40 鬼の住処、再び
12月の半ばを過ぎたある日の昼。
「ああ……、こりゃいかん。戦闘前だってのに里心が付いちまいそうだ」
トゥレスは用意された軽食を前にしてそんな事を言った。
程好く塩味の付いた握り飯を一口齧り、ずず、と味噌汁を啜って混ぜる様に味わう。
出汁の効いた味噌汁で米粒が口の中で解れていった。
「そうか?」
横で同じく軽食を口にしていた丘崎が首を傾げる。
この世界で日本食は珍しい物ではない。というか和式洋食はともかく日本人から見ての海外料理の方が珍しい程だ。
丘崎は転生者であるトゥレスなら自分より余程そういったことの理解は深かろうと思っていた。
「いやほら、場所も有るだろ? こういういかにもな場所だとよ」
「……まあ確かに」
丘崎は同意して周りを見回した。
カウンターとシステムキッチン風の台所、木製ながら明確に電気冷蔵庫を意識したデザインの魔力冷却式保管庫。
〈源世界〉で見られる工場製造建材こそ見当たらないものの、明らかに〈源世界〉の一般家庭を思わせるダイニングの造り。
彼らにとって酷く郷愁を感じさせるここはベネット・アスターの家だった。
今日はかねてより準備していた作戦の実行日なのだが、〈変り種〉のメンバー5名とトゥレス、イルマの7人は昨日から泊まりで世話になっていた。
〈負け犬の遠吠え亭〉の方は間違い無くマークされているため、ベネットの探知、穏行技術を丘崎の〈対界侵食〉で全員共有させて深夜に移動して来たのだ。
一応、家主の同意・協力の下でのことなのだが、当のベネットはその気質ゆえに実に居心地悪そうにしており、兄妹弟子という関係になる丘崎とイルマはそれを見て何とも言えない表情で顔を見合わせる事となった。
「トゥレス」
「むぐ、ん、んお?」
口に飯を入れたまま声をかけられたトゥレスは握り飯を口に運ぶのを止めて咀嚼し、
「どした?」
「あんまり食いすぎるなよ。腹一杯で戦闘で動けなくなったら業腹だ」
「おう、そんくらい分かってんよ」
「……そうか」
丘崎はそう応えて下を向くと、自身の食いかけの握り飯を口にした。
「心配すんな。上手くやるからよ」
力の抜けた態度でトゥレスが言う。
「随分余裕だな。お前ならもっと楽にやれるだろうに、わざわざ負けの目が有るやり方を選んでおいて」
「……おいおい。儂がまるで負けたがってるみたいな事言うなよ」
「俺だったら、多分しない賭けだと思うからな」
トゥレスはくく、と喉を鳴らすように笑った。
「楽に、最大効率で目標を達すりゃ良いならそれも有りだ。けど勝ちの目が十分有るなら、勝ち方に拘るのも悪くねえと儂は思うぜ」
「勝ち方、なあ」
「おう。そういう回りくどいことしてでも因縁の清算するってのは意外に大事なもんだぞ」
トゥレスが年長者の顔をして言う。
つまり、未熟な若者を見る目で丘崎を見ている。
「つうか、お前の方が大丈夫かよ。何かナーバスになってる気がするぞ」
トゥレスが逆に訊く。
「……まあ、不安は尽きないな。それ自体はいつもだけど」
丘崎が苦虫を噛み潰したような顔で言うと、トゥレスは呆れた様に口をへの字に曲げた。
「高難度のとこ行くんだろ? 良くやるぜ」
「……レベル不相応な所を引っ張りまわされるのは慣れてるけどな」
「……本当にやべえなら便利屋の大将が連れて行かねえだろうし、今更儂が口挟んでも止められやしねえんだろうけどよ。最悪死ななきゃどうにでもなる」
そう言った後、トゥレスは自分の分の握り飯と味噌汁を素早く食べて終えると、
「儂のグラゾフスキーからの依頼、まだ済んでねえんだからな。周回地獄の道連れがいなくなると困るんだよ」
冗談っぽくそう続けてからダイニングから出て行った。
一人残された丘崎は、もそもそと自分の軽食を食べ続けた。
ふと、虚ろな半眼で宙を見る。
「そう、魔窟ではニコさんがいる。どうにでもなる」
ぐ、と右拳を作り、見つめた。
「……無い、無いはずだ。余程の偶然が重ならなければ、それ以降の俺の出番なんて。そして俺の出番なんか無いほうが良い。だけど――」
