4 〈寂壁〉のベネット
暴力描写有り
ベネット・アスター
ウィケロタウロス壁南地区に在住する単独行動型、いわゆるソロ冒険者であり、冒険者の実力指標〈スクエアスロット〉レベルにおいて上の下、スロット7の人物である。
筋肉に覆われた2メートル近い巨体。暗い茶髪で、目元が見えぬほどに前髪を伸ばしているのが特徴だ。
金属板と魔獣革の鎧を纏い、彼の体すら覆い隠すタワーシールドと刃渡り1メートルは有る大型の山岳兵の湾刀を主武装としている。
見た目に違わぬ怪力と耐久力が売りだが、それに反する身軽さや小器用な面も兼ね備えた優秀な冒険者と知られており、冒険者のグループ〈ギルド〉からの勧誘は多い。
しかし、その全てを断り孤高を貫いている。
その一方で、依頼すればベテランだろうが下位冒険者であろうが、わけ隔てなく協力してくれる快人物であるという。
あだ名は〈寂壁〉
〈鬼の魔窟〉のイベントが開催されたこの日、ベネットはとあるパーティの指導役をしていた。
ずしんと音を立て、一体の巨腕鬼が倒れる。
倒したのは10代の全員下位冒険者、スロット2から3の4人組パーティだ。
精根尽き果てた彼らは堪え切れずにその場に腰を下ろしてしまっていた。巨腕鬼を打倒するには不安がある戦力だったが、それぞれが全力を出した結果だった。
いつ戦闘になるか分からない高難度の魔窟でやっていい行為では無かったが、それを含めてベネットがフォローすると提案したのだ。
ベテラン斥候並の索敵力と俊敏さを持つベネットならば非常時でも即介入出来るため、「不安が残る戦力環境」の経験を積ませたいという意図を説明していた。
ベネットは地面にタワーシールドを突き立てると、巨腕鬼の体を大振りなナイフで捌き始める。〈鬼の魔窟〉の名産である鬼肝は早くに切り離さないと傷んでしまうのだ。
売り物になる品質の鬼肝は平時では1体につき2分の1程度の確立で体内に含まれている。今回の物は脂肪を十分に蓄えており、普段なら数万サクルを超える値で取引されるであろう逸品だった。
そして今回、鬼の身体から出てきたのはそれだけではなかった。第二産物と呼ばれる物だ。
確認し、ほう、と息を吐くベネット。
ベネットの巨大な拳ほどもある金気石と呼ばれる白い結晶体だった。
ベネットが合掌を促すと、4人はぐだぐだと手を合わせた。立って背筋を伸ばして行うのが理想だが、心底の敬意と感謝が有れば事足りる。
鬼の屍骸が溶け消えるのを見届けると、ベネットは鬼肝を保存用の袋に入れ、布で金気石の血と脂を拭い、槍を放り出して座り込んでいる剣士の少年に手渡した。
「……見事だった」
厳つい見た目に似合った低音で、ゆっくりとベネットは言う。
「あ、ありがとうございます」
「……流石にイベント補正だ。一体目で希少産物の金気石が出るとは」
「きんきせき、ですか?」
「……高難度魔窟の五相のいずれかが強い魔物が、稀に体内に持っている物だ。
魔鋼と同様に灰色の基本形の陰陽石という状態が有り、そこから変化する。鬼共は〈金気〉が強いから白く染まって金気石になるわけだ。ここでは雑魚に当たる巨腕鬼からこれ程の大きさの品が取れるのは珍しいんだが、このサイズなら100万サクル単位に成るかも知れん」
「「「「ひゃくまんたんい!?」」」」
全員が反応した。目の色が変わっていた。
「そ、それ売ったら、新しい装備が!」
「借金が返せますわ!」
「あそこのナンバーワンを指名して、高級酒頼んでもお釣りが来る!」
(こわっ!)
