマーとズボン、手甲足甲の探索用フル装備である。
周りにも近似の装いの者はいないでもないが、妙に浮いているのは間違い無かった。
ここはウィケロタウロス壁南地区に存在する異空間型魔窟であり、〈海浜の魔窟〉と呼ばれる場所だった。
常夏気候に海と砂浜。充実した施設が用意されており、迷宮としてではなくリゾート施設として利用されることの方が多い魔窟である。
「こりゃ無理だな。暑すぎる」
クロークを脱いで腕にかけると、さくさくと音を立てて砂の上を歩き出す。
デヴォニッシュ家と〈鷹羽〉の強制捜査から1週間が経っていた。
捜査で表出した行政や冒険者役場内におけるデヴォニッシュ家や〈鷹羽〉協力者の存在等は問題になったものの、一夜で不意を打つようにして攻勢をかけたことが幸いし、結果としては一般住民の混乱もほぼなくクーデターを未然に防ぐことに成功した。
クーデターを行おうとした両集団の上層部には逃亡を試みた者もいたが、最終的には余さず身柄を拘束された。
この上ない結末だったといえる。
しかし、元々が年末だったことに加え、大量の犯罪者が発生した事の後始末等でウィケロタウロスでは誰も彼もが忙しくなった。
騒動の功労者にして基点でもある〈変り種〉とその関係者も当然例外ではない。
幸か不幸か丘崎は権限、立場的に出来る事が少なくて済んだが、その代わり宿や世話になったベネットの家、身体の不自由なマーティンの被害者たちの家等を回って大掃除の手伝いなどをして回って過ごしていた。
そんな中で、丘崎は何とかこの日に休日を確保していた。
(ある意味、〈泥の魔窟〉に性質は近いな。魔窟としての公表難易度からすると2人で力を合わせてって形にはならないと思ってたけど、探索にすらならないのか……?〉
そんなことを思っていると、
「始」
聞き慣れた声がかけられた。
振り返ると見慣れない色彩の良く知る少女が立っていた。
(なんか作為的な物を感じる格好だな。いや、嫌いじゃないんだけども)
水色のリボンの付いた麦藁帽、薄手の白のロングワンピース、涼しげな女性らしいデザインのサンダル。
スレンダーな少女の肢体、そして砂浜と青い空と海に出来過ぎている程良く映えていた。
「待たせた。……そういう格好も似合うな」
〈源世界〉時代の知恵から、とりあえず平時と違う装いのリインにそう言っておく。
「へ? 格好?」
しかし、反応は鈍かった。
リインが首を傾げて自分の身を改め、何かに気付いたようにして、
「あ、そうか。い、いや、言うなって言われてあいたっ!?」
話す途中で、真横から飛来したボールがリインの頭に直撃した。
2人ともボールの飛んで来た方を向くが、ビーチバレー等に興じていた者達を含めてもこちらを見ている者はいなかった。
頭をさすりながら情けない顔をするリインに、丘崎が苦笑した。
「……まあ、大体察した」
「……助かるよ」
「ところで耳、擬耳殻はどうなってんだそれ」
リインの頭を見ながら言う。
「え、中で潰れているよ?」
「やっぱそうなるのか」
気の抜けた調子で言うリインに、雑な納得を示す。
「もしかして今日の俺の装備は要らない感じだったか?」
「あー、ごめん。言ってなかった。まあ帰りは防寒装備が要るし、非常時の備えとしては良いんじゃないかな。始はまだスロットに余裕無いし」
「確かに」
「うん。じゃあ行こう」
リインが先導して歩き出す。
彼女が丘崎を連れて行ったのは、魔窟に入ってから視界に有った建物。
(近くで見ると完璧だな)
木造二階建てで、1階は風通しの良いピロティのような構造。
そこにテーブルと椅子が並び、店員らしき女性たちが忙しく動き回り、水着姿の客が食事を取っている。
横のスペースには貸し出し用と思われるサーフボードや浮き輪、ボール等が用意されていた。
「裏、シャワールーム有リマス。覗キ、イチャコラ厳罰」の立て札。
そう、海の家だった。
イルマは迷わず海の家のスタッフ、汗を流しながら馴れた手付きで焼きそばを炒める少年の方へと向かった。
