22 小宴会
「粘着質な『晒し』は、感情的な反論だけでは解消することは出来ない。全く効果が無いと言うことはないだろうけどね」
そう言って、ニコラウスはストレートの芋焼酎を煽った。
酒も入っているからか、静かで芝居がかっていない話し方だった。
丘崎、ニコラウス、リインの3人が探索から戻ると、宿の談話室を借りた小規模な宴会が準備されていた。
参加しているのは〈変り種〉のメンバーとベネット、西郷の7人だ。
活動自粛の終了に加え、今回の探索でスロット2に到達していた丘崎の祝いを兼ねていた。
乾杯を終えて丘崎が他の6人に感謝を伝え、そして皆労ってくれた。
今は3つほどの卓に分かれて料理をつまみながら談笑している。
「今日までの遠回りなやり方が、それを解消するってことですか?」
テーブルで顔を付き合わせた丘崎が、大学生だった頃の習慣から焼酎の酌をしながら言った。
ニコラウスは杯を軽く上げて礼を示し、一口舐める。
一方、丘崎の方はグラスに入ったノンアルコールビールだ。
この世界の飲酒解禁は〈源世界〉の影響で二十歳からという国が多く、アドナック王国でもそうなっている。
丘崎は精神年齢では二十歳は超えている。飲み会の経験も豊富であるため酒量の調節をしくじることもないだろうが、肉体年齢がこの国の法に触れるまでは酒に手を出さない積もりだった。
余談だが、前世で味わった酒の味が忘れられない転生型セトラーは多く、自制も肝臓の成長も不十分な若い内からアルコール依存症や脂肪肝になる者が後を絶たないことが社会問題になっていたりもする。
「遠回りだと思ってた?」
「はい」
丘崎は頷く。
ニコラウスは数ヶ月かけてリインと丘崎の活動を隠し、マーティンを焦らし、丘崎の存在自体を忘れたような時期まで待ってから、少しずつ情報を流して向こうからアクションを起こすように誘導した。
その結果、お嵐は探索コンパを持ちかけて来てくれた。
後は公正な対応をしなければいけない者の前でミスを誘う。
マーティンがいる状態で丘崎とリインが多少親密な様子を見せれば、それだけでやらかしてくれると調査から確信していた。
フタエアシオオグモの出現や、マーティンが丘崎の容姿を完全に忘れていたり、凶行に及んだタイミングが最悪だったりと予想を外れた部分も有ったが、結果的にはニコラウスの企んだ通りになった。
しかしギリギリだったとも思う。
ニコラウスが最後に守ってくれたのが間に合わなければ、今頃丘崎とリインは消し炭になっている所だ。
「ニコさんなら、もっとスマートに事を進められたんじゃないかと思わなくも無いですね」
丘崎が責めるように言うが、
「これだから晒され素人は……」
ニコラウスは肩をすくめ、両の掌を返して苦笑して見せた。
何も分かっちゃいない、などと続くのが明らかな身振りだった。
実にわざとらしく嘲笑された丘崎は眉間に皺を寄せる。
「ニコさんみたく晒され過ぎてこじらせたいとも思いませんけどね」
「言うねえ」
堪えた様子も無く、ニコラウスは笑った。
「出来なくは無いだろうね。でも、君の悪評を可能な限り取り除く、となると遠回りにならざるを得なかったんだよ」
「……それは」
「まぁ、結果が出てくるのはこれからになるだろうね」
鰹節とネギ、醤油をたらした湯豆腐を箸で切り分けながらニコラウスは言う。
「今回マーティンの行動が表に出た。これから〈魔絶の刻印〉が調べていけば、もっと出てくる。無関係となることを選んだ彼女らはそれを広めねばらならない。より強い拒絶を示しておかねばば、明らかになった時さらに傷が大きくなりかねないネタだらけだからね」