欲望を口から漏れ出させる下級冒険者たちに、ベネットは内心でドン引きした。
顔には出さなかったが。
とりあえず、先導役として言わなければいけない忠告もあるため、心を奮い立たせる。
「……今日からしばらくは安くなるがな」
「どういうことですの!?」
ぎらりと目を光らせ、真っ先に魔法使いの少女が聞く。
先ほどの叫びからしても、やはり一番切羽詰まっているのだろう。
「……需要と供給だ。平時は出にくい金気石だが、このイベントの状況では他の連中もそれなりに掘っているだろう」
気を抜けばどもりそうだった。
「そうなると、どうなるんで?」
盾役をしていた少年が聞く。
「……滅多に出ない状況ならば逆に吊り上げることも出来るが、イベントで数が出ている。今は誰も彼もが多少なりとも安くして早い処分を求めるんだ」
「なるほど」
「……そして、買い手側もそれが分かるため、相場近いような出品に手を出してくれなくなる。仮に相場価格の品しかなくなったとしてもな」
「取って置いたほうが良いんですかね?」
剣士の少年が不安そうな顔で聞いてくる。
ベネットは首を横に振り、否定する。
「……一概にそうとも言えない。早急に処分せずに後で揉めるなんてこともしょっちゅう有る」
(まあ、俺はソロだからそんなこと経験すら無いけどな!)
内心自虐しながらも、いつも通りの威厳が有ると勘違いされがちな態度で応えた。
「……逆に取って置いたら新しい利用法が発見されたりして、予測できない価値が発生して高騰するなんてことも有るからな」
「それじゃどうしたら良いか分かんないですよ……」
気弱そうな斥候役の少女が言う。
何気に一番俗っぽい欲望をはみ出させていたのは彼女である。
ナンバーワンだとか高級酒とか、居候が同僚に連れて行かれそうになったと言っていたホストクラブだろうか。
聞いてみたくも有るのだが、ベネットも人は見かけによらない事に関しては言えた義理ではないため考えないようにした。
ただ、彼女がそういった路線で身を持ち崩さないことを祈る。
「……そう、だから自分達で相談して納得して決めなくてはいけない。少しでも値崩れしないうちに即売却するか、相場が戻ったら迷わず売るか、倉庫で置物にすることを覚悟で高騰を待つか。
仲間の関係によっては以降二度とパーティを組まない程の喧嘩になった話も聞くぞ」
ベネットの言葉に4人は顔を見合わせた。
その後、4人はさらに4体の巨腕鬼を打倒した。下級冒険者だけのパーティとしては随分頑張った方だろう。
一度、小さなミスが重なり4体の巨腕鬼と同時に接敵したことが有ったが、ベネットは一発の被弾も無く一掃して見せた。
実力からすると当然の結果であり指導役の役目を果たしただけとも言えるが、きらきらした目を向けてくる4人に対し、
(格好付けキモイとか思われてないかな。格下の場所で俺TUEEEEEうぜえとか思われてたらどうしよう。殺気向けるだけにして戦わずに退かせた方が良かったかなあ……)
などとベネットが病的に不安を感じていたのは誰も知らない。
「……鬼肝は安いどころではない程に値崩れしているだろうが、平時は食えん高級食材だ。宿の主人にでも頼んで自分達で食ってしまっても良いかも知れないな」
探索を終えたベネットはそれだけ言い残し、報酬の酒一瓶を受け取って去っていった。
少年達はその颯爽とした振る舞いに憧れの篭った視線を向けて見送る。