「うっし、出来た」
少年は焼きそばを竹皮で作った容器に移して封をした。
「店長」
「むっ! おお、イルマちゃんじゃないか。久しぶり!」
イルマが声をかけると、黒髪黒目に日に焼けた肌、アロハシャツに短パン姿の少年が快活な笑顔を見せた。
歳は高校生くらいに見えるが、れっきとしたこの海の家の店長であり、
「お、もしかしてそっちの金髪君、大沢さんが言ってた子かい?」
「ああ。私の後輩だよ」
「丘崎始です。よろしくお願いします」
「ははは、丁寧な子だね。よろしくよろしく! 俺はここで〈魔窟主〉やってる瀬野勇一だ」
〈魔窟主〉でもある人物だった。
丘崎よりも幾分大きな手で握手、というか手を掴んでぶんぶんと上下に振ってくる。
強引だが嫌味な感じが無く、外見に似合わぬ人生経験が有るように感じられた。
「大沢さんとはクラス違いの元同級生。まあ今も〈魔窟主〉として同級生みたいなもんか」
「なるほど」
丘崎は頷くが、
「こんな表に出て来て良いんで? 変なのに狙われはしませんか?」
「あ、非常時は魔窟の奥の安全地帯に強制転移するようになってるよ。それに見ての通りうちは探索しても難度も旨味も少ない歓楽魔窟だからな、俺自身〈魔窟主〉として下から数えた方が良いくらいだし手を出す奴はそうはいないよ」
「歓楽魔窟て……」
「そういうのも有るのさ」
珍妙な分類に呆れる丘崎の肩に手を置いて、イルマが首を横に振りながら言った。
「ところでリインちゃん、今日はおめかししてるけど……」
「ああ、色々有ってね。でも、今日も「いつもの」で」
「おや、それで良いのかい」
「大丈夫。あ、椅子だけ2人分貸して欲しいんだ」
「おし、ちょっと待ってな」
そう言って、瀬野は店の中から二つの小型の折り畳み椅子と小箱を持ってきた。
丘崎が椅子二つを渡され、リインが小箱を受け取って代金を渡す。
「行こう」
「おう」
瀬野に見送られ、リインが連れて行った先は砂浜の端に有る林の向こう側、小さな入江のようになった場所だった。
人気の無い場所だったが、リインは躊躇う様子が無かった。良く知る場所なのだろう。
「始、荷物を置いて」
リインの指示に従い、椅子とクロークを適当な岩の上に置く。
視線を上げると、リインが静かにじっとこちらを見つめていた。
どちらも何も言わない。
波の音だけが耳に届いている。
リインが麦藁帽子を脱ぐと、ぴょこりとやや縦に長い狐型の偽耳殻が立ち上がった。
「聞いてくれるかな?」
「……ああ」
「私は、ずっと君に謝らなければならない事が有ったんだ」
そう言って、リインは真っ直ぐに丘崎の方を向いて頭を下げた。
「勝手に、君の部屋の日記を読んだりして、御免なさい」
「そうか。……うん? 日記?」
神妙な雰囲気で謝罪を受けた丘崎が首を傾げた。
正直、「そういえばそんなことも有った」 そんなレベルの記憶だった。
「うん。師匠のことと、師匠と始の関係については、正直まだ整理がついていないけど……」
泣きそうな顔でリインが言うと、丘崎もそれ以上のことは言えない。
「でも、私はそれでも、始と一緒にいるのが好きだよ。また、前みたいにやって行きたいんだ。だから、本当に私が謝らなければいけないことを謝りたかったんだ」
「……それが日記なのか」
「イルマにさ、完全に自分が悪いことを謝ってみたらって言われたんだ。それで考えたら、私がしたことで一番良くなかったのはそれだって思ったから」
リインが申し訳なさそうに言う。
感応を使わなくとも分かる。彼女の本心だということが。
そして、「許して欲しい」とは言わなかった。
意図したことでは無いかもしれないが、彼女は丘崎のために謝罪で頭を下げても、自分のための許しを請いはしなかったのだ。
彼女の誠意が、沁みた。
「……なるほどな。俺も、前は秘密ばっかりだったし、本当はリインには直ぐ伝えるべきだったんだろう」
「……仕方無いよ。始の中でも〈師匠〉と〈キース〉が繋がらなかったんだよね?」