ニコラウスはハフハフ言って湯豆腐を食べる。
丘崎はそれは確かに、と頷いて見せる。
ベネットとニコラウスが調査して分かったマーティンの行動を思うと、自分以外の被害者たちのことを考えずにはいられなくなる。
自分への暴行等忘れてしまう程、不愉快極まりない内容だった。
「実行犯の〈鷹羽〉の評判も落ちるだろうね。あそこの傘下でない情報屋たちも情報の捏造という禁忌を犯した商売敵の情報を声高に流すはずだ」
「ふむ……」
「こちらの情報は隠し続けた。一部を除いて君の存在すら確認させて来なかったからね。反対にマーティン、〈鷹羽〉らが流し続けた情報はどんどん信憑性は逆に無くなっていってた。そうすれば」
「そうすれば?」
「君について流された評判を、「信じている方が恥ずかしい」という域まで持って行く。これが、僕がオカ君に出来る精一杯の償いかな」
償い、という言葉に丘崎はまだ気にしていたのかと思う。
そうでなくてはここまでやってくれないかも、という納得と、律儀さに感謝する。
ニコラウスは良い人、常識人扱いなどを嫌うので口にはしないが。
「そんなに上手く行きますかね?」
敢えてそんな事を言う。
ニコラウスは語り好きだと丘崎は知っている。
「……この数ヶ月、今回の件を引き金にマーティンと〈鷹羽〉が悪役になるよう動いてたんだ。まあ上手く行くんじゃないかな? 良い誤算も有ったしね」
「誤算?」
丘崎が鸚鵡返しに聞くと、ニコラウスはにんまりと笑って丘崎の顔を見る。
「リインのサポートが有ったことと、弱点を突いたとはいえ、高難度魔窟の強敵をスロット1で討伐したんだよ? いやぁ、派手なデビュー戦になりましたなぁ丘崎さん」
それは明らかなからかいの声色だった。
丘崎は嫌そうに顔を歪める。
「『寄生』をするような根性の冒険者に出来るようなことじゃないからねぇ。今回で実力を見せ付けたことも『晒し』の払拭に役立つと思うんだよねぇ。オカ君の評価もだだ上がりすると思うよぉ?」
うひひひひと笑って言うニコラウスだが、丘崎の方は冗談ではないと言いたかった。
正直、丘崎本人は今日の出来はまぐれに近い物だと思っている。
変にハードルを上げられるのは御免だった。
「……どうにかならないですかね?」
「くくく、流石に良い方の評価が上がるのは僕も面倒見ないよぉ? セトラーであることも一緒に流れるだろうし、何かしらの強力なPA持ちだと思われるかもねぇ」
「俺、今回PA使ってもいないのに……」
楽しげなニコラウスに対し、丘崎は酒が入ってもいないのに頭痛がするような気がしてくる。
とりあえずニコラウスの皿から湯豆腐を一切れ強奪し、ノンアルコールビールを煽った。
すっかり出来上がったニコラウスは、くすくす笑いながらお柚の背後から服の中に力の入ってない手を突っ込んでまさぐっていた。
既にベネットと西郷は引き上げており、丘崎以外はニコラウスの醜態を見慣れているアブドラがめんどくさそうに眺めているだけだった。
暴れるお柚の肘がニコラウスの身体にドカドカ入っているが、双方酒で鈍っているためか痛がる様子も無い。
「酒癖悪いですね」
「……まあ、派手に飲み会するとニコは大体あげな感じじゃけえ」
「被害者は主にお柚さん、と?」
「口でセクハラはしても、手を出すのはお柚だけじゃな」
それなら良いのだろうかと丘崎は思う。
正直今の2人には近づきたくない。
丘崎では酒が入ってリミッター外れたあの達人共を止めようとしても、とばっちり食らってアブドラに治療してもらわねばならない怪我終わるのが目に見えていた。
「わっ、あっ、ちょっ、おまっ、ひゃん! ええいもううっといわ! こないなとこで盛るんやない!」