孤高で沈着冷静、それでいて下位冒険者である自分らを侮るでもなく細やかな気遣いを見せてくれたベネットは、評判通りの人物だったと彼らは語る。
ベネットは物陰に入り込み、膝に手を乗せて両足を抱え込むようなしゃがみ姿勢で小さくなると、大きく息を吐きだした。
(うあああああ、よおかったあああああ、打ち上げ呼ばれないで)
2メートル近い巨漢がプルプル震えながら膝を抱え込んでいる様はなんとも言えない物が有った。
ソロを貫く冒険者であるアスターも、人恋しさから他人と一緒に動きたいと思うことは有る。
そんな時は結構誘うとホイホイついて来る。
というか誘えるような場所に出没すらしない。一人でソロ向けの魔窟に潜ってたりする。
今回も、せっかくのイベントだしちょっと誰か声かけてくれないかなーと行きつけの酒場で待ちの構えでいたのだ。
ちなみに彼に自分から、
「……一緒に魔窟行かないか」
とか言い出すような気概は備わっていない。
基本誘われ待ちの男だった。
そして、今日は先ほどまで一緒だった4人組に引率を頼まれ、彼自身は稼ぎはしなかったものの充実した1日を過ごしたのである。
自分勝手な話であるとは彼も自覚は有るのだが、元気いっぱいの下級冒険者たちのおかけで溜め込んでいた孤独感がすっかり癒えてしまい、これ以上アスターの本当の姿を知らない彼らと一緒に動くのがしんどくなっていたのだ。
ベネットを打ち上げに呼んだりしないことも条件の一つとして提示してはいたが、良かれと思って聞いてくれる者もいるし、下級冒険者からの誘いを断るのはかなりベネット自身にもダメージが入るのだ。
〈寂壁〉のベネット・アスター
そのあだ名は、本来の姿を知る彼の友人達によってつけられた、「寂しい壁役」の意味だった。
ベネットはいわゆるコミュ障だった。しかも、前世の頃から50年近い筋金の入りである。
ベネットはすっかり知らない人と長期間一緒にいられない精神を持ってしまっていたのである。
まあ、今では彼自身は随分とマシになった方だと思っている。
冒険者として実力をつけ、自信もついた。
彼を理解し、尊重してくれる友人もいる。
ベネットは琥珀色の液体の入った瓶を夕焼け空に透かし、薄く笑った。
先導役の報酬に金額の指定はしていないが、ラベルからしても恐らくは20万サクルはする品である。
金気石が出なければ元が取れなかったのではないだろうか。それでも経験を積む気概を示そうとしたのか、良い酒を持って来てくれた少年少女たちの誠意を嬉しく思い、今日の経験が何かしら糧になってくれれば良いと願った。
上機嫌で酒瓶を下げ、路地裏を歩くベネット。
酒は行きつけの酒場に持ち込んで、マスターに美味い飲み方で出してもらう積もりだ。
友人が居合わせたら一杯くらい分けてやろうかな、等と思っていた。
だが、道中で肉を殴打する音と、誰かを嗤う声を聞いて足を止めた。
丘崎を路地裏に引き摺りこんだのは、3人の少年たちだった。
「捕まえたぞ。この屑」
リーダー格らしき背の高い少年が、丘崎を睨み付けながら忌々しそうに言った。
取り巻きらしき二人の少年が丘崎を両側から押え込み、「何をする」と言う前に丸めた布で塞がれて、リーダー格に正面から右膝を踏み抜かれた。
「~~~~~~!」
意外に音は軽い物だなと、心のどこかで冷静に思う。
一方、口と身体は正直に悶絶した。
膝が恐ろしく熱く、曲がってはいけない方向に曲がっていた。
両脇の少年たちによって角度を調整され、蹴り抜かれたのだ。