「まあ、そうだけどな」
丘崎は頭を掻いて、
「俺もリインと同じ気持ちだ。前みたいに上手くやって行きたい。本当は年上の俺の方から仲直りしたいと言い出すべきだったのに、結局先にお前に動かせてしまった。ごめんな」
少し恥ずかしそうに言った。
リインの顔が、泣き笑いの形に歪んだ。
「う……、ぁう、ひっぐ……」
「泣くのかよ」
「はじめだっで……、目うるうるじゃないか……」
「……気のせいだ」
「私の方が……、年上だし……」
「こっちは精神年齢22、3は有るんだぞ。キースの分足して良いなら立派なアラサーに届く。残念ながらその意識は無いけどな」
「ずるいよう……」
ポケットから出したハンカチでぽろぽろと落ちるリインの涙を拭ってやる。
リインは小さな子供のようにしてそれを受け入れていた。
(〈源世界〉の頃は友達と仲直り出来たくらいで泣いたりしなかったけど、これが肉体年齢に心が引っ張られるって奴なのかね……)
自身の涙腺が熱を持っているのを感じた丘崎はそんなことを思いながら、しばらく泣き続けるリインの顔にハンカチを当てていた。
「それで、この椅子とさっきの箱は何なんだ?」
「ああ、そうだった」
泣き止んだリインがスロットから二つの細い棒状の物を展開する。
片方は古びており、片方は真新しい。
新しい方を丘崎に渡して来た。
「……釣り竿か」
丘崎がそう言うと、さらにスロットからライフジャケットのような上着を展開して渡される。
「店長にもらったのは餌なんだ。生物だからね」
「なるほど、そういうことか」
リインもライフジャケットを羽織る。しかし、清楚な雰囲気のワンピース姿には不似合いだった。
「釣り、好きなのか?」
「うん。ここは行きつけだね。私は川魚は得意じゃないし」
「……普段はその格好で来てたりしないよな?」
「あははっ、そりゃそうだよ。今日はちょっと、うぅん」
「あー、皆まで言わなくていい。……誰が何かやろうとしたのは大体分かる」
そう言って、お互いに苦笑した。
丘崎はボディアーマーを脱いでTシャツ1枚になり、その上からライフジャケットを羽織ることにした。
釣りに向いた所に折り畳み椅子を並べ、箱に入っていたゴカイの仲間を針につけて糸を垂らす。
「始は平気なんだね」
「何が?」
「餌付けるの。気持ち悪く無いかい?」
「ああ、そんな気にならないけど」
「そうなんだ……?」
リインは不思議そうに首を傾げるが、そのまま前を向いた。
静かだった。
お互い沈黙が大して気にはならないのは知っているが、
「リイン」
丘崎はふと声をかけた。
「何かな?」
「もしかして、キースが気持ち悪いの駄目だったのか?」
「……! 何で分かったんだい?」
「何となくな」
「ごめん、比べるようなことを」
「いや、聞かせてくれ」
丘崎は静かに、笑みを浮かべながら言った。
逆に、リインは困惑の表情を向けて来る。
「お前の知ってるキースに合わせようなんて思ってるわけじゃない。でも知りたいんだ。〈丘崎始〉が転生して、この世界でどんな人間として生きていたかを」
「……良いのかい?」
「ああ。自分でも不思議なんだけどな、何と言うか、親近感は強く感じるんだけど、もう一人の自分とかっていうより、兄弟とか自分の子供みたいな感じがするんだ」
記憶はあやふやになってはいるが、忘れてしまいたくは無い。
「だから、気にしないでくれて良い。俺とキースは、そういう関係だ」
丘崎が言うと、リインは眼をぱちぱちと瞬かせてからゆっくりと頷いた。
「……そうだね、昔師匠と一緒に釣りをしてるとさ――」
かつてのように、リインがキースとの思い出を語り始める。
世間話をするような調子で、丘崎の相槌を受けながら。
そこにはかつての熱っぽい物は無かった。
釣りと言う性急さとは無縁な遊びに興じ、思い出話、互いに出来た友人の話、丘崎が借り物の装備を破損させたことで借金を背負った話などもしながら、ゆったりと時間が流れていった。




