18 〈魔絶の刻印〉
「アブドラさん、治療いいですか?」
早朝から夕方まで〈泥の魔窟〉に潜って帰ってきた丘崎は、宿の談話室に入るなり治療を頼んだ。
「おお、ええよ。……って酷い事なっちょるぞ!」
アブドラがテーブルに新聞を置いて丘崎を見れば、右の二の腕が完全に折れていた。開放骨折でこそないが、いつ骨が突き出てもおかしくなかった。
「8周目のサブボス戦でカウンターもらっちゃったんですよ」
「これ痛いじゃろ。〈ペインロック〉! 〈リダクション〉! 平気なんか?」
「痛覚緩和してもまだ痛いですけど、まあ耐えられましたよ」
「ううむ……。そら鈍すぎる様な気もするんじゃけどなあ。〈シーネ〉! 〈リカバー〉!」
心配そうにしながらも、手早く神令をかける。
痛覚遮断はともかく、低位汎用の〈トリート〉、高位汎用の〈キュア〉だけでも済む外傷を3種を重ねがけしたのはその方が骨折が癖に成りにくいからだ。
その分魔力を食うが、膨大な〈神威〉を扱えるアブドラならば大して問題は無かった。
治癒で修復された腕を動かしてみるが、痛覚遮断の効果が終了しても痛みは無い。
一瞬で骨折が完治したことに驚く様子も無く、丘崎はうん、と頷いて見せる。
「ありがとうございました」
丘崎は確認するように肩を回しながら言う。
「他は痛めとらんか?」
「ええ。被弾はそこだけです」
「最近は怪我するようになって来たのお」
「サブボスは雑魚と違って石の鎧着こんでるんで、殴られると結構ダメージ入りますからね。慣れたつもりで油断しましたよ」
「魔窟の周回しとると気も抜けるけえ、しゃあないじゃろ。しかし日曜までよう潜るもんじゃ」
「……休日と言っても行ける場所が少ないですからね。〈泥の魔窟〉は潜って腹は減りますけど疲れはむしろ抜けますから」
「なるほどのう」
サブボスとは魔窟主に代わって大将役に据えられている魔物の通称だ。
丘崎は既に魔窟自体の攻略には成功し、潜って脱出してはまた潜るということを繰り返すようになっている。
既に雑魚の泥のアメーバのような魔物は敵にならず、脅威となるのはサブボスくらいだった。
「ま、おつかれさん。茶でも煎れるわ」
「あ、俺がやります」
丘崎が少し慌てたように言うが、
「良えけえ座っとれ。ワシは今日は丸々休みじゃったけえ」
「……ありがとうございます」
柔和に笑って食堂へ向かうアブドラを見送った。
暇になった丘崎は、置いて行かれた新聞に視線を落とした。
詳しく読もうとは思わないが、スポーツ新聞を思わせるそれは話題性に特化している。
ゴシップによる娯楽物として割り切るならば丁度良いだろうと思っていた。
(『国際特定勇者〈玄白〉のアルセリアがウライジャルバ公国の思念邪龍を討伐』 ……居るんだな、この世界にも勇者だの龍だのなんて)
一面には地に伏せた巨大な爬虫類のような生物の頭部と、賞状を持った勇者のパーティーと思しき面々と、群がる現地民たちの写真が載せられていた。
勇者アルセリアは中学生くらいに見える美少女だ。甲冑を取り付けた灰色のドレスのような服を着込んでいる。
(何と言うか、この記念撮影で載ってると討伐どうこうっていうより「幻の巨大生物の捕獲!」ってノリだよなあ)
そんなことを思って笑っていると、パーティーの1人に黒髪の男が居るのを見つけた。
(セトラーも居るのか……? い、いや、こいつは……!?)
