11 リアクター
丘崎は咄嗟に右腕で拳を受け止めることに成功した。
「ぐっ! うぅっ!」
リインと並んで歩いているのが昨日の子供だと理解するやいなや、激昂したマーティンが丘崎の顔面めがけて右拳を打ち込んで来たのだ。
それはあくまで衝動的な攻撃であり、〈神威〉や〈霊威〉による強化もなかったため物理的なただのパンチだ。
魔力による防御手段を持たず、身構えることも出来なかった丘崎でも骨が砕けたりせずに済み、体も荷を満載したリアカーのバーに引っかかって吹き飛ばされることを避けられた。
しかし、それは即追撃を受ける間合いに居残ってしまったということだ。
「〈パワード〉ォォォォッ!」
絶叫のように神令を叫ぶマーティン。
全身に〈神威〉の補助を纏い、返しの左拳を振り上げた。
衝撃の残る腕とバーに当たって崩れた姿勢。
次は受け止められないことを自覚した丘崎の背から血の気が引いていく。
(やられる……!)
しかし、その追撃は丘崎には届かなかった。
「――何の真似だ?」
風の様に割り込んだリインが冷たい声で言った。
彼女は掌を添えるだけで体格で上回るマーティンの拳を逸らしていた。
神令による強化をされているとはいえ、マーティンの拳は完全なテレフォンパンチだった。
丘崎ならともかく、徒手格闘を鍛えているリインには容易に見切り、捌ける物でしかなかった。
リインは耳や尾の毛を逆立て膨らませ、怒りの表情でマーティンを睨みつける。
愛想良く話しかけて来たと思ったら丘崎を攻撃して来たマーティンに反応しきれず、一発は許してしまったがこれ以上やらせる気は無かった。
「……あなたこそ、何をされてるんですか、リインさん」
歯茎がむき出しになるまで唇をめくり上げ、息荒くマーティンは言う。
その目は血走り、怨讐を抱え込んで丘崎に向いている。
リインが自身を非難していることは全く意識していない。
マーティンにとって、そんなことは有るはず無いし有ってはならないから当然だった。
「何故そんな奴をかばうんですか」
「暴漢から仲間をかばうことが何だと言うんだ」
リインが丘崎を仲間と呼ぶと、マーティンは鼻の穴を膨らませ、さらに怒気を強める。
リインにかばわれた丘崎は周囲を見渡すが、メインストリートから外れたここは他者の目が無い。
騒いでいればそのうち誰か来るとは思うが。
「そいつは寄生野郎ですよ! リインさんの側に居てはいけない男だ!」
「何を言って、……そうか、昨日しでかしてくれたのは君か」
目の前の男が、昨夜丘崎を私刑にかけた相手であることを察し、リインは切れ長の目を細める。
「彼は既に〈変り種〉の身内だ。これ以上何かするならば……!」
リインは背筋を伸ばして宣言しようとするが、
「そうか! あの〈変り種〉の糞共にやらされてるんですね! ゴミ共が、リインさんに!」
マーティンは、彼女の上司らが丘崎の世話を強要しているのだと推理し、
「薄汚い異常者共が!」
天を仰ぎ、この場にいない者達を罵った。
(何なんだ、彼は……)
リインは話の噛み合わないマーティンの言動に、ナメクジに背を這いまわられるような不快感を感じていた。
目の焦点が合わないほどに興奮し、意味不明な事をまくしたて続けるるマーティンを見て、どうにか丘崎と共に離脱しなければと視線を周囲へ向けようとするが、
「リインッ!」
耳に届いた、鋭い丘崎の声。
ハッと振りかえったリインは、己を抱きすくめようと跳びかかってきたマーティンの腕を危うく避わした。
「あんなギルドに居てはいけない! 俺と一緒に来てください!」
避けられるも、マーティンは叫ぶ。
手段を選んではいられない。
マーティンは彼女を強引にでも拘束し、自分の拠点に連れて行かねばならないと確信していた。
一方、脈絡の無い事を言い出して来られ、リインはすっかり混乱してきていた。
だが、目の前の男の危険さと憤りを感じていた。
「君と話すことは無い。ギルドも抜ける理由なんてない。始に、これ以上彼にも手を出させない。……消えてくれ」
攻撃性と言動の支離滅裂さから、リインは事を荒立てずにマーティンを止めることは難しいと思いながらも言った。
故郷を出てこの街へ来たが、当時の未熟さと獣相系の魔術師という特異性から敬遠される事が多かった。
それを受け入れてくれて、一緒に冒険し、今も鍛えてくれている〈変り種〉というギルドが、そこで出会った3人がリインは好きだった。
今この男は、ギルドとその仲間たちに敵意を向け、侮辱している。
新たにギルドに入った丘崎を攻撃している。
それは確かだった。
争いたいわけでは無い。
だが、退かないのなら容赦する気が無くなった。
(必要ならば、この場で……!)