「それぇ、こんなとこじゃないならいいってことかなぁ?」
「このあほーっ!」
許可を取れればそうするとでも言いたげな言葉とは裏腹に、その手は全く自重しない。
長い腕をお柚のワンピースの襟から突っ込んでいたのだが、それがついに下半身にまで伸びようとワンピースを持ち上げて、
「でいやーっ!」
(あ、良いのが入った)
突き上げられるお柚の肘。
打ち上げられるニコラウスの顎。
酔っ払いの脳は明日以降へと旅立って行った。
酒こそ入っていないが、今日はぐっすり眠れそうな気がする。
飲み会から引き揚げた丘崎は、そう思いながら疲れた足取りで自室に戻る。
何だかんだ溜まっていたフラストレーションが晴れた。
〈魔絶の刻印〉がマーティンをどうするのか、マーティンがこれからどうなるのかは置いておく。
恐らくはギルドからはじき出され、ウィケロタウロスにいられなくなるだろうとはニコラウスが言っていた。
そうならなかったらどうするか、二度と関わらなくて済むならその方が丘崎としては気が楽だが。
そんなことを思いながら丘崎は自室のドアを開ける。
「ん?」
何時ごろからか見ていなかったリインが、丘崎の×××のことを書いているファイルに何かを書き込んでいる。
「リイン」
ざわつく。目が一瞬で覚めた。
正直、それが現実に起こっていることだと思いたくなかった。
丘崎は、リインを好ましく思っていた。
顔の美醜ではなく、彼女個人として。
だが、それは駄目だ。
「何してんだ……!」
スリッパ履きのまま詰め寄り、ちゃぶ台を拳でどんと叩いて
「やあ、始」
リインが振り向いた。
別人だ。
丘崎の頭が、それをリインだと認識するのを拒んだ。
眼を血走らせて、引きつるような嫌な笑みを浮かべている。
怒りや憎しみではない、しかし明らかな負の情に取り付かれた表情を浮かべたその様。
狂気。
その二文字が頭に浮かぶが、同時に、
――リイン本人だ
丘崎の中の冷静な部分がそう言って来る。
声は漏らさずに済んだが、一歩、気圧されて引いてしまった。
足元が滑り、尻餅と後ろ手をついてしまう。
だが、リインは素早く丘崎の胸倉を掴み、脚の間に割りこむようにのしかかって来た。
「ほら」
しなやかな身体を密着させて、ぐい、と顔を引き寄せて来る。
だが、柔らかい体を意識することすら出来なかった。
見せ付けようとしてきたファイルに視線を落とす。
月明かりに照らされたそれ。リインが書いていたのは、
「だめだろう? ×××だなんて」
リインの声が震えている。
いや、声だけじゃない、手も、体も震えさせている。
「人の師匠にそんな表現するなんてどうかと思うよ」
一気に弱々しくなったその様子。
ファイルに書き込んでいた、×××のところ全てに二重線が引かれ、上に訂正が書き込んである。
「〈キース〉と、ちゃんと、名前で、書いてやってくれないか……」
丘崎がリインの顔を覗きこむ。
鼻水を溢れさせ、鉄色の美少女が泣いていた。
〈対界侵蝕〉が、外部から強制的に起動された。
□□□□□
リインよりずっと小さな鉄色の娘。年は10にもなっていないだろうか。
洟をすすり、今にも泣き出しそうな情けない表情。
少しまばらに木の生えた林の中を、とぼとぼ歩いていた。
そして、ある木の前でしゃがみこみ、嗚咽し始めた。
キースはこさえた秘密基地の下でメソメソと泣き始めた三歳上の苛められっ子にイラついて怒鳴り散らした。
「また負けてきたかっ! このへたれ!」
薬草類を詰めた袋を抱えてするすると木を下りてくる怒り顔の幼児、キースを見て、幼いリインは泣き顔のまま笑った。