丁度、壁に立てかけた木材を蹴り折るように。
突然の暴行に丘崎は目を白黒させてもがこうとするが、両脇の少年たちにがっちりと押さえ込まれて身動きが取れない。
「馬っ鹿じゃねえの。逃がすわけねえじゃん」
抵抗を感じた右側の少年が丘崎を嘲笑う。
そして、リーダー格が今度は左の膝を蹴り抜いた。
「~~~~~っ!」
続けて来た苦痛に、丘崎は頭を仰け反らせた。
だが、リーダー格が丘崎の頭髪を掴み、引き寄せる。
「お前は許されないことをした」
言うと同時、丘崎の顔面に拳を叩き込んだ。
「ぶぐっ!」
髪が固定されていたため、威力が逃げずに頭部を撃ち抜かれた。
鼻の軟骨が折れ、鼻血が溢れる。
「うぉおうっ! おおっ! かっ! がはっ!」
呼吸が難しくなり、丘崎は必死になって布を吐き出した。
だが、丘崎が言葉を発する前にリーダー格が口を開く。
「彼女に取り入って寄生しようだなんて、俺が絶対に許さん」
首がねじれ、自身の上下の歯がぶつかる衝撃が来た。
目がチカチカしていた。左の顎を打ち抜かれたのだ。
耳の下あたりの顎骨が砕かれた。下の奥歯が脱落して口内を転がる。
「二度とこの街を歩きたくなくなるように、してやる」
放置されていた緑の苔に覆われた角材を拾い、左腕に叩きつけられる。
肘と手首の間に関節がもう一つ出来ることになった。
ベネットが見つけた暴行を受けている旅装の少年、つまり丘崎はベネットの感覚からだと中学生くらいの年頃に見えた。
他の3人は高校生くらいか。
丘崎は散々殴打されたのか顔全体を腫らしていた。
両膝は本来曲がる方向と逆に曲がっており、左の前腕部も明らかに骨折している。
今はリーダー格が肩を掴み、腹部に何度も膝蹴りを入れている所だ。
丘崎の腹に膝が入る度、腫れ上がった唇からぴゅっっと血が噴き出す。
両脇の少年たちがそれを見て、囃し立てるように声を上げ、嗤っていた。
「きったねえ!」
「うっひー、いたそー!」
リーダー格が今度は少し距離を取り、そこから助走をつけて顔面を殴りつけた。
骨のぶつかる音がした。
丘崎の頭が横に揺れて血を撒き散らし、力なく垂れた。
「は、はは、二度と寄生なんかしませんって、言えよ」
リーダー格は、嗜虐の快楽に歪んだ声で言った。
興奮により息が荒くなり、肩が上下していた。
丘崎がゆっくりと顔を上げる。周囲が腫れ上がり、細くなった目を向けて、
「……うあえんあ。……いえいあんえ、……いうあ」
顎を砕かれ、前歯もほとんど折られていたため、舌だけを動かす空気の抜けるような声で言う。
散々痛めつけられてはいた。だが、それでもまだ丘崎の心は屈していなかった。
怪物的な巨腕鬼たちに囲まれた時はどうしようもない脅威に諦めもしたが、×××を殺した女やこの少年たちのような、他者を攻撃すること自体を欲するような理不尽な相手には折れてやりたくないと感じていたのだ。
「人間の言葉しゃべれよ!」
何を言ったか分からずとも、明らかに負けを認めた目と態度でなかったため、逆上したリーダー格が何度も殴りつけた。
丘崎の顔が左右に振れ、血が飛び散った。
両脇の少年たちはそれを見て更に嗤った。
ベネットは前世で受けた仕打ちを思い出していた。
全身が震える。
自分が人と関わりたくなくなった原因。
周囲から、出た杭として叩かれた記憶。
あそこまで酷い暴行を加えられたことは無かったが、ベネットは丘崎に前世の自分を重ねた。
この世界では不思議とこういった場面にはほとんど出会わなかったため忘れていたが、この歳になって遭遇するとは思わなかった。