急に鼓動が強くなった。
全身を駆け上がる悪寒に自身の両肩を抱く。
仏頂面で写真に映っている、明らかに日本人の容貌を持った男を見た時から、丘崎は全身に鳥肌が立ち理由の分からない凄まじい寒気に襲われていた。
丘崎は急ぎ新聞をひっくり返して視界に入らないようにした。
少しだけ自身を襲う不安が軽くなる。
それと同時に、アブドラが盆に茶と菓子を乗せて戻って来た。
「な、何じゃ? オカ、どしたん」
顔を青くして震える丘崎に、アブドラは焦る。
「こ、こ、これの……」
「〈スゥズ〉! 温い茶でも飲んで落ち着け」
恐慌状態を神令で強引に解き、運んで来た茶を飲ませる。
熱さにむせながらも茶を流し込み、丘崎は盛大に息を吐き出した。
「何が有ったんじゃ?」
「……この新聞の、勇者のパーティのセトラーらしき人を見たら、いきなり」
なんとか丘崎が言う。
アブドラが丘崎に見せないようにして新聞を開き、当の記事を見る。
「〈付き人〉か?」
「つきびと……?」
「ワシもよう知らんのじゃが、そういう二つ名でアルセリアの養父いう話じゃ。えらく腕の立つセトラーということは聞く。ワレ、〈源世界〉に居った時に会うたことでも有るんか?」
「……」
首を横に振る。
分からない、だが凄まじい悪寒だった。
会った事は無いはずだが、丘崎には〈付き人〉なる人物をどこかで見たような記憶が有る。
(でもそれは、俺自身の記憶でも×××の記憶によるものでも無い……?)
何故か、その確信が有った。
(変なもんが、俺の中に混じっている……?)
丘崎はセトラーという存在を知ってからも、自分自身に対して奇妙な違和感を持っていた。
特異な発生経緯や、記憶はともかく〈源世界〉時代とも×××とも一致しない性格。
今、その記憶にすら疑いが生まれた。
忘れかけていたが、完全には消えなかった違和感が再び心の奥底で主張し始めたことを感じた。
「またさっきみたいなことになってもうたらワシが治しちゃるけえ、明日ニコにも相談した方がええかもな」
「そうします。……んん? 今日はニコさん帰って来ないんですか?」
平穏を装って訊ねる。
「余所のギルドに共闘で呼ばれてのぉ。夕飯も食って来るて言うとったけえ」
「あの人、余所から呼ばれたりするんですね」
「おう、ワシも付き合い長いが滅多に無いのう」
2人でしばし顔を見合わせた。
「「……何か変な事言って無きゃ良いが」」
2人してため息までハモってしまった。
胡散臭く笑う見慣れた優男の顔が頭に浮かぶ。
技術と戦術はこれ以上無く信用出来るが、それ以外は不安だった。
「ふ、ふお、ふおおおおっ!」
ニコラウスは古い神殿のような魔窟の中で妙に気合いの入った声を上げた。
が、
「……嗚呼、くしゃみ出なかった」
ニコラウスは空振ったくしゃみに嫌な顔をした。
噂をされたニコラウスは、噂していた2人の予想に反して真面目に働いていた。
入ったパーティではニコラウスは遊撃役を任せられている。他の構成は壁役、攻撃役、斥候兼支援役、回復役で計5人だ。
寄って来た魔物を三葉飾の大剣で切り捨て、鋼糸弦の大弩を叩き込む。タワーシールドを展開して味方に飛来する攻撃を叩き落とし、隙が有れば強大な範囲魔法を撃つ放つ。
ニコラウスのあだ名〈便利屋〉は、このような異常なまでのオールラウンダー振りから来ていた。
ニコラウスを招待したギルドの4名は、彼らだけでもこの高難易度の魔窟の〈骨の魔窟〉を攻略するだけの実力を備えたメンバーだったが、ニコラウスの参戦によって何時もより断然楽に進めるようになっていた。
「噂は聞いていたが、とんでもない奴だな……」
ニコラウスを呼んだギルド〈魔絶の刻印〉のサブマスター、〈甲角〉のイェンロウ・ダンフォルソが呆れたように言う。
鎧を着込み、盾と槍を持った壁役でスロットレベルは7。
190センチ前後の長身に精悍な顔立ちをしたシカ人種の男だ。
ウィケロタウロスでも有数のベテラン壁役だった。
「言うたやろ、あれ生で見て文句付けれるアホはおらんて」
そう応えるのは同ギルドのマスター、〈俊公〉のお嵐・フォルクレ。
回復役向けの服を纏う扱う青精人種の女である。
スロットレベルは同じく7。
ほっそりしたシルエット、エルフ系特有の整った顔立ちをしている。
お柚とは違う大人っぽいタイプであることに加え、エルフの方言丸出しなのが特徴だった。