〈界威〉を集束、ノーモーションで構築出来る〈思念無詠唱〉と〈視線陣魔法〉に加え、自身の主力である〈五行魔力球〉の準備を開始する。
リインから見てマーティンの動きは素人くさく見えたが、もし制圧も難しい相手であった場合は丘崎を抱えて逃げ出すことも考慮に入れて肉体の強化まで始めたところで、周囲に視線が増えだしたことに気付く。
マーティンもそれに気づいた。
先ほど拒絶されたことは一切耳に入っていない。いや、〈変り種〉の面々に洗脳されているに違いないと感じているので気に留めていないのだ。
リインとて所詮女の後衛、寄生野郎にも何も出来まい。
リインを腕力で捻じふせて連れて行けば良いと思っていた。
だが、周囲にギャラリーが現れたことで状況が変わった。
リインが関わらなければ、マーティンは意外にも冷静だった。
マーティンが丘崎を負傷させた今の状況を見られれば、自身の正義を誤解され、事実が捻じ曲げられてしまうかも知れない。
あの寄生屑はミンチにしてやっても足りないと言うのに。
ここが自身の影響力が強い壁北でないことも不安要素だった。
「……いつかきっと、リインさんを自由にしてあげますよ」
真剣な眼差しをリインに向けると、マーティンはきびすを返して駆け出した。
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今はニコラウスとお柚の使っている12畳の広さの相部屋にギルドメンバー全員が集まっていた。
丘崎の部屋とは違い板張り床になっており、ギルドで話合いをする時にはこの部屋のテーブルで、というのが〈変り種〉の定番になっている。
「きもっ」
部屋のホスト役として茶を入れていたお柚がぽつりと言った。丘崎とリインが遭遇した男に対する感想の全てと言っても良い。
不愉快そうな全員の顔からして、それは共通の認識のようだった。
また、名前こそ分からないものの、それが昨日丘崎をリンチした少年たちの主犯だということは既に伝えてある。
「リインの方、その男の事本当に知らないのかい?」
「知らないな」
湯呑みが全員に回されたのを見てからニコラウスが訊くが、リインはきっぱりと否定した。
彼女に心当たりは一切無かった。
正直、有ったとしても考えたくもないほどリインの中でマーティンの印象は悪くなっていた。
不機嫌さを隠す様子も無いリインにを見て、ニコラウスはため息をつく。
ニコラウスは客観的な言葉をリインから引き出すことを諦めるが、
(……この世界でそういうことをするってことは間違いなく当事者か、影響を受けた者のどちらかだろうけどね)
ある確信を持っていた。
ニコラウスにとって、それはある意味自虐に近い物だ。
「丘崎君はその男の容姿って覚えてる?」
接触したもう一人の丘崎に振る。
二度も理不尽に傷けられた当人に聞くというのも妙な話だが、ニコラウスはまだマシな意見が聞けるのではないかと思っていた。
一方、丘崎は顔をしかめる。
覚えてない訳がない。
昨日こそ暗がりの中、目を腫れあがって視界が潰れるまで殴られたために確認出来なかったが、今日はしっかりと記憶に残っている。
むしろこの世界では実に目立つ風貌だったと言って良かった。
しかし、不快な言い辛さを感じていた。
「……背は170センチ後半で、歳は多分リインと同じか少し上。黒髪黒目、といっても東山さんの青味がかって見える様な黒でなく茶色混じりの黒ですね。それに黄色っぽい肌。浅目な顔立ち。……〈源世界〉の日本人とかに比べると白人系も混じってるようには見えるんですけど、明らかに東洋人の血統を濃く感じました」
「……なるほどね」
丘崎の答えにニコラウスは納得して頷く。分かり切った事だったとでも言いたそうな表情だった。
「ねえ、ニコ。それってさあ」
「うん、リアクターだろぅね。多分転移型の直系血族かなぁ」
言いにくそうなお柚と、うす暗く笑うニコラウス。