強力な冒険者であるベネットが出て行けば、あの加害者の少年たちを追い払うことは出来るだろう。
だが、前世の記憶が邪魔をした。
加害者たちの若さ。
遊び半分の加害者たちの雰囲気。
甚振られていた前世の頃を思い出させる要素が揃ったことが酷くベネットを苛んでいた。
足が震え、前に出なかった。
丘崎を滅多打ちに痛めつけたリーダー格は苛立たしげに「もう、良い」と呟いた。
リーダー格にとって思い通りにならない玩具など、最早不快になるだけだった。
「〈パワード〉」
身体強化の神令を詠唱した。
息を荒くしつつ、手元に愛剣を出現させる。
厚く、幅の有る刀身の両手剣。刃物というより金属塊に近い重量物。ベネットのような大男ならともかく、一般的な人間では魔力による何らかの補助が無しには持ち上げる事も出来ないような武器。
創作世界の巨剣と呼ばれる物だ。
「お、やっちゃう? やっちゃう?」
「処理どうするー?」
煽る2人に、リーダー格は創作世界の巨剣を両手で掴み、持ち上げた。
「魔窟に放り込んでやれば、鬼が食ってくれるだろう」
興奮し、喜悦に歪んだ声だった。
「やめろ!」
ベネットは飛び出した。
動悸が激しい。
恐れを押し込め、顔が酷く険しくなっている。
必死に震えを隠していた。
それでも、丘崎の命が危うくなってようやくベネットは出てくることが出来た。
「誰だ!」
至高の一時を邪魔され、リーダー格が苛立った声で言う。
「おい、その人〈寂壁〉のアスターじゃないか?」
右側を抱えた少年が、顔色を変えて言う。
だが、リーダー格は明らかな嘲りの表情を浮かべた。
「はっ、どこのギルドにも入れてもらえないぼっち野郎じゃないか」
「ま、待てよ、相手スロット7だぜ?」
小声で言うリーダー格を左側の少年が慌てて止めるが、興奮して退こうとしない。
斥候もこなせるベネットには聞こえていたし、侮られていることも分かっていたが気にしない。誰かに舐められるのは前世で慣れ切っている。
それよりも、被害者の容態が気になっていた。
「……その子供に、何をしている」
搾り出すようにベネットは言う。
恐れで震える声だったが、3人は怒りによるものだと勘違いする。
両脇の二人は震え上がるが、リーダー格は嘲る様に嗤っていた。
「こいつは寄生の屑です。二度とこんなことしないように教育を、ね!」
そう言うと同時、丘崎の右手の人指し指を手の甲側に無理に曲げた。
「あぁあっ!」
ばきり、と音を立てて人差し指の付け根が破壊され、口から血を撒いて丘崎が悶えた。
「やめろ!」
ベネットが静止するが、
「うあっ! あっ! あうう!」
背の高い少年は慣れた動きで中指、薬指、小指までをすべてへし折った。
「……うああっ」
「――やめろといってるのが分からないか」
ベネットが言った。
言葉の調子こそ静かな物だったが、凄まじい殺気を撒き散らしている。
そこでようやくリーダー格がびくりと震え、ベネットに対して畏怖の視線を向けた。
他の二人の少年たちの顔色は、青を通り越して土気色になっている。
「こいつが、悪いんだ。こんな屑、この街から蹴りだした方がためになる!」
リーダー格が震えながら言うが、
「……どうでもいい」
ベネットは吐き捨てる。
「……その子供が何をしたかはともかく、お前たちがやっていることは最早ただの暴行の域だ。ましてさっきはその子供を斬り殺そうとしたろう?