静かに、どこか覚悟を決めた表情で一人ごちる。
「俺は、それがどこかで有り得ると、偶然が重なる事を想定しておけと、自分でも理解できないところで自分自身に言い聞かせようとしている……」
自由にならない自らの精神に不安と違和感を感じて、丘崎は俯いた。
準備を終えた〈変り種〉の5人はトゥレスたちと別れ、依頼をこなすべくとある魔窟を進んでいた。
ニコラウスを中心に、お柚とアブドラの2トップ。少し後ろからリインと丘崎という〈変り種〉では最も多く使う陣形だった。
(……もう半年か。懐かしいな)
丘崎はそんなことを思った。
探索しているのはトゥレスが因縁深い場所だと評した〈鬼の魔窟〉だった。
確かに、ここに押し込まれて逃げ回り、リイン、ニコラウス、お柚に救われたことが全ての始まりだったように思う。
今日の依頼は、此処の中層で低確率で出現する強敵のドロップ入手である。
そういうことに、なっていた。
当時は対抗出来なかった巨腕鬼に遭遇するが、中巻柄の両手剣に克属性の〈火気〉を纏わせれば何とか刃は通り、魔力球やクロスボウの牽制で時間を稼げば攻撃に秀でる面子が処理してくれる。
同行している者達に見合う力が有るかという点ではまだまだだが、冒険者就労前の鍛錬無し、実働半年、未だスロット2であるといった部分を見れば人並み程度にはなっているだろう。
成長補助PAとしても運用できる〈対界侵食〉を使ってその程度であるということは、やはり丘崎自体には所謂才能と呼べる物は無いのだろうとニコラウスは言っていたが、その分才能に依存しない立ち回り方を仕込もうとしてくれていた。
そしてそれは、ニコラウスの目論見よりも上手く進んでいるようだ。
増長はせず、臆しもせず。
丘崎の「日本人丘崎始」の慎重さと「キース」が生来持っていた積極性が混じったような今の性格と異常な苦痛への耐性だけは優良な冒険者の素質となったらしい。
ちなみに、それなりの結果を出している穏行の方は人並みの才+〈対界侵食〉の成長補助だろうとのことである。
(その頃は……)
ちら、と少し離れて横にいたリインに視線を向けた。
向けてみたら視線がかち合っていた。
「!!」
かっと眼を見開き、音が出そうなくらいの勢いで思い切りそっぽ向かれた。
(ガン見されてた? ……はっ、意識しすぎか)
心中で自嘲しようとしたが、
(いや、最初は口調と見目に騙されてたけど、よく考えたらそういう迂闊なことをしかねない奴だったな)
そう思い直す。
疎遠になっているリインが自分を窺っていることは特に不思議には思わない。
少し前ならば丘崎の方も余裕が無かったが。
数日前、本番であるこの日が近づいて来ている事から、せめて戦闘時には問題が起らないように関係を改善すべく動こうとしたのだが、待ったをかけられてしまっていた。
――リイン、きっと自分から言えますから、もう少しだけ待ってあげてください。
そう言ったのは未だ丘崎は付き合いが浅く、性向を把握し切れていないイルマだった。
丘崎の知らない間にリインと友誼を深めていたらしい彼女が向けてくる真摯な眼に、先に話しかけることは止めることにしていた。
今の所、戦闘に関して問題も出ていない。
戦闘中の声かけもしていないのだが、そもそも疎遠になる前から丘崎とリインは戦闘で会話自体あまりしなかった。
〈対界侵食〉で精神感応を行えばお互いが求める動きが分かったし、今も基本的な立ち回りが変化したわけではない。意思疎通無しでも一切足を引っ張らない行動が身に付いていた。
(もう少しだけ、か。……それ待つにも今日で終わるわけにもいかない)
そう思う。
同時、僅かにリインの耳が揺れるのを視界の端に捉えた。
丘崎は躊躇わずリインと共に振り返る。
背後に湧いていた一体の巨腕鬼。
〈鬼の魔窟〉の魔物は〈金気〉を宿す。
状況が有り、行動の一切を熟知した者が隣に居る。ならばやることは変わらない。
(さあ、行こうかリイン!)