丘崎が新たな単語「リアクター」とは何かと問うと、ニコラウスは平時と異なるはっきりとした口調で語り始めた。
「メグミさんが説明したと思うけど、この世界の文明の基礎はセトラーたちがもたらした物ってのは良いかな? リアクターというのはセトラーから直接強く影響を受けたこの世界の人間でね、伴侶や実子、養子、弟子や生徒といった者達、この世界に〈源世界〉の因子を広めていく位置に有る者とでも思ってくれればいい」
普段の飄々とした態度からすると異様に思われる程の変化だった。
丘崎の場合、出会った最初に見たのがリインの独断専行を叱りつける際にこうなったニコラウスだったため、そう驚きはしなかった。
その分、平時の態度がより胡散臭く感じるようになってもいたが。
ニコラウスは自身を指し、へらりと表情を崩した。
「僕もそぉなんだ。僕の母親が転生型のセトラーでねぇ」
「ああ、やたら〈源世界〉に詳しいのと妙に言動が俗っぽ過ぎるのはそれでですか……」
「いやぁ、否定はしないけど今はそれは置いててよぉ」
醒めた目で見て来る丘崎に、へらへらとニコラウスは言った。
そしてまた、間伸びしていない流暢な語り口に戻る。
「この世界には〈源世界〉でいうモンゴロイドがいないんだ。唯一その特徴と遺伝子を持つのは転移型セトラーとその係累だけ。転生型セトラーやその子孫で有れば分からないけど、日本人のモンゴロイドとしての特徴を持つ者ってのはイコール転移型セトラーかその血族なのさ」
「……」
丘崎はすらすらと説明するニコラウスの視線が、どこか遠いところを見ているようで気にかかった。
「『もんごろいど』言うんは何じゃ?」
今度はアブドラが聞き慣れない言葉について問う。
「丘崎君たち、セトラーの元の世界における人種の区分だよ。
〈源世界〉ではこの世界でいう基人系しか『人類』は居なかったことはアブドラも知ってるだろ?」
「おお、小学校の授業でそげなこと言いよる先生がおったのう」
「それでモンゴロイドというのは黄色人種とも言って、〈源世界〉の日本国の人間、転移型のセトラーに見られる黒髪黒目に白人種の物より黄色っぽい肌の人種なんだ。アドナック王国の主要基人系である白人種はコーカソイド、少数派の黒人種、赤人種にもそれぞれネグロイド、オーストラロイドという呼称が有る。この世界じゃ人種学で使われる程度だけどね」
「ほうほう」
「言ってしまえば、青精人種をエルフ、白精人種をドワーフと呼ぶようなものと思えば良いのさ」
「なるほど。そげな風に言うなら分かるのう」
ニコラウスが脱線して薀蓄じみた解説をすると、アブドラは納得してみせる。
「それで、セトラーやリアクターだと何か問題が有るんですか?」
「いや、それ自体がどうこうという話では無いよ。僕だって転生型実子のリアクターだしね。むしろ君が最初に言い淀んだことこそが問題かもね」
「……どういうことですか?」
「君は、自分と同じ〈源世界〉にルーツを持つ者が非道を行ってきたのではないかと思った。違うかな? そこからどんな感情を抱いたかは分からないけどね」
笑みを消し、ニコラウスは真っ直ぐに丘崎を見て言う。
「……」
丘崎は何も言えなかった。
事実、丘崎は自身を襲った男がセトラーか、それに連なる者ではないかと思っていた。
日本人相手に非道を働くという〈帰りの会〉なる集団に対しても、未だに信じたくない気持ちが残っている。
丘崎は、それなりにかつて生きた日本という国と、そこに生きる国民の善性を信じていたのだ。
どう答えるべきか葛藤する丘崎を見て、ニコラウスはふっと表情を緩めた。
彼にしては珍しい、実に素直な笑顔だった。
「とりあえず、第一の方針は丘崎君の身の安全を確保になりそぉだねぇ」
ニコラウスが話題を切り替えてくる。
答えられない自分を気遣ってくれたのだろうかと思い、丘崎は酷く情けない気分になった。