仮に寄生行為が有ったのだとしても、半ば快楽目的でそんなことが許されるとでも思うか……」
怒りが、ベネットの中の恐怖を上回っていた。
彼の中の善性が、燻る恐怖による震えを止めていた。
「その子供を放して、失せろっ!」
「「ひぃっ!」」
「くっ」
ベネットの叫びに丘崎の両脇を抱えていた少年2人が逃げ出し、放り出された丘崎の体が地面に転がる。
リーダー格が顔を歪めるが、逃げざまに丘崎を斬り捨てようと巨剣を振った。
しかし、刃は丘崎には届かず、金属同士の激突音が響く。
「……やらせるとでも思ったか?」
巨体からは想像も出来ない、姿が消えたと思わせる程の速度で割り込んだベネットが山岳兵の湾刀で受け止めていた。
とても創作世界の巨剣を受け止められるようには見えない剣だが、その刃は巨剣の刀身にじわじわと食い込んで行っていた。
武器の素材と技量の差が出ているのだ。
「クソッ」
リーダー格は毒づきながらも丘崎の頬に唾を吐き付け、巨剣を消して駆け出した。
ベネットは逃げるリーダー格が角を曲がるまで睨んでいたが、それだけに留める。
可能ならば加害者たちは捕縛したい所だったが、ベネットとしては丘崎の安否の方が優先度が高かったため、制圧してそれ以上の手間がかかることを避けるためだった
「……おい、意識は有るか?」
「ぁ、う」
剣を消し、膝を付いたベネットに声をかけられ、丘崎は呻いた。
あれだけ一方的にやられても、まだ意識だけは残っていた。
ベネットは丘崎の頑丈さに少しの呆れと強い安堵を感じた。
「……すまん、もっと早く出てきていれば」
「ぅうん」
ベネットの謝罪に、丘崎は僅かに首を横に揺らした。
顎はほとんど動かないが、舌と呼吸だけはなんとかなった。
救われて贅沢を言うつもりなど無かった。
「……歯をやられたか? 飲み込んでいなければ吐き出すんだ」
言って、腫れた丘崎の唇の横に掌を当て、そっと丘崎の顔を傾けさせる。
丘崎はベネットの意図は分からなかったが、何とか口の中に転がっている奥歯と前歯を舌で押し出した。
計11本。血を纏った歯がベネットの掌の上に転がり出てきた。
その数にベネットは顔をしかめるが、足元周辺に口から出た歯が散ってないかも確認する。
一つだけ、地面に落ちた奥歯を見つけると拾い上げる。
簡易な魔法で水を出して血を流し、今日の報酬である、一般人1人なら一月は生活できるほどの価値がある酒を躊躇せず振りかけた。
香ばしい樽からついた木の匂いが鼻を刺激した。
蒸留酒だから度数は高い。いくらかでも消毒になってくれればと思っていた。
再度魔法で水を出し、今度はアルコールを洗い流してから清潔な布に纏めて包む。
「……後は見つけきれないな。とりあえず元の歯が有れば治癒が楽になる。これ以上無いと良いが、もし飲み込んだり紛失しても再生は不可能じゃない」
安心させるべくベネットは言うが、もし探し忘れが有ったら、という葛藤に顔を歪めた。
そして、できるだけ刺激しないようにして丘崎の体を抱え上げた。
「ぉあぅう!」
気遣われて触れられてなお、苦悶の声を上げてしまう丘崎。
ベネットはその有様に顔を歪めた。
過度の暴行を加えていた少年たちへの怒りが再燃するが、この少年の治療を優先しなければと頭から消す。
「……まだテントに奴がいてくれれば良いが」
そう言って、揺らさないように心がけてベネットは歩き出すした。
しばらくは無言で歩いていたが、ベネットはぽつりと口に出す。
「……やはり、『いじめは格好悪い』な」
「う、ぅう?」
それを聞いた丘崎は少しだけ笑い、痛みに苛まれながらも音を出した。
「……おおえあいえお、……いいえあ、……あぁおあういえうあ」
懐かしいフレーズに応えて。
「お、おおっ!?」
危うく丘崎を落としてしまうかと思いベネットは足を止めた。
とても常人では聞き取れないような声だったが、基人種としてはかなり耳の良いベネットはイントネーションからその言葉を聞き分けることが出来た。
前世では良く言われる言葉だったが、ベネットの口から出たそれは彼自身がこの世界に転生してから聞いたことは無い物だった。
それを知っていたということは、この少年は、
「……異繋人か」
『移住者・解決する者』の意。
それはこの世界で頻繁に出現する、異世界にルーツを持つ者たちの総称。
そしてこの世界の人類文明のルーツそのもの。
ベネットの同類だった。