リインの放つ、少し射線を間違えれば自身の背に直撃する魔力弾と併走しながら、丘崎は〈火気〉を纏わせた中巻柄の両手剣を振り上げた。
〈変り種〉が〈鬼の魔窟〉の探索を開始してから数時間後。
ベネットは建物の上に登って壁西地区のとあるギルド拠点を観察していた。
(向こうの捜査開始予定時間まで後10分……)
そこは秘密裏に調べ上げられた〈鷹羽〉の真の拠点だった。イルマも把握していなかった場所だったが、ニコラウスが持つ別の情報網から位置情報を入手していた。
ベネットの任務はこの拠点の制圧だ。
既に冒険者役場に雇われた中位以下の冒険者とウィケロタウロス騎士団の人員が周囲に展開している。そして、その中には丘崎の眼から見て〈針〉が刺さったままであり、かつ明確に「シロ」だと判断できる素性の者が一人入っている。
恐らくすれ違った際にでも打ち込まれたのだろう。
そのPAの情報と、盗聴器を付けられたようなものだとその人物には筆談で伝えたのだが、少しの間我慢すれば誤情報を逆に流して状況を優位に出来るかもしれないと返事をして協力してくれていた。
「……頭の下がる話だな」
嘆息した。
自分であれば他のセトラーに、しかも捏造した情報を流して私益を得ようとするような輩に盗聴されてしまう等と言うことは絶対に遠慮したいところである。
仮に代わりになれる者が居ると言うなら、即任せてしまうだろうが、
『PA保有者は男なのでしょう? それを知っていて女性の生活音やらその他もろもろを聞かせるような真似を許すしていると考えるより、自分の情報を流して相手を操っていると思う方が随分とマシです』
そう書いてのけたのだという。
その後、丘崎の〈針〉排除にある優先傾向が生まれたのは言うまでも無い。
しばらくすると、視界の端に青い光源。
少し遅れて炸裂音が追いついた。
「……始まった様だな」
鮮やかな青の信号弾が壁北地区の上空で光っていた。
夕方の橙色の中で、その1点が目立っている。
「……行くか。正直目立つのは嫌いなんだが……」
ぼやく。
ウノが主張するような「面倒に巻き込まれたくない」という意図ではなく、単純に注目を集めるのが生理的に苦手なのだった。
しかし前世のそれとは違い、今生の巨体は穏行やPAを使わなければ相応の存在感を放たせるのは難しい事ではない。
「……〈ブービーオペレイト〉」
自身への意識誘導を可能とする神令を、口頭で以って発動させる。
神令使いは熟練すれば無詠唱でもそれなりの効果を出せるが、口で言霊を乗せた方が安定するし乱戦化でも無ければ次の行動を把握される心配はそもそも無い。
〈ブービーオペレイト〉には〈フカシの旗印〉のような強力な効果は無いが、彼を無視出来なくすれば良い為これで十分だった。
それから護拳の付いた警棒のような武器を左右の手に展開。
「……ふっ」
軽い呼気と共に屋上から身を躍らせた。
無論、着地点には何も無い。
ずん、という100キロを超える重量物の落下音が響き、夕暮れの帰り道を行く者達が振り返る。
下りた場所は拠点である建物の正面。
(上手くやってくれよ! ジャネス。ヤルナッハ!)
両の手に思い切り力を込め、正面扉の向こうに人の気配が無い事を確認。
「……むぅんっ!」
双の警棒の振り抜きは爆撃の如く重量感の有る木製の扉を粉砕し、破片を巻き散らかした。
「……全員動くな! このギルド〈鷹羽〉はウィケロタウロス行政並び冒険者役場より騒乱共謀の疑いにより強制捜査対象に指定された! 既にここは包囲が完了している! ギルド代表者を出せっ!」
ベネットの滅多に出さない、しかし体格相応の猛獣の如き大声が響き渡った。