2人が言っているのは、ニコラウスの戦い方の多様さに加え、初見のパーティにも関わらず恐ろしく呼吸を合わせてくる技量と視野の広さのことだ。
戦闘を妨げる動きが無いのだ。
ニコラウスの戦い方は仲間の邪魔をしない事に特化しているようだった。それでいてあらゆる戦闘行動が一流の水準に有る。
有名な彼自身の振る舞いが無ければ、どれほど高い評価を受けていたかとイェンロウは思う。
「あ、ちょおっと矢弾込めますよぉ」
魔物の集団をひとつ殲滅した所で、ニコラウスがそう言って鋼糸弦の大弩に矢を装填していく。
「おーおー、じっくりやってくれてええでー」
お嵐が手振りで指示し、パーティの足を止める。
クロスボウの類は常人が手で引ける張力ではない。それを強化した腕力で強引に弦を引いて素早く装填する。
丘崎もクロスボウを使う時には利用するやり方だが、元はニコラウスが仕込んだテクニックだ。
本家とでも言うべきこちらは、巨大な鋼糸弦の大弩の弦を軽々と、リズミカルに引いていた。
「な、何丁積んでんだ!?」
「あれだけ用意してれば、そりゃ連射も出来るやろな……」
スロットから出しては仕舞い出しては仕舞い、延々矢を仕込み続けるニコラウスを見て2人が呻く。
その数30。予備の装備をスロットに用意しておく冒険者は珍しく無いが、スロット8にもなる上位冒険者でスロットの半数近くを同系統の武器で占有させるのも珍しかった。
「お待たせしましたぁ。……おおっとぉ」
仕込みが終わると丁度現れた骸骨の魔物の大群に対し、早速再装填した鋼糸弦の大弩を撃ち込む。
引き金を引いた指を伸ばすと同時に新たな鋼糸弦の大弩に切り替えられ、もう一射。さらに三射目。
矢を装填済みのクロスボウ系武器でなくては出来ない速射が、スクエアスロットを利用することで連射に変わる。
一瞬で3体の骸骨の頭部が破壊され、欠片となって床に散った。
切り替えの早さに驚いているパーティーメンバーを置いて、武器を三葉飾の大剣に変更して敵軍に飛び込んでいく。
足の速い攻撃役と斥候役は既にニコラウスの勢いに引きずられるようにしてそれを追っていた。
「一つ下のスロットレベルだっていう自信無くすぜ……」
ぼやき、槍を構えて続くイェンロウ。
「龍人種と双璧を成す魔人種。しかも現役数十年に渡る超ベテラン冒険者や。スロットがカンストしとらんからって、ただのスロット8思う方が間違っとるかもなあ」
攻撃には参加しないため、お嵐は支援魔法をかけながらゆっくりと追う。
(こりゃあ、ちとセコイ事せなあかんかな?)
高難度魔窟をソロ攻略も出来そうなニコラウスの暴れぶりだが、それでもまだ周囲に気を配る戦い方は徹底されている。
まだ余裕が有るという事実に、お嵐はたらりと冷や汗を流した。
「〈蟲の魔窟〉か……。懐かしいなぁ。昔は通ってた時期が有ったよぉ」
そう言って、ニコラウスはグラスを傾けた。
「何度か中で会うたこと有ったの覚えとる?」
問うのは、本日共闘したお嵐だ。
彼らがいるのは、壁北のとあるバー。
赤精人種のバーテンダーの青年がカウンターの向こうでシェイカーを振っていた。
最近は御無沙汰だったが、彼はニコラウスとは古い知り合いだ。
打ち上げの後、お嵐が個人的な相談ということで三次会を持ちかけて来たため、ニコラウスの良く知るバーを選んだのだ。
「君、当時完全に囲われて御神輿状態だったからねぇ、こっちは遠くから見てるだけだったから会ったと言えるのやら」
「……恥ずかしい話や」
「ははは。いやいや、あの『姫』扱い受けてた子が立派になったと思うよぉ?」
思い出したくない過去に頬を染めるお嵐に、ニコラウスはへらへらと笑う。
ニコラウスが以前壁北のとあるギルドで活動していた頃、お嵐は近くの別ギルドに所属していたのだが、有望な回復役として過保護気味に囲われていたのである。
お嵐自身はそういった『姫』などと揶揄されるような環境を嫌い、後に自身のギルド〈魔絶の刻印〉を作り、今ではウィケロタウロス全体でもかなりの規模を誇る大型ギルドとして君臨していた。
一方のニコラウスも所属していたギルドを抜けた後、お柚、アブドラと〈変り種〉を設立して今に至っている。
「そんでどうやろ。考えてくれへん?」
「ふぅむ……」
彼女が提案したのは、共同の魔窟潜入だ。
それも高難度魔窟〈蟲の魔窟〉への、スロット4成り立て一人を含むパーティでだ。
向こうは件のスロット4と今日共闘したイェンロウを前衛に、お嵐自身が後衛に出るらしい。
こちらに来て欲しいのはニコラウスとリインだという。確かにその構成だと中衛から後衛をこなせるその2人になるだろう。
だが、ニコラウスは、恣意的な物を感じていた。
こちらの前衛を弾こうとしている。
それはおユウか、それともアブドラか。
ヒントは、おそらくはスロット4の人物。
「何が狙いかなぁ?」
ニコラウスは悪巧みを予想していますよ、とでも言いたげな表情で言った。
とても優しげな声だった。
「知らへんかな? そのスロット4のうちの若手」
――知っているよ、よく知ってるよ。なんといっても調べに調べたからね
「えぇ、っと、聞いたよぉな気もするかなぁ……」
ニコラウスは白々しくとぼけて見せる。
「確か、創作世界の巨剣使いで活きが良ぃのがいるとか……?」
「そう、それや!」
自信無さ気に言うと、見事にお嵐が引っ掛かった。
(そうだろうそうだろう)
創作世界の巨剣を振り回す攻撃型前衛
現在18歳
身長179センチ 体重74キロ
黒髪黒目、彫の浅目の顔立ち、転移型セトラーのリアクター
高い神威を操ることが出来ることから、神に愛されている者だという噂も有る
「その子な、おたくんとこのリインちゃんに気があるみたいなんや」
「ほぉ」
笑いを堪えるのが辛かった。
「良いとこ見れる機会作ってやれへんかな?」
「探索コンパ、ってことか」
探索コンパというのは、魔窟探索を出汁にした懇親会である。
五感から分かるように、元は〈源世界〉で言う合同コンパであり、目的も大抵は冒険者間での男女交際のきっかけを作るイベントだ。
予想していた展開だった。
(リインの単独行動を少なくして隙を減らし、しばらくはギルド全体でイベントやら祭りやらに参加するのも控え、こっち側からチマチマ情報だけ流して、そういうことを考えるように動いて来たんだ)
ニコラウスからすれば、そう来てくれなくては困るという物だ。
「一つだけ条件を呑んでくれれば」
「ええよ。言うてみ」
「メンバーに、うちにいる下位冒険者を一人入れて欲し
「そ、そんなんでええの?」
想定していなかった言葉に、お嵐が訪ねる。
「うん。それさえ呑んでくれれば、なんなら攻略報酬を三つともそちらにパスしたっていい」
「……そんなんいらんよ」
「こっちはその下位に認定功績が入るならそれだけだって十二分なんだ。そう、どうでも良いってことさ」
「あ、ちょい待ち、あんたんとこの下位って確か……」
お嵐は気付いた。
その情報が示すのが、この半年程聞くようになった評判の悪い冒険者であると。
「おい、〈俊公〉さん」
ニコラウスが低い声で遮る。
わざわざあだ名で呼んで来る。
それに、ザラリとした不快感を感じた。
「君のところで流れてる話のように寄生行為をしてると、本当に思うのかい?」
ニコラウスの口から出たのは酷く冷たい声だった。
「……あの『晒し』は捏造て言うんか?」
「捏造だと僕らは判断している。信じられるかはともかく、身に覚えが無くてね」
お嵐は額を揉みながら考え込む。
ニコラウスの言葉を信用出来るかはともかく、やはり『晒し』を受けている人物と関わるというだけで十分に抵抗が有った。
「他の誰かじゃあかんの?」
「彼を連れて行くのに同意してくれないなら別に良い。この話は無しにしよう」
ニコラウスの声は穏やかだ。
だが目は笑っていない。
譲らないだろう。
「その下位、どんな顔しとるかは聞かんけど一緒に歩いとってバレへんかな? 捏造いうても『晒し』受けとることには変わらんやろ」
「噂が流れてから街で出歩かないようさせてたから大丈夫。髪や目の色はともかく、彼の顔を見て噂の当人だと知ってる人は壁北じゃあ3人しかいないよ」
「……3人?」
「そう、3人だ」
薄ら笑いを浮かべて断言するニコラウスに不思議そうにするお嵐。
(それは君のところのクソガキどもだよ、〈魔絶の刻印〉ギルドマスター、〈俊公〉さん?)
ニコラウスの意思は声にならなかった。
ただ、ニコラウスの中で暗い喜悦の声を響かせている。
アブドラやリインならやばいことに気がついた。
付き合いの短い丘崎は少しビビッた位で済んでしまう。そして下手するとつついて破裂させたかも知れない。
危険察知能力の高いベネットなら即時急用をこねくり出す。
お柚だったら、全てを理解して背をさすっただろう。
お嵐・フォルクレは、何も気がつかなかった。




